第十七話「甘かった見通し(上)」
第十七話「甘かった見通し(上)」
試練三日目、今日もいいお天気だ。
眠くても身体はいつも通りに目が覚めてしまうもので、水を汲みに行った井戸端で隣家の若奥さんコリンナさんやパン屋『ベアルの足跡』亭のハンナさんと挨拶を交わし、台所に戻って二人分の朝食を作っていると、頭もすっきりとしてきた。
朝の用意を整えてから、ハルくんを起こしに行く。
「おはよう、ハルくん。……起きてる?」
「……起きた。おはよう、お嬢」
ハルくんは寝起きもいいようで、軽く扉を叩いて声を掛ければ、すぐに出てきてくれた。
場所こそシャルパンティエとルラック、起こす相手がマリウスじゃなくてハルくんって違いはあるものの、やってることは変わらない。
「朝の馬車便にはまだ余裕があるけど、仕入れて欲しい商品の説明もしておきたいのよ」
「分かった。着替えたらすぐに行くよ」
「あ、洗濯物はこの籠に入れておいてね」
「え!? あー……っと、丁度ヴェルニエに出るし、向こうで頼むよ!」
「家じゃマリウスやお父様達のも洗ってるから、気にしないでいいって。ね、ほら!」
「う、うん……」
ちょっと渋るハルくんに、無理矢理籠を押しつける。
年頃の男の子には、少し恥ずかしいかもだけど、ここは強引に押しきった。
……ヴェルニエの宿まで洗濯物を持って行かせるなんて、幼馴染達に知られてしまうと、本気でわたしの立場がなくなってしまうからね!
「お待たせ」
「はいどうぞ」
しばらくして、テーブルのある板間にやってきたハルくんは、もう旅装を整えていた。
背負い袋には水袋や火打ち石、予備食の堅焼きパンなど、各種冒険道具が入っているはずだ。
鎧と盾は部屋に置いてあるけれど、腰にはロング・ソードがあり、わたしにも良く見慣れた休憩日や移動日、あるいは街仕事の時の冒険者らしい格好だった。
でもその荷物は無駄なんじゃないかなって思ったりもするけれど、ギルドの緊急招集だって、まったくないわけじゃない。危険がないはずの仕事でも、ある程度は備えておくのが冒険者の流儀なのだ。
「ごめんね。昨日の夜とほとんど一緒なの」
「十分だって。いただきます」
「はいどうぞ、召し上がれ」
昨日の夜に比べて腸詰めが半分で、代わりにシエヴァ豆を柔らかく煮て添えている。スープは足りない具材を同じく豆とタマネギで補って、嵩増ししていた。
……それにしても、よ。
スープのお豆をつっつきながら、内心でため息をつく。
献立、どうしよう?
やっぱりね、仕入れから帰ってきたハルくんを、がっかりさせたくはない。
朝の用意をしながら、そりゃあ奥さん方も、市の時間はあれだけ勢い込んで駆け回るわけだと、妙に納得させられた。
でも……お昼の市で何が手に入るかで夕食の献立が決まるし、贅沢をする余裕はないけれど、工夫は幾らしたっていいんだものね。
ふふ、もしかすると、商売の種を思いつくかもしれないし!
シャルパンティエの街でも極たまに市が立つけれど、実は夕食の買い物なんて、殆どしたことがないわたしだった。
家の買い物はゲルトルーデやお母様の担当だったし、我が家に暮らすのは家族に執事一家にメイドが三人の合計十二人、その上、馬が二頭にテンが五匹と大所帯になる。『兎の後ろ足』貸馬車商会を通してヴェルニエかルラックに箱や樽、大袋で注文することが殆どなのだ。
アパルトマン暮らしの冒険者達も、食事は『魔晶石のかけら』亭で済ませるか、そうじゃなきゃ我が家と同じく『兎の後ろ足』貸馬車商会に注文を出して、数人で箱買い――共同で買い付けていた。
そもそも昼間のわたしは、お店が営業中でそう簡単には動けず、市が立っていても買い物に行けない。
もしかすると、家を出て暮らしなさいという条件は、商売のことよりもわたし自身の経験って意味の方が大きいのかもね。
それにわたしは、試練によって自分で仕入れることを禁止されているも同然だった。
だから、本来必要なはずのヴェルニエと往復する時間や仕入先との交渉に使う時間を、別のことに使わなきゃもったいなくもあり、上手く使うように考えなさいと仕向けられてもいるんだろうなって、思えてきた。
「ごちそうさま。美味しかったよ!」
「お粗末様でした。早速だけど、お茶飲みながらでいいから、聞いてね」
「うん」
テーブルを片付けてカミツレのお茶を淹れ、藁紙を広げる。
洗い物は後回しだ。
「頭に丸印を付けた注文書は、お客さんに聞いて回って確証も持てたし、ほぼ苦労なく売れていく商品なの」
「ああ、一ヶ月で売り切れる数じゃなきゃ駄目って事かな? ……この数字?」
「そうよ。在庫を抱えすぎても……試練には無意味になっちゃうからね。書き入た数量は十分に考えたものだけど、大口の方が安い時もあるから悩みどころだわ……」
丸印は、期間中に売り切れなくても、試練後に店先へと並べておけば、時間はかかっても売り切ってしまえるだろうという、どんなにまずい状況でも最悪の事態は避けられる優良な商品だ。
これは主に、ヴェルニエなら確実に扱っているけれど、注文しないとレーヴェンガルト領には入ってこない香味酒や銘入りワイン、南方産の香辛料や、王都の工房で作られた化粧品などである。
もちろん、数と一緒に、扱っているお店の名前と、目安になる仕入れ値や上限、下限も書いていた。『安すぎる』仕入値は、大抵『後から高くつく』問題も一緒におまけされるから、ちょっと恐い。
一応、ハルくんにも分かり易いように、藁紙を小さく切って一つの商品で一枚にしておいた。
「次に三角印の束ね。こっちは露天市場で運良く卸商や地元の農家さんが店を開いていたら、是非仕入れて欲しい物よ。無理に探すほどじゃないけど、あると嬉しいお品ね」
「うん、分かった」
ハルくんが読むのに合わせて注意事項を伝えていけば、もう馬車の出る時間になっていた。
これ以上は、詰め込み過ぎになるだろうし、商売には初心者のハルくんを混乱させてもいけない。
人を使う時には失敗なんてあるに決まってるし、そこはもう、自分自身の見習い時代と、レナーテに何をどう教えていったかを思い出せば、すぐに気がついた。
「こっちの赤い巾着袋は仕入れと行商鑑札の代金で、とりあえず四ターレル預けておくわね。もう一つの茶色の方は、ハルくんの宿代や食事、馬車賃が入れてあるから」
「あれ? ……二泊三日にしてはちょっと多すぎない?」
「仕入れた荷物のせいで個室に泊まって貰うことになるから、このぐらいは必要よ」
「ごめん、一人旅のつもりだったよ。……じゃあ、いってくるね、お嬢」
「あ、お見送りぐらいするって」
わたしもキューレを肩に乗せ、広場の駅亭まで連れだって歩く。
うちの弟ほどじゃないけれど、並ぶと結構背が高いハルくんだ。
「仕入れ、上手く行くかなあ……」
「そこまで心配しないで。今日明日で全部のお店を回って商品を揃えるのは、わたしどころかお婆様でも無理だもん。交渉の時間とか挨拶もあるし、こちらが欲しいだけの在庫を持っているかも、訪ねてみないと分からないもの」
「了解。……優先順位は丸印が先だったね」
「ええ、そうよ」
借りた家がある通りには、わたしの借りた家と似たような若夫婦向けの家だけでなく、大きな納屋付きの家が幾つも並んでいた。
その次の角を曲がれば大きな穀物倉庫兼取引所があって、もう村の広場だ。
「おはようございます、ザムエルさん」
「よう毎度! 二人とも、ヴェルニエ行きかい?」
「今日は僕だけです」
「こりゃ失礼。さあ乗ってくれ!」
ハルくんは、早速ザムエルさんに半グロッシェンを手渡して、一番前の木箱――座席に座り込んだ。
お客さんは、わたし達だけかな。
昼にももう一便、いつもはザムエルさんが走らせるシャルパンティエ発のルラック経由ヴェルニエ行きか、その逆があるから……って、あれ?
「ザムエルさんって、シャルパンティエとヴェルニエの往復便担当じゃなかったでしたっけ?」
領内で定期便になっている『兎の後ろ足』貸馬車商会の馬車便は四本、朝シャルパンティエを出てルラックをお昼に通って夕方ヴェルニエに着く便、その逆で朝ヴェルニエを出る便、ルラックを朝出てその日の内にヴェルニエと往復する便、そして、鉄の村フロワサールとヴェルニエを一日置きに結ぶ一本だ。
「ああ、馬車の入れ替えや休憩日で、時々ずれるんだよ。ほら、昨日の馬車と違って、こいつは錆止めの塗りが新しいだろ? ついでに俺も半休出来るってな」
「あ、ごめんなさい! それは知りませんでした」
ほぼうちの領内専業だけど、『兎の後ろ足』貸馬車商会は、全部で十輌少しの馬車と二十頭近い馬を持っているかなりの大店だった。
他にも、依頼を受けて大荷物を運んだり、領内のお店と契約を結び、仕入れの仲介と配送を任されている。
「ハルくん、これ、お昼の軽食ね。三食似たようなのになっちゃって、ほんとに申し訳ないんだけど……」
「え、あ、ありがとう! いってきます!」
「はい、いってらっしゃい」
「キューレ、お嬢のこと頼んだよ!」
ふぃ!
「出しますぜ! はいや!」
からからと走り出す馬車とハルくんに手を振り、見えなくなってから……今更ながらに、隠していた緊張を解く。
「ふう……」
ふぃあ?
「ごめん、キューレ。なんでもないわ」
試練に集中したいから、あんまり考えないようにしていたけれど……。
嫁入り前の娘が、他家の若様と一つ屋根の下で一夜を過ごしてしまったことについて……この『醜聞』の種をどう扱ったものかなと、ため息が出てしまう。
部屋はもちろん別にしていたし、聖神に誓って間違いはただの一つもなかった。
じゃあ、雇い主と護衛兼業の雇われ人だから大丈夫って言い訳が立つかというと、貴族の慣例に疎いわたしでも微妙だなと思ってしまうのが……ほんとに微妙だわ。
ハルくんと次に会えるのは、たぶん明後日かな。
その時までに、頬の火照りぐらいは誤魔化せるようにしておきたい。
「……帰ろっか」
ふぃあ。
今日の内に品物が集まるようなら、商品と一緒に明日戻るよう、予め頼んでおいた。
でもそこは東方辺境、望みの品が思うまま手に入るはずがないんじゃないかと、わたしの今一つ頼りにならない『商人の鼻』が告げている。
もしもヴェルニエの市場に問題があって、商品が大して集まらなかったとしても、明後日には一度ルラックに戻って貰うようお願いしていた。