第二十話「商い始め」
第二十話「商い始め」
「お嬢、こっちの木箱が持っていくワインでいいんだよね?」
「うん、その二つ。今日は初めての市だし、種類がありすぎても、お客さんの迷う時間が増えるだけって思うの」
昼食後、ハルくんにも手伝って貰いながら、品出しの準備をしつつ……機会を狙っていた頼み事を切り出す。
「ねえ、ハルくん」
「なんだい?」
緊張することでもない……はずなんだけど、ほんの少しだけ照れくさい。
「ちょっとしたおまじないなんだけど、お手伝いして欲しいの」
「おまじない?」
「手を出して頂戴」
わたしはハルくんの手にそっとターレル金貨をのせ、懐から飾り紐を取り出した。
「金貨?」
「うん。そのターレル金貨で、この飾り紐を買って欲しいの」
飾り紐は、編んだ色糸の間に飾り石を通した装飾品だけど、石は形も色も微妙に違うから、一つ一つ作りが違ってしまう。
それを利用して、背負い袋や小物入れに結べば、名札代わりにもなった。
安いものなら一ペニヒ、定番の商品なのでお店が暇な時にレナーテと二人でよく作っている。
「ジネットお婆様の故郷の言い伝えでね、一番最初のお客さんに金貨で買い物して貰うと、お店が繁盛するんだって」
「へえ……」
お店の主人が金貨を渡して買い物して貰うのにも意味があって、『出ていったお金が戻ってきますように』という願いが込められていた。
うちのお婆様もそうだけど、何かと縁起を担ぐ商人は、とても多い。
もちろん、おまじないだけに頼るような商人は失格だけど、少しでも気分良く商いをしようという心持ちが大事で、それはお客さんにも気持ち良く買い物をして貰うことに繋がるから、と教えられている。
……『自分の気持ちって、そうそう隠せないものよ』と、恐い一言もつけくわえられたけど、まあ、そういうことだ。
「それにハルくんなら、抜群に幸運を運んでくれるかもね」
「僕が!? どうして?」
「ハルくんは、男爵家のご子息でしょ?」
「……うん」
あ、今は『冒険者エーベルハルト』だからかな。
ハルくんは、少し躊躇ってから頷いた。
「開業の一番最初から、貴族やお金持ちのお客さんと繋がりが持てる商人は、とても少ないの。だからね、ハルくんが最初のお客さんになってくれたなら商売繁盛間違いなし! ……なんじゃないかなあって」
「ああ、うん、そういうことなら……」
大事な最初のお客さんがハルくんだと嬉しい理由を、あわてて付け加える。
いいや、ここは勢いで押し切ってしまおう!
「『この飾り紐を下さい』。はい続けて、ハルくん!」
「こ、この飾り紐を下さい!」
「一ターレルになります!」
「じゃあ、はい」
「お買い上げありがとうございます!」
ハルくんはとても照れくさそうにしながら、わたしが手渡したターレル金貨を支払い、飾り紐を受け取ってくれた。
「えっと、この飾り紐はどうすればいいの?」
「普通に使ってくれていいよ。きちんと石の間に結び目をいれたから、冒険中でも音しない、し!」
「あ、うん……」
わたしも釣られて赤くなってると思うけど、これは……そう、釣られて赤くなってるだけに違いない!
▽▽▽
「ヘンリエッテ様、その赤のワイン買うわ! あと、そっちの香辛料の小袋も!」
「はい、ありがとうございます!」
昼の露店市に出せたワインは、運良く入荷していたヴィルトール中部産の赤『マッセル・ノンネ』と、地元東方辺境の北部……というか、どんぴしゃりでお母様の実家フーレスティエ領が作っている白の『クライネ・エンテ』。
銘柄までは指定していなかったけど、選んだハルくんによれば、仕入れ値の割にいいお味だったそう。今度お母様にも伝えておくねと言えば、彼は随分と驚いていた。
「ハルくん、これは幾らだい?」
「香辛料の包みは、マサーラも青唐辛子も肉桂も、みんな三ペニヒです!」
豆の味付けを後回しにして市に出した香辛料は、料理にも使うかなと多めに仕入れていたけれど、奥さん方の要望を優先して全部売りに出した。
小分けして薬包紙を折る要領で藁紙に包み、量を調節してお値段はどれでも三ペニヒと買いやすくしている。中身は封をする時、色糸を使って分かるようにしていた。
そうしないと、手伝ってくれているハルくんが混乱するだろうし、市の時間が短すぎてわたしも応対しきれない。
「マサーラは料理の最後、ひと煮立ちさせた後に使って下さいね! その方が、香りが引き立つんです!」
「あら、ありがと!」
目玉商品のマサーラは、十数種類の香辛料が予め混ぜてある混合香辛料だ。生姜、黒胡椒、丁字……ぐらいまでしか、わたしには分からなかったけど、食欲をそそる香りがとてもいい。
でも代わりに、仕入れ値も黒胡椒よりかなり高かった。三ペニヒの包みに入れられたのは、中くらいのお鍋で煮込み料理を作るなら一回分、スープの香りづけなら四回分ぐらいかな。
家庭料理じゃあまり使われないけれど、これは仕方がなかった。
十数種の香辛料を混ぜて味を調えるという製法のお陰で、一番小さい壷入りのマサーラでも、ご家庭じゃ一度や二度で使い切れる量じゃないのだ。
おまけに、煎って混ぜて粉にして……っていう行程のお陰で香りもいいけれど、小さな壷に密封してもひと月ぐらいでその香りが薄れてしまう。
わたしだって煎り豆の話がなかったら、仕入れようとは思わなかったはずだ。
急遽小分けして売るように工夫したけれど、売れ残った場合は当然、売り手のわたしが損をする。
「お買い上げ、ありがとうございました!」
「またお願いします!」
手間取りながらもどうにか欲しい人に欲しいだけの品が渡り、人の波が引けてきた頃。
お店代わりの敷物を見回してみれば、香辛料は元が少なかったせいもあるけど無事完売、残ったのはワインが三本きりだった。
「お嬢、お疲れ!」
「ハルくんもね!」
ハルくんには、追加のワインや香味酒を取りに行って貰ったから、思っていた以上に売れたことになる。
それは嬉しいことだけど、代わりにシャルパンティエへは予定の半分もお酒が持ち込めなくなったから、冒険者達をがっかりさせてしまうかもしれない。
でも、買ってくれるというお客さんを目の前にして、それを断るのもおかしな話で……。
当初使える仕入れの資金が限られていたせいもあるけれど……ううん、見込みの甘かったわたしが悪い。本当に、反省しきりだ。
残りの期間でどうにか挽回しようと、わたしは気持ちを新たにした。




