プロローグ「わたしのお店」
プロローグ「わたしのお店」
わたしの生まれ育った街シャルパンティエには、初代領主夫人の有名な言葉が語り継がれている。
この夫人、『洞窟狼の懐刀』などという二つ名まで伝わっている女傑で、借り物の店の女主人から男爵夫人にまで成り上がったという、とんでもないお人だった。
同時代の冒険者にして吟遊詩人『高山の薔薇』レオンハルトの傑作『シャルパンティエの物語』にも伝わるように、容姿可憐にして情に厚く、ダンジョン目当てにシャルパンティエの街へと集まった荒くれ者の冒険者達どころか、『小さな大王』と称えられる小国アルールの賢王リシャール二十六世までが頼りにするほどの人物だったという。
ところがある時、夫人を本気で怒らせた大馬鹿者がいた。
あろうことかこの大馬鹿者、『これ正に正道なり』という西方の格言を信条とする夫人の目の前で、時のシャルパンティエ領主――後に夫人の夫となる『洞窟狼』ユリウスであった――との誓約を、舌の根も乾かぬうちに破り捨てたのである。
夫人は気さくなお方ではあったが、それはもう、普段の姿をかなぐり捨てて怒った。
大馬鹿者を広場の真ん中に引っ立てて一度は正当なる国法に則って死罪を主張し、その上であらゆる理由を並べ立てて誰にも口を挟ませず、軽いながらも妥当と受け取れる立たされ坊主――周知刑のみの刑罰とすることを領主に認めさせたのである。
『次は守ってあげられないからね』
守るも何も、つるし上げたのは夫人自身だったが、最初から最後まで事態は夫人の手のひらの上で推移し、お陰で大馬鹿者は命を無駄に散らすこともなく……多少、肝を冷やしたかもしれないが、鞭や杖で打たれもしなかった。
夫人はその大馬鹿者を、知恵と機転で国法から守ったのである。
この一件以後、大馬鹿者は心を入れ替え、仲間を大切にし、日々鍛錬に励み、名を為したという。
その大馬鹿者の名はフランツ――シャルパンティエ出身の冒険者で、もちろん今なお『東の剣狼』として語り継がれる、あの大英雄フランツであるが……夫人には一生、頭が上がらなかったと伝わっている。
▽▽▽
「ヘンリエッテお嬢様もあれだな、店主の顔つきになってきたな」
「目指せ大奥様、ってか?」
「ふふ、まだまだですよ」
堅焼きパンの包みをカウンターに並べて数えながら、お客さんの軽口に付き合うのは、いつものことだ。
「まあ、冒険でも何でも、先達に追いつき追い越せってのは、俺達若いのの本領だからよ」
「お嬢も早く『次は守ってあげられないからね』って、言われるようにならにゃあな!」
「ありがとうございます。『雪豹の牙』さんも先輩方に負けないよう、頑張って下さいね!」
にやっと凄まれたので、にっこりと微笑み返す。
まあ、そのぐらいには仲のいい常連さんだからこその、くだけたやりとりだけどね。
ちなみにお客さんの口にした『次は守ってあげられないからね』、これは言葉通りの意味じゃない。
東方辺境の慣用句というか、若者が一人前扱いされるようになった時、乾杯の掛け合いや門出の言祝ぎにする言葉だ。他にも、失敗したけどきちんと反省してるね、次は頑張りなさいって意味で、子供の躾の褒め言葉に使ったりもする。
「ほいじゃ、ひのふのみと……一グロッシェンが二十五ペニヒになっから、あー……」
「赤の回復薬込みで、えっと、四グロッシェンと六ペニヒになります」
「おお!?」
「はっはっは、レナーテもちっこいのにやるなあ!」
「流石お嬢の弟子だ!」
午後からお店を手伝いに来てくれているレナーテも、最近じゃ、ちっこい方の看板娘として、常連さんにも顔を覚えられていた。
「はい、丁度頂戴いたしました!」
「おう、じゃあな!」
「ありがとうございます、お気をつけて!」
「今日はごゆっくり!」
明日は久々に山仕事――薬草取りの護衛にかこつけた駆け出し冒険者のお守りなので、昼食兼行動食になる堅焼きパンと、おやつ代わりの煎り豆や小早鱒の焼き干しを買いに来た中堅のパーティー『雪豹の牙』さんを送り出し、ほっと一息。
「『雪豹の牙』さん、最近は忙しいみたいですねえ」
「先月、パーティーの若手二人が赤銅のタグに上がったし、本気で上を目指してるみたいよ」
「行くのは地面の下の方が多いのに……」
「ふふ、そうよねえ」
実は大奥様ことシャルパンティエの初代領主夫人は、わたしのお婆様だ。
ついでに、ってわけでもないものの、お婆様のお店――冒険雑貨屋『地竜の瞳』商会シャルパンティエ本店も、叔母様、お母様と順繰りに受け継がれ、今では……まだ『見習い』の文字がとれてないけれど、わたしが四代目の店主として切り盛りしていた。
登録したての冒険者が、簡単な街仕事をこなしながら約束事や仕事のコツを覚え、徐々に腕を磨き経験を積むように、わたしもお店のお掃除から順に教わり、店番を任されるようになるまで十年近く、同じように頑張ってきたわけで……。
まだまだ頼りないと自覚してるけれど、お客さんのお相手はもちろん、仕入れに買い取りに帳簿付けまで、大体のお仕事はようやく自分だけで回せるようになってきている。
「じゃあレナーテは、『行商』よろしく!」
「はい、いってきます!」
「いってらっしゃい」
お菓子の入った肩掛け木箱を持たせて、見習いのレナーテを送り出す。
前に来ていたマルティナが一人立ちしてヴェルニエの大店に雇われていき、レナーテがうちに来てから、そろそろ一年になるのかな。
商売の基本が詰まっていながらも、それほど難しくないお菓子の行商は、うちのお店じゃ定番の見習い仕事だった。
わたしも彼女ぐらいの歳の頃、木箱を肩に掛けてお菓子を売り歩いた覚えがある。
仕入先は広場を挟んで向こう隣のパン屋『猫の足跡』亭、商売の相手は彼女の家でもある教会の孤児院や、お隣の冒険者宿『魔晶石のかけら』亭などのご近所さんで、心配はほとんどない。
「ふう。……ん」
カウンターを出て、小さく伸びをする。
店内を見回せば、冬の大雪に備えて小さめに作られた窓の向こう、井戸の近くで、子供達が羊を連れて草取りに励んでいた。