私と兄のコールドウォー
「あかり、俺の漫画知らない?」
兄さんが私の部屋をノックせずに、勝手に部屋に入ってくる。本当困る。もう高校三年生だってのに、兄さんはまだ子供の頃の気分が抜けてくれない。
「借りてないよ、どうせ高橋くんにでも貸したんでしょ?」
ベットの上でファッション雑誌をめくりながら、私はため息混じりに答えた。
「そうだったかな、悪いな……」
そう言って兄さんは、残念そうに扉を閉じた。
そんなどこにでもある兄妹の日常。兄が間違えて扉を開けました。妹が嫌そうに答えました。はい終わり、それだけです。
――だったら良かったんだけど。
私は急いで雑誌を閉じて、自分の引き出しを開けた。一枚、二枚、三枚。数えてるのは皿じゃないけど、足りないものは足りてない。
パンツである。私のパンツが一枚、盗まれていた。これで通算十五枚目である。
「……くそっ!」
してやられた。最早扉を開けられた時点で、私の敗北は決定付けられていたのだ。兄さんと私の部屋までの間に、数々のトラップをしかけていたはずなのにその全てが破られていた。
エロ本、新品のブラ、AV、その他もろもろ。とにかくまあ兄さんが引っ掛かりそうなものを設置しておいたにも関わらず、あの男は私の部屋を開けたのだ。先週ホームセンターで買っておいたシリンダー錠じゃ、あのスポーツ万能容姿端麗で生徒会長でイケメンの兄には歯が立たないのだ。私のパンツを盗んだのだって、きっとちょっと目を離した隙にやられたのだ。
で、なぜこんなことになっているかと言うと事の発端は私にある。私が三年ぐらい前に兄さんの部屋にノックをしないで入ったらこう股間をいじいじしてる場面に遭遇してしまったからである。きゃあ変態とか、土曜の昼からそんな事やって恥ずかしくないのかと言うべきだったのだが、その時私は兄さんは服を着ているものだと思い込んでごく普通に接して、そのまま漫画を借りて出て行ったというのが原因だ。それ依頼私達兄妹の間では、いつの間にかおかしなルールが出来上がった。
①お互いの部屋に入った時に、お互いは普通に振る舞う。
②部屋の侵入に成功した場合、部屋の物を一つ持って行っていい。
③部屋に到着するまでの間は、どのような妨害をしても構わない。
まあ、一般家庭じゃない。というか兄にパンツを十五枚盗まれた女子高生が一般であるはずもない。ちなみに今までの戦績は、一勝十五敗である。ちなみに一勝は兄さんの痴態を目撃した時である。
「……よしっ!」
タンスを勢い良く閉じて、私は立ち上がる。もうやられっぱなしではいられない、今日こそ反撃しなければならない。
なんてたって盗まれたあの下着は、まだ捨ててなかった子供時代のプリント付きパンツなのだから。
というわけで、部屋を出――れない。視界に飛び込んでくるのは、箪笥の裏側。端の方にカビが生えている辺り、きっとお母さんの部屋から移動させて来たのだろう。後で怒られても私は知らない。
ため息をついて仕切りなおす。部屋を出る手段は、悲しいことに窓しか無い。そしてその窓といっても、二階で安全のためか半分ぐらいしか開かないほとんど換気用の窓だけだ。広がる青空は私にそんなことより遊びに行けばと言ってくれるが、今は意地がかかっているので出来ない。とりあえず窓を限界まで開けて、足をかける。いやーでも通れるかなこの狭さ私って巨乳だからね途中で突っかかって出れないとかならないかな。
無事通れました。偶然窓に移った私の顔は、恐ろしいぐらいまでの真顔をしていた。
とりあえず部屋からは脱出成功。窓の桟を掴んで体勢を維持するのはなかなかに大変なので、早い所ルートを決めなければならない。
まず、降りて玄関から向かう。普通に考えてこれしかないのだが、残念ながら兄さんの部屋はの扉には家の玄関よりも高い鍵を付いている。ピッキングとかも使えない奴。多分お年玉全部使ってる。
ならば、窓からの奇襲しか無い。流石に防弾ガラスまでは設置していないだろう。部屋着のジャージのポケットに手を突っ込み、スマホの感触を確かめる。スマホはただのスマホだけれど、そのケースに私はこだわっている。確か象が踏んでも壊れないとか言う謳い文句の奴。おそらくこれを手にした女子高生のうち半分ぐらいは凶器になるなと思っただろう。頼むから半分ぐらいいて欲しい。
自慢じゃないが、私は身体能力は高いほうだ。まあスポーツなんかはやってないけれど、それこそここから天井まで飛び上がってよじ登るのは楽勝だってぐらいには。
はい、完了。あとは屋根を歩いて行って、そのまま兄さんの部屋に突撃するだけ。
だけ、なんだけど。なんかカチッって音がしました。恐る恐る足元を見れば、何か踏んでいた。
地雷だ。いやまあ流石に死なないけど、確かこれはBB弾が飛び出てメチャクチャ痛いと評判のやつだ。何で知ってるのかって? そりゃ私もこれ買おうと思ってたからね、うん。三万円もするからやめたんだけどね。
地雷の解除の方法は、何かの映画で見覚えがある。足を離すと爆発するので、とりあえず踏んだまま。土とかなら周りを除去して、それだけ取り出すのだけれど、幸いここは天井で地雷もガムテープで固定されていただけなので剥がして自分の足に地雷を巻きつけた。片足立ちで進むのは落ちた時のことを考えたら気が引けたので、私は匍匐前進で移動する事にした。いやでも私巨乳だからね胸がつっかえちゃったらどうしよっかなーいやーそうなったら困るわー辛いわー。
めっちゃスムーズに移動できた。辛いわ。
地雷だけで満足していたのか、他のトラップは用意されていなかった。ぬかったな、兄さん。勝利を確信した私は思わずほくそ笑んでしまう。
携帯を握りしめ、屋根のへりにつま先をかけ猿みたいにぶら下がる。カーテンを締め切られていたせいで、部屋の様子はわからなかったが狙いは良かった。ちょうどここからなら、兄さんの部屋の窓の鍵を狙える。
とりあえず、一発スマホで殴る。さすが象が踏んでも壊れないケース、軽くヒビが入ってくれた。二発、三発。パリンという乾いた音が聞こえた。
そのまま四発目でぶち破ろうとした所で、別の考えが浮かんできた。このタイミングで気付いていないということは、恐らくヘッドフォンをつけている可能性が高い。ちょっと良いやつ買ったとかこの間自慢してたからな。
だから、驚かせよう。一旦屋根の上に体を戻し、今度は腕でぶら下がる。そして地雷のついた右足の標準を窓のヒビに合わせ、左足で何度か窓を蹴り、ブランコみたいに反動をつけていく。
一、二、三――今だ。
「おりゃああああああっ!」
特撮ヒーローよろしくのキックを、私は兄さんの窓にぶつけた。地雷が爆発してくれたおかげで効果音もばっちりだ。割れたガラスの破片を浴びながら、私はそのまま兄さんの部屋へと吸い込まれるよう流れこむ。そしてガムテープを外し、立ち上がって勝どきを上げた。
「兄さん……敗れたり!」
ヘッドフォンをしたままの兄さんが、目を丸くして私を見る。股間に私のパンツを巻きつけて、ヘッドフォンでヘビメタを聞きながら鏡の前でポーズを取っていた兄さんが。
全裸の兄さんが。いや一枚着てるっていうか装着してるけど、うん。
「……あれ? どうしたの何か漫画?」
ルールその1。部屋に入った時はお互い振る舞う。
「うん、ちょっと兄さんに言いたいことがあって」
ルールその2。部屋の侵入に成功した場合、部屋の物を一つ持って行っていい。
「あ、悪い悪いお前のパンツ廊下に落ちてたわ」
そして兄さんは股間のパンツを外して、私に手渡してきた。
「あ、うん……」
生暖かいパンツを握りしめ、じっと見つめる。なんかこれ、湿ってるのかな。湿ってないよね。湿ってたるわけないよね小学生の時に履いてたものだもんね。
はい、カルピスこぼれてました。しかも原液。
と、言うわけで、私はスマホを握りしめ、大きく右腕をふりかぶって。
「土曜の昼間から……変な事してんじゃねええええええええっ!」
三年越しに言いたかった一言を、鉄拳に乗せてぶちかました。
こうして私達の冷戦は、幕を閉じることとなりましたとさ。