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閑話 『海戦』~重巡鳥海従軍記

以下は、重巡鳥海に報道班員として乗り込み「第一次ソロモン海戦」、「ルンガ沖夜戦」を経験した丹羽(にわ)文雄(ふみお)氏が、現場で見聞きし感じた内容を一般市民の目線で記した従軍記の抜粋である。


本書は発表されるやベストセラーとなったが、当時は刊行にあたり軍機に触れる部分が検閲により削除されていた。本稿では戦後に軍機解除となり、削除部分が復活した改訂版をもとにしている。(カッコ部分および明記部分が削除された部分)

挿絵(By みてみん)

昭和17年12月発刊 初版当時の表紙(定価 1円80銭)

---8月7日午後 ラバウル出撃


「ようこそ(鳥海)へ」


 息を切らして舷梯をのぼると舷門で馴染みの水雷長が出迎えてくれた。近くに機関長や軍医長の顔もある。


「また御厄介になります」


 私は皆にお辞儀すると改めて乗艦の挨拶をした。(鳥海)は私が(呉)から(トラック)にやってきた時に乗せてもらった艦である。つい先日の事なのに私は懐かしさを感じた。


 一緒に乗艦した他社の記者やカメラマン3人ととも士官室に荷物を降ろすと皆で甲板に出た。出航時間ギリギリだったせいか私達が気付かない内にいつの間にか艦は出航していた。待たせて迷惑をかけてしまったかもしれないと思い、私は申し訳ない気持ちになった。


 過ぎていく毒々しい緑色の島々と蒼い海という原色の世界を眺めながら、私は明日に控えた夜襲を思った。出航前に聞いた話では(ツラギ)に敵が上陸したらしい。強大な敵を撃退するためにこの艦は出撃していく。


 その死戦を私は兵と共にすることになる。報道班員にとっては千載一遇の好機である。果たしてどのようなものを見て感じることが出来るのか、私は不安を感じるどころが胸が高鳴っていた。




---8月7日夜 士官食堂にて


「良いのですか?無理に行く事は無いのですよ」


 士官食堂の端に用意された卓で夕食を済ませ寛いでいると水雷長が神妙な面持ちで話しかけてきた。


「我々はこれから敵艦隊に殴り込みを掛けます。おそらく生きては帰れない。もちろん我々は軍人なので覚悟は出来ていますが、あなた方は非戦闘員だ。無理に死地に付き合う事はない」


 水雷長は心配そうな目で私を見つめる。しかし私の気持ちは決まっていた。


「迷いはありません。内地を発った時から私も一応の覚悟をついているつもりです。身近に死が無かったせいかもしれませんが特に感慨もありません。むしろ陽気な気分なんですよ」


「人間、案外に最後は度胸がつくものなのですね」


 水雷長はしみじみと言った。


「久しぶりにやりますか?」


「いいですね。一局いきましょう」


 私は水雷長と下手な碁を打ち始めた。私も水雷長も腕は前と同じである。下手な囲碁をダラダラと打っていると食堂に二人の少女が入ってきた。


 二人は水雷長を見つけるとサッと敬礼する。水雷長もおうご苦労さんと言って答礼した。そしてその横に居る私に気付いてぺこりと頭を下げる。


「特務通信士の子達ですね。以前に居た子らと違う様ですが……」


「あぁ、彼女らは今回の作戦のために異動してきた子達だよ。長髪の子は(比叡)、髪の短い方は(長良)からだね」


 楽しそうに話をしながら食事を摂る様子は、軍服を着ている以外はごく普通の少女達である。どうやら髪の短い方が積極的らしい。あの中尉が恰好いいだの、あそこの少佐は素敵などと実に今時の女の子らしい話をしている。長髪の子は少々困り顔だが、それでも楽しそうに話を聞いている様だった。


 無礼とは思いつつ食事を摂りはじめた彼女達を横目で観察しながら私は気になった事を水雷長に尋ねた。


「つまり今、(鳥海)には特務通信士は4人乗艦している?」


「そういう事だね」


「彼女たちにも取材させてもらえますか?」


「いいですよ。彼女らの作業が終わったら時間をとりましょう」


 だがその機会は作戦のために、なかなか実現する事はなかった。



(---以下、検閲により削除---)


---8月8日未明 ブーゲンビル島南方 艦橋にて


 ブーゲンビル島の南まで南下した所で艦隊は一旦脚を停めた。特殊な索敵作業を行うとのことらしい。信じられない事に特別に私達も艦橋で見学を許された。


「敵反応……大4……小4……」


 そう言って長髪の子が虚空を指す。その方角を横の士官が測定し海図に記入していく。


「青葉よりーー方位ーー194ーー大4ーー小4ーーですーー」


 髪の短い子が言った。どうやら僚艦の青葉からの報告らしい。その情報も別の士官によって海図に記入される。どうやら彼らは三角測量の要領で敵の位置を探ろうとしているらしかった。


 その様子を私は驚きと共に見つめていた。


「司令、これで敵の配置は大体分かりました」


 海図から顔を上げた士官が報告した。その前にある海図にはこれから艦隊が赴くガダルカナル島とそこに至る途中の敵の情報が記入されていた。それは素人の私が見てもとても詳細な情報に見える。


「革命的だな。どうして今まで誰も思いつかなかったのか……」


「もう電探なんか要りません。これなら敵に一泡吹かせられます!」


 幕僚や士官たちの興奮した声が聞こえてくる。


 たしか特務通信士とは無線の様な職種ではなかったのか。だが今目の前で行われている作業は全く違っていた。まるで科学雑誌で見た電探の能力を数倍にしたかの様な役割を彼女たちは果たしていたのである。


「なんともはや……凄いですね」


 溜息をついて私は横に居る水雷長に感想を言った。素人の私には只々凄いという感想しか出ない。


「見るのは私も今日が初めてだよ。確かに凄い。戦争がこれで変わるかもしれんな。このやり方を思いついたのは司令なんだ。凄いだろう?」


 水雷長も驚いている様子だった。それよりも驚いたのが、このやり方を考案したのが三川司令だと言う事である。我が軍の将官の優秀さを垣間見た私は既にこの時勝利を確信していた。


(---検閲削除ここまで---)




---8月8日夜 決戦 艦橋にて


 食堂に行って早めの夜食をとる。今晩、艦隊はいよいよ敵がひしめくガダルカナルに突入する。戦闘に関係ない私でも、それを考えると武者震いがしてくる。記者という立場で戦いを見届けて内地に伝えるのが私の戦いなのだ。


 艦が傾き針路を変えたのを感じた。機関の音も高まっている。どうやら増速したらしい。いよいよ突入である。私は慌てて艦橋へと赴いた。


 艦橋には既に戦闘の緊張感に包まれていた。あの二人の少女も冷静に任務をこなしている。その姿を見た私は遅刻した上に一人興奮している自分を深く恥じ入った。


 艦隊は門番の駆逐艦を躱すとスコールを隠れ蓑に敵艦隊に接近していった。激しいスコールの中を艦は進んで行く。これを抜ければいよいよ合戦である。否が応にも緊張感が高まる。私は喉が酷く乾いた。食堂の氷水を無性に飲みたくなった。


「右砲戦用意。全軍突撃せよ!」


 スコールから艦隊が飛び出すと同時に三川司令が号令した。


 ついに戦闘である。そして数秒後に敵艦隊に次々と水柱があがった。突撃前に放った魚雷が命中したのだ。


「魚雷命中!オーストラリア型らしき甲巡に2!」


「魚雷命中!シカゴ型らしき甲巡に1!」


「魚雷命中!敵駆逐艦に1!更にもう一隻の駆逐艦にも命中1!」


 艦橋が歓声に包まれる。私も思わず声が出てしまった。(そんな中に少女たちの声が響く。二人の少女は皆の興奮をよそに淡々と敵情を報告していた)。そうだ戦闘は始まったばかりだった。私は気を引き締め何も見逃すまいと闇夜に目を凝らした。


 そして水偵から投下された吊光弾の明かりで敵艦隊の姿がくっきりと浮かび上がる。


「目標、敵先頭艦。撃て!」


 砲術長の号令で、ついに(鳥海)の主砲が火を噴いた。続いて後続の艦も火蓋を切る。辺りが轟音と閃光で満たされた。


 初めて体験する大砲の音と光に私は思わず縮こまった。だが艦橋の皆は当たり前だが誰も動じていない。あの少女たちも冷静に職務を遂行している。さすが少女でも中身は立派な帝国軍人だった。私は心の底から感心した。


 光を放ちながら敵艦に砲弾が次々と命中していく。(鳥海)の目標とした敵先頭艦は炎に包まれていた。流れ出した油も燃えている。敵艦からの反撃らしい反撃もない。戦いはまさに鎧袖一触である。一方的な戦闘はものの数分で終わってしまった。




---8月9日午後 帰路 士官室


 機関中尉が小さなラジオのダイヤルを調整している。暫しの悪戦苦闘の後、ラジオは海軍の行進曲らしき音楽を奏で始めた。


「よし、入った」


 中尉の喜びの声をあげた。士官室がしんと静まる。そこに居る10名ほどの士官らは皆がラジオの音に耳を澄ましている。私はラジオより皆のその様子の方に興味を惹かれた。


 しばらくして、ラジオから雑音混じりの声が流れてきた。


『大本営発表……帝国海軍部隊は八月七日以来ソロモン群島方面に出現せる敵米英連合艦隊に対して猛撃を加え、敵艦隊に壊滅的損害を与え目下なお攻撃続行中なり……本日までに判明せる戦果は次の如し……本海戦をソロモン沖海戦という』


 ラジオを聞いた士官らは一様に嬉しそうだった。はにかんだ様子の者も居る。意外な事に沸き立つような騒ぎはない。むしろ皆が喜びを深く噛みしめている様だった。


(特務通信士の)少女たちも手を取り合って喜んでいた。結局、ずっと戦闘配置にいた彼女たちの取材は叶わなかった。ラバウルに帰ってからなんとか時間をとって貰うように交渉しよう。


 数時間後、艦隊はラバウルへと帰り着いた。こうして私の始めての海戦体験は終わりを告げたのだった。




---8月12日 未明 再出撃


 先の海戦の興奮も冷めやらぬうちに、再び艦隊は出撃することとなった。敵艦隊に大損害を与えた今が敵に奪われたツラギを奪還する好機とのことだった。


 結局、ラバウルでの短い滞在時間にも少女たちに取材する事は出来なかった。なんとか帰路か帰還時に取材をしたいものだ。




 ---8月14日夜 ツラギ砲撃


 こそこそとガダルカナルへ補給しようとしていた敵艦隊を簡単に撃破すると、我が艦隊はツラギ奪回のために島に対して艦砲射撃を行った。


 目の前では島の形を変えようかと言う程の激しい砲撃が行われている。私はというと相変わらず大砲の音と光には慣れる事ができない。恐怖感は無いのだが生理的に私は耐えられないらしい。来ると分かっていても発砲の度に首がすくんでしまう。


 兵やあの少女たちは一体どうやってこれに慣れているだろうか。それでも私は報道班員として何も見逃さない様にと砲撃の様子を食い入る様に見つめていた。


 島の上に次々と爆発の閃光がきらめく。飛び散る火花は夏の花火の様に美しいが、きっとその下ではこの瞬間でも多くの敵兵の命が失われているのだろう。


(---以下、検閲により全文削除---)


 そしてここでも私は特務通信兵の能力に驚かされた。


「A3地点、西半分の反応消失。反応残り、凡そ80」


「苗頭修正、右二」


 長髪の子が冷静に敵兵の様子を報告する。それを元に砲術長が目標の修正をしていく。


「効果大なるを確認。残り8。反応薄い」


「五人はとっても苦しんでますーー。三人は意識が無いです……あ、一人消えましたーー」


「砲撃やめ。目標をA4地点に変更」


 特務通信兵の加わった砲撃は素人目にもまことに効率的なものだった。上陸部隊の陸軍大佐も感心のあまり言葉もない様子である。


 闇夜で、爆発の光しか見えない中で、彼女たちは正確に敵の状態を教えてくれていた。まさに広目天の千里眼もかくやと言う活躍である。


 彼女たちの伝える「数字」はすべて命の数である。島には二千ほどの敵兵が居るとの事だった。彼女たちの情報を元に、艦隊はその敵兵を一人残らず磨り潰そうとしている。


(---検閲削除ここまで---)


 いくら敵兵とはいえ彼女たちに苦悩は無いのだろうか?目を瞑って報告を続けるその表情からは何の感情も読み取れない。


 きっと私たち一般人と軍人は覚悟が違うのだ。以前に水雷長と似たような話をした時も、彼は死に物狂いで命令に従うだけですと言っていた。戦闘で死ぬことも敵を殺すことも彼ら彼女らはとうの昔に出来ているのだ。


 ふと見ると長髪の子の手が固く握り締められているのに気づいた。よく見ると唇もきつく結ばれている。やはり彼女の心中にも何がしかの葛藤があるらしい。それに気づいて何故だか私は少しだけ安堵した。




---8月15日午後 慰問会


 戦闘から一夜明け、食堂で昼食を済ませて一服している所に水雷長がやってきた。


「そう言えば特務通信士らへの取材を希望してましたね。直接の取材は無理ですが今日は面白い催しがあります。取材の代わりと言う訳ではないですが、行きますか?」


 当然ながら否も応もない。願っても無い話である。


「急な話で申し訳ない。なにしろ今朝、急に決まった事でしてね。もし行かれるならすぐに準備して下さい」


 私や他の記者たちは慌てて部屋へ手帳やカメラを取りに戻った。


「あぁ、言い忘れました。催しの撮影は禁止です。残念ながら」


 帰ってきたカメラマンの手にしたカメラを見た水雷長が言った。あからさまに落胆したカメラマンを尻目に、水雷長は私達を引き連れて艦の奥へ奥へと進んで行く。


「今から行くのは機関室です。手荒く暑いですから覚悟してくださいね」


 そう言って水雷長は笑った。そして続けて事情を説明してくれた。やはり理由と言うか原因は特務通信士の少女達であるらしかった。


(---以下、検閲により削除---)


 艦に特務通信士が乗る様になったのは日露戦争の頃からだそうだ。それまで男だけだった艦内で身近に女性の姿を見られる様になった事で、皆が心を癒されより一層職務に励むようになったらしい。


 もっともその様な贅沢に浴せたのは当然ながら特務通信士が勤務する司令部や通信科だけである。それでも艦橋周辺や上甲板の科ならば彼女らの姿を目にする事も多く十分な癒しになっていたそうだ。


 だが艦の奥底にある機関科は違っていた。薄暗くボイラーと機関の発する高温と轟音に支配されたそこは正に地獄である。機関科の人間はその地獄から出る事がない。当然ながら彼らが特務通信士を目にする事など有るはずもない。


 その上、機関科は他の兵科から数段低く置かれていたそうだ。酷い話だが階級も制服も指揮権も兵科と完全に区別されていたという。これに特務通信士の件も加わった結果、機関科の不満は頂点に達してしまった。


 大正デモクラシーと結びついた兵機一系化の要望は大きな騒動となり、大正13年(1924年)、ついに兵科と機関科はまったく同じ扱いになったのだという。


「その話は私も存じています。当時は新聞や雑誌でも随分と大きく報道されましたから、よく覚えています」


「それでまぁ、建前上は平等になったんですが……」


 制度の上では兵科と機関科は同じとなったが、やはり差別は依然として残っていたらしい。その証拠に制度改正から20年近く経った今でも機関科出身の将官は誕生していないそうだ。


 まぁ機関科の将兵に、いざ兵科と同じように働けと言っても無理な相談である事は素人の私でも判る。だから建前でも平等となった事で機関科はある程度は満足していたらしい。


 しかし彼らがどうしても譲れない事があった。特務通信士を見れない事である。昭和に入り特務通信士の徴兵年齢が引き下げられ可憐な少女達が艦に乗る様になった事でこの問題は再燃してしまった。


 それで昭和11年(1936年)の二・二六事件を契機に、機関科の不満を少しでも和らげるため特務通信士の慰問が定期的に行われる事になったという訳である。


「慰問会は月に一回行われています。しかし今月は作戦の連続で中止と言う話が出ていました。それで激怒した機関科が実施を強硬に求めて来て……いや~お恥ずかしい話ですが、本当の事を言うと危うく反乱騒ぎになる所でした」


 おっとこれは軍機ですよと言って水雷長は笑った。娯楽が少ない上に特に環境の厳しい機関科では、月に一度の慰問会は何にも増して重要なのだろう。それが中止などとは例え作戦が理由であろうと機関科として断じて認められない事だったらしい。


(---検閲削除ここまで---)


「それで急遽、今日のこれから慰問会が開催される事となったんですよ」


 水雷長の説明に私たちはなるほどと相槌をうった。艦底に近づくにつれ気温と湿度がぐんぐん上昇している。既に私は上着を脱いでいたが顔から汗が滴っていた。こんな環境に閉じ込められれば慰問会の様な息抜きでも無ければ到底やって行けない、それが私にも実感できた。


「ここが機関室です。先に言っておきますが……色々と覚悟してくださいね」


 含みのある言葉とともに水雷長が水密扉を開けた。音と熱気が一段と増しす。しかも扉を抜けた先は機械から発するだけでは説明できない異様な熱気に満たされていた。


 床や機械の隙間や果ては犬走り(キャットウォーク)にまで人が鈴なりとなっていた。扉から入ってきた私達に向けて失望や呪詛の声が投げかけられる。どうやら目的の少女達がやってきたと勘違いされたらしい。


「いやいや、無理言って申し訳ない」


「いやいや、これも機関科を知ってもらう良い機会ですから」


 水雷長が機関長に挨拶し、私たちは最前列の特等席とも言える場所に案内された。背後からやっかみの罵声を浴びながら床に座ると、やっと私は落ち着いて機関室の様子を観察することが出来た。


 機関室は様々なものや横断幕で飾り付けられていた。演壇にあたる場所は木箱で一段嵩上げされており、驚く事に移動式の拡声器や蓄音機まで持ち込まれている。


「あれは艦の備品なんですよ。慰問会は機関科以外の各課でも順番に行っていますから」


 私の視線に気付いた水雷長が親切に説明してくれた。航海科や通信科など艦橋勤務の部署に慰問会は無いらしい。道理でこれまで私が慰問会を目にする事が無かった訳である。


 しばらくして私たちの入ってきた扉が開いた。機関室が一瞬しんと静まる。そして甲板士官と衛兵に守られた二人の特務通信士の少女が入室してきた。それは以前に食堂で出会った二人だった。


「「「「「うおおおおおおおおおおーーーーー!!!!!」」」」」


 機関室が雄叫びの様な歓声で文字通り揺れた。その迫力に少女達は一瞬たじろぐが、もう慣れているのだろう、すぐに笑顔で手を振りながら壇上に向かう。


「機関科の皆さん、こんにちは~!遅くなってごめんなさ~い!毎日お仕事お疲れ様です~!」


 二人は壇上にあがると笑顔で挨拶した。いつもの軍服姿ではない。上は水兵服の様だが半袖である。下に至ってはなんと女学生の様なスカート姿だった。膝より少し下という短めの丈である。おかげで彼女たちの若々しい足が良く見えた。私はあちこちで唾を飲む声が聞こえた様な気がした。

挿絵(By みてみん)


「あの格好が気になりますか?」


「はい。まぁ……なんというか、軍人と言うより……まるで女学生ですね」


 水雷長の問いに私は率直な感想を答えた。でしょうね、と水雷長は笑う。


「慰問会では歌ったり踊ったりしますからね、第二種軍装より動きやすい様にという配慮です。それに艦内は大体暑いですから。でも一番の理由は階級をあやふやにする事です。一応は彼女らも尉官なのでね。階級を気にしたら彼らも楽しめないでしょう」


 そう言って水雷長は背後の機関兵たちを眺めた。確かにもっともらしい理由に聞こえるが、あの格好はきっと何処かの誰かの趣味に違いない。まったく良い仕事をしたものだ。私は心の中で笑って誰かさんに賛辞を送った。


「今日は報道班が来てるから羽目を外し過ぎるなよ!後はくどくど言わん。楽しめ!」


 機関長の乱暴かつ極めて短い開会の辞により慰問会は始まった。


 少女たちは機関科の苦労を労う話を挟みながら3曲の歌を披露した。いずれも巷の流行歌である。彼女らは私達と同様に汗だくになっていたので、私は脱水症状で倒れやしないかと冷や冷やしながらそれを見守った。


「大丈夫すよ。これくらいで倒れる事はありません。彼女らも軍人ですからね、一通りの教練は受けてます。あなた達よりよほど丈夫だから安心して楽しんでください。」


 心配そうな私の表情を見た水雷長がそう言って笑った。


 慰問会自体は大盛況だった。美ち奴(みちやっこ)や二葉あき子、李香蘭もかくやという人気ぶりである。


 その沸き立つ観衆の一部に珍妙な集団が居た。歌に合わせて変わった合いの手を入れ、磨き抜かれたスパナを両手に奇妙な踊りを披露している。妙に統制がとれているのが実に軍隊らしい。


「TT同好会とか言うらしいですよ。あれは缶芸(かまげい)とか言う彼ら独特の()()だそうです」


 少女そっちのけで、私はあっけに取られてその奇怪な集団を見つめていた。それに気付いた水雷長が苦笑しつつ教えてくれた。


 水雷長によると、その名の通り特務(T)通信士(T)の少女を愛でる同好会との事だった。彼女らを目にする機会の少ない機関科や陸戦隊を中心に結成されているとのことである。


「あの長髪の子が(比叡)から来るとわかった時は、それはそれは大騒ぎでしたよ。何しろ戦艦乗務は花形ですからね。彼らの中では以前から大層人気があった様です。都落ちだと嘆く一方で、出会える幸運に咽び泣く者も沢山居たそうです」


 壇上の少女らの歌と踊りを眺めつつ水雷長が言った。


(---以下、検閲により削除---)


 特務通信士にも「格」というものがあるらしい。戦艦や鎮守府の特務通信士は戦国時代から続く由緒ある古い導術家で占められている。一方、小型艦や古い艦は格が落ちる。そちらは昭和になって増えた新導術家の出身者が多いそうだ。


「ああやって単純に楽しんでいる内はいいんですがね……」


 奇声をあげて缶芸をつづける同好会を見つつ水雷長は眉を顰めた。


 最初は各艦の機関科単位で始まった同好会も今ではかなりの規模をもっており、鎮守府ごと、艦隊ごとに組織化されているそうだ。横同士の繋がりも強く、各艦の特務通信士の情報はすべて網羅、共有化されているらしい。内部ではプロマイドの様なものまで売買されているとの事である。


 同好会には陸戦隊という武力も加わっているため機関科の発言力は増しているらしい。それでは海軍の上層部がこの集団を警戒するのも無理はない。私にも水雷長が眉を顰める理由が良く理解できた。


(---検閲削除ここまで---)


 歌が終わると少女達は壇上から降りた。


「「「「「うおおおおおおおおおおーーーーー!!!!!」」」」」


 ふたたび機関室が雄叫びで満たされる。そして少女らは機関科一人一人と握手をしはじめた。希望する者には私物に名前や言葉を書いてあげている。その横では衛兵と甲板士官が列を整理し名簿で不正がないか確認している。


 握手を交わす少女らの笑顔は若干引き攣っている様に見えたが、機関科兵らは皆とても嬉しそうだった。中には手を放そうとしない者や抱き付こうとする輩も居る。衛兵も慣れているのだろう。そういった不届き者は手際よく引き離され隔離されていた。


(---以下、検閲により削除---)


「まぁ悪い事ばかりじゃ無いです。ああやって一人一人握手するのも理由があります。あれで艦内の風紀は随分と良くなったんですよ」


 微妙な表情で水雷長は裏事情を教えてくれた。


 その昔、海軍では私的制裁が蔓延っていたそうだ。私もそれは聞いた事が有る。だが水雷長の話では、今ではそれも随分と影を潜めたとの事である。


 慰問会が始まった頃は私的制裁が当たり前の時代だった。その中で酷い様の二等兵を見つけた少女が彼に理由を質し、答えに躊躇する様子から理由に気付いた。


 きっと優しい子だったのだろう。私的制裁なんて酷い。かわいそう。そんな所へは慰問したくない。そう少女が零した事で事態は大きくなった。慰問会の中止が取沙汰され始めたのである。


 当然ながら制裁を行った上等兵は皆から責められた。慰問が中止になれば自分は殺されるかもしれない。青褪めた上等兵は次の慰問会に制裁した二等兵を病気と偽って出席させなかった。だが件の二等兵が医務室に居ないことで嘘はすぐにばれる事となる。その結果、問題の上等兵は僻地へ異動となったそうだ。


 似たような事が各所であった事で私的制裁の禁止があらためて全軍に通達された。こうして慰問会を失わないという理由で私的制裁は下火になっていった。そして会場整理を名目に一人一人の状態を名簿で確認する仕組みが定着していったそうだ。


「相変わらず銀蠅の方は無くなりませんがね。むしろアレで一層酷くなったかもしれません」


 再び水雷長は苦笑した。会場の飾りつけは艦の備品ではないそうだ。慰問会の後は宴会もあるだろう。それでは盗難も増えるはずだ。私はとても納得した。


(---検閲削除ここまで---)



---8月16日午後 ラバウル到着前


 ラバウルに入港する直前に、私たちは漸く少女たちの取材をする機会を得た。元から(鳥海)に居た特務通信士は今は当直との事で、取材できたのは例の慰問会で歌っていた少女二人だった。それは私たちにとっても好都合だった。


 話をしてみると、二人は至って普通の少女であった。もちろん軍務に関しての質問には紋切り型の答えしか返ってこないが、それ以外の事には端々に年齢相応の女の子らしさが見て取れた。


「では最後に。お二人の将来の夢はどんなものですか?」


「はーーい、私は早くお嫁さんになりたいです!そしてたくさん子供が欲しいです!」


 髪の短い方の子は手を上げて答えた。その幼い子供の様な仕草と答えに私は思わず笑ってしまった。


「まだ結婚とかは考えられません……でも実家に帰ればお見合いを勧められるかもしれませんが……私は今は出来ればもっと自分の力を生かしたいです」


 長髪の子は少し考えて答えた。古い家の出らしい事情と自分の気持ちの間で揺れている様だった。


(---以下、検閲により削除---)


 導術士の数はとても少ないらしい。このため次代育成のために結婚したら除隊するのが習わしとなっているそうだ。それが彼女らの様な年で徴兵される理由にもなっている。


(---検閲削除ここまで---)


 色々と環境が整えられているだろうが、それでも軍隊は女性が働きにくい職場には違いないだろう。なのに彼女は軍に留まりたいと言っている。


 こんな年端もいかない子らが御国のために頑張っているのだ。自分も報道の力で頑張ろう。私は恥ずかしそうにカメラの前でポーズをとる少女らを眺めながら決意を新たにした。

著作権の問題も有るので原作の文章は使用せず展開も変えておりますが、原作の雰囲気を出来るだけ再現したつもりです。


これにて『魔女たちの艦隊』はまた一旦完結にしたいと思います。

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