第二十七話「フロワサール村」
第二十七話「フロワサール村」
「クメッツさん、お疲れ様でしたー!」
「おう、また明日な!」
さて、ようやくやってきた第三の市場、レーヴェンガルト男爵領フロワサール領は、森に囲まれた鉄鉱床と魔法鍛冶の村だ。
大昔の魔族戦役で、お爺様が国から恩賞として戴いた領地である。
開拓が始まったのは今から二十五年ほど前、ラルスホルト大叔父様がシャルパンティエの工房を次男のバルドホルトさんに譲り、家族と大勢の徒弟を引き連れて移り住んでいる。
質のいい鉱床と森があることは早くに知られていたけれど、お爺様が領地を貰った頃のシャルパンティエはまだ小さな村が一つきりで、ルラックにも狩り小屋さえなく、もちろん新たに開拓する余裕はなかった。
今じゃ、シャルパンティエ産の魔晶石と良質の鉄鉱石、そして『ラルスホルト』鍛冶工房という大きな強みを持つ魔法剣の産地として、周辺には知られている。
他にも、アレット大叔母様の元に薬草学を学びに来る人もいて、そちらは女性が多いから、結婚の約束をして『一緒に帰る』人達もたまにいるそうだ。
「さあて!」
荷馬車から降ろしたお酒の木箱に魔法を掛け、えっちらおっちらと広場のまん前、村長さん宅へと向かう。
まだお仕事の終わる時間には早いようで、広場に人影はなかった。
「キューレは初めてだよね。迷子にはならないと思うけど、シャルパンティエよりはベアルや狼もよく現れるから、村を出ちゃ駄目よ」
ふぃあ!
ハルくんとザムエルさんには、またヴェルニエに戻って貰っている。
思っていたよりもお酒の売れ行きが好調で、もしかすると、目標の二十ターレルに届くかもしれないと、わたしに思わせるほどだった。
見積もりが甘かったのか、それとも、少しお高いワインや香味酒が領内の流行ものに育ってしまったのかはともかく、仕入れ量を増やすべきだとわたしは判断した。
在庫の切れ目は売り上げの切れ目、放っておけば商機を逃すだけじゃなく、試練の評価まで下がってしまうだろう。
但し、品物が十分に行き渡るにつれ、売り上げは下がっていき、適当なところで落ち着く。
また、在庫というものは、抱えすぎても利益を食いつぶしてしまうから、一ヶ月限定の行商人としては、引き際の見極めも肝心だった。
それとは別に、もう一つ頭を悩ませているのが、カルステンさんのガルムだ。
全部引き受けると言ったことに後悔はないけれど、残り二十日少々で商いの中心に出来るかどうかは、実に微妙だった。
最悪の場合、試練とは切り離してわたし個人で商いをする手もあるから、そこまで切羽詰ってはいないものの、試練達成の一押しにもなりそうなので、今は帳簿にも記してきっちりと管理いる。
但し、お値段も露天で売るには少々お高く、厳しいかもしれないと、後になってから気付いてもいた。
噂を一から広げて商売の下地を作るにしても、ガルムがまだ、レーヴェンガルト領内どころか、ルラックの中でさえ知ってる人がほとんどいないのも問題だ。
まずは宣伝と、『地竜の涙』商会のグーニラ姐さんにも話を通して、売れなくても『行商人ヘンリエッテ』――あるいは『レーヴェンガルト男爵令嬢ヘンリエッテ・フォン・レーヴェンガルト』がその名に賭けて責任を取るからと頼み込み、手数料を弾んでわたしの書いた簡単なお試しレシピ付きの瓶詰めガルムを商品として置かせて貰っている。
においについては、きちんと洗った瓶を貸家で見せて料理を振る舞い、姐さんもどうにか納得してくれた。
……絶対にお店じゃ瓶を開けないよって、念を押されたけどね。
もちろん、ハルくんにも何本か預け、ヴェルニエ商人にも送っていた。
地方から出てきた大人数の冒険者が暮らす『パイプと蜜酒』亭や、遠方との取引に強い『切り株の腰掛け』薬品商会なら、上手く扱ってくれそう……くれないかなあ。
フロワサールにも一本だけ持ち込んでいるけれど、再従妹のアンネッテにガルム料理のお試しをお願いするつもりだった。
売値はハルくんの意見も聞いた上で、強気の一瓶十グロッシェン、今回は無料にする代わりに、色々試してみてと……。
「あ!!」
ふゅあ!?
「って、驚かせてごめん、キューレ」
海際育ちで海産物に詳しい女性なら、このフロワサールにもいらっしゃるじゃないの!
宿は……あとでいいか。
広場の西手にある『鉱石と魔法剣』亭に、大人数の隊商が泊まっている雰囲気はない。最低でも、野宿ってことにはならないだろう。
わたしは荷運びの魔法で浮かせたお酒の木箱と共に、まっすぐ村長さんの家へと向かった。
「こんにちは、ラルスホルト大叔父様、アレットおば様! 先日はありがとうございました!」
「やあ、いらっしゃい、ヘンリエッテ」
「さ、上がんなさい」
「おじゃましまーす!」
「あら、ヘンリエッテ!」
「お嬢!」
「アンネッテ!」
村長さん宅でもあるラルスホルト家は、うち以上の大家族でもあった。
ラルスホルトさんの息子で現村長のラインホルトさん他、七人のご家族に加え、『ラルスホルト』鍛冶工房の徒弟の中でも年少の男の子達は、皆村長さん宅で下宿暮らしをしていた。
ラルスホルト大叔父様は代々魔法鍛冶で有名な家の出で、ヴィルトール各地の鍛冶師がその技術を学びにやってくる。そのお陰もあって、いつ行っても賑やかだ。
もちろん、ごくごく親しい親戚の家でもあるけれど、試練という約束事もあった。
行商をしたいのでよろしくお願いしますと、大叔父様には商人の挨拶をしたんだけど……。
「到着早々に申し訳ないが、ヘンリエッテ」
「はい、大叔父様?」
「先に商売をしてくれないかな?」
「え!?」
「うちの馬鹿どもが、待ちきれないらしくてね」
苦笑交じりの大叔父様によれば、フロワサールと往復する馬車便のクメッツさんによって、わたしがワインや香味酒を商いしていると噂になっていたらしい。
人の出入りは噂話の通り道、クメッツさんには明日の朝お礼を言おう。
「そうよ、お嬢。もっと早くフロワサールに来ればよかったのに」
「鍛冶屋も製鉄工房も、大酒飲みが多くて……」
「ほんとうにねえ。冒険者に負けないぐらい飲むのよ」
アレット大叔母様を筆頭に女衆の呆れ具合も大概で、その飲みっぷりが伺えた。
「へえ、ガルムねえ」
木箱六つ分のお酒が全部売れた、その日の夜。
わたしはラルスホルト家の女衆と『鉱石と魔法剣』亭の女将マリーカさんに事情を話して集まって貰い、見本のガルムを取り出した。
もちろん、この一本はお譲りするので、皆さんで試して欲しいと、最初に断りを入れている。
先にガルムの作り方を話したお陰で、開栓の直前、アンネッテは逃げ出したけどね。
「魚を腐らせたって割に、においはそれほどでもな……ごめん、ちょっときついかな」
「だねえ」
「味見してみて、アンネッテ。すごくしょっぱいから、少しづつね」
「う、うん……」
小皿を回して味を見て貰うと、アレット大叔母様だけは納得の表情だったけど、アンネッテやカロリーネ小母様は微妙な顔である。
わたしも最初は、似たような顔をしてたかもしれない。
「塩味は塩味なんだけど、不思議だねえ」
「うん、しょっぱいね。しょっぱいけど、お魚の味もする……かなあ? お嬢、これって塩の代わりに使うんだよね?」
「そうみたい。カルステンさんは、おふくろの味って言ってたわ」
「魚介料理のこく出しや、スープの味の決め手になる調味料で、結構な高級品なんだけどね。ただ……」
「アレットおば様?」
大叔母様は大きなため息をついて、遠い目をした。
「あたしが料理を覚えたのは、結婚してからなの」
「と、いうことは……」
「この近所で使い方を知ってるのは、姉さんぐらいだと思うよ」
大叔母様は、幼い頃から薬草について学び、アルールにあるお婆様らの生家『地竜の加護』商会を支えてきたという。
代わりにお店の切り盛りと家事を一手に引き受けていたのが姉であるジネットお婆様で、料理の腕前はその頃から抜群だったそうだ。
「カロリーネやアンネッテの方が上手なんじゃないかな」
「でもお婆様、お菓子作りはとてもお得意ですよね?」
「そうねえ。……どうかしら」
こればっかりは、しょうがない。
当面、レシピは手探りでなんとかしよう。
ラルスホルト家で売れ残った香辛料は、フロワサール唯一の宿屋兼酒場『鉱石と魔法剣』亭が全部引き取ってくれた。
フロワサールじゃ、食事が出来るお店はここ一軒しかないからね。
「ここに居る大人達は毎日仕事に懸命で、そりゃあいいことなんだがな、冒険者ほど日々の暮らしが目まぐるしく変わるわけじゃない。だからせめて、料理の味付けぐらいは毎日違う方がいいなあと、俺は思ってるよ」
限度はあるけどなと、宿の主人ランゲさんは大笑いした。
……後からお呼びして、ガルムも味見してもらったんだけど、かなり微妙なお顔だったからね。
ランゲさんは、シャルパンティエの冒険者宿『魔晶石のかけら』亭の大旦那カールさんの次男で、ルーファスさんの弟だ。
フロワサールの開村後しばらく、弟子が増えすぎて面倒を見切れないと、ラルスホルト大叔父様がカールさんに相談してランゲさんが移り住むことになり、冒険者宿ならぬ職人宿が誕生している。
ランゲさん曰く、働き手は早朝に宿を出て夕方戻るから、長逗留の日帰り冒険者と同じようなものらしい。
「まあ、飲みっぷりはともかく、これでもうちの連中は、お行儀のいい方なんだぜ。……下手に騒ぎを起こすと、ラルスホルトの大旦那から、出入り禁止を言い渡されるからな」
「シャルパンティエの冒険者と同じですね」
「わっはっは、まったくだ! そっちにゃ『洞窟狼』の旦那に加えて、大奥様もいらっしゃるからな!」
なんと言っても、大叔父様は東方辺境にその人ありと知られた名匠、学びに来ている鍛冶師達からすれば伝説の大師匠であり、同時に領主であるうちのお爺様の義理の弟にしてフロワサールの元村長でもある。
酔って暴れた程度なら、拳骨一つとお掃除の手伝いぐらいで済ませるけれど、武器や道具を使った喧嘩はご法度とされていた。
仕事を教えて貰えなくなると困るどころの話じゃないので、みんな大人しくしているそうだ。
シャルパンティエ、ルラック、フロワサール。
さて、これでわたしの『市場』である三つの街や村を全て巡ったわけだけど……。
ふゅあ?
「ううん、大丈夫よ、キューレ」
四回の露天市が終わって、ここまでの売り上げは九ターレル二十二グロッシェン、ハルくんに渡した仕入れ代金は、八ターレルにもなっている。
雑費がお家賃や生活費、馬車代、ハルくんのお給金込みで、四ターレルと少し。
あと、予定外の出費にしてこの試練の決め手になりそうなガルムの仕入れに、十八グロッシェンが費やされていた。
仮に出したこの十日間の収支は、三ターレルの赤字。
ルラックの貸家にはまだ持ち込まなかったワインの木箱もあるし、ハルくんに渡したお金には仕入れ代金も含まれていた。
それに、雑費は試練の全体に掛かってくるものだから、商売に失敗したってわけじゃない。
一応、そのあたりまで考えてもう少し正確に利益を求めると、二ターレル弱の黒字で、ガルムがそこそこ売れれば、残りの十八日で何とか試練を乗り越えらそうな数字ではある。
……というよりも、最初に考えていたお酒や香辛料の売り上げだけじゃ、試練を乗り越えるだけの利益が上げられなかったかな。
十分行き渡ってしまったお酒の売れ行きは、今後間違いなく落ちていくだろう。読み本だって、注文分は捌けている。
香辛料の小袋は今後も定番になりそうな気もするけど、利益はそれほど大きくない。
「自分で仕入れに行けないのが、ほんとに痛いなあ……」
ハルくんは、期待以上によくやってくれている。
荷馬車の月借りはいい判断だったし、ヴェルニエ商人との関係も最初から良くて、新商品の提案さえ引き出してくれていた。
でも彼の本業は冒険者で、やっぱり限界がある。
無理を言ってるのは、わたしの方だよね……。
『もっと上手に、人を使いなさい』
と、お婆様の声が聞こえた気がした。