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こみ上げてくる便意を懸命に堪えて階段を上り、二階のトイレにたどり着く。
節電のために二階は非常灯が点いているだけで、薄暗い。トイレの扉を開けて電灯のスイッチを入れる。蛍光灯が殺風景なタイル張りの部屋を白く照らした。
奥にある二つの個室を恐る恐る覗き込んだが、当然中には誰もいない。便意への抵抗が限界を越えた俺は入り口側の個室に飛び込んだ。
ズボンを下ろして便座に座ると、水のような便が音をたてて迸る。これはひどい。個室の中はたちまち悪臭が充満して思わず顔を歪めたが、ぐずぐずしてはいられない。早く済ませてここから出なければ。
しかし、いつもと違って素早く排便が終わらない。一区切りついたと思ってトイレットペーパーで一度綺麗にしても、その後で切れ切れに液状の便がこぼれ出てくる。今までにこれほどの下痢は経験したことがなかった。
よりにもよってこんな時に。俺は焦った。このままでは……。
こつん。
左壁が軽い音を立てる。俺は弾かれたようにそちらを見た。このトイレにいるのは俺一人であることは確認済みだ。
やっぱり出た。またあの音だ。
下痢はまだ止まらない。このまま逃げ出したいが、そんなことをすれば下半身が糞まみれだ。全部出し切るまで我慢するしかない。
こつん。こつん。
壁を叩く音はまだ続いている。この壁の向こうに俺の知らない前任のライン長がいて、俺をからかっているのだ。
落ち着け、大丈夫だ。ただ壁を小さく叩いているだけで、それ以上は何も起こらない。今のライン長がそう言っていたじゃないか。一刻も早く排便を終わらせることに集中しろ。俺は自分にそう言い聞かせて下半身に力を入れた。茶色い液体が水鉄砲のように勢いよく便器を叩く。
どすん!
いきなり壁を叩く音が強くなった。驚いて再び左壁を見た。何だ今のは?
どすん!どすん!
音はますます強くなり、壁が揺れるほどになった。おかしい。軽く叩くなんて程度じゃない。明らかに壁を強い力で殴りつけている。
そして、更に上の方で壁を引っ掻く音が聞こえてきた。
待てよ。上で壁を引っ掻いているなら、壁を叩いているのは手ではない。位置から見て足の筈だ。一体何をしているんだ?
不審に思った俺が左壁の上を見上げた時、ある物が目に入った。
左壁の向こう側、隣の個室の天井に吊り下げられている金属製パイプに、ネクタイのようなものが掛けられている。
俺は間違っていた!
俺をからかうために壁をたたいているのではなく、隣の個室では今まさに首吊りを行っているのだ!死の瞬間を繰り返す、これはそういう幽霊なのだ!
恐らく前任のライン長は、あのネクタイに首を通して便座から飛び降りたのだろう。だが、窒息のあまりの苦しさに自殺を取りやめようとしたのだ。しかし、飛び降りる時の勢いが強すぎて便座よりも壁に近い所で宙吊りになり、そのために元の場所に戻れなくなってしまった。だから彼は壁をよじ登ることにしたのだ。最初に聞いた軽く叩く音は、伸ばした足の先端が壁にたどり着いた時の音だ。彼は断末魔の苦しみにもがき、助かるために必死に壁をよじ登ろうとしているのだ!




