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第二話「なんでもない、いつもの朝」

第二話「なんでもない、いつもの朝」


 まだ朝日が見えないうちに、わたしはベッドを抜け出した。


「……ふぁあ」


 ただ、朝日が昇ってからでも、何が見えるというわけじゃなかった。

 うちの屋敷は魔物に備えた砦造りという古い形式で、その上城壁も、本物のお城のように高く作ってある。


 背伸びしてみても、窓の外には石積み壁と倉庫、馬小屋の端っこと、そして平らに均された練兵場しかない。


 さっと着替えて静かに階段を下り、裏庭を目指す。


「うー……」


 山手にある我が街は、初夏でも少し、肌寒い。


 ひひん。


「おはよう、ヴィント、トロンベ」


 馬小屋から顔を出した馬達に軽く手を振り、物置から手桶を取り出して、大きく伸びをする。


 いつもはわたしのお仕事じゃないけれど、今週いっぱいは仕方ない。

 男手が出払っている時は、わたしが馬のお世話係になっていた。


「もうちょっと待っててね」


 屋敷の正門の脇にある通用口を開ければ、目の前すぐにシャルパンティエの街の広場があって、その真ん中に洗い場付きの井戸がある。


 ぐるりと見渡すまでもなく、大勢の冒険者が暮らす『魔晶石のかけら』亭に、シャルパンティエの物語で有名な蜂蜜棒が名物のパン屋『猫の足跡』亭、日替わりの具が入った薄巻きパンが美味しい『渡り鳥の羽根休め』亭と、お店やギルドが並んでいて、もちろん、我が『地竜の瞳』商会も広場に戸口を向けていた。


 朝は焼き仕事で忙しい『猫の足跡』亭だけは灯りがついているけれど、洗濯の時間どころか朝出の馬車便にも早すぎて、広場に人気(ひとけ)はない。

 でも、ダンジョンに出発する冒険者は、中で一度目の休憩をしている頃かな……。


「冷たっ。……【魔力よ集え、浮力と為せ】」


 誰もいないのをいいことに、その場で顔を洗ってから、厩舎と井戸を六往復してたっぷりと水の入った手桶を運ぶ。


 魔法が使えなかったら大仕事だけど、このぐらいなら、その日の調子を計るのに丁度いい。


 ぶるるるるっ!


「こら、順番だって!」


 水と飼い葉の用意だけでなく、馬房のお掃除までしっかり終わらせれば、山の()から朝日が顔を出しはじめる時間だ。


 くうと鳴ったお腹をさすりながら食堂に向かうと、もうジネットお婆様が朝食の支度を始められていた。


「おはよう、ヘンリエッテ。馬達の様子はどうだった?」


 普段は『洞窟狼の懐刀』なんて二つ名が似合わないほど、のんびりとして優しいお婆様だけど、代理で領地の執務をしてらっしゃる時などは、本当にそう呼ばれていた人なんだなあと思ったりもする。


「おはようございます、お婆様。ふふ、機嫌も良さそうでしたよ」

「うちの()達は、気難し屋さんが多いからねえ。ヴィントもトロンベもまだ子供だからいいけど、大人になった時が心配だわ。二頭の曾お爺さんのメテオールなんて、本当にすごかったのよ」


 今日もいつものスープだけど、ニンジンが少し多めかな。

 テーブルと、そして、少し離して広げられた床の敷物の上には、丸皿に載ったパンとオレンジ。


 ふぃあー!


「はいおはよう、グリュック」


 雰囲気で朝食の時間だと分かるのか、うちの飼いテン、グリュックが家族を連れてやってきた。

 敷物の上のパンとオレンジは、彼ら一家の朝食だ。


 ふぃ。

 ふゅあ。


「ふふ、おはよっ」


 足元に寄って来たちびっこ達をひと撫でふた撫でしながら、今日の予定を頭の中で確認する。


 まずはお店を開けてから、お隣の『魔晶石のかけら』亭でお部屋の予約と見積もりをお願いして、お向かいの『バルドホルト』鍛冶工房に(かぎ)付き縄の鉤と足場用の(くさび)を発注して、それから……あ、残りが少なくなってきた端切れと藁紙も注文書を用意しておかないとね。


 我がレーヴェンガルト家は創家五十年ほどの男爵家で、近隣じゃ押しも押されもせぬ名家だと言われているけど、いつも何かと忙しい。


 例えば今日なら、領主であるダリウスお父様とマルガレーテお母様は王都に呼ばれていてお留守、弟マリウスはユリウスお爺様に連れられてダンジョンでお仕事中と、屋敷にいる家族はジネットお婆様とわたし――ヘンリエッテ・フォン・レーヴェンガルトの二人きりだった。


 お陰で諸々のしわ寄せは、ここしばらくお婆様とわたしの肩にのしかかっている。


 ついでにグリュックの一家というか一族も、街中の倉庫や台所のネズミを追い出すのに忙しい。

 うちの領地じゃ、テンは台所の守護聖人のように扱われていて、狩ってはいけないお触れが出されていた。


「お待たせいたしました、大奥様、お嬢様」

「おはよう、ゲルトルーデ」


 メイド長のゲルトルーデがしっかり焼かれた豚の塩燻を運んでくると、朝食の完成だ。


 ゲルトルーデもかなりのお婆ちゃんだけど、やっぱり忙しい。

 今月いっぱいは、息子に執事を譲って馬番に退いた旦那さんも、執事兼護衛の息子さんも留守だった。


 他の従僕やメイド達と同じく、領主夫妻の王都訪問に同行しているので、こればかりは仕方ない。……たぶん、向こうの方が忙しいはずだ。


「ありがとう、ゲルトルーデ。あなたもお掛けなさい」

「はい、大奥様」


 メイドが男爵家の朝食に同席するなんて、他のお家なら問題になるかもしれない。


 けれど、彼女は半ばうちの娘みたいなものだからと、お婆様だけでなくお爺様も楽しげに笑っていらっしゃった。わたしもゲルトルーデはもう一人のお婆ちゃんみたいに感じていたし、余所は余所、うちはうちだと思う。




 朝食を済ませると、優雅に朝のお茶を……って、今日は余裕ないね。


「じゃあいってきます、お婆様、ゲルトルーデ」

「はい、いってらっしゃいまし、ヘンリエッテお嬢様」

「いってらっしゃい。書き物が片づいたら、わたしもお店に行くわ」

「ありがとうございます、お婆様」


 お店の財布と鍵束を確認して、ちょっと考えてから洗濯籠を持って屋敷を出る。


 ジネットお婆様は領主が不在でも領政が滞らないよう執務室で書類仕事、ゲルトルーデは……全部は無理にしても居ない家人全員分のお仕事で、屋敷から動けない。


 お爺様もお婆様も、代替わりしたからもう領地仕事は皆に任せたと口にされながらも、本当に忙しい時に限っては、楽しそうに手伝っていらっしゃる。


 それこそお若い頃は、領主とその筆頭家臣として領地を切り盛りし、人ひとり住んでいなかったシャルパンティエに、たった五十年で立派な街を作り上げたお二人だった。


「さて、と」


 もちろん、わたしもお店を任されているけれど、朝はお客さんが少ない。


 お婆様達には無理をさせたくないし、お洗濯ぐらいは引き受けないとね。……どちらにしても、お店のエプロンや台拭きのお洗濯があるから同じことだ。

 三人分だから量もそう多くもない。すぐに終わるだろう。




「おはようございまーす!」

「あらヘンリエッテお嬢様、おはようございます!」


 一旦お店の準備をしてから鍵だけを掛け、奥さん方に混ぜて貰って井戸の洗い場で洗濯を済ませる。

 今朝は急ぎのお客さんがいなかったけれど、洗い場がお店の前なので、すぐに応対できた。


 洗濯物を裏手の倉庫の干し台に引っ掛け、それから仕入れの手配や帳簿仕事を片づけ……ふう、ようやく一息。


「ふあ……ねむっ」


 昔は領主の館兼用だったお陰なのか、うちの店には広い台所や食堂まである。

 自分のお小遣いで買ったカミツレのお茶を淹れて、お店のあれこれを見回しながら朝の休憩だ。


 このお茶は、休憩というより心の準備に必要な時間なのよと、先代店主のお母様から教えられている。


 今日は大きな予定こそないけれど、ダンジョンに行ったお爺様とマリウスは明日の戻りだし、それまではわたしが頑張らないといけない。


 代々続く雑貨屋の娘だったというお婆様はともかく、お母様は同じ東方辺境でも北のシェーヌ近くに領地を持つ騎士爵家の娘だったから、当初は苦労の連続だったそうだ。


 わたしは、どうなのかなあ。


 お店番兼業の男爵令嬢……じゃないや、逆かな?


 ふふ、どっちつかずじゃなくて、いいとこ取りしてるのかもね。


 カウンターにいても自分の部屋にいるのと同じぐらい落ち着くし、お仕事も張り合いがある。

 でも、お母様譲りのドレスを身につけてヴェルニエの舞踏会に行くのも、ちょっとだけ堅苦しいけれど、たまのお楽しみだった。

 


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