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エピローグ「種明かし」

エピローグ「種明かし」


「さてと。……ヘンリエッテ」

「はい、お婆様」


 降誕祭の当日にして、試練が明けた朝。


 例年ならお店を閉めて準備のお手伝いに回るけれど、今年はちょっと事情が違う。


 朝食もそこそこに、わたしは人払いされた執務室で、ジネットお婆様と向かい合っていた。


「結論から言えば、試練は合格よ。おめでとう、ヘンリエッテ」

「ありがとうございます、お婆様」


 お婆様は帳簿をぱらぱらとめくりつつ、にこやかに微笑まれた。


 その手が帳簿の最後、ハルくんが売り上げたガルムの金額のところで一瞬止まる。


「……あんまり嬉しそうじゃないけれど、どうかしたの?」

「いえ、その、本当に合格でいいのかなあと……」


 そのガルムの売り上げは、ハルくんの頑張りとマリーの食いつきのお陰だった。

 昨日は目標達成に浮かれていたけれど、今朝になると、わたしが商人として売り上げた気がしなくなってしまい、気分がしぼんでいる。


「出した条件は、金貨を倍に増やすこと。マリエル様がお買い上げになられたからって、それだけで駄目とは言えないわ。あなたの試練のことをお知りになったのは、シャルパンティエに到着してからだと聞いたし、本当にお喜びだったもの。……駄目なのは、ユリウスの買った香味酒ぐらいかしら」


 お爺様のお買い上げが、総売り上げから差し引かれる。


 これは後でユリウスにお小言ねと、お婆様は大きなため息をつかれた。


 ……ごめんなさい、お爺様。

 わたしもお婆様には逆らえないのです。


「それにしても、ヘンリエッテ」

「はい、なんでしょうか?」


 表情を引き締めたお婆様につられ、わたしの背筋がぴんと伸びる。


「よくもまあ都合よく、ガルムなんて引き当てられたわね」

「……へ!?」

「お店にあなたからの手紙とガルムが届けられた時は、本当にどうしようかって、店先で固まっちゃったわよ」


 カルステンさんがガルムを作っていたことは、お婆様もご存じなかったらしい。


 慌てて『貴女の思うとおりにしなさい』と時間稼ぎをしてギルドの鷹便をルラックに飛ばし、わたしに内緒でカルステンさんに連絡をとったそうだ。


 これは……深読みのしすぎだったみたいで、わたしは大きく肩を落とすことになった。


「一応ね、試練の間はヘンリエッテに任せて後でもう一度お話しましょうって、カルステンさんにはお願いしておいたわ」

「は、はあ……」

「相場ももう調べてあるし、レシピも幾つか用意したから、交渉はレーヴェンガルト家の名を使ってあなたが行いなさい。……そうね、マリエル様も連れて行っておあげなさいな。内陸産のガルムが、とても気になっているようよ」


 せっかくだし、ガルムの銘ぐらいは下賜して貰いなさいと、お婆様はもう一度、楽しそうに微笑まれた。




 それからしばらくは、帳簿の数字を指差されながら、試練中の商いについて、お婆様から色々とお教えいただいた。


 真剣に聞き入りつつも、流石は『洞窟狼の懐刀』だなあと、その横顔を見る。


「最初の仕入れ、目の付け所は悪くなかったけれど、これは普段からもっとお客様のお話に耳を傾けていれば、見込み違いが少なく済んでいたはずよ。それから、仕入れの馬車とは別に、行商用の馬車を借りてもよかったわね。貸家に在庫を積み上げなくても、在庫ごと移動できるし、商いの規模も大きくできるでしょう?」

「はい」

「あとは、慣れが出てきたのか、扱う品数が増えたからか……売り上げが持ち直している部分は褒めておくけれど、後ろにいくほど商いが雑になっている気がするわ。悪いってほどじゃないけれど、自分で戒めておきなさい」

「ありがとうございます」


 行商の様子はギルドに依頼してそれとなく調べられていただけでなく、ヴェルニエとも連絡を取っていたそうだ。


 もちろん費やされた金額も、わたしに預けられた十ターレルどころじゃなくて……。


「あの、お婆様。たかが店主見習いの試練の為に、そこまでするのですか!?」

「ふふ、『これ正に正道なり』と、最初に教えてあげたわよね」




 試練を受けるわたしには、商人として、一人の人間としての成長を。


 近しい周囲には、新たな学びと経験を。


 領地の内外には、これまで少し縁遠かった品が巡ることで、レーヴェンガルト領の成熟を知らしめていた。




「分かるかしら、みんなが少しづつ得をしてるでしょう? ヘンリエッテ、あなたの努力はすべてのきっかけ、始まりになっているわ。だからこそ、試練は合格で、大成功なの」


 得意げに微笑まれたお婆様に、わたしはこくんと頷いた。


 わたしが行商をして回る影響を先の先まで見渡して、その結果を見据えた時、それだけの金額を投じてなお、レーヴェンガルト家さえも得をしているのだ。


 お金の使い方だけじゃない。


 言葉を知っていたって、今のわたしにはとても真似が出来ないと思う。


 ほんと、『洞窟狼の懐刀』って二つ名は伊達じゃないです、お婆様。


「それから、これは試練を無事にやり遂げたあなたに任せたいのだけれど……」

「はい、お婆様」

「もうあなたは『地竜の瞳』商会シャルパンティエ本店の正式な四代目店主だし、丁度いいかしらって思ったのよ」


 照れくさいながらも、その四代目店主という響きが嬉しくて、わたしはしっかりと頷いた。


 執務机のお婆様専用の引き出しが開けられ、小さな文箱が大事そうに取り出される。


 何かな、ちょっと緊張する。


 でもお店のお仕事なら、どちらにしても必要なことで、逃げてはいられないよね。


「時々はあなたにも頼んでいたから知っているでしょうけど、フェーレンシルトの大旦那様に出すお手紙があるわよね?」

「はい。王都の男爵様ですよね?」

「そうよ。あの手紙を、引き継いで欲しいの」

「へ? え、でも、お婆様、知り合いでもなんでもない男爵様に、わたしがお手紙を書くとか……」

「大丈夫よ、とてもお優しいお方だから。わたしとユリウスの結婚式で、主神官をお引き受けくださったお方なの」


 (くだん)のフェーレンシルトの大旦那様は、影ながら王家を支える大事なお役目として、王国の為に地方の情報を欲しておられるそうで、その一端を担うのがお婆様の出されるお手紙なのだという。


 流石にうちのお店が、王国の(まつりごと)にまで関わる重要な役割を持っていたなんて思わなかったよ。


 もちろん『地竜の瞳』商会は領主家たるレーヴェンガルト家が直接営んでいるお店で、売り上げの損得よりも、領民と冒険者の暮らしぶりを大切にしている特殊なお店だけど、うーん……。


「難しく考えなくていいわ。普段の暮らし振りだとか、冒険者が増えたとか、今度ヴェルニエで舞踏会がありますとか……あるがままのあなたが、あるがままに書けばいいのよ」


 お婆様のご説明によれば、字は丁寧に書くべきだけれど、新辺境の従妹に出す近況報告と変わらない内容で十分、本当に難しく考えなくていいらしい。


 王国の民の暮らしぶりや世間の様子が、そのまま大旦那様に伝わるのが大事なのよと、お婆様は微笑まれた。


「時々は、あなた自身の事も書きなさいね。たぶん、そういった内容をこそ、お喜びになられると思うわ」

「は、はあ……。いえ、分かりましたお婆様、引き継がせていただきます!」

「ええ、お願いね」

 

 少し躊躇いもあるけれど、これも正式な店主に認められた証、わたしはしっかりと頷いて、文箱を受け取った。


「さてと、試練のことはこれぐらいにして……。ヘンリエッテには、もっと大事なお話があるのよ」

「……はい?」


 今のお手紙の話も、かなり大事(おおごと)だったような気もするけれど、それ以上に大事なお話って……。


「あなたにね、エルレバッハ家の本家の(・・・)御当主様(・・・・)から、婚約の申し込みが来ているの」

「ええっ!?」

「もちろん、お相手はエーベルハルトくんよ」


 エルレバッハ家は、エーベルハルト・フォン・エルレバッハこと、ハルくんの実家だ。


 ただ、エルレバッハ家の本家と言われても、わたしはそこまでハルくんの実家の事情には詳しくない。


 もちろん中央の貴族なら、縁戚である一門衆の結束も強いし、その人脈や横のつながりは、それこそ王国を動かす力になった。


 だから口を挟んできた云々というよりも、本家の意向を伺うのが当然、あるいはエルレバッハ家がなんらかの形で本家を動かした、っていうのが正解になるんだろうけど……。


「ふふ、試練中は新婚夫婦さながらだったそうだし、お断りは出来ないわよね?」

「……へ!? は、はい!」


 そんなところまで調べなくていいです、お婆様……。




 で、でも、ハルくんとの婚約は、嬉しい、かな。




 美味しそうにガルムのスープを味わうその顔を。


 試練の最中、懸命にわたしを支えてくれたその顔を。


 洗濯物を出す時の、少し照れたその顔を。




 思い浮かべたそれらを、慌てて打ち消す。


 ……駄目だ、恥ずかしすぎる。


「実は……このお話は、もう何年も前から出ていたの」

「そうなのですか!?」

「それこそ、エーベルハルトくんがこちらに来る前からね。一応、あなた達二人の様子を見てから決めましょうって、長いことやきもきしながら見守っていたのよ」

「……」

「でもねえ。まさか、あの鈍感なマリウスの一言が決め手になるなんて、本当に驚いたわよ」

「はい?」

「あの子ったらね」


 お婆様は一旦言葉を区切り、面白そうな目でわたしをじっと見た。




「『姉さんが一人客でもお茶を淹れるのは、ハルだけだ』って」




「マリウス!!」




 わたしはその場にいない弟を怒鳴りつけた。 


 マリウスは後で呼び出しだ。


 ほんと、どうしてくれよう。


 ……いっそのこと、縄で縛って幼なじみ達の前にぶら下げてみようかしら。





 照れ隠しにもならなかったそれらは少し横において、わたしはお婆様に向き直った。


「お婆様、エルレバッハ家の本家って、どこのお家なんですか? わたし、お伺いしたことがないんですが……」

「そうねえ、本人から聞いてみれば?」

「え……っと、ま、待ってください! 心の準備が!」


 お婆様はわたしの叫びに耳を貸すことなく、執務机の上の呼び鈴――魔法仕掛けで対になるもう一つの呼び鈴が鳴る魔導具を、振ってしまわれた。


「失礼いたします、大奥様」

「ありがとう、ゲルトルーデ」


 ゲルトルーデの案内で、すぐにハルくんが現れた。


 何故かマリーも一緒だけど……あ、もしかすると、本家ってアルール王家なのかな?


 ちょ、ちょっと緊張してきたかも……。


「随分とお待たせしましたわね、エーベルハルト『様』」

「い、いえ……」


 但し、ハルくんの顔は真っ赤で、わたしもそれにつられてしまった。


 最初からわたしも頬が火照っていたかもしれないけれど、これはハルくんのせいであって、その……。


「えっと……」

「あの……」


 とてもじゃないけど、目を合わせられない。


「うふふ、お話は無事にまとまりそうですわね、大奥様」

「ええ、これ以上なく」


 楽しそうにわたしとハルくんを見比べたお婆様が、マリーに頷かれた。


 それを受けたマリーが、ハルくんの肩をぽんと叩く。


「ところでエーベルハルト。婚約の前に、言わなきゃいけないことがあるでしょう?」

「……そうだね」

「ハルくん?」

「お嬢……いや、レーヴェンガルト男爵令嬢ヘンリエッテ殿」

「は、はい!」


 えーっと、何だろう?


 結婚の申し込みかなと、背筋を伸ばしてその言葉を待つ。


「僕は……エーベルハルト・フォン・ラウエンブルクは、ヘンリエッテ・フォン・レーヴェンガルト殿に、正式な婚約を申し込みたい。受けていただけますか?」

「お受けいたします。 ……って、え!?」


 ……ラウエンブルク?


 エルレバッハじゃなくて!?


 というか、ラウエンブルクって……。


「ああ、エルレバッハ男爵家は王室預かり(・・・・・)の家名でね、当主の孫であることも間違いないんだけど、僕の本名は、今は(・・)エーベルハルト・フォン・ラウエンブルク。ヴィルトール王太子ジギスヴァルトの第二子にして、ラウエンブルク王室公爵になる」

「……!?」


 ハルくんは少しだけ目を閉じて、ふっと息をついた。


 ラウエンブルク王室公爵――かつてマリーのお爺様リシャール二十六世陛下が名乗られていたその名は、若き日のリシャール陛下の活躍を描いた『コンタミーヌの物語』を通して世間にも知られている。


 かつて大英雄フランツさんが率いていた新辺境平定の立役者、ラウエンブルク降魔猟兵隊の名も有名だった。


 そして……もっと大事なことに、ヴィルトール王家はもちろんわたしが暮らすヴィルトール王国の王家で、マリーとお婆様の前でそんな嘘をついても意味がないし、王族の詐称なんてそれこそ縛り首確定だ。




 つまり、ハルくんは本物の王子様ってことで……。




 ハルくんとの婚約は嫌じゃないけど、男爵家に割引してくれないかなと、本気で思う。


「お嬢はさ、いつも笑顔で、素人冒険者の僕にも色々と教えてくれたよね。道具のこと、ダンジョンのこと、それから、シャルパンティエや東方辺境のこと……それがすごく、嬉しかったんだ」

「……」

「レーヴェンガルト領に来たのは遊学の為だったんだけど、もちろん、花嫁候補だったヘンリエッテ嬢にも会いたかったよ!」


 そう口にしたハルくんの笑顔がまぶしすぎて、わたしはもちろん、頭の中が真っ白になってしまった。




 将来任される予定の王室公爵領にダンジョンがあって、その勉強を兼ねていたり。


 元冒険者で御者のハルベンさんや、中堅の騎士パーティー『月夜の風』が、王子様を守る影の護衛だったり。


 ハルくんとの二人暮らしについて家から注意すらされなかったのも、婚約の話が先にあったからだったり。


 ……むしろ、そうなるように仕向けられ、ヴィリ達がハルくんをわたしの護衛にしたがったのも、裏事情を先に知っていたからだったり。




 そんな種明かしが聞こえてきた気もするけれど、それらはするりと、わたしの耳を通り抜けて行ってしまった。 




 ▽▽▽




『婚約のお披露目はもう少し後になるけれど、今日のところは存分に降誕祭を楽しんでいらっしゃい』

『もちろん、二人でね!』


 その後しばらく、婚約について少しだけ詳しいお話があって、わたしとハルくんは執務室を追い出された。


 当面、ハルくんが冒険者修業というか遊学を終えるまでは、エルレバッハ男爵家の次男とわたしが婚約したってことで、詳しい話は伏せられる。


 もちろんわたしも、お店を続ける傍ら、貴族令嬢、あるいは貴族夫人(・・)としての修業が課せられることになってしまった。


 お互い頑張ろう、なんて気楽に言えたものじゃないけれど、ハルくんが頑張ってるのに、わたしが情けないところを見せるわけにはいかない。


 でも、そのハルくんは今、わたしの隣を歩いていて……。


「ハルくんってさ」

「お嬢?」


 時間を置いて、少し冷静になった気がするものの。


「手が綺麗だよねえ」

「そうかな? 自分じゃよく分からないけど……」


 繋いだ手が熱すぎて、でも、離せなくて。


「僕はお嬢の()が柔らかくて、驚いたけどね」

「!!」


 まあ、うん、そういうことだ。


「行こうか、降誕祭に!」

「うん!」


 ……ってことにしておきたいと思う。




(了)

お読みいただいてありがとうございます


本編はこれにて完結ですが、おまけのお話を準備中です

しばらくお待ち下さいませ

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