物語とは「テーマ」の例示です。
ここまで「構成」「舞台」「キャラ」について、自分の考えを述べてきましたが。物語を構成する最後の一つである「テーマ」について、これから語ってみたいと思います。
――そうですね。実は他で一度エッセイにしたのですが。この「テーマ」こそが、「物語を引き締め、物語に面白さを与えるもの」になると、私は思っています。
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ずいぶん前に、「カッコイイとは、こういうことさ」というキャッチコピーで一世を風靡したアニメ映画がありました。この「紅の豚」という、未見の人でもキャッチコピーは知っているほど知名度の高いこの作品は、主人公が一介の豚のくせに、確かにそのキャッチコピーにふさわしいと思わせる何かがありました。
この、主人公が豚のくせにそんなキャッチコピーで売り出してしまったその作品には、他にもマンマユート団(直訳すると「ママ助けて団」とか「ママ怖いよ団」になるそうな)という空賊のボスや、ドナルド・カーチスという気障で惚れっぽくてどこかひょうきんでひたすら前向きな凄腕のパイロットと言った、とても魅力的な人物が多数登場します。
……この作品、私にとっては「どれだけ文字を費やして人に説明しても、カッコイイがうまく伝わらない」という作品でして。同時に、確かにこの作品には、いたるところにカッコイイがちりばめられた、そんな作品でもあったと思います。
まあ、この作品の本当のテーマは監督である宮崎駿にしかわからないことなのかもしれませんが。
ですが、それぞれの登場人物が何か美学のようなものを持っていて、それが「カッコイイとは、こういうことさ」というキャッチコピーに対して説得力を与えていたのかなと、そんな風に思えるのです。
この作品には確かに、見る人に「カッコイイ」とは何かを示していたのかなと。
カッコイイとは何かを伝えるために、現実とは違う世界、現実にはいない人物を生み出して、現実にはなかった出来事を作り上げる。その物語に触れた人は、その物語を通して「カッコ良いとはどういうことなんだろう」ということを考える。物語を楽しむというのは、そういうことだと思うのです。
――つまり、物語から何かを感じ取って思索を巡らせることこそが、物語の面白さなのかなと。
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物語には、それに触れた人が感じ取って思索を巡らせることができるだけの「何か」が必要です。そしてそれは、作者から見れば「読者に伝えたい何か」になるはずです。
――その、「物語を通して読者に伝えたい何か」こそが、物語のテーマなのです。
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別に崇高なものでなくて良い。例えば、カッコイイとは何か、かわいいとは何か、こういったことをテーマに持ってきてもいい訳です。現に「カッコイイとは、こういうことさ」というキャッチコピーで一世を風靡した作品だってあるのですから。私には縁が遠いのですが、ノクターンやムーンライトに投稿されているようなR18作品なんて、エロいことをテーマにした作品で満ち溢れているはずですからね。エロさを追求していないエロ小説、読みたいですか。私は読みたくありません。
物語も言葉も、誰かに何かを伝えるためにあるものです。それはエンタメ作品だろうが文学作品だろうが、はたまたエロ作品だろうが、全て同じことはずです。
テーマが「何か崇高なもの」でないといけないなんてこともないし、崇高なものは崇高なものとして表現しないといけないなんてこともない。あとそうですね、メッセージ性が強くないといけないなんてこともない。「人間のありのままを形にして伝える」だって、一つのテーマです。
さらに言えば、先にテーマを決めなくてはいけないなんてこともありません。
少し気を抜いたときやなんとなく歩いているときに、ふっと物語の一場面が降りてくることというのはあります。第一、私自身、一番最初に物語を書き始めたときは、テーマなんて考えていませんでしたからね。
完結したときには、物語を通して「成長とは何か」を訴える内容にしたつもりですが、そのテーマに気付いたのって途中からですからね。書いているうちにテーマが見えてくるということも、確かにあると思います。
題材やテーマを人からもらって書いたこともあります。そうですね、企画とかお題とか、そういったものから書き始めれば、自然とそうなるかと思います。――人からもらったお題で書いた物語が本当に「伝えたいこと」と言えるかどうかは微妙ですけどね。それでも、そうして出来た作品にだって、読者に伝えたい何かを込めて書き上げたのも確かなのです。
――そんな曖昧な、下手をすると気付かないままに物語を書き上げてしまうことができる「テーマ」ですけどね。物語を通して読者に伝えたい「何か」というのはあった方が良いし、どこかで自覚をした方が良いと思うのです。
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テーマが「読者が感じとって思索を巡らせる何か」を生み出して、それが面白さにつながっていく。本項で述べたことを要約するとこのようになります。
そして、前項で私は、独創的な物語というのは物語の流れから生まれるものではなく、物語の中に流れる何かから生み出されるものだと述べました。
――つまり、「面白くなるような物語の流れ(ストーリー)を考え出して、その中に魅力的なキャラクターを配置する」ことよりも、「カッコイイとは何か、かわいいとは何かというようなテーマに沿ってキャラクタを考え出して、物語の型に注意しながら、そのキャラたちの背負ったテーマ(魅力)が伝わるような話を書く」方が面白い話が書ける、そう私は考えているということです。
綺麗なお姉さんは好きですか? 好きなら、綺麗なお姉さんを書きましょう。でも、「綺麗なお姉さん」だけでは読者に伝わりませんよね。顔もそうですが、ファッションセンス、持ってる美学、身につけた所作に顔を近づけたときに漂ってくるシャンプーの香り、手入れの行き届いた指先、蠱惑的なお尻と、いろんな要素が絡み合っての「綺麗なお姉さん」な訳じゃないですか。
そんな綺麗なお姉さんを、例えば主人公が初めて出会った瞬間に一回だけ描写をして、あとは何も書かないままに物語を書き進めたら、果たして読者は「綺麗なお姉さん」だと思ってくれるでしょうか。読了後に「綺麗なお姉さんだったな」なんて思ってくれるでしょうか。
綺麗なお姉さんを綺麗なお姉さんだと認識してもらうためには、それでは足りません。彼女がいかに「綺麗なお姉さん」なのかを見せつけるような話が必要になるのです。
――そして、初めから綺麗なお姉さんの魅力をこれでもかと言うほどに読者に伝える、そのためだけに話を書いてしまっても良いのです。
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と、まあ、ここまで長々と述べてきましたけどね。結局のところ、「面白さ」なんていうのは、誰にも分らないのです。作者がどれだけ面白いと思って書いても、読者にそう受け取られるかどうか、あらかじめわかっている作者なんかいないのです。
――ただ、この「テーマ」を軸にした「読者に伝えたい何か」というのは、どうにも判断しようのない「面白さ」よりは、遥かに認識しやすいものだと思います。自分の思い描く物語が面白いかどうかわからなくて悩んでいる方は、一度この視点から見直してみても良いのかなと、そんな風に思います。