第二十八話「『洞窟狼の懐刀』の孫」
第二十八話「『洞窟狼の懐刀』の孫」
フロワサールからルラックに戻った日。
ハルくんも予定通り、ヴェルニエ商人お勧めの新商品と共に帰ってきた。
いつものように荷を貸家の床に積み上げてから、刻んだハムとチーズを挟んだ黒パンと、小早鱒の焼き干しスープのお昼を前に、ため息を突きあわせる。
お酒はまだ、量を減らさず十二箱。
お母様の実家の白ワイン『クライネ・エンテ』は入ってきたけど、赤のマッセル・ノンネが品切れしていたので、王国北方産の『シュネー・フックス』が代わりに入荷している。
香味酒も、前回、前々回の入荷とは風味付けの違うものを幾種類か頼んでいた。
それから香辛料の類が前回の倍、これはシャルパンティエでも売るつもりで量を増やしている。
先日は露店を出す間がなかったせいもあるけれど、ウルスラさんからも是非と頼まれていた。
「お酒の追加はいいとして、こっちは数が多い分、思ったよりも嵩張るわね……」
「僕も荷を受け取った時、驚いたけどね」
お勧め商品の中で、とりあえず仕入れを決めた新商品は、西の工房都市オルガド産の遊具だった。
将棋にカード、それからサイコロ。わたしにはよく分からない数字だらけの遊戯盤や、小さな木札と絵入りの布が一組になったものもある。
カードやサイコロはともかく、将棋などは飾り箱とは言わないまでもそれなりに大きな箱に入っていたものだから、お値段以上の見かけになっていた。
「あんまり賭け事に夢中になりすぎても困るけど、息抜きもカードばかりじゃ飽きるんだってさ」
「そうね、カード勝負は『魔晶石のかけら』亭でもよく見かけるもの」
「少なくとも、『月夜の風』は将棋盤を買うと思うよ。そんな話をしてたからね」
意見を聞いた時、新しい絵柄のカードが欲しいって言っていた冒険者もいたので、丁度よかった。
駆け出しはサイコロ、中堅はカード、そこから上はそれなりに、なんて言葉もあったっけ。
サイコロぐらいなら自分で作れちゃう人も多いけど、素人の作ったサイコロはほぼ必ず出目が寄るからね。子供の遊びならまだしも、お金の動く賭け事には使えなかった。
但し、これらは数が捌けるものじゃない。
数人に一組あればいいし、食べ物や飲み物じゃないので減ったりしないものね。もちろん、貸し借りもできる。
「ついでにさ、ヘンリクさん達にも欲しいかどうか聞いてもいいんじゃないかな? ルラックにも、賭け事の好きそうな男衆は大勢いるんだし」
「……そうね、行商人ヘンリエッテのお客さまは、冒険者だけじゃなかったわ」
引退冒険者も、賭け事は……もちろんするだろうね。
冒険が漁や畑仕事に変わったって、息抜きは必要だ。
まだまだ、『地竜の瞳』商会店主としての気分が抜けないわたしだった。
「こういう遊び道具も、若い頃は手が出なくて羨ましかったなあ」
「まあ、人には身の丈ってもんがあるからな。駆け出しの頃の俺達、本物の『英雄の剣』だった頃の俺達、それから……」
「引退した、ただの口うるさいジジイの俺達、ってか?」
「ははは、そういうことだ」
広場の市と翌日の為の準備を終えた夕方、ヘンリク村長の家に向かうと、ヨルクお爺ちゃんにディモお爺ちゃんと、初代『英雄の剣』がお揃いでいらっしゃってて、将棋とカードが売れた。
「そう言やフランツの奴、カードがとことん弱かったなあ」
「カードだけじゃないけどな。あれはもう、逆の才能だよ」
「その癖、冒険の引きだけはやたら強いと来てやがる」
「どれだけあの引きに苦労させられて来たか……。ハル坊も気をつけろよ」
「僕が、ですか?」
「時々居るんだよ、そういうタチの奴が」
「ま、そんな奴に限って、白銀やその上ぐらいまでは、ほいほいっと上っていきやがるんだがな!」
「ヨルクさん、それって……例えばマリウスとか?」
「ああ、あいつもその気があるな!」
「『洞窟狼』の旦那は別格としても、現役の頃のダリウスも似たような雰囲気だったか」
わたしとマリウスの父、ダリウスお父様も、領主を継ぐために引退しなければ、黄金のタグぐらいは余裕で得られただろうと語り継がれている。
腕も気風もいいし実力も兼ね備えていたけれど、男爵家継嗣なんて生まれ育ちの割に『やんちゃ』だったと、同じパーティーだったメーメットさん達からは色々と聞かされていた。
「それはあなた達も同じだったでしょうに」
「そうだっけか?」
そんな昔話に耳を傾けつつ、商えば面白そうなものを聞き出そうとご相伴に預かっていると、黄色ナマズの煮込みを持ってきたグードルーンさんが呆れていた。
「春一番にベアルと出くわすわ、第一階層でいないはずのインプの群を倒すわ、フロワサールの鉱床を見つけるわ……。他にも思い出しましょうか?」
「おいおい、それ全部、俺達『英雄の剣』だけじゃなくて、グードルーンとマルタも一緒だったろ!?」
「ふふ、そうだったかしら」
一言も喋らず黒サクランボの香味酒を黙々と飲むディモお爺ちゃんはともかく、お酒が入るとヘンリク村長もヨルクお爺ちゃんと同じぐらい饒舌になって面白い。
遊具の売れ行きはともかく、身近な英雄達の昔話を直に聞けるのは、とても楽しかった。
▽▽▽
「ありがとうございましたー!」
「ええ、こちらこそ。もうすぐ行商の試練も終わりなんですってね、寂しくなるわ」
「はい。でも、レーヴェンガルト領を巡る行商の件は、試練とは別に、お婆様やお母様に相談して見ようと思ってます」
「あら嬉しい!」
わたしとハルくんは、昨日はフロワサールで今日はルラック、明日はもちろんシャルパンティエと、行商の日々を重ねていった。
香辛料に遊具、ヘンリエッテ特製味付け煎り豆にカルステンさんのガルムと、扱う品物もかなり増えていたけれど、順当に売り上げが落ちていくお酒の代わりには至っていない。
「ハルくん、お疲れ様」
「お嬢もね」
にっこりと笑顔で、心の内を隠したけれど。
今日はもう朝露月の二十三日、試練の期日は残り五日となっていた。
在庫も徐々に減らしていたけれど、商機を逃すのも悔しいので、貸家にはまだまだ商品が積み上げてある。
今の時点で、総売り上げが五十三ターレル十四グロッシェンとなっていた。
もちろん、素直には喜べない。
仕入れに使った金額と、生活費や雑費を差し引けば、利益は十七ターレル半ってところだった。
おまけに仕入れが出来るのも後一回、試練の目標には、少し届かない可能性も……ある。
ガルムはカルステンさんと相談の上、契約を少し変更して仕入れ値を少し上げる代わりに、在庫をカルステンさんに預ける形式にしていた。
わたしが行商人でいられるのは今月いっぱいだし、資金も限られている。
ハルくんの口ぶりじゃ高級品一歩手前のような感じで、将来、特産品に育ちそうな商品を勢いで買い叩くような真似は、試練の約束事なんて関係なしにやっちゃいけない。
そこで、今は取引の値段も仮のものとして、『新商品の売れ行きと相場の見極め』なんて理由をつけ、カルステンさんにも納得してもらった上で、期間を限っていた。
『そんな高値で売れるとはとても思えねえが、その辺りはお嬢に任せるよ。ま、どっちにしても、高い分には文句なんて言うわけないからな、安心してくれ』
期間を限らない契約だと、カルステンさんとわたしどころか、『地竜の瞳』商会やレーヴェンガルト家にも損をさせてしまう可能性もあるものね。
その後は『地竜の瞳』商会を通すか、もしもお婆様達のご許可が得られなくても『ヘンリエッテ・フォン・レーヴェンガルト』がその名前に賭けて、全てのガルムを引き受ける約束をしていた。
そのぐらいの信用と、溜め込んだお小遣いという名の資金は、わたしだって持っている。
伊達に『洞窟狼の懐刀』の孫と言われ続けてるんじゃない。
でも、決め手にと期待したそのガルムは、やはりというか、今ひとつ売り上げが伸びないままだった。
この半月ほどで三本がどうにか売れたけれど、見本に使った五本や、研究用に買い込んだ食材の費用を考えれば、ほぼ利益はない。……馴染みのない調味料が、特別に美味しいレシピもなしに売れていくはずがないことは、わたしにも分かっている。
特に遠方、シェーヌやオルガドのような人の出入りの多い都市や、可能なら王都グランヴィルに売込みができればもう少し希望が持てそうだけど、往復の期間を考えると無理な相談だった。
ううん、そうじゃないや。
この試練という大事な時に、ガルムをわたしへ預けてくれたカルステンさんに感謝しなきゃだよね。
高級品の一歩手前だけあって……あ!
駄目で元々、ヴェルニエのアウデンリート家にもレシピと見本を送ってみようかな?
代官ご夫妻だけでなく、娘のエーデルガルトさんもガルムを知っていたハルくんと同じく王都生まれの王都育ちだし……。
手紙は明日ハルくんに預けるとして、返事が戻ってくるのに最短二日、試練の期限にはぎりぎり間に合う。
……売れるとは限らないけど、試してみなくちゃ始まらないよね。
但し、ハルくんにそのまま訪ねて貰うわけには行かなかった。
行商人の下働きが約束もなしに代官屋敷へとお伺いするのは、わたしが個人的にエーデルガルトさんと仲良しで、ハルくんが中央貴族のご子息であったとしても、礼儀に反している。
えーっと……ギルドを通してハルくんを名指しして、エーデルガルトさん宛ての『私的な』お手紙の配達を依頼、わたしからの伝言と一緒にガルムの見本を持って行って貰うって体裁が無難そうだ。
もちろん、見本の他にも、『商品』のガルムをたっぷりとね。
商人の約束事も貴族の約束事もそれぞれに面倒くさいけれど、横紙破りをして後で困るのは、もちろんわたしだった。