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その後のシャルパンティエの雑貨屋さん ~ヘンリエッテと『領地の精霊』~  作者: 大橋和代


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第三十話「試練の終わり」

第三十話「試練の終わり」


「マリウス、先に行って敷き布を広げておいて! 場所はヨルクさんに聞けば分かるから!」

「はいよ! 店はすぐ開けていいの?」

「うん、お願い!」


 マリウスにも手伝って貰い、届いたばかりの仕入れからお昼の市に出す品を取り出していく。


 うちの弟も冒険者の道を選ぶ前は店番をさせられていたし、領主仕事を学んでいるお陰もあって、商いはもちろん、計数や書類仕事にも強かった。


「わたしは香辛料の小袋をもう少し増やしてから行くわ!」

「分かった!」


 ワインと香味酒は、一箱づつ残しておく。売れるままに売り切ってもいいかもしれないけれど、明日はシャルパンティエに戻って最後の市を開くからね。


 その時、あまりにもお品が偏りすぎていると、売れるものまで売れなくなってしまうのだ。


「さて……。よし!」


 ふゅあ?


「なんでもないよ、キューレ」


 やっぱり、どこか気が急いている自分に気付いて、深呼吸する。


 ここで落ち着いていてこそ、一人前の商人……とは思うものの、なかなか心は言うことを聞いてくれなかった。




 ▽▽▽




 幸いかどうかこの試練、当初考えていたよりは、余程順調に商いが進んでいた。


 最初は露店を出せる回数で悩みもしたけれど、少なくとも、途中で諦めようなんて、一度も思うことはなかった。


 ワインと香味酒は今後の定番になりそうだし、読み本も予約以外に仕入れた分さえ全て売り切っている。

 

 マサーラや香辛料の包みも、時々ならお店に置いてもいいかなってぐらいには、領内に知られていた。


 そこに安心していたわけじゃないけれど、ハルくんが頑張ってくれたガルムの売り上げを加えてさえ、あと一ターレル半――六十グロッシェンほど足りなかった。


 次の仕入れはないから、後は売り上げを積み上げていくだけなんだけど、ちょっと遠いと思えてしまう。


 結局、露店を開けたのは十四回、雨に降られて諦めたこともある。


 仕入れ値が安定しないのも、痛かったかなあ……。


 値付けをもう少し強気にすれば何とかなったかもしれないけれど、じゃあそれが正解だった……とも言い切れないのは、正に試練という事情による。


 市場を荒らすような商売は認められないという条件は、思った以上に重くのしかかってきていた。


 これは、他の商人も関係する市場を荒らさないようにという、直接的な意味だけが含まれていたんじゃない。レーヴェンガルト領地に暮らす人々の生活を守る意味もあるんだなって、今更ながらに気付いていた。


 ただの行商人としてなら、今の時点で八ターレル半の利益を上げていたし、十分すぎるだろう。


 お客様や仕入先との関係も良好で、特産品に育ちそうなお品とも契約を結べている。

 初手としては大成功なんじゃないかなと、自分でも思えた。


 ふふ、この分だと行商をしながら十年ぐらい頑張れば、店持ち商人も見えてきそうだ。


 でも……。


 試練を乗り越えるには、少しばかり足りないものが多かった。




 ▽▽▽




「聖神降誕祭が近いせいもあるんだろうけど、今日の市なんて、ヴェルニエの露天市場ぐらい賑やかだったね」

「そうね。わたし達が小さかった頃と比べても、家の数が増えてるもの」


 ルラックでの最後の市を終え、貸家への道をマリウスと二人、のんびりと歩く。


 キューレはヘンリク村長の家のネズミ退治に向かうようで、てってってと走っていった。

 

「ルラックも人が増えたなあって、実感したよ」

「お酒も香辛料も、思ったより売れて助かったわ」


 本日の売り上げは、二十八グロッシェン八ペニヒになったけど、明日の売り上げだけで二十ターレルの目標に届かせるには、少々厳しかった。


 定番は定番として売れていくし、買い控えというほどじゃない。

 ただ……降誕祭直前という後押しがあっても、残念ながら目新しさはもうなくなっていた。


 抱えている在庫が全て売れるなら、なんとか目標に届きそうだけど……。


 お酒はともかく、その他が雑多すぎて、値引きをしても売り切れるとは自分でも思えなかった。


「はあ……」

「姉さん、元気ない?」

「ちょっとね。今更だけど、色々足りなかったかなって」

「試練のこと?」

「うん。……ほんの少しの差が、遠いの。お婆様とお母様が、わたしのこと、よく見てらっしゃるってこともよくわかったけど」

「姉さんもハルも、本当に頑張ってたと思うよ。それに……」


 マリウスが立ち止まったので、わたしもつられて歩みを止めた。

 

「明日まだ、最後の市があるんだろ?」

「うん」

「ハルも今頃は、懸命に走り回ってるさ。諦めるのは、まだ早いよ」

「そうだね」


 ほんとに、マりウスの言うとおりだ。

 行商人ヘンリエッテの試練は、まだ終わってない。


 それに。


 ハルくんが頑張ってくれてるのに、わたしが先に諦めるのは、何かが許せなかった。



 ▽▽▽




 明けて降誕祭の前日、遥かアルールからマリーがやってくるその日。


 朝ルラックを出たザムエルさんの馬車は、お昼を少し回った頃、シャルパンティエの街に到着した。


 飾りつけはまだだけど、広場には舞台の土台が組まれ始めている。


 板材を運んでいる冒険者達が、わたしに気付いて手を振ってくれた。


「はいどう、どうどう! さあ、我らが街、シャルパンティエに到着だ!」

「お疲れ様でした!」

「ザムエルさんもひと月の間、ありがとうございました!」

「おう、こっちこそ助かったぜ! 来年も頼まあ! ……って言いたいところだが、今日で店じまいだったな。最後の一日、大奥様を驚かせる勢いで頑張んな!」

「はい、ありがとうございます!」


 早速『渡り鳥の羽休め』亭の隣、邪魔にならない場所に陣取って、敷き布を広げる。


 降誕祭のお祭りはどの街でも行われるし、その様子はシャルパンティエとヴェルニエでさえまったく様子が違うくらい、内容もさまざまだった。


 我が街シャルパンティエなら、粉砂糖を振りかけた聖槍の焼き菓子を手に飲んで踊って騒ぐのが定番で、昼は子供のお祭り、夜は大人のお祭りとされている。


 お婆様の実家アルールだと、お昼は屋台を巡って楽しく過ごし、夕方は大聖堂で聖なる劇を見るのが定番らしい。


「お嬢、お帰り! あら、若旦那も!」

「ただいま、カーリンさん!」

「カーリンおばさん、こんにちは! 降誕祭の準備、どうですか?」

「そうそう、それよ! 例の香辛料、まだあるかしら? 明日のお昼、子供達の分にも使いたくてさ!」

「はーい、すぐに用意します!」


 まだお店を広げる前に、その『渡り鳥の羽休め』亭のカーリンおばさんが、大口で買い物してくれた。


 幸先のいい出だしに感謝しつつ、ワイン瓶を並べていく。


「よう、お嬢、マリウス!」

「ホルガーさん! ロベルトさん!」

「いらっしゃいませ、『雪豹の牙』さん! 今日はお休みですか?」

「ああ、昨日の戻りでな、休憩日を一日多めに取った」

「流石に降誕祭ぐらいは休まねえとな!」


 次に声をかけてくれたのは、『雪豹の牙』さんだ。


「お、新しい香味酒か?」

「それは何の漬け酒だい?」

「これはポッドベリーの香味酒ですよ。シャルパンティエじゃ、初お目見え……かもしれません」

「ヴェルニエの『パイプと蜜酒』亭の仕入れに便乗して、取り寄せてもらったんです。主人のヘルベルトさんお勧めだって話です」

「じゃあ、そいつを一本貰って行こうか! ヘルベルトの舌なら間違いねえ!」

「ありがとうございます! マリウス、お願い!」

「はいよ、姉さん!」


 無事に香味酒と北海産の干物が売れて、一汗拭う。


 降誕祭だからね、レーヴェンガルト家も『領主の慈心』として振る舞い物を用意するけれど、ちょっと上等のお酒と肴はあると嬉しいお品になった。


 もちろん、お祭りに合わせて――振る舞い酒につられてダンジョンから戻り、休憩日を取る冒険者が大半だ。


「お嬢、様子はどう?」

「もうひと頑張り、ってところかな」

「あら、私の買い物は必要ない?」

「買い物は……して欲しいけど、情けは駄目なの。心配してくれてありがとね、ヴィリ」


 ヴィリをはじめ、ロートラウトもリーゼルも、忙しいだろうに心配して顔をだしてくれた。


 そうこうするうちに舞台の設営が終わり、広場では飾り付けが始まっている。


 その賑やかな広場の中、お婆様がいらっしゃるだろう『地竜の瞳』商会だけが、静かに取り残されていた。


 降誕祭の前日に冒険の用意を整えようとする冒険者は少ないだろうし、去年も半休同然だったように思う。


 代わりに、明日の準備で大忙しになってたけど、今年は、どうかなあ……。


 でも、ずっとお婆様から見続けられているような気もして、自然と背筋が伸びた。


「さあさ、ワインも香味酒も、残り僅かですよ!」

「カードにサイコロ、遊戯盤! 降誕祭のお楽しみにどうですか!」


 ふゅあー!


 人通りも増え、ぽつぽつとワインやお酒の肴、マサーラの小袋が買われていく。


 でも、遊具の類は十分行き渡ってしまったようで、カードが一組売れただけだった。


「いらっしゃいませ! って、え!?」

「お、お爺様!?」

「うむ、あー……何でも行商人が珍しい酒を売っていると聞いてな、店先を冷やかしに来たのだ」

「……」


 お爺様は周囲に聞こえるよう、大きな声の棒読みのおまけつきで、一番高い香味酒を買って下さった。


 言い訳がましいなあとは思うものの、孫可愛さとお婆様のお小言恐さの間で、お爺様も葛藤していらっしゃるのだ。


 ……試練中の今は、ありがたくそのご好意を頂戴しておきたく思う。




 日暮れ間近。


「姉さん、あとどれぐらい?」

「生活費の余りまで足して……大まかに、十グロッシェンぐらいかな」

「そっか……」


 香辛料は既に売り切れ、ワインと香味酒も残り一本、これが売れても目標には届かないなあというあたりで、客足がぱたりと途絶えてしまった。


 奥さん方は家で明日の準備に追われてる頃合だし、冒険者達はもう、『魔晶石のかけら』亭で賑やかに降誕祭の前祝いをしている。


 普段なら、わたしもとうに店じまいをして夕食の準備、ハルくんは裏庭で木剣を振っている時間だった。


「……ふう」

「姉さん……」


 結局、惜しいところまで行けたけれど、売り上げは目標に届かなかった。


 わたしのため息に、マリウスのそれが重なる。


 飾りつけや、椅子代わりの樽や木箱の配置に賑やかだった広場からは人が引け、宿で飲み交わす冒険者の怒鳴り声だけが、ごくごく小さく響いていた。


「そう言えばさ」

「なーに?」

「ハルのやつ、帰ってこなかったなあって」

「……そうね」


 期限までには必ず戻るとマリウスに伝言していたハルくんは、夕方の馬車便に乗っていなかった。


 育ちのせいもあって、約束事はいつも律儀に守ってくれるハルくんなのに、御者のアルヌルフさんも聞いていないと言う。


 事故とかじゃなきゃいいんだけど、ちょっと心配だ。


「ハルのことだから大丈夫だと思うけどさ、明日の夕方になっても戻ってこないなら――何だ!?」

「きゃっ!?」


 突然、ぎゅおおおおと、竜の咆哮(ほうこう)が響き渡り、わたしは首をすくめた。


 ある意味、聞き慣れてはいるんだけど……ついに来たなあと、上空を見上げる。


「ああ、マリーだ!」

「……マリーね」


 夕暮れ空に三頭の緑竜が三角形を形作り、悠々とシャルパンティエの街を見下ろしていた。




 いつもなら、それは親しいお姫様の来訪の合図として全面的に歓迎すべき吼え声なんだけど。


 今のわたしには、試練の終わりを告げる鐘の音にも聞こえた。


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