どん底。
幸せだと思っていたのは私だけだったようで、今、目の前に申し訳なさそうに
うつむく彼は、自分が私に落とした爆弾にどんな衝撃を与えたか
気にもしないのか、コーヒーを一口飲む。
心なしかほっとしたような表情だ。
「は?」
私は、頭が真っ白になる。
目の前にいる彼とは、高校からの27になる現在まで付き合っていた。
喧嘩もしたけどなんとなく元さやになって現在に至る。
正直、結婚も視野に入っていた。
すべて過去形だ。ぶち壊したのは目の前の彼。
「ユキ、ごめん。俺、子供が出来た……俺が守ってやらないと」
誰が、こいつに手を出したんだ?
生真面目で仕事人間のテルが二股なんて器用な真似、出来る筈がないでしょ。
「誰と?」
こわばった声だった。今にも怒鳴り倒したい激情が込み上げてくるけど、冷静な自分が必死で抑える。
「ごめん。俺が悪いんだ!だから相手は聞かないで」
彼は土下座せんばかりの勢いで大きな声を出す。
しん、と静まり返った喫茶店でほかのお客さんはぎょっとして振り向く。
「謝れって言ってるんじゃないよ、相手は私の知ってる人なの?」
当たりだ。急に黙り込む。
「まさか、あいちゃん?」
彼はびくっと身体が反応した。ああ。嘘がつけないよね……。
あいちゃんは、職場の後輩で私に懐いていたおっとりした子だった。
いつも、テルを褒めていた。いいなぁ、かっこいいですよねと
羨ましそうにしていた。
軽い感じで話していたけど、本気だったんだね。
「あいちゃんは悪くない!悪いのは俺だ。俺が弱かったから甘えてたんだ」
テルはいろいろ言ってたけど、頭に入ってこない。
私だって、あんたのこと、好きだったよ。夢見てたよ。
将来テルの名字になった時とか、子供はどんな感じなんだろうとか。
こないだアパートに泊まらなかった時、違和感を感じていたけど
疲れてるのかなって流してた。その時の自分を殴ってやりたい。
テルは、泣いていた。ごめん、すまん、別れてくれ、とか、呪文のように呟きながら。
泣きたいのはこっちだよ。馬鹿野郎。
「ユキは強いじゃないか。1人でもやってけるだろ?でも、彼女は俺がいないと
ダメなんだ。俺が守ってやらないと!」
その一言にダメ押しの衝撃波で私はもうどうでもよくなった。
私だって、テルがいないとダメなんだよ。強くなんかない。
それからは、私のアパートに残った私物を持って帰って貰って、合鍵を返してもらって、
テルの家の鍵も返した。
別れ話の翌日、申し訳なさそうに遠巻きに見ていたあいちゃんを、にらみつけて無視をした。
職場では、面倒見のいい姉御肌だった私と、おっとり系のあいちゃんのコンビがおかしいと
ちょっとざわざわしていたけど、3日後に、あいちゃんの寿退社が上司から発表されると
結婚の先に決まったあいちゃんに嫉妬した私がいじめてるって話になってしまい、
仲を取りもとうと話をしてくる人たちがうざくて、あいちゃんが辞めるのを待たずに職場を去った。
あいちゃんは、最後の日、申し訳なさそうな表情をして見送っている一団に混じっていたけど、
最後の瞬間にやりと笑っていたのを私は見た。
あんな男、くれてやる。せいぜい苦労しろ。