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その後のシャルパンティエの雑貨屋さん ~ヘンリエッテと『領地の精霊』~  作者: 大橋和代


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第十四話「試練の下準備」

第十四話「試練の下準備」


 午前中の『魔晶石のかけら』亭の食堂は、早朝出のダンジョン出発組が出かけてしまうと、休憩日組の冒険者達がまばらに出入りするだけで、それほど忙しくない。


 裏ではお部屋のシーツの取り替えと、お洗濯やお掃除、夕食の仕込みなんかで大忙しなんだけどね。


「おう、俺らも何か考えておくぜ」

「楽しみにしてるからな!」

「お願いしますね!」


 ふゅあ!


 遅い朝食を食べにきた常連さんにも声を掛けつつ、わたしはハルくんを助手にして食堂の隅っこに陣取っていた。

 改めて考えるまでもなく、穴だらけすぎる予定に手を加えながら、頭を抱える。


「聞き取りの結果から今日中に商売の方向を定めて、明日から動き……動きたいなあ」

「どちらにしても、明日は一旦、ルラックに行くんだよね?」

「うん。……今のところはそのつもりだよ」


 商うものを決めたら、出来るだけ早く品物を発注してしまいたいところだった。


 わたしはレーヴェンガルト領から出られない約束で、ハルくんがヴェルニエに降りて品物を手に入れ、再び馬車で戻ることになるから、上手く目的のお品が仕入れられても最短でも二日遅れになってしまう。


「それにね、試練の中身の発表が一昨日だったから、昨日の今日じゃまともな商いが出来ないって、自分でも思うの。そこも詰めておきたいのよね……」

「……それも含めた試練、って?」

「ほんと、そうよねえ」


 今日は特に忙しい。


 丸一日使って聞き取りをしながら今後の予定を練り直し、空いた時間でヴェルニエの商工組合への手紙も書かないといけない。


 いつもお世話になっている仕入先のまとめ役なので、試練のお話と一緒にわたしの代理人であるハルくんの紹介と、必要な品物の仕入れを円滑に――。


「って、あっ、しまった!?」

「お嬢!?」


 今のわたしは、『地竜の瞳商会四代目店主ヘンリエッテ・フォン・レーヴェンガルト』じゃなくて、『行商人ヘンリエッテ』だ。

 行商鑑札にも、その名がしっかりと記されていた。


 もちろん、ヴェルニエの商人さん達には親しくして下さってる人も多いし、ご挨拶だけでなく商談に行ったこともある。


 でも、新たに仕事を始めたばかりの商人が、いきなり代理人を『紹介』するという行為には、ちょっと無理があった。


 普段なら、『地竜の瞳』商会やレーヴェンガルト家の名前がわたしの信用の大元になるけれど、今は試練中で、お店や実家のそれを使うのは、たぶんよくないことだと思う。


 なんの為に家を出されたのか、それを考えてないようじゃ……他の条件を達成出来たとしても、不合格を言い渡されてしまうだろう。


 それをハルくんに伝えれば、彼もああ、なるほどと、頷いてくれた。


「僕も今、修業中の身だからね。……家の名前を使いたくないのは、今のお嬢と同じかな」


 今のハルくんは『冒険者エーベルハルト』で、『エーベルハルト・フォン・エルレバッハ』という本当の名前は、実家からのお手紙を受け取る時ぐらいにしか名乗らない。


 ……ハルくんはわたしよりも一つ年下なのに、わたしよりもずっと早く一人立ちしてるんだったね。

 少しだけ、その横顔が大人びて見えてしまった。


「そっか、一緒かあ……」


 でも、仕入れが出来なくなると、完全に詰みだ。


 すぐに解決策は浮かんだけれど、これは予定外の手痛い出費になるなあ。


 ……もちろん、後から帳簿も提出するんだから、誤魔化したりは出来ない。


 よし、決めた。


「ハルくんには、さ」

「うん」

「ヴェルニエの行商鑑札を手に入れて貰おうと思うの。もちろん、レーヴェンガルト領のもね。わたしがお金を出すから」

「行商鑑札って、領地にもよるけど……結構高かったよね?」

「うん。普通は行商人からの徴税も兼ねるからね。ヴェルニエは確か、一ターレルだったかな」

「金貨一枚か……」


 わたしが試練の道具として与えられたレーヴェンガルト領の行商鑑札なら、半グロッシェンと駆け出しの商人にも無理のない……というか、ぶっちゃけると、行商鑑札にしては信じられないほど安い登録料にしてある。


 なんと、ヴェルニエの広場で露天市場にお店を出すのと、同じお値段だ。


 露天市場なら丸一日、それも決められた場所でしか商売出来ないけれど、行商鑑札なら期限は一年もあって、領内のどの街や村でも商いが出来る。


 ……なのに申請される数が年に数件と少ないのは、領内に街道を通る村がないのと、最低限の暮らしに困らない程度にはお店があるお陰だった。


 レーヴェンガルト男爵領は、人口も極端に大きいわけじゃないし、行商鑑札で得られる税収なんて、最初から期待できない。

 そもそもヴェルニエでさえ、入市税は免除で関税は馬車単位と、やはり中央や北方に比べて安くしてあった。


 うちとしては、ヴェルニエまで来た行商人達がついでに足を伸ばしてくれると、こちらじゃ注文取り寄せでいつ入ってくるか分からないような王都産の化粧品とか北方辺境の海産物とか、普段出来ない買い物が出来て嬉しいし、領地に住むみんなの顔もほころぶ。

 何より、冒険者だけでなく人の流れを増やしたいって考えの元、お安くされてるのだ。


 でも、行きはよくても帰りに仕入れるものがなくて、各地を巡回する行商人にはうま味が少ないんだよね、うちの領地って……。


 ついでに街道もなく領地は東方辺境の最南端で、素通りする旅人さえ期待できない。


 必要な食料や生活雑貨などの仕入れも、特産品として売られていく薬草や木工雑貨の卸売りも、『兎の後ろ足』貸馬車商会が間に入ってヴェルニエのお店と契約を結んでいる。そのお陰で山の際にある街の流通が安定しているから、これは仕方がない。

 

「……いいの、お嬢?」

「うん。ちょっと大きな出費になるけど、ヴェルニエからの仕入れは大前提だもん」

「それは最初に聞いてるから、反対はしないけど……」

「大丈夫、悪いことばかりじゃないよ。ただの露天じゃ扱えないお薬や金属器も売りに出せるわ。それに、レーヴェンガルト領のはともかく、ヴェルニエの行商鑑札なら、代官様が管理されてる周辺の王領からも仕入れが出来るから、選択肢が少し広がるもの」


 ヴェルニエの行商鑑札があれば、バルベルの青辛子(あおからし)とか、メスキダの煙草とか……確実に売れるお品が、直接仕入れられる。


 わたしが試練の為に何を商うのかは、今日の聞き取りの結果次第だ。

 但し、卸商に発注した商品を揃えて欲しいとお願いしても、必ずその日に手に入るってわけじゃなかった。

 ヴェルニエはこの近隣で一番の都会だけど、東方辺境は……運が悪ければ、注文品の取り寄せに数日掛かってしまうどころか、ひと月先なんて答えが返ってきても納得の田舎なのだ。


 でもその時間を使って、ハルくんにバルベルやメスキダに行って貰うことは出来そうだった。利益は小さいけれど、積み重ねれば馬鹿にならない。


「あ、ハルくんにもいいことがあるよ。わたしとの契約が終わっても鑑札は手元に残るし、商人との繋がりが出来るから、ヴェルニエで隊商護衛のお仕事が貰いやすくなるかもね。……って、そうだ、忘れてた」

「どうかした?」

「あのね、帳簿の付け方とか、商人同士のお約束とか……詰め込みになっちゃうけど、今日のうちに必要なこと覚えて欲しいなって」

「それはもちろん。仕事に必要な技術や知識なら、僕の方からお願いしたいぐらいだよ。後でも役に立つからね」

「お願い。ハルくんなら、一ターレルは四十グロッシェン、一グロッシェンは二十五ペニヒ……なんて、うちのレナーテに一番最初教えた時みたいにしなくても大丈夫だと思うけれど、確認も兼ねて、かなりの初歩から説明するよ」


 今日は時間が限られてる。


 ハルくんには早速、行商鑑札の申請にうちの店まで行って貰い、帰ってきてからは藁紙を取り出して、商品を仕入れる時の基礎を教えはじめたんだけど……。


「ああ、商人の帳簿は、領地の帳簿と収支の書き入れ順が逆なんだね。でもこれなら僕にも分かり易いよ。お嬢は教えるのが上手いね!」

「あ、ありがと……」


 理解力はマリウス以上だし、計算なんてわたしより早い。


 流石は中央貴族のご子息。

 わたしが一から教えたのは取引の時の注意や挨拶の口上ぐらいで、基礎はしっかりと出来上がっていた。




 ▽▽▽




 でも、その日の夕方。


「お嬢、『山の天気』さんにエールの中ジョッキ四つと鶏のシチュー二つだ!」

「はい、ただいま!」


 わたしは何故か、濃い赤の手ぬぐいを三角にして頭に被り、エプロンを翻しながら『魔晶石のかけら』亭一階の酒場を駆けずり回っていた。


「おーい、こっちにもエールの追加頼むわ!」

「すぐに行きます!」


 申し訳ないことにハルくんも厨房に引っ張り込まれ、地下の食料庫や酒蔵を忙しく往復している。今は小さな樽を椅子代わりにして、野菜の下ごしらえを手伝っていた。


「干し肉のライム添え、まだかー!」

「はーい、今持っていきます!」


 ……エールが一杯、ただで飲めるってお話『だけ』が広まってしまい、収拾がつかなくなったお陰である。


 噂になってくれたら嬉しいとは思っていたものの、噂が大きくなりすぎて、ゆっくりとお話を聞く暇なんて何処にもなかった。




 試練の旅立ち、その初日。


「おう、ご苦労さんだったな! また頼むぜ!」


 わたしとハルくんにはそれぞれ『給金』の一グロッシェンが手渡され、お財布からはエール代の七グロッシェン十一ペニヒが出ていった。


 ……心も体もくたくたに疲れたけれど、聞き出した幾つかのお品の名前は、辛うじて次の朝になっても覚えていた。


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