第三十一話「竜が運んできたもの」
第三十一話「竜が運んできたもの」
「マリウス、お店の片づけが終わったらもういいからね。後は帳簿の整理と確認をするだけだし」
「ああ、うん」
マリーの到着とともに、わたしの試練は終わった。
目標額までは、どう頑張っても十グロッシェンほど足りない。
今夜の宿代を考えると、もう一グロッシェン追加かな?
それとも、給仕に雇われてお給金と相殺になったりも……。
あと少し、無理をしてでもひねり出したいところだけど、他の人にも売った商品を、無理な値引きで売り切るのは悪手と気付き、諦めていた。
「じゃあ、姉さん。俺、屋敷に戻るよ」
「うん、お疲れ様、マリウス。わたしは『魔晶石のかけら』亭にいるから」
「マリーにも試練のことは母上達から伝わってると思うけど、何かあったら迎えに行くよ」
「ええ、お願いね。それから、ありがと」
店を片付けてを送り出し、よっこいしょと背負子を担ぐ。
「……【魔力よ集え、浮力と為せ】」
ふゅあ!
「おかえり、キューレ」
地元の縄張りを見回ってきたキューレを肩に乗せ、見慣れた広場をぐるりと眺める。
明日は、みんなが楽しみにしている降誕祭だ。
試練は失敗だったかもしれないけど、帳簿仕事を片付けたら、気分を切り替えよう。
お店の主人としても、領主家の娘としても、年に一度のお祭りを盛り下げるような暗い顔は、絶対にしちゃいけなかった。
▽▽▽
「えっと、最終的な不足分は十一グロッシェン六ペニヒ、と。……間違いないよねえ」
藁紙に書き付けた計算と、手元の現金を何度も見比べつつ、ため息をつく。
試練最終日ということで、『魔晶石のかけら』亭の給仕は勘弁して貰っていた。
明日の朝には帳簿をお婆様にお見せして、試練の報告をしなきゃいけないからね。
帳簿に最後の数字を書き入れ、サインをする。
書き物と売り上げを背負子の大袋にしまい込み、わたしはベッドに寝転がって目を閉じた。
「惜しかった、なあ……」
真面目に頑張ったのは、間違いない。
約束事も、可能な限りは守ったと思う。
出掛けに言われたような無茶も、ハルくんの顔を見て慎んだ。
気付いて直した悪いところも、沢山ある。
もう一度、同じ試練を受けられたとしたら、今度は上手く出来そうだけど、それじゃあ……意味がないか。
ただ、ほんの少しが、遠くて、届かなかった。
「……」
ふゅあ……。
「……うん」
目を閉じていても、涙が溢れて、こぼれていく。
もしかすると、こんな今のわたしの気分さえ、お婆様やお母様はお見通しだったのかもしれないなあ……。
だからこそ、試練が必要だったのかなって、思えてしまった。
……悔しい。
その気持ちも、押さえ切れなくて。
ほんの少し、あと一日、ううん、仕入れと露店市が一回づつ、あったなら……!
こんこんこん。
「……ハルくん?」
ふゅあ!
扉を叩く音に、涙をぬぐってベッドから起き上がる。
……こんこんこん。
間違いない、ハルくんだ!
このひと月で、ハルくんの少し上品なノックの音も、わたしは覚えていた。
でも、夜のこの時間にヴェルニエからシャルパンティエに戻るのは、ありえなくて……!
「ただいま、お嬢! 遅くなってごめん!」
「ハルくん!」
扉を開けると、本当に、ハルくんだった。
「……お嬢?」
「な、なんでもないよっ」
目は真っ赤になっていただろうけど、仕事疲れだよと慌てて誤魔化す。
「でもハルくん、どうやってシャルパンティエに戻ってきたの? 夕方の馬車便に乗ってなかったから――」
「お嬢、これ見て!」
「……なあに?」
ハルくんは、満面の笑顔でわたしが貸した行商用の巾着財布を差し出してきた。
手を取られ、押し付けられたそれには、ずしりと重みがあって……。
「ガルム十本の売り上げ、二ターレル半だよ!」
「……へ!?」
二ターレル半は、グロッシェン銀貨で百枚分になる。
カルステンさんに支払う仕入れ代金を引いたって、七十グロッシェンもの大きな『売り上げ』で……。
「ハルくん!!」
「お嬢!?」
その時のわたしは、ハルくんへの感謝以外、何も考えていなかったと思う。
「ハルくん! ハルくん! 本当にありがとう!」
「その、お嬢、嬉しいけどちょっと待って!?」
「……あら、わたくしはお邪魔だったかしら」
「え、マリー!?」
抱きついたハルくんの肩越しに、お忍び装束だろう冒険者姿のマリーが、面白そうにわたしとハルくんを見ていた。
▽▽▽
「ところで……」
「何かしら、ヘンリエッテ?」
夜も遅くになっていたけれど、降誕祭前日ということもあってまだまだ賑やかな『魔晶石のかけら』亭では、お茶を頼んで追加の椅子を部屋に持ってきて貰うことも出来た。
小さなテーブルを挟み、三人で向かい合う。
「マリーって、ハルくんと知り合いだったの?」
「竜に便乗させてと頼まれれば、喜んで席を増やすぐらいにはね。……エーベルハルト、言ってもいいのかしら?」
「じゃあ、僕から。エルレバッハ家はアルール王家――ラ・クラルテ家と親戚筋になるんだ。親戚の親戚ってあたりだけどね」
「え、そうなの!?」
「わたくしとエーベルハルトも幼馴染になるのかしらね」
マリーは隣国アルールの王女様だけど、そのお父上である『小さな賢王』リシャール二十六世陛下は、我らがヴィルトール王家からの婿入りとして、世に知られている。
ハルくんの実家はうちと同じ男爵家ながら、王都住まいの中央貴族、王家と近しい血縁にある貴族家なんて中央じゃ珍しくない。
我がレーヴェンガルト家はそんな中央と距離を置いている……ってほどでもないんだけど、田舎領主であることを最大限に活かして、政の絡むややこしい話は遠ざけていた。
「僕のことはともかく……こちらのお姫様はガルムお買い上げの上得意様だから、お嬢からもよくお礼を言っておいてね」
「えええっ!?」
「マリウスから、マリーが来るって聞いてさ。アルールは大奥様の出身地にして海際の国、そこのお姫様がガルムに興味を示さないはずがないって、思いついたんだよ」
大当たりだったと嬉しそうなハルくんはともかく、マリーはわたしの肩をつかんで揺さぶってきた。
「そうよ! 教えなさい、ヘンリエッテ!!」
「マ、マリー!?」
「たった十グロッシェンで珍品の、しかも上物のガルムを売るなんて、どんな魔法を使ったのよ!? エーベルハルトは笑って答えてくれないし、そもそもレーヴェンガルト領は内陸でしょう!」
「そう言われても……って、あのガルム、上物なの!?」
「驚くところはそこじゃないの!! ほら、答えなさい!」
珍しく激昂したお姫様に問い詰められるまま、試練中の話やガルムの取引について、洗いざらい吐かされる。
しばらくして、随分と呆れた様子で、マリーはわたしをびしっと指差した。
「取引の期限を試練中に限ったその判断は、流石大奥様の直弟子だと思うわ。でも、品質や相場を確かめずに売ろうとしたのは、ちょっと失敗だったかしら」
「こっちじゃガルムを知っている人を探すのも大変だったのよ。お婆様とはやりとりできなかったし……」
「明日、その大奥様からしっかり絞られなさいな」
マリーはわたしとハルくんを交互に見て、くすりと笑った。




