第一話 ソロモンの魔女たち
---ブーゲンビル島西方 重巡 鳥海
1942年(昭和十七年)8月8日払暁。東の空が薄紫に染まりはじめた海上に大小の艦艇が停泊していた。
「敵反応……大4……小4……」
照明が最低限にまで落とされた薄暗い艦橋内に、落ち着いた、そして凛とした女性の声が響く。
声を発したのは若い女性であった。年の頃は15、6歳くらいであろうか。士官の制服に身を包んではいるが、まだ少女と呼んだ方が良い見た目である。
その少女は声を発すると同時に目を瞑ったまま虚空を指した。その指の示す方位を横に立つ航海科の士官が素早く測定する。
「方位、192」
別の士官がその情報を元に素早く台上の海図に線を引く。
「青葉よりーー方位ーー194ーー大4ーー小4ーーですーー」
別の少女の声が艦橋内に響いた。遠くからの声を聞き取ろうとしているのか、その声は間延びしている。やや舌足らずの声だが声の主は先程の少女と同じくらいの年頃である。
それは鳥海の西方10海里(約18km)に停泊する重巡青葉からの通信だった。その情報もすぐに士官の手で海図に反映された。二方向から引かれた直線が艦隊前方の一点で交差する。
彼らは何らかの方法で遠方の敵を探知し三角測量の要領で敵の位置を探ろうとしていた。
「司令、これで敵の配置は大体分かりました」
海図から顔を上げた士官が報告する。
海図の上にはガダルカナル島、サボ島周辺の敵の動向が詳細に記されていた。先の様な作業が継続して行われた結果、海図上には敵艦隊の位置どころか周辺の敵潜水艦や索敵機の情報まで記されている。
その範囲はおよそ半径400海里(約750km)、作戦の目的地であるガダルカナル島の南側海域まで及んでいた。島の影になった海域にまで情報が書き込まれている。
それどころか付近の海中に潜む敵潜水艦や哨戒機らしき反応すら見つけていた。このため海軍陸戦隊を運ぶ第八艦隊輸送船団にも警告が出されている。
電探の実用距離はせいぜい20㎞前後しかない。しかも陸地や天候の影響を強く受ける。熟練の夜間見張員でもせいぜい10㎞程度しか見通せない。
それに比べ目の前の少女達は遥かに遠い距離で島影や水中まで探っている。素人目でもその優位性は明らかだった。
「理屈では分かっていたが……凄いなこれは」
「革命的だな。どうして今まで誰も思いつかなかったのか……」
「もう電探なんか要りません。これなら敵に一泡吹かせられます!」
海図台を覗きながら幕僚や士官らが興奮気味に話す。
その声に頷きながら第八艦隊の司令長官、三川軍一中将はそれを成し遂げた少女達を見た。そしてすぐに目を逸らす。その目には僅かに後悔の色があった。
少女らが戦場に駆り出されるのは今回が初めてではない。日本海軍はもう30年も前、日露戦争の頃から軍艦に女性を配置している。
そして敵の砲弾は常に平等である。その命中する先に男女の差は無い。勝利した日本海海戦でも、先日大敗を喫したミッドウェー海戦でも少女達が命を散らしている。
しかもあの能力はごく限られた一部の女性しか持っていない。幾人もの少女達をミッドウェーで失った日本海軍は、艦だけでなく宝石よりも貴重な少女達の損耗も恐れていた。
それを説得し、各方面から少女達をかき集め、この危険な任務に連れ出したのは三川である。
三川は後悔していた。それが貴重な資源とも言える少女らの損失を恐れるものか、それともうら若い彼女達への憐憫の情なのか、三川自身にも良く分かっていなかった。
いずれにしろ、ここまで来たならばもう後戻りはできない。確実に戦果を挙げ、また彼女らを無事に連れ帰らねばならない。再び少女らに視線を戻した三川は決意を新たにしていた。
「敵の戦力は凡そこちらの倍という所ですね」
参謀長の大西新蔵少将が言った。隣に立つ先任参謀の神重徳大佐も唸り声をあげる。敵の戦力は事前の想定よりは少ない。それでも大きな戦力差が有る事は間違いなかった。
日本側の戦力は寄せ集めの重巡5、軽巡2、駆逐艦1に過ぎない。軽巡と駆逐艦は艦齢20年前後の老嬢である。決して小さな戦力ではないが合同訓練もしておらず複雑な艦隊運動は期待できない。
それに対して少女らが探知した敵の戦力は巡洋艦クラスだけでも8隻にのぼる。まともにぶつかれば大きな被害が予想された。作戦目的である敵輸送船団の殲滅も難しい。
「幸い恐れていた敵空母も戦艦も近海には居ない様です。こちらは敵の配置が分かっています。裏をかくのは難しくありません。各個撃破も可能でしょう」
神先任参謀が言った。他の幕僚たちも頷く。敵はいくつかの艦隊に分かれて分散し警戒している。だがこちらはその配置も哨戒パターンも把握していた。ならばその間をすり抜け各個撃破するのも可能かもしれない。
サボ島とガダルカナル島に挟まれた狭い水道の西端には2つの小反応があった。おそらくは水道西側を警戒する駆逐艦であろう。一定間隔で南北に移動している。
そして水道内をゆっくり遊弋している艦隊が三つ。これはそれぞれ巡洋艦と駆逐艦で構成された艦隊と思われた。
ツラギ泊地とルンガ泊地には小反応が固まっている。これが目標の輸送船団で間違いないだろう。
また驚く事に敵は既に一万を超える部隊を上陸させている事も分かった。このためツラギに投入するはずだった特別陸戦隊を乗せた輸送船団はラバウルに引き返している。もう600名足らずの兵ではどうこう出来る相手では無かったからである。
ガダルカナル島のルンガ泊地に居る輸送船と上陸部隊を叩くには、まずは水道入口を警戒している敵駆逐艦をどうにか遣り過ごす必要が有る。
ここで騒ぎを起こせば他の敵を引き寄せ正面から戦う羽目になる。仮に戦闘に勝利しても輸送船団攻撃という目的は達成できないだろう。
「艦隊を二つに分けよう」
海図をじっと見つめ暫く黙考した後に三川が口を開いた。幕僚達がどよめく。
「事前計画から大きく変わる事になりますが……」
「直前での変更は混乱を招きかねません」
「艦隊は寄せ集めです。調整もしていません。複雑な艦隊運動は難しいです」
幕僚達が口々に反対意見を述べる。確かにそれは尤もな事だった。艦隊は寄せ集めである。速力を合わせるスクリューの回転整合もしていない。しかも第十八戦隊は古いどころか故障艦まで居て速力が遅い。彼らの言う通り複雑な作戦は到底無理に思われた。
「だからこそだ」
そう言うと三川は理由を説明した。
「確かに当初計画では単縦陣で一航過するだけのつもりだった。敵の戦力も配置も分からんからな。それに夜が明けてから航空攻撃を受ける可能性も高い。正直に言えば敵に阻まれて輸送船団を攻撃できるかも怪しいと思っていた」
だが、と言って三川は海図台を指し示した。
「見ての通り敵の戦力は事前の想定より少ない。配置も分かっている」
そこで三川は言葉を一旦区切ると少女達を見た。
「特務通信兵が居れば通信を傍受される恐れも無い。敵の哨戒機や潜水艦を避けて島に接近できるだろう。夜戦で迷子になる事もない。近距離であれば面倒な三角測量に頼らずとも敵を把握できる」
三川の言葉に少女達は力強く頷く。
それに頷き返すと三川は幕僚の一人一人を見つめた。
「ならば各々が全力を発揮出来る様にした方がよい。その方が戦果が見込まれる」
三川の説明に納得のいった幕僚らは新たな作戦案を検討した。
そして艦隊は新たな作戦計画に基づいてガダルカナルへ向けて進発した。
---重巡鳥海 特務士官室
「はぁ……疲れた……」
「頭痛いです~」
先程まで艦橋に詰めていた二人の少女が部屋に帰るなり寝台に突っ伏す。
寝台にはまだわずかに温もりが残っていた。この部屋は本来は二人部屋のため寝台も二つしかない。だが現在この艦は作戦に合わせて四人の少女が配置されている。このため寝台も潜水艦の様に共用となっていた。
現在の当直は四交代制となっている。ここに居ない反対番の二人は既に引き継ぎを済ませて今頃は艦橋に立っているはずだった。
「静子~今日は先に入浴して欲しいです~日誌は私が書くから~」
寝台に突っ伏したまま一人の少女が言った。
「駄目よ、扶美。いつもそう言ってそのまま寝ちゃうじゃない。後で起こすの大変なんだから。さっさと先に入って!」
「むぅ~分かりました~」
静子に怒られて扶美は渋々と寝台から体を引き剥がした。制帽をとると肩口に切り揃えられた黒髪が露わになる。眉を隠すほどに降ろされた前髪をかき上げるとその下から銀板を付けた鉢金が現れた。
「はぁ~やっぱり曇ってますね~」
外した鉢金の銀板を見て扶美は溜息をついた。
「今日は今までで一番疲れたから当たり前よ……ほら日誌は書いておいてあげるから、もたもたしてないで早くお風呂」
「はいはい、分かりました~あ、これもお願いします~」
そう言って扶美はちゃっかりと自分の鉢金を静子に渡すと着替えを持って浴室へと消えていった。
彼女たちの部屋は艦橋下の士官室の並びにあった。室内には専用のトイレと浴室も用意されている。万が一の間違いを防ぐため部屋の扉は施錠出来る様になっている上、外には歩哨も立っていた。
「まったく……要領だけはいいんだから……」
扶美を見送った静子は溜息をついた。
彼女の媚を売る様な仕草や声は全て計算ずくだと静子は気付いていた。さっさと未婚の尉官を射止めて除隊するつもりなのだろう。既に何人かの少尉や中尉と懇意にしているらしい。海軍拡張と共に増えた新導術家ではそのような考えが強い事も知っている。
将来を考えれば扶美の様なやり方が正しいのは分かっていた。でも自分はあの様には出来ない。戦国時代から続く旧導術家出らしい生真面目すぎる自らの性格を静子は恨んだ。
「はぁ……私のも灰色だ……」
再び溜息をついた静子は制帽を取り纏めていた長髪を解く。そして外した鉢金を見てまた溜息をついた。彼女の鉢金の銀板も扶美のものと同様に鈍色に曇っていた。
彼女は机から布と磨き粉を取り出すといつもの様に二人の鉢金を磨きはじめた。程なく銀板はいつもの輝きを取り戻す。
「ふぅ……こんな所かな」
静子は磨き終わった二枚の銀板の裏表を念入りに確認した。なにしろこれが彼女らの能力に直結するのである。特に額に接する部分は入念に磨く必要があった。
鍍金すれば黒ずまないのだが、それでは疲労度が外から分からない。これも彼女らに大昔から伝えられた知恵の一つだった。
そして鉢金に隠されていた額の中央には赤い宝石の様な組織が突き出ていた。
静子や扶美らは「導術兵」と呼ばれる兵科に属していた。制式には「特務通信兵」という。文字通りその本来の任務は通信である。全員が彼女達の様な、ある特殊能力を持った若い女性のみで構成されている。
彼女らの特殊能力は日本国内では一般に「導術」と呼ばれていた。
もっぱら秘匿通信にしか用いられていなかった彼女らの能力を索敵に用いようと三川が思いついたのは、日本が大敗を喫した先日のミッドウェー海戦の時であった。
---ミッドウェー西方 戦艦比叡 艦橋左舷下部見張所
遡る事およそ2ヵ月。1942年(昭和十七年)6月5日夕刻。ミッドウェー攻略部隊に所属する戦艦比叡の見張所に静子は居た。傍目にはぼうっと北東の空を眺めている様にしか見えない。
「特務少尉、何を見ているのかね?」
「ひっ!えっ!し、司令?!失礼しました!すぐに部屋にもどります!」
突然背後から声を掛けられ静子の肩がビクンと跳ねた。更に声の主が三川軍一司令だと気付いて慌てて背筋を伸ばし敬礼する。
「いや、こちらこそ驚かせて済まなかった」
間近でまともに静子の導波を浴びてしまった三川は軽い頭痛を覚えた。導術士を驚かせてはいけないのは常識である。それを忘れた自らの迂闊さを三川は呪った。
「……ゆっくりしていきなさい。当直明けなんだろう?」
「は、はい。ありがとうございます……」
三川は己の失態を隠して答礼すると、慌てて見張所を離れようとする静子を引き留めた。静子もホッとして緊張を弛める。確かに静子は気晴らしにここを訪れていた。
当直中の特務通信兵は精神を集中するため専用の小さな通信室に缶詰状態となる。従って日常は自室と通信室の往復だけになってしまう。健康維持と気晴らしのため静子は当直明けに見張所で外の風に当たる事を日課にしていた。
「それより疲れてはいないのかね?君らは力を使うと消耗が激しいと聞いているが」
特務通信士の勤務体制を知っていた三川は彼女を労う。
「はい。大丈夫であります。待機任務だけならば疲労は少ないので……この通り銀板もまだそれ程曇っておりません」
三川の気遣いに静子は失礼しますと言って帽子を取り額の銀板を見せた。それは彼女の言う通り薄く曇っているだけでまだ輝きを保っていた。
「まぁ無理をしないに越したことは無い。作戦中だからいつ何時忙しくなるか分からんからな。それで最初の質問だが、何かを見ていたのかい?」
「はい……敵の編隊が味方の空母部隊へ向かっている気がして……」
帽子をかぶり直した静子はおずおずとした様子で言った。
「なにっ!?どこだ!」
「あっ、し、司令!待って下さい!私の気のせいかもしれません!」
慌てて双眼鏡を構えようとする三川を静子は制止する。それでも念のためにと三川は導術で空母部隊に警告を出させた。
静子が捉えた敵編隊とは確かに米空母エンタープライズとヨークタウンから放たれた攻撃隊であった。
残念ながら三川の警告は赤城艦橋内の喧騒で南雲中将ら幕僚に届く事は無く、このしばらく後に3隻の空母が爆弾を受ける事となる。
---戦艦 比叡 司令官室
「さて、説明してもらおうか」
四隻の空母を失い艦隊が日本へ撤退を始めた二日後、三川は静子を比叡の司令官室に呼び出していた。
「申し訳ありません……あの時もう少しはっきりと判れば今回の様な事は……」
憔悴した様子で答える静子の目の下には酷い隈があった。あの海戦以来、彼女は良く眠れていない。
一航艦の四空母をはじめ多数の艦が失われた時、同時に静子の知り合いの少女達もまた失われていた。
空母加賀に乗っていた京子は静子の先輩だった。いつも静子の事を気遣ってくれた彼女は加賀が艦橋付近に被弾した時に艦橋要員とともに吹き飛ばされた。怪我で身動きがとれない彼女は生きながら業火に焼かれ、痛い熱いと言いながら死んでいった。
重巡三隈に乗っていた幸子は静子と同い年だった。静子と仲の良かった彼女は三隈が最上と衝突した時に通信室に居た。最上の巨大な質量に通信室ごと押しつぶされながら発せられたのは悲鳴とも叫びともつかない声だった。
普段なら意識を集中しなければ届かないはずの彼女らの悲鳴が、その時は耳を塞いでも静子の頭に響いてきた。その断末魔の声は今でも静子の頭に鮮明に残っている。
「特務少尉は警告を出したのだ。それが生かされなかった事にまで責任を感じる必要はない」
静子が敗北の責任を感じて苦悩していると思った三川は彼なりに静子を慰めた。それに静子は悄然と頷く。
「それで、なぜあの時に敵機の存在が判った?」
残念ながら三川の出した警告は南雲には伝わらなかった。だが導術通信の記録は残っている。なぜ電探も無しに遥か彼方の敵を知る事ができたのか、それを三川は報告をする義務があった。
「はい。私たちの任務は通信が本分なのですが……人の気配を探る事もできます」
「人の気配?」
三川は片方の眉をあげて怪訝な顔をする。
「はい。人の居る方向と大体の距離が感じられます。あの時は遠くの空をたくさんの敵意を持った気配が移動していくのを感じました。だから敵の編隊だと……」
「なるほど理解した。そう言えば信長公の話にも有ったな。昔に本で読んだ事がある」
「はい。そもそも最初は索敵が主任務だったと伝わっております……」
そう前置きして静子は三川の理解を深めるため導術の歴史から簡単に説明しはじめた。
本日から毎日投稿し5話で完結する予定です。
次話は導術の歴史について説明します。
少女たち特務通信兵は故佐藤大輔氏の「皇国の守護者」に出てくる導術兵の様なのを想像して下さい。制約はありますが彼女たちは当時のレーダーを遥かに凌駕する索敵範囲をもっています。残念ながら猫や龍や両性具有者は登場しません。あしからず。