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二日目

 二日目。


 昨日とは違い、この日は実地に基づいた訓練が主であった。正直に言ってしまえばこちらの方が良い。やたら慣れているなとほうぼうから言われたが、前の職場が〜で乗り切った。実際そうだ、嘘はついていない。履歴書の経歴だって真正直に書いてある。履歴書なんぞ書くのは、高校生の頃にアルバイトでファミレスに行った時以来だ。当然、それ用の写真を取るのも数年ぶり。これはこれで新鮮であった。勿論取ったのは行きつけスーパーの隅にある撮影機だ。


「網屋、得意なのは何だ」


 ゴトウ大尉が直球弾で聞いてくる。これまた隠す必要もないので素直に答える。


「近距離間合いまで接近しての制圧に特化していると自負しています」

「ふむ。流石、元・賞金稼ぎと言ったところか。……編成を変えるぞ」


 どこまでもこの訓練は『実戦を前提とした』ものだ。いつ仕事が舞い込んでくるか分からない、そんな中での訓練は新兵の実力向上よりも、実戦での対応力を上げるための色が濃い。基礎ができている人間にもう一度基礎から、なんて優しさも暇もない。このまま実戦が始まってしまっても問題のない位にまで研ぎ澄ます、そのための作業なのだ。だから、ここでの編成変更は戦力としての即時投入を見越したものだろう。

 昨日はすこぶる冷徹であったアンヘルの視線も少しだけ変化している。思ったよりもやるのだなと、多少なりとも興味が湧いたような、そんな顔だ。そりゃあまあ、これでも現役で働いてる人間ですから。一応。しかも今はソロで。いやあ完全ソロってわけでもないけど。





 そして本日の昼食ですが、無事ゴトウ大尉殿の隣に奥様を配置することができました。奥様とアンヘル氏の抗争は止めることができず、そりゃもうただただ見守ることしかできませんでした。ゴトウ大尉殿を挟んでいがみ合うお二人の姿をただ、自分は向かいに座ってメシ食いながら眺めるしかできず。関わり合いたくねぇ。その一心です。


 アンヘルさんはユリさんのこと貧乳ブサイクへちゃむくれとか言ってるけど、十二分に可愛い人じゃんよ。ってーか何だ新婚て。新婚て。当たり前みたいに寄り添ったり当たり前みたいに頭なでたり当たり前みたいに奥さんの口についた米粒取ったり、なんだそれ。リア充か。リア充ってやつか。ラブラブ職場結婚ってやつか。二人の間に満ちてる甘ぁい空気っつったらもうね、俺達のモテナイ村が酸素不足で滅びますよ。助けて相田長老、オラぁこのままじゃ新婚さんの瘴気に当てられて窒息死しちまうだ。っていうか死ぬ。この二人、ものすっごい甘い。甘ったるい。あの鬼みたいなゴトウ大尉がふわふわ微笑んだり、俺と同い年って言われるとちょいと疑問が残るユリさんがなんか奥さんってオーラ無意識で出してたり、何これ? 死ぬの? 俺このまま死ぬの? つうかさ、リア充こそ滅びてしまえばいいんじゃねぇか? ああん? ざっけんじゃねぇぞオイ、非リア充喪男に対して少しは気ィ使えや。そういうのは自宅でやれ。呪うぞ?


 とまあ、そんな事を考えながら昼食を取っておりましたら、ゴトウ大尉もユリさんもアンヘル氏も周辺の人間も、皆揃ってぎょっとしたような顔でこちらを見つめるものですからね、ワタクシ慌ててニッコリ笑って見せました。そんなに怖い顔してましたかね?





 午後もやはり実戦仕様の訓練。敷地内にある大きな建物、しかも聞けばそこが元の本社屋であるとかなんとかという廃ビルでみっちりと模擬戦を行い、本日の業務は終了。

 シャワーを浴びるのは後の方にする。経験値はともかく、自分はこの会社において新人であり新入社員、いや、ただのアルバイトだ。諸先輩方に順番はお譲りして、後からゆっくり汗を流し、疲れきった体を引きずって更衣室ロッカーまで辿り着き、着替えもそこそこにベンチへ座り込む。お疲れ、なんて声を何回か聞いてぼんやりしていると、気が付けば更衣室に自分一人だ。


「あー……やべ、社員寮、戻らなきゃー……」


 いつまでもここに居るわけにもいくまい。ズボンを履くが、それだけでもう残りの体力を消費し切ってしまったようだ。再びベンチに腰掛けると、深く深く溜息をついた。肺の中を空っぽにして、それから身を屈めうずくまる。


 ……今のところは順調だ。まだ正体、いや、元来の目的は割れてはおるまい。二日目なのだから当然といえば当然。このまま順調に事が進めばよし。問題は、最悪の事態に陥ってしまったらどうするか、だ。とにかくあの人達に影響が及ばぬよう、だんまりを貫き通すしかあるまい。その後、機を見て脱出。できればの話だが。しかし、出来る出来無いの話ではない、やらなければどうしようもない。

 慎重に事を運ぶ。慎重すぎるくらいで丁度いい。多少時間が掛かるだろうが、それが一番……


 その時だ。尻に、何かが触れた。人の手、だった。


「…………っア?!」


 思わず駆け出し、ロッカーに放り込んだままの自分の得物、SIG/SAUER P229を引っ掴んで銃口を向ける。


「うひゃあ! 待って待って、撃たないでェ!」


 銃口の先にいたのは、ゴトウ大尉の妻であるユリ女史。両手を上げて抵抗の意が無いことを示してはいるが、何故かその両手がわきわきと動いたままだ。


「……え? な、なんでこんな所にいるんですか?」


 デコッキングレバーを動かしてハンマーを安全に落とし、警戒態勢を解く。


「いやぁ、どうしても、どーしても、網屋君の尻が気になって……ちょっとくらいなら触っても良いかなぁって」

「ちょ、ちょっとも何も、男のケツなんて女の人が触るようなもんじゃないでしょう?!」

「謙遜しちゃダメ! 網屋君のお尻はいいよ! いいものだよ! 自慢していくべきだと思う!」

「いやオカシイですって! 女の子のじゃあるまいし、ただ硬いだけの面白みも何もない部位じゃないですか!」

「何をおっしゃるかこの御仁は! 引き締まった尻、それこそ醍醐味だというのに! このね、尻から太腿にかけての流れるような筋肉……」

「えぇ……?」


 とりあえず229をしまって、ロッカーを一旦閉める。そして素早く振り向いた。やはり、ユリが手をわきわきさせながら迫ってきていた。


「待って待って待って、何でそうなるか。何故再び狙うか」

「もっとしっかり形状を確認したい」

「そういうのはですねえ、旦那さんにやったらどうでしょうか!」

「違うんだなぁー、確かにゴトウさんの尻も魅力的ですよ? でもねえ、網屋君くらいのサイズ感も、こう……捨てがたい……」

「普通逆ですよねぇ?!」


 迫り来るユリに気圧され後ずさるが、自分の背後はもうロッカーしかない。


「いいや、こうなったら足さえ見せてもらえれば!」

「こ、こ、こうなったらって何ですかあああ!」

「だって陸上部だったんでしょ? そしたらもう、その鍛え上げられた太腿を拝みたいって思うのが人の道理」

「そんなに面白いもんじゃないですよぅ!」

「見ーたーいー! 短距離ランナーのお御足!」

「残念、短距離じゃなくて中距離です」

「へーぇ、中距離?」

「八百メートルとか千メートルとか、そういう距離」


 迫るユリから逃れようとじんわり移動してはみるが、これまたユリの位置取りが異様に上手く、更衣室のドアから離れてゆくばかり。この人は一体、何者なのだろう。


「だったら、尚更見てみたいなぁー足。中距離ランナーの足。上半身は拝ませてもらいましたからね、下半身もね」

「ゴトウ大尉のを見て下さい! いくらでも見れるっしょ!」

「それは、ホラ……別件なの。そのぅ、ド本命だから……」

「そこで恥じらいを見せるかぁー?」


 気が付けばもう部屋の隅にまで追いやられている。


「まぁまぁまぁ、ちょっとだけだから。見るだけだから。ね?」

「ちょっとだけよーで済むんですか?」

「済まないかもしれないけどぉ」

「うわぁ待って、いや、ちょ、ちょっとぉおおおおお?!」


 手を伸ばすユリに対してどうすれば良いのか分からず、ついに悲鳴を上げた時。更衣室のドアが音を立てて勢い良く開いた。どすどすどす、と足音。そして、声。


「ユぅーリぃぃー……何をやってるかと思えば……!」

「ゴトウ大尉!」


 救世主が現れた。ゴトウがユリの襟首を掴み、侵攻を阻んでくれたのだ。可能であるならこのままゴトウ大尉殿に泣き付きたいくらいである。自分のクソ情けない声を聞いて駆けつけてくれたのか、それともご夫人の行方を追ってここにたどり着いたのか、どちらかは分からないがこの際とにかく何でも良い。


「うちの新人にセクハラするなって言っただろ?」

「うぅ、だってぇ……魅惑的な尻をしている網屋君が悪いぃ……」

「だからって更衣室にまで侵入するか」

「小尻でしたよ!」

「触ったのか」

「ハイっ!」


 とてつもない笑顔でとんでもない肯定をするゴトウ夫人。当のゴトウ氏の方はというと、怒りに満ちた視線をこちらにぶつけてきた。うわあとばっちり。


「網屋……とりあえず、すまん。俺の嫁が迷惑かけた」

「い、いえ……」

「しかし、だな。仮にも訓練を受けている人間が、よもや秘書課の人間に遅れを取るというのはどうか」

「えっ、あ、ハイ」

「貴様の油断が招いた結果だ。今後一切、このようなことがないように留意しろ」


 理不尽! まさに理不尽。この一言に尽きる。しかし、こういう世界では上官の発言は絶対であるし、何よりその殺意の波動に目覚めそうな空気がおっかないので、元気いっぱい「了解しました!」と返事。

 何のかんので仲よさげに帰る二人を見送って、網屋は盛大に溜息をついた。


「あぁー……帰ろ……俺も帰ろ……」





「むふふ、小尻小尻」

「そんなに尻が触りたかったのか」

「だってえ、ゴトウさんのとはまた違う趣きだったからぁ……でも、ゴトウさんの尻が私は一番好きですっ! これはもう絶対、胸を張って言えます」

「お……おう……」


 ゴトウとユリはピッタリと寄り添って家路につく。いつも通りに他愛もない話をしながら。


「に、しても、229かぁー。220でも226でも228でもなく、230でもなく、229。渋いチョイス」

「229?」

「うん。網屋君の得物。いやぁー尻にタッチした瞬間にすごい速さで銃口向けられちゃって焦ったぁー」


 人の嫁さんに銃口向けやがってテメェ、とも思ったが、それよりもゴトウが引っかかったのは別の部分だ。


「229なんて、うちの隊で使ってたか……?」

「私物じゃないのかなぁ。ロッカーから出してたし」

「私物、ねえ」


 私物であるなら仕方がない。いや、何が「仕方ない」のか? 何かがぼんやりと引っかかる。明確な根拠はない、これは直感というやつだ。とりあえず、頭の片隅に置いておこうか。そんな風にゴトウは自分の考えをまとめた。





「はいどうもすいません、網屋です。定時連絡です。えっと、ターゲットの周辺機器類から取れるだけ取ってきました。解析はお任せしちゃっていいですかね? いや、根こそぎコピーしたので、全く関係ないものもたくさんあると思いますが……はい、お願いします。あと、明日からちょいと出張が入ります。どこぞかの鎮圧に駆り出されるみたいなので、うーん、何日くらいかかるだろ……あ、そうですね。その間に。ええ、はい……分かりました。じゃあ、帰ってきたらまた連絡します。はい、では。はい。お疲れ様です」

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