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第十八話「甘かった見通し(下)」

第十八話「甘かった見通し(下)」


 一度家に戻って洗い物をさっと片付け、洗濯籠を手に井戸へと向かえば、もうご近所の奥さん方でいっぱいだった。


 こればかりは、本当にどこも変わらない。


「あら、コリンナさんのお宅のお隣なのね」

「ヘンリエッテお嬢様、試練って何をなさるんです?」

「テンの使い魔ちゃんに、是非うちの家にも寄るよう伝えて下さいな!」


 新顔のわたしも皆さんにご挨拶して洗濯仲間に入れて貰い、ルラックのことを聞きつつ、試練の話に絡めてさりげなく行商の宣伝などをすれば……随分と食いつかれた。


「ほら、ルラックには行商人なんて滅多に来やしないし……」

「仕事の絡む男衆はともかく、あたしらにはヴェルニエに行く用事なんて、ないでしょ?」

「そりゃ、注文すれば『地竜の涙』商会が頑張ってくれるわ。でも……」

「たまにはね、珍しい物や変わった物を、手に取って選びたいのよ」

「シャルパンティエのついででいいから、ここでも行商して貰えると嬉しいねえ」


 あ……!


 そ、そうだよ!


 レーヴェンガルト領に『暮らしている』のは、冒険者だけじゃない!!


 冒険者にばかり目が行っていたのは、冒険雑貨を扱う店の主人として当然だけど、うちのお店も日用雑貨は普通に揃えている。

 街の人が、買いに来てくれるからだ。


 わたしは試練に気を取られ、そんな当たり前を忘れてたんだね。


 シャルパンティエの街だけなら冒険者の方が比率は高いけれど、領地全体で考えるなら、冒険者じゃない人の方がずっと多い。


 わたしは自分でも気付かずに商売の相手を狭めていたってことで、冒険者もそうじゃない人も、広くお客さんとして見なきゃ、この試練は失敗する。


 これはちょっと、方向転換……じゃないや、品揃えの見直しと、仕入れる数量の調整が必要だ。


「あの、皆さん! 行商人が売りに来ると嬉しいお品って、どんなのですか? すぐにはご用意出来ませんけど、ちょっと……頑張ってみようかと思います!」


 行商人ヘンリエッテの本拠はルラックに置いているから、午後の市に混ぜて貰えばよかった。


 試練の後なら、今度は『地竜の瞳』商会として……わたし自身は行商に出られなくても、レナーテに荷運び兼護衛の冒険者をつけ、ルラックやフロワサールに送り出せばいい。『地竜の涙』商会のグーニラ姐さんも巻き込めば、多少は経費もお安く出来そうだ。


「あら、嬉しいわね!」

「そうねえ、何がいいかしら」


 わたしは……時々お洗濯の手が止まりつつも、奥さん方のご意見を頭の中で整理していった。




 ▽▽▽




「じゃあ、いってらっしゃい。頑張ってね」


 ふゅあ!


 ご近所のネズミを狩りに行くという勇ましいキューレを送り出して、裏手の軒先に洗濯物を干し、テーブルについて一息入れるついでに、奥さん方から戴いた貴重なご意見を思い出せる限り藁紙に書き付けていく。


 お茶は、朝淹れたカミツレにもう一度お湯を足した。……ハルくんが一緒なら新しい茶葉にするけど、一人ならこんなものだ。


「微妙に被らないのが痛いかなあ……」


 奥さん方の聞き取りをまとめて、商品の種類ごとに印を付けていけば、冒険者達の意見とはかなり違っていた。


 生活が全然違うから当たり前なんだけど……冒険者はそのものずばりでお酒、奥さん方は香辛料や香草のような夕食の一工夫に活躍する品がそれぞれの一番手になる。


 でも、わたしとしては助かることに、奥さん方の二番手もお酒だった。


 特にエール以外のお酒、蒸留酒の強いのや、銘有りのワイン……の、あんまり高くないものは、同じように名前が挙がっている。


「お酒はハルくんに注文書を渡してるけど、こっちはどうしようかな……」


 不思議なことに、手習いに使えそうな簡単な読み本も、何人かの冒険者だけでなく、奥さん方からもお願いされていた。


 冒険者も、簡単な街仕事を受けたり単にダンジョンで稼いでいるうちは、字が読めなくてもあんまり気にしない人が多い。パーティーの一人が読み書きできるなら、ほとんど問題が起きないからね。


 でもタグが上がって、一人前と言われる赤銅かそれ以上になってくると、途端に読み書きや算術、作法が求められるようになる。


 貴族や大店が出す依頼、特に護衛は、割のいいお仕事だった。当然奪い合いになるけれど、それなりの作法や学が身に着いていると依頼主の間でも覚えが良くなり、名指しの依頼が向こうからやってくるわけだ。


 ついでに、細かな条件や追加の指示が『別紙に書かれている』ことが殆どで、一人だけしか読めないと、手間も掛かるし動きも悪くなった。


 だから赤銅になって、より上を目指そうとしてる人達は、余暇に集まって勉強したり、自分で依頼を出して家庭教師を呼んだりする。


 ……本当は、もっと早い内から字を覚えればいいんだけど、それは無理だった。


 冒険者達だって、そのぐらい分かってる。

 でも、駆け出しや半人前には、そんな余裕なんてもちろんなかった。


 字を覚えるよりも先に、依頼の約束事を覚え、腕を磨き、装備を調えないと……生きていけないからね。


「で、奥さん方は子供さんの為、かあ……」


 奥さん方が読み本を欲しがる理由は、ある意味分かり易かった。


 読み書きが出来れば、将来、いい仕事にありつける。……とは限らないけれど、その可能性が高くなる。

 特に家や畑を継げない次男三男には、切実だ。


 ルラック村も開村当初の何もない開拓村から抜け出して、農業、漁業、林業を三本柱に持つ大きな村になっていた。

 暮らしぶりに余裕が出てきたからこその、ご意見だと思う。


 こちらは……商人のわたしじゃなくて、領主家の長女として捉えておくべき課題なのかもしれないね。


 でもさし当たっては、試練に全力を尽くさなきゃ。


「って、そうだ、帳簿!」


 お婆様から授かった三つの道具のうちの一つ、新しい帳簿を慌てて取り出す。


 ……決して忘れていたわけじゃないし、この三日間で出入りしたお金は、全部覚えてる。


 ただ、先に済ませなきゃならない事が多すぎて、後回しになってしまっていた。


「えっと、利益は……一グロッシェンだけ、と」


 出発初日は『魔晶石のかけら』亭で給仕のお仕事をこなし、お給金を貰っている。


 ハルくんが貰った分は彼に渡すお小遣い――チップとして扱い、帳簿には書き入れたけれど差し引きなしってことにした。……というか、ハルくんはわたしに渡そうとしてくれたけど、そこは雇い主の強権を発動だ。


『二重雇いになるから、僕も受け取りにくいよ……』

『でもここは、わたしが気前がいい雇い主だ、ってことにして欲しいかなあ。評判もね、試練の評価に関わると思うのよ』

『そういうことなら、まあ』


 わたしがハルくんの立場なら、やっぱり渡そうとするだろうし、気持ちはすごく分かる。

 でも、試練を抜きにして考えても、やっぱり受け取るわけには行かなかった。


 続いて出費だけど、今日までの分を一旦書き入れてから、改めて割り振りを考えてみる。


 まずはどうしても必要な、わたしとハルくんの生活費だ。

 貸家の家賃は支払い済みだけど、食費も掛かるし、炭やランプ油もただじゃない。


 預かった十ターレルから取り敢えず二ターレルは差し引いて、別枠に考えておく。……家賃の支払いと昨日の買い物で、残りは一ターレル弱しかないけどね。


 でも、暮らしていくお金の心配がないなら、心に安心を生んでくれる……ような気がした。


 そして、残りの八ターレルが商売をするための資金になるんだけど、これも全額が仕入れに使えるわけじゃない。


 移動の馬車賃に行商先での宿代食事代はもちろん、商品の移動に馬車を借りればもっと高くついた。


 そして、忘れちゃいけないヴェルニエの行商鑑札、これが一ターレル。おまけでレーヴェンガルト領のそれが、半グロッシェン。


 もちろん、ハルくんの雇用費も、ひと月で六十グロッシェン――一ターレル半かかるわけだ。


 当初の活動資金は、諸々込みで四ターレルと見ておく方が、いいかもしれない。


 つまり、ハルくんには仕入れの費用に一旦三ターレルを渡していたけれど、それも含めて初回の仕入れに使える金額は、四ターレル。ハルくんのお給金を日払いにして後回しにしちゃったとして、限界の五ターレルかな


 それ以上は、今後の売り上げから捻り出すことになる。


「えーっと、これを、ひと月で、二十ターレルにしなきゃならないって? ほんと、厳しい条件だわ……」


 試練の期間の残り二十五日間のうち、ハルくんが仕入れに行ける回数は五回から六回、わたしが露店を開けられるのは十二……ううん、無理して十六回かな。馬車での移動と、仕入れた荷の受け取りを考えれば、四日で三カ所回る組み合わせも作れるはず。


 うん、ほんとに頑張らなきゃ。


 平均すれば一回の露店で一ターレル半以上の利益がないと、目標の二十ターレルに届かないまま、試練の期間が終わってしまう。


 昨日わたしも買い物をした広場の市は、賑わいこそ大きいけれど、大金が動くようなものじゃなかった。

 ご希望があった品々も、高価な物はほとんど見あたらない。一番高くても、銘入りワインや読み本の数グロッシェンだ。


 それでも希望が持てるのは、シャルパンティエ、ルラック、フロワサールと、わたしには三カ所の『市場(しじょう)』があるってことだった。


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