第二話 星の民
導術の歴史について説明します。
---尾張国 那古野城下
「この無礼者が!」
「お許しください……お許し下さい……」
天文一二年(1543年)。隕星沼沿いの道の真ん中で破落戸のような風体の男達が声を荒げていた。その前では一人の少女が地面に額を擦り付け命乞いをしている。
少女は河原者の一人らしかった。頭まで覆った襤褸から見える手足は細く薄汚れている。どうやら空腹でふらついてこの男達にぶつかってしまったらしい。
当然ながら彼女を助けようとする者は誰も居ない。周囲の河原者らは息を潜めて成り行きを伺っているだけである。少女が殺されれば、その身に纏う襤褸を剥ぎ取るつもりなのだろう。
「下賤な分際で若の服を汚しおって!」
男の一人が抜身の刀を女に付きつける。
「よさんか新介!」
この集団の頭目らしい男が止めた。声が甲高い。見ればまだ少年である。茶筅髷に派手な湯帷子を片肌で羽織るという傾いた格好だが、その外見とは裏腹に言葉遣いには上品さが感じられた。
「女、それでは顔が見えん。顔を見せよ」
若と呼ばれた男、名を吉法師、後の織田三郎信長はすっと少女の前にしゃがみ込んだ。女は更に身を縮こませ許しを乞う。
「見せろ」
信長は少女の顎をつかみ無理やり頭を持ち上げた。そして頭を覆う襤褸を剥ぎとる。
「あっ……」
襤褸の下から現れた顔は整っていた。もう少し肉がついていれば美人と言えるかもしれない。だが信長の視線は少女の顔ではなく額に注がれていた。そこには赤い宝石の様な石が貼りついていた。
「ほぅ……星の民か。初めて見るな」
そう言うと信長は無造作に額の石を指でつまみ、グイと毟り取ろうとした。
「痛い!痛い!お止め下さい!お許しください!」
「噂どおり貼り付けている訳ではないのか。女、それはお前の身体の一部か?」
信長は石から手を放した。解放された少女は再び地に頭を擦り付ける。
「こら!若の質問に答えんか!」
土下座し許しを請う言葉をひたすら繰り返す少女に痺れを切らした郎党らが怒鳴った。
「わ、我が身の一部でございます……」
震えながら怯えた声で少女は答えた。信長はその姿をじっと見つめる。そして突然腰の脇差を抜くと少女の首に付きつけた。
「それで女、どこの手のものだ?」
信長が低い声で問うた。突然の事に後ろの郎党らは驚くばかりで反応もできない。だが逆に少女の方は驚く様子もない。おこりの様だった震えも止まっている。
「答えぬなら殺す」
「どこに与する者でもありませぬ。今は」
刀を付き付けられているにも関わらず、これまでと打って変わった落ち着いた声で少女は答えた。突然空気が変わった事に背後の郎党らもようやく慌てて刀の柄に手を掛ける。
「今は、だと?目的は?」
「我ら一族をお雇い頂きたく」
少女の言葉に背後の郎党らが馬鹿なとか巫山戯るなとか罵声をあげた。信長は片手でそれを制すると土下座し続ける少女をじっと見つめた。
「ほう。何が出来る?その額の石は飾りではあるまい」
信長は面白い物を見つけたかの様に薄く笑った。
「我らは忍仕事はできませぬ。しかし人の気配を探る事ができまする。それと一族同士なら離れた所から話ができまする」
「何人いる?」
「一族は100余名。力を使えるのは女のみ30人程でありまする」
「なぜ俺の所へ来た?」
「あなた様に仕えれば道が開かれるとの卦が出ました故」
「女、名は何という?」
「霧と申しまする」
信長は刀を腰に戻すと立ち上がった。
「よかろう。霧とやら。三日後に我が城でその力を見せよ。その話が真ならば召し抱えよう」
そう言い残すと信長は土下座を続ける霧を残して去っていった。こうして星の民と呼ばれる者達は信長に召し抱えられることとなった。
---戦艦 比叡 司令官室
「その頃はまだ銀板は使われていなかったと聞いています……これが無いとせいぜい数キロ程しか力が届きません」
そう言って静子は鉢金を外した。額の鮮やかな赤色の石が露わになる。
「ほう……それが有るだけで随分と変わるものなのだな」
三川は鉢金より静子の額の石の方を興味深げに見つめた。
「はい。逆に当時は銀板が無かったので導術は索敵より連絡に使われたそうです」
星の民を召し抱えた当初、信長は彼女らを物見にも使っていた。しかしすぐに伝令と身辺警護にしか使わなくなった。
静子の言う通り、彼女らの力が及ぶ範囲はせいぜい1里程度に過ぎなかったからである。ならば居るか居ないかの気配だけでなく直接詳細な情報の掴める普通の物見の方が役に立つのは道理である。
だが敵意を持つ気配に気づき、即時通信が出来るという力は有用だった。召し抱えられて間もなく、星の民は自然と信長や幹部武将の伝令と警護が主な任務となっていく。
このため星の民の力はいつの間にか「導術」と呼ばれる様になった。そしてそれを扱う彼女らも「導術士」と呼ばれるようになる。
信長の傍には常に霧が付き従っていた。イエズス会のルイス・フロイスがインド管区長アントニオ・デ・クアドロスに宛てた書簡の中で、フロイスは次の様に報告している。
『信長は自らを第六天の魔王、すなわち諸宗派に反対する悪魔の王と称した。魔王は常に傍らに魔女を侍らせている』
本能寺で信長が最期を迎えた時も霧は最期を共にしたと伝わっている。
その後、導術士は豊臣家、次いで徳川家と時の政権でも引き続き重用された。
「江戸時代に銀板が発明されてからは、導術の利用が拡がりました」
「たしか電報みたいな使われ方をしていたらしいな。俺が子供の頃にはまだ近所に導術通信所があった」
「はい。その通りです」
江戸期に入る頃には大名だけでなく市井の有力商人も導術士を雇い私的通信に用いる様になっていた。そして江戸中期になり額の石に銀板を接触させると能力の届く範囲が大きく拡がる事が発見された事で活用に弾みがつく。
銀板の発明から間もなく、全国に導術通信所が置かれ電報に似たサービスが行われる様になった。そして直筆文書や物品の運搬をする飛脚と自然に棲み分けが出来ていった。
リアルタイムに近い通信が可能となった事は商取引にも大きな変化を齎した。例えば堂島を中心に全国の米会所が導術通信で結ばれ米の先物取引が全国規模で行われる様になった等である。
遠隔地間での取引量が拡大した事から標準米の使用等、戦前とほぼ同じ取引ルールがこの頃に形成されている。もっとも制度が整備され取引が活発になった事は過剰取引を誘発し、何度も米騒動と取引停止を誘発している。
そして明治に入り日清戦争で艦隊内の意思疎通の重要性を痛感した日本海軍は、導術士を隊内通信に使用する事を決断した。
当然ながら軍艦に女性を乗せる事に大きな反発も有ったが、黄海海戦の無様な経験と試験運用の良好な結果が反対意見を封じて行った。
基本的に艦内は男しか居ない閉鎖空間である。そのため運用当初は不幸な「事故」がいくつか発生したが、様々な対策により現在ではその様な不祥事は皆無となっている。
例えば導術士に特務少尉の階級と専用の部屋が与えられている事もそう言った対策の一つであった。
尚、陸軍も部隊での導術利用を一時検討したが、軍艦と違って完全な安全対策を取る事ができないという理由で断念されている。
その後、技術の発達で一般の通信が無線に置き換わった後も、傍受や妨害を受けないという利点を持つ導術通信は引き続き海軍で運用され続けている。
当然ながら導術の存在と女性が日本の軍艦に乗っている事実は、ほどなく諸外国でも知られる様になった。
だが非科学的なものを信じない西欧諸国は導術をシャーマニズムと同一視し、特務通信士も慰安が目的なのだろうと考え、日本の後進性を示すものとして蔑んでいた。
「おかげで私達の様なものまで駆り出されて……あ、も、申し訳ありません!大変失礼しました!」
「無理強いしているのは軍の都合だ。むしろ謝るのはこちらの方だ」
失言に気付いて慌てる静子を三川は宥める。
「導術士の数は限られていますから……仕方の無い事だと理解しております……」
導術の利用が拡大した事で問題となったのは導術士の数であった。
導術士の数は非常に少ない。信長が霧の一族を召し抱えた当時、導術士の数は日本全国でも100人程であったと考えられている。
そのおよそ三分の一が尾張周辺に集中していた。正確には現在の名古屋クレーターと呼ばれる地形の周辺である。
そこは現在では埋め立てと造成が進み周辺の地形に溶け込んでしまっているが、当時は隕星沼と呼ばれる直径2kmほどの円形の沼であった。
不思議な事に導術士はその沼の外縁に沿った地域でしか生まれなかった。導術士は導術士を母に持つ女性にしか発現しない。しかも幼少期の一定期間をその地で暮らさなければ例え石が額にあっても満足に導術を使える様にはならなかった。
これが導術士が少ない理由だった。
前述の制約は導術士の間では経験則として知られていた。既に江戸時代の初期には隕星沼周辺にいくつかの養成所が開設され組織的な導術士の育成が始められている。
そして江戸中期に銀板の発明と共に導術士の需要が急増したことで更なる導術士の増加が望まれた。そこで全国調査が行われ、九州と北海道にも同様の地が見つかった。
九州では有明湾北部の湾岸に候補地が見つかった。記録によれば戦国時代後期までは導術士が居た事が判っている。しかし九州の諸大名はその能力を用いなかった上に、宣教師から魔女と認定され迫害を受けた事から江戸時代に入る頃には絶滅してしまっていた。
北海道についてはアイヌの祖霊信仰と一体化していた。巫女の正確な予言により戦術的な優位を確保し江戸初期の徳川幕府の支配に頑強に抵抗した事が知られている。このため松前藩により徹底的に弾圧され現在では巫女の一族はごく僅かしか残っていない。
ちなみに過去には欧州にも導術士が多数存在していたと思われるが、中世の魔女狩りで徹底的に狩り出され現在では一人も残って居ない。
北米でもアイヌ同様に導術がインディアンの原始宗教と一体化していたが、インディアン狩りと居留地に追われた事で既に力は失われていた。
つまり世界で導術士を擁し運用しているのは日本のみであった。こうして江戸中期には北海道と九州にも養成所が作られ導術士の大規模な育成が行わる事となる。
その様な歴史的な努力もあり、太平洋戦争直前の時点では女性人口のおよそ0.05%、約18,000人の導術士が国内に存在していた。
もっともこれは老人から子供までを含めた数字である。徴兵年齢にあたる20歳から40歳の人数は4,000人程でしかない。しかも次代育成のため結婚した導術士は基本的に軍務を離れる事になっている。
そこで海軍は導術士に限って徴兵年齢を15歳に引き下げる事を決断した。こうして現在ではおよそ1,800名ほどの静子の様な少女らが海軍で働いている。
「それで、なぜその力を今まで黙っていた?」
「申し訳ありません。隠していた訳では無いのですが……普段の通信任務と索敵では力の使い方が全く違うので……」
「力の使い方だと?」
「はい。説明が難しいのですが……通信任務の受信待機中はこう、全部の方向から吸い上げる様な感じで意識を集中します。送信の場合は逆に全周に対して意識を飛ばします」
そう言って静子は大きく手を拡げながら説明した。
「索敵も送信と同じように意識を飛ばしますが通信と同時には出来ません……それに全周を一度に探ろうとすると距離がとても短くなります。せいぜい10海里程でしょうか……」
三川は黙って頷き続きを促す。
「しかし意識を細く絞って一方向にだけ飛ばして、それをぐるっと回せば大幅に距離を伸ばせて、かつ全周を索敵できます」
そう言って静子は伸ばした手を頭の上で一周させる仕草をした。
「ホースの口を絞って遠くへ水を撒く要領か。なるほど理解した。それでどのくらい遠くまで索敵できる?」
自分なりの形で理解したらしい三川は、肝心の「性能」を訪ねた。
「自分の場合は意識を絞るやり方なら400海里(約740㎞)ほど先まで視れます。しかしこのやり方だと判るのは方角と人の多寡くらいで……正確な距離までは測れません……」
「400海里だと!」
静子の答えに三川は色めきたった。
三川が驚くのも当然のことである。母艦航空隊の進出距離は日米ともに凡そ150海里前後でしかない。索敵任務でも200から300海里が精々である。
つまり静子の言う「性能」が本当ならば、日本が恐れる敵の航空攻撃はおろか発進元の空母の位置まで特定できる事になる。
「それは君らなら誰でもできる事なのか!?」
掴みかかるような調子で三川は静子の両肩を掴み問い質した。
「きゃっ!も、申し訳ありません。分かりません……何しろ自己流でやっている事なので……導術通信学校でも教えられていません……ただ似たような事をやっている同僚は居ると思います」
三川のあまりの食いつきに静子は少し引いた様子で答えた。
「おっとすまん……だいたいの事情は判った。トラックに戻ったら特務少尉には少々働いてもらう事になる。そのつもりで居てくれ」
これまでの遣り取りで何か閃くものがあったらしい。自分の態度を詫びた三川はもういくつか不明点を確認すると静子を部屋に返した。そして思いついた事を手帳に書き留めはじめた。
当たり前ですが愛知県に隕星沼などありません。
元服前ですが便宜上、信長と表記しています。
次話でいよいよ三川艦隊がガダルカナル島へ突入します。