二日目③
●二日目 午後十時三十分
【イツキさんが入室されました】
【蒼さんが入室されました】
【ユーリさんが入室されました】
イツキ:自称快楽主義者がまだか。早くしろ
イツキ:話を聞くとは言ったけど、僕らもそこまで暇じゃない
【神楽さんが入室されました】
神楽:うるさいなあ
蒼:お、来た
ユーリ:大丈夫?
神楽:なんとか
神楽:いつまでも落ち込んでる訳にいかないし、
神楽:私のマイスイートじゃ○りこ持ってった奴とっちめてやらないと気がすまないしね
イツキ:一応聞くが、それは法に触れない範囲で、だよな?
神楽:当たり前でしょ
イツキ:なら良し
蒼:いや良くないだろ! そもそもそんなことするなよ!
神楽:私のじゃ○りこを盗んだ罪は重いのよ、岡本くん
イツキ:お前のじゃ○りこ愛は分かったから、始めていいか?
イツキ:暇じゃないとは言ったけども、明日の予定があるから早めに寝ておきたいんだよ
神楽:だったら、就寝時間過ぎても事情が聞けるようにお膳立てなんてしなけりゃいいじゃん
神楽:君のツンデレとかどこ需要?
【イツキさんが退室されました】
蒼:なにやってんだお前!
神楽:ごめん普通にやらかした。岡本くん頼んだ
蒼:電話で呼び出してくる
【蒼さんがイツキさんを招待しました】
【イツキさんが入室されました】
イツキ:青空うるさい
イツキ:電話かけてくんな
蒼:なら退室するなよ!
蒼:ここで話聞くって言ったのお前だろ!
神楽:超ブーメラン
イツキ:うるさい
イツキ:始めるぞ
神楽:はいはい
蒼:ていっても何すればいいんだ?
神楽:ロビーではどこまで話したの?
ユーリ:詳しいことは何にも。私のローファーと、相澤ちゃんのじゃ○りこがなくなったってことくらい
神楽:とりあえず結果だけ話したのね。おっけー理解した
神楽:まあ正しくは、ローファーとじゃ○りこが誰かに持っていかれたんだけどね
イツキ:は?
蒼:待て待て待て!
蒼:誰かに持っていかれたってどういうことだよ!
神楽:文字通りの意味だけど
ユーリ:信じられないかもしれないけど、本当だよ
イツキ:つまり、盗まれたってことか?
神楽:そう思うよね。でも盗まれた訳じゃない
神楽:なくなって、また返ってきたの。私のじゃ○りこは依然行方不明だけど
イツキ:ちょっと待て。どういうことだ
神楽:それを今から詳しく説明するんだって
イツキ:ああ、今更ながらすごく面倒なことに首を突っ込んだ気がする……
蒼:今更だろ……
イツキ:そうだな……
イツキ:ああ、そうだ、相澤
イツキ:さっきは聞きそびれたけど、結局僕たちは何をすればいいんだ?
神楽:今日何が起きたのかを、私たちの考えも含めて話すから、それを聞いて本田くんたちが疑問に思ったこと、事実と違うんじゃないかと思ったところを指摘してほしい
神楽:まあ、ようは客観的な意見をちょうだいってこと
蒼:客観的な意見?
神楽:当事者の私たちだと、どうしても今日のことを主観的――こういう筈だろうって決めつけて考えてしまう。でも、それじゃ駄目なのよ
ユーリ:私たちは、誰が、どうして、ローファーとじゃ○りこを持っていったのかを知りたい。でも、
ユーリ:私も相澤ちゃんも、今冷静じゃない。すっごく動揺してる。こんな状態で考えても、間違った結論を導き出しそうで怖いの
神楽:だから、今日の出来事に一切関わりがないだろう本田君と岡本君を呼んだって訳……
神楽:あれ? 私、岡本君は呼んでなくない? 何でいるの君?
蒼:すげえ今さらじゃねえかそれ!?
蒼:樹に呼び出されたんだよ俺は!!
神楽:そうなの? 本田君
イツキ:ああ。どうせ面倒事に巻き込まれるなら、道連れは多い方がいいかと思って
蒼:いい迷惑だよこっちは!
神楽:あーはいはい。そういうことね。まあ、岡本君ならいっか
蒼:いいってどういうことだよ?
神楽:こっちの話だから気にしないで。じゃあ、始めるよ
イツキ:待った
神楽:……どうしたの? 本田君
イツキ:相澤、先に一つ聞かせてくれ
神楽:何?
イツキ:なんで僕たちなんだ?
神楽:……どういうこと?
イツキ:相澤たちの言う、「今日のこと」とは無関係の人間から客観的な意見が欲しいのなら、他にも適任はいるはずだ。わざわざ僕と青空にやらせる必要はない
イツキ:どうして、僕たちなんだ? 返答次第では協力しない
神楽:……そうだね。強いて言うなら、男子だからだよ
神楽:今日起きたことに誰がどう関わっているか、まだ何も分からない。下手したら、協力を頼んだ人がその当事者の可能性がある。そして今回のケースだと、女子はその可能性が特に高い
神楽:となると、男子の中から協力者を探すのが最善でしょ? そこから本田くんと、岡本くん――は呼ぶつもりなかったけど、まあ、二人なら良いと思ったのは、私が君たち二人の人となりを知ってるからだよ
神楽:本田くんは損得勘定で動く人だし、岡本くんは善側の人というか、悪だくみをしようとしても出来ないチキンだって知ってるから、二人とも、今日の件には関わってないって判断したの
イツキ:なるほど。そういうことなら納得だ
蒼:いや待て。今ナチュラルに俺のこと馬鹿にしただろ
神楽:だって本当のことだし
イツキ:本当のことだろ
ユーリ:良い人! 良い人ってことだよ岡本くん!
蒼:ありがとな夏川……。樹と相澤は後で覚えてろよ
神楽:期待しないで待っとくわー
神楽:で、話戻すけど、本田くんと岡本くんに協力してほしいのはそれが理由
神楽:今この状況において、私は、君たち二人を他のどの同級生より信頼してるんだよ
神楽:何か反応しなさいよ
イツキ:いや
イツキ:相澤から「信頼」っていう言葉が出てくるなんて思いもしなかったから思考が停止してた
蒼:俺も……
ユーリ:岡本くん、本田くん
蒼:どうした?
ユーリ:相澤ちゃんが、「信頼くらい私だって使っ……! ……いや滅多に使わないか、使わないな……」って言ってから何も喋らなくなっちゃたんだけど、どうすればいいかな?
神楽:夏川さん実況しなくていいから!!!!
神楽:で!? 協力するのしないの!!??
イツキ:いいよ、協力してやる
イツキ:ただし、一つ貸しだからな
神楽:分かってるよ!
蒼:あ、俺も! 俺もだからな!!
神楽:分かってるって!
イツキ:あ、待って。思い出し笑いが止まらない
神楽:もう始めるからな!! いいな男子二人!!!!
蒼:お、おう
イツキ:あー笑った。久々に爆笑した
神楽:本田くん!!!!!!
イツキ:はいはい。いつでもどうぞ
神楽:あーもう……。じゃ、事の顛末から話すよ。一連の出来事は、今日の海水浴から始まったんだけど、
***
●二日目 午後一時五十分
「あれ、私のローファーがない」
海水浴場に隣接されている女子更衣室で、相澤は声を上げた。制服から水着に着替え、海に向かおうと更衣室の出入り口でローファーからビーチサンダルに履き替えようとした時、相澤は自身のローファーが見当たらないことに気が付いた。見落としたかと思い、相澤はもう一度三和土を見渡すが、やはりそこに相澤のローファーはなかった。
「誰かが間違えて持ってっちゃったんじゃない? 特進クラスの女子全員が一斉に着替えてるんだし」
相澤の声を聞きとめた立花が告げた言葉に、相澤は女子で溢れかえる更衣室を見渡し、そうだねと息を吐く。
相澤が通う高校は、普通科と総合学科の二つの学科があり、そのうち普通科は普通進学クラスと特別進学クラスの二クラスに分かれている。附属大学や私立大学への進学を主な目的としている普通進学クラスとは異なり、相澤が在籍する特別進学クラス――通称特進クラスは、国公立大学や難関私立大学への進学を目的とした、いわゆる進学クラスだった。
特進クラスと銘打たれているだけあって、授業数は三クラスの中で一番多く、そのため特進クラスの生徒で部活に入っている者は少ない。また特進クラスは、他の二クラスとは教室の場所を別にしており、三学年全てが一つの階に集められているため、特進クラスの生徒が他クラスの生徒と会う機会はほとんどないと言ってよかった。
今回の修学旅行においても、学科やクラスごとにそれぞれ別のスケジュールが組まれており、二日目午後の予定地である海水浴場には、相澤が毎日顔を合わせている特進クラスの生徒しかいなかった。
相澤の学年は、普通進学クラスが九組あるのに対し、特進クラスは四組と少数だが、それでも総勢百二十一名が特進クラスに在籍していた。男女比はおおよそで一対一、つまり女子生徒だけで約六十人はいる計算となる。
その人数が、今海水浴場内の更衣室で一斉に着替えているのだから、ローファーの選び間違いが起きるのもおかしくはなかった。
水着に着替え終わった女子生徒が一人、また一人と更衣室を出ていく中、相澤は、夏川たち三人が着替え終わったのを確認すると、
「先行ってて。私、最後まで残るから」
と告げた。
「別にいいけど、残って何すんの?」
竹中の問いに、相澤は吐息と共に返す。
「誰かが間違えて私のローファーを持ってったなら、その誰かのローファーが一足残るでしょ? 先生への報告ついでにそれ持ってこうと思って」
「なら、私も一緒に残ろうか?」
夏川の申し出に、相澤は首を横に振る。
「ん。いいよ、悪いし。先に海行っといて」
早く行きなよと、相澤が手のひらを下向きにひらひらと振ると、夏川たちは仕方なくといった風に出口へと向かっていった。
それから、女子生徒全員が更衣室から出ていくと、相澤は、最後に三和土に残った、誰の物か分からない一足のローファーを片手に、更衣室を後にした。
***
蒼:あ、そういえば海水浴の時、女子の誰かがローファーを間違えて持っていったから、心当たりあるやつは後で言うようにって、先生が注意してたような
神楽:そうそれ
蒼:さっき相澤が言ってた、ローファーがなくなったっていうのはこのことか?
イツキ:いや、違う青空。相澤たちが言ってたのは「夏川のローファー」だ。「相澤のローファー」じゃない
神楽:本田君の言う通り。話はまだ続くよ。問題が起こったのはこの後。海から戻ってきてからなの
***
●二日目 午後六時三十二分
二日目の日程も終了し、相澤たち四人は、自分たちが宿泊するホテルへと戻ってきていた。部屋までの道中、相澤が竹中と雑談をしていると、相澤の少し前で夏川と話していた立花が突然振り返った。
「そういえば、結局出てこなかったね、相澤のローファー」
立花の言葉に、相澤は自身の足元をちらりと見て、小さく溜息を吐いた。
海水浴が終わり、生徒全員が水着から制服に着替え終わっても、相澤のローファーが出てくることはなく、結局相澤は、ビーチサンダルのままでホテルまでの帰路を辿ったのだった。そのことに、相澤は若干の腹立たしさを覚えつつも、仕方ないといった風に肩をすくめた。
「ま、どうせしばらくすれば出てくるでしょ。私のローファーと自分のローファーを間違えてる訳なんだし」
ローファーを脱いでいた海水浴中は気付かないにしても、ビーチサンダルからローファーに履き替えた今であれば、ローファーを間違えて持っていっていることに気付くだろうと、相澤は確信していた。
ローファーは履き続けることで、持ち主の足に馴染んでいく靴だ。自分が普段履いているローファーと、他人のローファーとでは、内側の形がまるで違う。いくら見た目が似ていても、履いてさえしまえばローファーの違いに気付くはずだ。
相澤の言葉に、立花もそれもそうかと頷き、再び前を向く。それからすぐに部屋の前に着き、相澤たちは部屋の中へと入っていく。
相澤は、持っていた荷物を椅子の上に置き、水着を干すための道具が何かないかと部屋を見渡した。すると、
………………あれ?
部屋の一ヵ所、そこに、ある筈のない物があることに気が付いた。
「相澤? どうした?」
一点を見つめて動かない相澤に気付いた立花が、相澤に声をかける。
「…………ある」
相澤は、呆然とした様子で言葉を返した。
「え?」
「私のローファー、ある」
相澤が指差した先、和室へとつながる敷居の前に、一足のローファーがあった。和室からリビングに出る際すぐに履けるよう、綺麗に揃えられたそれの色は黒。それは、相澤が普段履いているローファーと、同じ色だった。
その光景を見た立花は、顔を引きつらせ、震え声で相澤に疑問を投げる。
「……相澤、あんた、海で誰かにローファー間違えられて、そのままなんじゃなかった……?」
「いや、その筈、なんだけど……」
どういうことかという疑問が、相澤の脳内を占める。
……あれ、私、海までローファーで行ったよね……? 最初からビーサンで行ったとかじゃないよね……?
相澤は、つい数時間前の記憶を掘り起こし、ローファーを履いて海まで行ったという過去を再確認する。
……うん。私は今日、ローファーを履いて海水浴場まで行った。それは間違いない。そして、海で誰かにローファーを間違って持っていかれて、まだ見つかっていない。でも、ならどうして。
「――何でここに、私のローファーがあんの?」
***
目の前の光景を受け入れられず、相澤が立花と二人で固まっていると、
「――相澤ちゃん」
ベッドがある部屋で荷物を整理していた夏川が、困惑した表情で相澤たちに声をかけてきた。
「あの、私のローファー見なかった? この部屋の中で」
しかし、その問いかけに相澤は首を横に振る。
「いや、多分見てないけど……。ローファーがどうしたの?」
「ローファーが、見当たらなくて……。私、海にはスニーカーで行って、ローファーはホテルに置きっぱなしにした筈なんだけど、部屋のどこにもないの……」
「――え?」
相澤が思わず声を上げた横で、立花は何かにひらめいたように、あ、と声を上げる。
「ねえ侑里、あそこにあるローファーは? あれ、侑里のじゃない?」
そう言いながら、立花は和室の前にあるローファーを指差す。
立花の言葉を聞いて、相澤は、先程の自分の判断が間違っていることに気付いた。
……そっか。私のじゃなくて、夏川さんのローファーなら。
和室の前に置かれているローファーが相澤のものではなく、ホテルの部屋に置いていったという夏川のものであるならば、海水浴から帰ってきたばかりの部屋にローファーが置かれていることに説明がつく。
だが夏川は、そのローファーを見て、すぐに首を横に振った。
「ううん、違う。私のローファー、茶色のやつだから」
……夏川さんのローファーじゃ、ない?
和室の前にあるのは、黒色のローファーだ。だが夏川は、自分のローファーの色は茶色だと言った。
……普段から履いてるローファーの色を間違えるなんてありえないだろうし、あれは間違いなく夏川さんのローファーじゃないんだろう。
だが、そうだとすると当然の疑問が浮かぶ。
……じゃあ、誰の?
隣にいる立花も、夏川の後ろで様子を伺っている竹中も、その足にはローファーがある。消去法で考えると、相澤たちの部屋にあるローファーは、相澤のローファーということになるが。
……いや、だからそれはありえないんだって。
私はローファーを履いて海水浴場に行って、そこで誰かにローファーを間違えて持っていかれた。これは間違いない。でも、今私の目の前には、私のローファーがある。いや、正確には、私のローファーにそっくりなローファーだ。まだあのローファーが私のものと決まった訳じゃない。
……そう。問題はそこじゃない。
なぜなら、
……一番の問題は、あのローファーが私のものであろうが、この部屋の誰のものでもなかろうが、まず、そんなローファーが私たちの部屋にあるということだ。
そこまで考えて、相澤は問題のローファーにもう一度目を向ける。
……これは下手すると、最悪の可能性を考えないといけないかもしれない。
そうして相澤が黙りこんでいると、夏川が心配そうに話しかけてきた。
「どうしたの? 相澤ちゃん」
その声に、相澤は青褪めた顔で応えるしかなかった。
「――夏川さん。私のローファーが海で誰かに間違えられて、まだ戻ってきてないって話、さっきしたじゃない?」
「え、うん」
「ちょっと何言ってるか自分でもよく分からないんだけど。私のローファー、多分今私の目の前にあるんだわ」
「――え?」
相澤が指差した先、和室の前にあるローファーを視認し、夏川は目を見開く。
「え、あれ、美緒か結子のローファーじゃないの?」
「いや、私、自分のローファー履いてるんだよ」
ほら、と立花は自身の足元を指差す。
「私も履いてるよー」
そう言って、竹中も足元のローファーを指差す。
立花と竹中がローファーを履いていることを、夏川は確認すると、困惑した様子で言葉を漏らした。
「……じゃあ、あれ、本当に夏川ちゃんのローファーなの……?」
「――まあ、まだ決まった訳じゃないけども」
相澤は一度息を吐き、真剣な顔で夏川の方を向いた。
「夏川さん、立花さん、竹中さん。ちょっと、協力してほしいことがあるんだけど」
***
「相澤、さっき言われたこと、調べ終わったよ」
和室で自分の荷物を確認していた相澤は、立花の声かけに気付き、顔を上げる。
「ありがと。結構早く終わったね」
「まあ、三人がかりだしね。――で、何でうちらにこんなことさせたのよ?」
「……それは、今からちゃんと説明するよ」
相澤は立ち上がり、リビングスペースへと移動する。そこには、夏川、立花、竹中の三人が、テーブルを囲むように椅子に座り、相澤が来るのを待っていた。
相澤はそれを横目で見ながら、テーブルまで辿り着くと、一つ空いた椅子には座ろうとせず、そのまま口を開いた。
「とりあえず、私の方で分かったことを報告するね。まず、例のローファーは私のだった。色や特徴が同じっていうのもあるけど、履いた感じからしても、あれは私のローファーで間違いない。
――で、問題は次。私の荷物からなくなったものがあるかどうか、なんだけど。結論から言うと、何もなくなってはいませんでした。……そっちは? どうだった?」
相澤が三人に問いかけると、立花がそれに応じた。
「相澤と同じよ。私たちの荷物からなくなったものなんてなかった。鞄の中とか、この部屋のそこらじゅうを調べたけど、何一つ欠けることなく全部あったよ。――侑里のローファーを除けばね」
「とすると、やっぱり夏川さんのローファーはどこにもなかったんだね?」
相澤の問いかけに、夏川はこくこくと頷く。
「念のため聞いておくんだけど……。夏川さん、本当に部屋にローファーを置いていったんだよね?」
「間違いないよ! 私、嘘は言ってない!」
食い気味に応えた夏川を、相澤はどうどうとなだめる。
「大丈夫。疑ってる訳じゃないよ。ただ確認しておきたかっただけ」
そうして、相澤は語り始める。
「前提として、私はローファーで、夏川さんはスニーカーで海まで行った。そして、海で私のローファーはどこかにいき、戻ってきたホテルの部屋に私のローファーが置いてあった。その代わり、部屋に置いてあった筈の夏川さんのローファーがなくなった。
ーーそこから考えられる可能性は一つ」
それは、
「ーー私たちがホテルから出かけている間に、私たち以外の誰かが、この部屋に入ったってこと」
その言葉に、三人は息を飲む。
「さっき皆に荷物を調べてもらったのは、ローファーの他に持ち去られたものがあるかを知りたかったから。……ま、その心配は必要なかったみたいだけどね」
「……誰かって、誰が」
無音の部屋に、立花の声がポツリと響いた。相澤は、誰なのかは分からないと首を横に振ろうとするが、それより早く、竹中があのさと声を上げた。
「ホテルの従業員の人が、先生とか生徒の誰かに頼まれてローファーを置きにきたっていうのは? ホテルの人なら、部屋の鍵を持ってても不思議じゃないし」
「いや、それだと夏川さんのローファーが部屋から持ち出されたことの説明がつかないよ。ホテルの人がお客様の荷物を勝手に持っていくのはおかしいでしょ?」
それもそうか……と竹中は呟くと、腕を組んで再び口を閉じた。
「誰がやったのかは、私にも分からない。そもそも、鍵がかかっていたこの部屋に入って、私のローファーを置いて、夏川さんのローファーを持っていったその方法も理由も、全く分からないんだから。……訳が分からなすぎて、正直気味が悪いよ」
相澤は吐き捨てるようにそう言うと、引きつった笑みを浮かべた。
***
●二日目 午後六時五十分
部屋での合議を終えた相澤たちは、午後七時から始まる夕食に間に合うよう、ホテル内のレストランへと向かっていた。その道中、相澤は気だるげに後ろの三人に話しかける。
「とりあえず、夕飯前に先生たちに報告しちゃおっか」
「……うん。そうするのが、一番だよね」
あまり乗り気ではない様子の夏川に、相澤は横目を向ける。
「――やっぱり、大事にはしたくない?」
「ううん、そうじゃなくて。私たちの部屋に入った人は、何でこんなことしたんだろうって……」
……夏川さんの言う通り。一番分からないのは動機だ。犯人が、ローファーの入れ替えを行った理由。
「確かに。私のローファーが置いてあったのは、部屋に返しにきたで一応説明がつくけど、夏川さんのローファーが部屋から持っていかれたのは、どうしてなのかが全然分からないのよね」
相澤が唸っていると、竹中が片手を挙げ、じゃあさと言葉を続ける。
「勘違いした、っていうのは? 相澤のローファーを返しに部屋に入ったけど、そこに別のローファーがあったもんだから、自分のやつだと勘違いして持っていっちゃった、とか」
「うーーーーん」
……竹中さんのその推理は、可能性の一つとしてはありえるような……いや、よく考えたらないような気もする。どっちだよ。もう分からん。
結局のところ、情報の少ない今の状況で推理をすること自体が意味のないことなのだ。今私たちがどれだけ推理を展開したところで、それが合っているのかも間違っているのかも判断することが出来ないのだから。だから、
「理由なんて今考えても仕方ないし、先生たちに報告して、後はもう任せた方がいいよ」
こんなことを言うなんて、「快楽主義者」らしくないなと思いながら、相澤はその言葉を口にする。「快楽主義者」なら、こんな中途半端な状態で先生たちに任せるなんてせずに、どんな手段を使ってでも、事件をを調べようとする筈だ。
……別に、日和った訳じゃない。面倒事を避けたがるのは元からだ。ーーそこに面白さがあれば話は別だけど、今回は岡本くんの告白騒動の時とはまるで違う。
不法侵入に、盗難。実際に被害が出ている中で楽しんでなんていられない。まして、見知らぬ地で、犯人が誰かも分からない状況の中、女子高生一人で動くのはあまりにも危険すぎた。
……だから、今回は手を引こうってね。
「快楽主義者」としては、この選択は間違い。だけど私は、自分の力を過信する馬鹿でも、他人の不幸を素直に喜ぶ人でなしでもない。だから、こういう選択をしても別にいいのだ。
そうこうしているうちに一階のレストランに着いた相澤たちは、レストラン内へと足を踏み入れる。
だが、
「……あれ?」
レストランに入ってすぐのところに並べられている長机の前で、夏川が立ち止まった。
「侑里? どうしたの?」
「あ、うん。ちょっと……」
夏川の様子に気付いた竹中が声をかけるが、夏川はぎこちない返事をするばかりで、そこから動こうとしなかった。
「……とりあえず、先にテーブル向かっとくね」
夏川と竹中をその場に残し、相澤は立花と共にレストランの中へとさらに進んでいく。まだ誰も来ていないテーブルの間を抜け、好きな席に座ると、立花は頬杖をついて入り口の方へと目を向けた。
「どーしたんだろ、侑里」
「さあ。何か気になるものでもあったんじゃない?」
「気になるものって?」
「それは私も分かんないけど」
相澤は、立花と雑談を交わすことで、夏川たちを待っていたが、しばらくして、竹中だけが相澤たちの席にやってきた。
「結子、どうしたの? 侑里は?」
夏川の姿が見当たらないことを不思議に思ったのだろう。立花が竹中に声を掛けると、竹中は困惑した表情で口を開いた。
「――何か、あったみたい。侑里のローファー」
時間にして五秒。三人の間に沈黙が流れ、
「はあ⁉」
期せずして、相澤と立花の声が重なった。
「待って待って待って。あった? 夏川さんのローファーが?」
「うん」
「どこから!? どこから見つかったの結子!」
「――あの中」
そう言って竹中は、レストランの出入り口近くにある長机を指差した。
「あれ、海水浴場の落し物コーナーなんだけど、そこに、侑里のローファーがあったらしいの。本物かどうかは、私じゃ分かんないけど……」
「私のだよ。間違いない」
いつの間にきたのか、夏川は先程まで持っていなかったビニール袋を片手に、竹中の後ろに立っていた。
「いや、いやいや。おかしいでしょ。何で海の落し物コーナーの中に、ホテルの部屋からなくなった筈の夏川さんのローファーがあるのよ」
相澤が異論を唱えると、夏川は不恰好な笑みを浮かべた。
「うん、私も、よく分からなくて……。私、今日、ホテルにローファー置いてった筈なんだけど……でも、あそこから見つかったってことは、海まで履いていったのかな、私……」
段々と声を震わせていく夏川に、相澤たちは何も返すことが出来なかった。自分たちが、どれほど不可解な事態に巻き込まれているのかということを理解してしまったが故に、彼女たちはその場で黙り込むしかなかった。
***
●二日目 午後九時十二分
夕飯を食べ終えた相澤たちは、部屋へと戻り、各々が寝る準備を進めていた。その中で、相澤は和室に敷かれた布団の横で荷物の整理をしながら、今日起こった一連の出来事について考えを巡らせていた。
……海でなくなった筈の私のローファーがホテルの部屋で見つかって、ホテルの部屋に置いていた筈の夏川さんのローファーが、「海水浴の時の忘れ物」としてホテルのレストランで見つかった。
――うん。状況がどんどん複雑になってきてるの、ほんと勘弁してほしい。
誰かが相澤たちの部屋に入ったと仮定して、問題は、どうやって相澤たちの部屋に入ったのかということと、何故相澤のローファーを部屋に置いて、夏川のローファーを持っていったのかということだ。部屋への侵入経路は出入り口のドアと窓の二つ。だが、相澤たちが帰ってきた時、窓の鍵は閉まっており、そもそも相澤たちの部屋は四階にあるため、窓から侵入するのは不可能に近い。そのため、侵入経路は出入口のドアということになる。
……だけど、ここで問題が一つ。
相澤たちが海からホテルに戻ってきた時、部屋には鍵がかかっていた。部屋の鍵は、相澤たちが出かける際にホテルの受付に預けていたため、彼女たちが不在の時に部屋に入るには、受付で鍵を借りる必要がある。だが、
……ホテルの人が、私たちの部屋の鍵を、無関係の人間に簡単に貸すとは考えづらい。そもそも、もし鍵を上手く借りることが出来たとして、私のローファーをこの部屋に置きにくる時間があったかどうか。
今日相澤たちがホテルを出たのは、朝の八時半。海に着いたのは午後一時過ぎで、ホテルに戻ってきたのは夜の六時半前後。海に到着してからホテルに戻るまでの間に、学校側の人間がホテルに一度戻ったというようなことは、少なくとも相澤の記憶にはない。とすると、相澤たちがホテルに到着してから受付で鍵を受け取るまでのほんの数分程度の間に、一階の受付で相澤たちの部屋の鍵を借り、四階の部屋で一連の行動を終えてから、再び一階まで鍵を返しにいったということになる。
……いやいやいや、たった数分の間にこれだけのことをこなすなんて、どう考えても不可能だろ。
自分の推理に、相澤は思わず引きつった笑みを浮かべる。
……受付で鍵を借りるのも無理。もし仮に借りることが出来たとしても、一連の行動をこなすことすら不可能。――つまり誰であろうと、このローファー入れ替え事件を起こすことは、現実的にありえない。
「……………………」
……うっそでしょ。
謎を解き明かすどころか、完全に行き詰ってしまったことに、相澤は頭を抱えこむ。そんなことある訳がないと、自身の推理に矛盾がなかったかもう一度思考を巡らすが、やはり同じ結論へと辿りついた。
……いや、落ち着け私。現実的にありえない、なんてことはありえない。実際に事が起きている以上、実行した人間がいないなんてことはありえない。限られた情報で推理しようとしているから、正解に辿りつけないんだ。
――なら、今ここで考えこんでも意味はない。
相澤は自分の推理に見切りをつけると、寝間着替わりのジャージを片手に立ち上がる。シャワーでも浴びて頭をすっきりさせようと、浴室へと歩みを進めていく。その道中、
……あれ?
ふと何かに違和感を覚え、相澤は足を止めた。ゆっくりと振り向き、今自分が歩いてきた場所を確認する。奥に和室。右側にはベッドのある部屋へと通じる扉があり、今は閉まっている。左側には先程話し合いをしたテーブル。空いている椅子の一つに夏川が座り、ごみ一つ乗っていないテーブルに寝そべるようにしてスマートフォンをいじっていた。
……何かおかしなところがある訳じゃない、のに、なんで私は、さっき違和感を覚えた?
気のせいかと思いながらも、もう一度室内を見渡し、相澤はあること気が付いた。
……あ、違う。「ある」んじゃなくて、「ない」んだ。
相澤が修学旅行中に食べようと持ってきていた、市販品のスナック菓子。ホテルに着いてから、テーブルの上に置いていた筈のそれが、今はどこにもその姿がなかった。
「……夏川さん、ここにあったじゃ○りこ知らない?」
「え? ――んー…。けっこう前からここにいるけど、最初からなかったと思うよ?」
夏川が首を横に振るのを見て、相澤は引き攣った笑みを浮かべたまま固まった。
……なかった? いつからなかった? 夏川さんがここでスマホをいじり始めた時から? ――いや、待って。そもそも私、今日この部屋に戻ってきてから、一回もじゃ◯りこなんて見てないんじゃないか?
相澤は、今日一日の自身の記憶の中で、じゃ○りこの姿を探す。所々曖昧な部分はあるものの、相澤の覚えている限り、朝出かける時にテーブルの上に確かにあったじゃ○りこは、夕飯前の話し合いの時にはその姿を消していた。
「……相澤ちゃん? どうしたの?」
笑みを浮かべたまま微動だにしない相澤を見かねたのか、夏川が声をかけてくる。相澤はその声に我に返ると、震えた声で呟いた。
「………………なくなった」
「え?」
「…………私のじゃ○りこ、なくなった」
夏川曰く、その時の相澤は、今まで聞いた中で一番悲壮な声を出していたという。
***
神楽:と、いうことがあったのよ
神楽:何か反応しなさいよ
イツキ:いや、反応しろといわれても
蒼:どう反応すればいいのか分かんねえよ
ユーリ:うん。そうだよね。私たちも、最初どうすればいいか分からなかったもん
神楽:どうすればいいか分からなかったというか、次に何をするべきかは分かってたんだけど、行動に移せなかったというか
神楽:頭の中が、何故? って、疑問でいっぱいで、そこから行動するまでの余裕がなかったのよね
イツキ:まあ、気持ちは分からなくはない
イツキ:海で消えたローファーがホテルの部屋で見つかって、ホテルの部屋に置いていたはずのローファーが海水浴の落し物として出てきたんだからな。ついでに、相澤のじゃ◯りこもなくなってた
イツキ:当然の反応だろ
蒼:なんか俺、頭が混乱してきた……
神楽:起きたこととしては簡単なんだけどね。ただ、その「起きたこと」が起こるには、私たちの部屋に第三者が侵入したっていう、本来ありえちゃいけない前提条件が必要になるんだよね
イツキ:まあ、単純に盗まれた訳じゃないってことは分かった。じゃ○りこはともかくとして、ローファーは結局持ち主に返ってきてる訳だからな
イツキ:ただ夏川、お前最初に「誰がどうしてローファーとじゃ○りこを持っていったのか知りたい」って言ったな
イツキ:つまりそれは、夏川たちの部屋に無断で入った人物を突き止めろってことだ。誰がローファーとじゃ○りこを持っていったのか、本当に突き止めていいんだな?
神楽:おっと本田君、特定できる自信があるんだね?
イツキ:茶化してごまかそうとするな
イツキ:いいか? 今お前たちは、特進の生徒の中から、不法侵入と窃盗を犯した奴を見つけようとしてる。今ならまだうやむやにできることを、わざわざ暴こうとしてるんだ
イツキ:それがどういう意味か、分からない訳じゃないよな?
神楽:分かってるよ。分かった上で、私も夏川さんも犯人探しをしてる
蒼:本当かよ。侑里は納得してるのかよ
ユーリ:大丈夫。相澤ちゃんの言う通りだよ
ユーリ:本田君の言いたいことは分かるよ。確かにローファーは戻ってきてるんだし、誰がやったのか今さら分かったところで良い事なんて一つもない。このまま大事にせず、穏便に終わらせた方が絶対いい
ユーリ:だけど、このまま誰がやったことなのか分からないまま、残りの高校生活を過ごすのはもっと嫌なの。それが、私が犯人探しをしたい理由だよ
神楽:私も夏川さんと同じ意見。あと私としては、じゃ○りこを返してほしいしね
イツキ:分かった。じゃあ話を進める
イツキ:とりあえず、だ。さっきの相澤の話を、事実と推測に分ける
蒼:事実と推測?
イツキ:さっきの話は相澤の主観だろう? だからまず、間違いなく起こった事実と、相澤が事実だと決めつけてる推測の二つに分ける。今の段階で何が分かっていなくて、何を調べていくべきなのかがはっきりすれば、明日の行動方針も立てやすいだろ?
蒼:おお……すごいな樹
イツキ:別にすごくない。相澤が、僕達に求めてる役割をこなしてるだけだ
神楽:さっすが本田君。よく分かってるわー
イツキ:ちなみに確認だけど、相澤は今日、間違いなくローファーで海まで行ったんだな?
神楽:間違いないよ。これ、今日の午前中に行った水族館の時の写真。ちゃんとローファー履いてるでしょ?
蒼:一応言っとくけど、校則違反だからな。修学旅行中のスマホの使用
神楽:分かってますー。先生に見つからないようにこっそり撮りましたー
イツキ:まあともかく、「相澤がローファーを履いて海水浴場まで行った」は事実として証明できた訳だ
蒼:なあ樹
イツキ:何だ青空
蒼:この写真、夏川も写ってるよな? じゃあ、「夏川がスニーカーで海まで行った」っていうのも証明できるんじゃないか?
イツキ:そうだな。それも事実だ
神楽:それさ
神楽:「夏川さんがスニーカーを履いて海まで行った」が事実なら、逆説的に言えば「夏川さんは、自分のローファーをホテルの部屋に置いていった」も事実ってことになるよね
ユーリ:うん。ローファーは、和室の手前のところに揃えて置いておいた筈だよ
イツキ:なるほど
イツキ:青空、大丈夫か? ついてきてこれてるか?
蒼:逆に聞くけど、樹は俺がついていけてると思ってるのか?
イツキ:思ってない。面倒だから解説省いてもいいか? いいよな
蒼:断らせるつもりがまるでないな!
イツキ:という訳で、次いくぞ
神楽:じゃあ、私のローファーが海でなくなった件、いってもいい?
イツキ:いいぞ
イツキ:まず、本当にローファーの取り違いが起きたのかどうかから
蒼:そこから!?
イツキ:当たり前だ。全部疑うからな
イツキ:さっきの話にも出てたけど、ローファーの色とか特徴とか履いた時の違いとか。男の僕らだとピンとこないから、説明してくれると助かる
神楽:りょーかい
神楽:ローファーの色は黒と茶色の二種類。特徴っていう程のものはないけど、強いていうならヒールがあるかないかかな
蒼:……ヒールついてるローファーなんてあったか?
ユーリ:あるよ
ユーリ:パッと見分かりにくいし、学校指定のものじゃないから、皆大っぴらには言わないけど
神楽:ちょうどいいから、ここで私たちの班のローファーの違いまとめとくわ
神楽:私→黒。ヒールなし
夏川さん→茶色。ヒールなし
立花さん→茶色。ヒールあり
竹中さん→黒。ヒールあり
蒼:見事に全員ばらばらだな
神楽:ただの偶然だけどね
神楽:で、履いた時の違いだけど
神楽:ローファーって革靴だから、ずっと履いてると足の形に馴染んでくるんだよね。だから他の人のローファーを間違えて履くと、これ違うなって分かるわけ。自分の足の形とは違う訳だから
イツキ:なるほど
イツキ:じゃあ、相澤が更衣室で自分のローファーがないって判断したのは何だ? 色、特徴、履いた感じのどれかか? それとも何か他の理由で?
神楽:最初は見た感じ。ローファーを履き替えた場所に、私のローファーが見当たらなかった。試しに近くにあった、似たローファーに足を突っ込んでみたけどやっぱり違う。見落としてるだけなのかと思って、一応最後まで残ってたけど、特徴からして絶対に私のじゃないローファーが残った。だから、私のローファーは、誰かが間違えて持っていったと判断したの
イツキ:その残ったローファーの色と特徴は?
神楽:黒。ヒールあり
イツキ:逆に考えよう
イツキ:さっき相澤は、履けばローファーの違いは分かると言った。なら、どうしてローファーを間違えて持っていった奴は、ローファーを間違えたことにすぐに気付かなかったんだ?
神楽:単純に、ローファーを履く機会がなかったから、だと思う
蒼:機会がなかった?
ユーリ:水着に着替え終わった後で、ビーチサンダルに履き替えたからね。ローファーやスニーカーは、袋に入れて、各自で保管だったし。だから、履く機会がなかったんだよ
神楽:そゆこと
イツキ:分かった。なら、「ローファーの取り違いが起きた」は事実でよさそうだな
蒼:それ、「相澤のローファーを、誰かが間違えて持っていった」じゃダメなのか?
イツキ:んー。ちょっと違うな
イツキ:「海水浴の着替えの時に、相澤のローファーを誰かが持っていった」は事実でいい。だけど、それが故意によるものなのか過失なのかはまだ判断できないだろ?
イツキ:だからこの場合、
事実→海水浴の着替えの時に、誰かが相澤のローファーを持っていった
推測→相澤のローファーを持っていったのは故意ではなく過失
ってことになる。
神楽:あー…、何か評論文解いてる気分になってきた
蒼:嫌な例えするなよ…
イツキ:まわりくどい推理だけど我慢してくれ。僕だってこんなこと初めてなんだから
神楽:いや、こっちも慣れないことしてるし、お互い様でしょ
ユーリ:すごい今更だけど……。岡本くんも本田くんも、巻き込んじゃってごめんね……
神楽:別に謝らなくてもいいんじゃない? 今更すぎるし
イツキ:確かに今更感はあるけど、お前がそれを言うんじゃない
神楽:ていうか、確かに巻き込んだのはこっちだけど、途中からノリノリで参加してきたんだから文句言う筋合いないでしょ君たち
イツキ:そろそろ日付越える時間だっていうのに元気だなこいつは
ユーリ:えっと、二人とも、喧嘩はだめだよ?
蒼:夏川、喧嘩じゃないから大丈夫だ
蒼:俺の知ってる相澤と樹の会話ってこんな感じだから
ユーリ:随分と物騒な会話だね……?
イツキ:話を戻すぞ
イツキ:「海で、相澤のローファーが取り違えられた」は事実で間違いないとして、次の問題はその後だ
イツキ:ホテルの部屋で見つかったローファーは、本当に相澤のものだったのか?
神楽:まあそれは間違いなく
蒼:部屋にあったっていうローファーは黒だったんだよな?
ユーリ:うん
神楽:言っとくけど、色だけで判断した訳じゃないからね。さっき経緯説明した時に書いたけど、実際に履いてみて、私のローファーだってはっきりしたんだから
イツキ:まあ、そこは相澤の感覚を信じるしかないな
イツキ:で、次だ。夏川のローファーが部屋からなくなった件
神楽:和室の手前のところに、揃えて置いてたんだよね?
ユーリ:うん
蒼:なのに、海から戻ってきたら、夏川のローファーは部屋からなくなっていた……
イツキ:原因は大まかに考えて、自然的なものか人為的なものかの二つ。まあ、奇跡が奇跡を呼びでもしない限り、夏川のローファーが自然的に部屋からなくなるなんてことは起こりえないから、人為的によるものだとみて間違いない
蒼:つまり、夏川たちの部屋に、誰かが入ったっていうのは事実?
イツキ:そういうことになる
蒼:でも、それが事実になるなら、おかしなことにならないか?
イツキ:おかしなことっていうと?
蒼:今日出かける時、部屋の鍵はホテルに預けただろ? その誰かは、一体どうやって夏川たちの部屋に入ったんだ?
イツキ:分からん
神楽:ですよねー
イツキ:まあ、これは明日調べないといけない課題だな。現時点では、とにかくどうにかして部屋に入ったんだろうとしか言い様がない
蒼:どうにかしてっていっても、方法なんて限られてるだろ。鍵を使ってドアから入るか、後は……窓からとか?
神楽:四階の部屋に、窓から侵入してくる馬鹿は流石にいないと思いたいけどね……
イツキ:その二択ならドアからだろうな。あくまで、事実に近い推測ってところだけど。問題は、どうやってドアの鍵を開けたのか、だ
神楽:ピッキングで開けたっていうのは?
イツキ:まあ、可能性の一つとしてはあるだろうな
蒼:部屋の前でピッキングなんてやってたら、目立ちそうだけどな
ユーリ:あと、時間の問題もあるよ
ユーリ:私たちが海からホテルに着いてから、部屋の鍵を開けるまで十分もかかってないはず。そんな短い時間に、一連の行動をするのは無理があると思う。海水浴の途中でホテルに戻ったのなら出来るかもしれないけど、そんな人はいなかったはずだし……
神楽:ねえ本田君。そのことで確認したいことがあるんだけど
イツキ:なんだ?
神楽:君たち理系クラスって、文系クラスの私たちより、先にホテルに戻ったよね?
イツキ:……ああ、そうだな
神楽:てことは、理系クラスの人なら、鍵を開ける手段さえあれば、私たちがホテルに戻ってくる前に諸々の行動を全てすることができるよね?
イツキ:つまり、相澤はこう言いたい訳か
イツキ:僕たち理系クラスの中に、相澤たちの部屋に不法侵入した人物がいると
神楽:というか、実際それ以外考えられないでしょ
蒼:――じゃあ、犯人は理系クラスの人間ってことか?
イツキ:いや、まだ決めつけるのは早い
神楽:結論を急いでるって言いたいの?
イツキ:そうじゃない。そもそも三人とも、今回の事件は単独犯の仕業だと思ってるだろ
蒼:思うも何も、だって、そうじゃないのか?
ユーリ:私も、そうだと思ってたけど……
神楽:いや、待って
神楽:そうだ。くっそ。そういう可能性だってあるじゃんか
蒼:待て待て待て。一人で納得するな。ちゃんと分かるように説明してくれ
イツキ:つまりな。今回の事件は、複数の人間による犯行の可能性もあるってことだ
***
イツキ:今回の事件は、
①海水浴の時に、相澤のローファーを間違えて持っていく
②相澤たちの部屋に入って、相澤のローファーを部屋に置いていく
③相澤たちの部屋から、夏川のローファーを持ち出す
④相澤たちの部屋から、相澤のじゃ○りこを持ち出す
⑤レストランに夏川のローファーを置く
この五つの行動に分けられる
イツキ:①を行った人物をA、②を行った人物をB、③を行ったC、④を行った人物をD、⑤を行った人物をEと仮定すると、A=B=C=D=Eの式が成立しない限り、同一人物の犯行とは言えない
蒼:そ、そうだな……?
神楽:式とかやめてよ頭が痛くなる
イツキ:ああ、お前数学苦手だったな……
神楽:で? 具体的にどうやって調べてくのよ?
イツキ:まず、今僕たちが持っている情報で、ABCDEそれぞれの絞り込みをしていく
神楽:それで何の情報が足りないのかが分かれば、明日の行動方針も立てられるって訳ね
イツキ:そういうこと
イツキ:じゃあ、まずはAから
神楽:これは普通に考えて、特進クラスの女子生徒の誰かでしょ。それ以外ありえない
ユーリ:うん、そうだね。女子更衣室で起きたことだし、あの時あそこには、特進クラスの女子しかいなかったから
イツキ:それ以外だと? 何か絞れる条件はあるか?
神楽:ない。強いていうなら、私たちの班以外の誰かってことぐらい
イツキ:分かった。次、Bにいこう
蒼:これは……理系クラスの誰かってことになるのか?
イツキ:そうだな、一回検証してみようか
イツキ:Bにあてはまる条件は、「海で相澤のローファーを手に入れてから、相澤たちがホテルの部屋に入るまでの間に、相澤たちの部屋に入り、出てくることが出来た人間。なおかつ、相澤たちの部屋の鍵を入手することが出来た人間」だ。でも、
イツキ:海水浴場からホテルまではバスで移動するしかない。だけど海水浴の最中、バスが動いた様子はなかった。つまり、さっき夏川も言った通り、海水浴に参加した人間は、誰も途中でホテルに戻っていないんだ
イツキ:ここでBの条件が少し変わる。
「海で相澤のローファーを手に入れてから、相澤たちがホテルの部屋に入るまでの間」
↓
「海水浴が終わった後、ホテルに到着してから、相澤たちがホテルの部屋に入るまでの間」
になる
イツキ:そしてこれが物理的に可能なのは、相澤たち文系クラスより先にホテルに戻っていた、僕たち理系クラスだ
神楽:時間的猶予はどれくらいあったの?
イツキ:僕らは六時くらいにはホテルにいたから、三十分くらいじゃないか?
蒼:それくらい時間があれば、まあ余裕だろ
ユーリ:じゃあ、Bの条件は「理系クラスの生徒である」で決まりで。これは、Cにも当てはまるよね?
イツキ:いや、Cはまた別条件になる
イツキ:Bは「海からホテルに戻ってきてから」じゃないと実行できないけど、CそしてDは、いつでも実行可能なんだ
イツキ:だからCとDに関しては人物の絞り込みができない。強いていうなら、「相澤たちの部屋に入ることができた人物」ってだけだ
蒼:じゃあ、それは明日調べることになるのか?
イツキ:そうだな
イツキ:で、最後にEだけど、その前に確認しておきたいことがある
蒼:なんだ?
イツキ:相澤たちがレストランに着いた時、他に生徒は来てなかったんだな?
神楽:うん。私たちが一番最初だったよ
イツキ:なら、Eを突き止めても意味がないかもしれない
神楽:どういうこと?
イツキ:質問に質問を返すようで悪いけど。夕飯を食べにレストランに行った時、そこに海水浴の落し物が置かれてるって、お前らは知ってたか?
神楽:……いや、着いてから知ったかな。なるほどつまり、犯人に関しても同じことが言える訳だ
イツキ:そう。落し物コーナーが作られているというのは、実際にそのコーナーを目にするまで、生徒は誰も知らなかったはずだ。事前に知っていたならともかく、知らなかったのであれば、Eはレストランで落し物コーナーの存在を知ってから、一度自分の部屋に戻り、夏川のローファーを持って再びレストランに訪れている筈なんだ
イツキ:他所の部屋から持ちだした物を、特に理由もなくおいそれと持ち歩くことなんてしないだろうからな
神楽:やってたら間抜けすぎるわ
イツキ:夏川のローファーはレストランの出入り口に置かれていたのに、相澤たちがレストランに着いた時、他の生徒は誰も来ていなかった。この時、Eはどこにいたんだ?
蒼:ローファーだけ置いて、どこかに隠れてたんじゃないか? 夏川たちが来る前にレストランにいたら、自分が犯人ですって言ってるようなもんだし
イツキ:一人でならそれも可能だけど、同じ部屋のメンバーはどうする?
蒼:……一緒に隠れてもらうとか?
神楽:どう言い訳するのよそれ
ユーリ:じゃあ、一人だけ先にレストランに向かったっていうのは?
イツキ:あるいは、部屋にいた全員がグルだったか
神楽:海での忘れ物として、先生かホテルの従業員の人に渡した結果、レストランに置かれた可能性もあるねえ
蒼:ぜんっぜん決まらねえんだけど
イツキ:というか、E本人が今回の事件と直接関わりがあるっていう考えを改めるべきなんだろうな。Eに夏川のローファーを渡した人物――この場合Fとでも呼ぶべきか。とにかくFの存在も考えないといけない訳だ
蒼:……えっと、どういうことだ?
ユーリ:つまり、私のローファーを落し物コーナーに置いた人と、置くように指示した人が別にいる可能性があるってこと
イツキ:置くところまで具体的に指示を出したかは微妙だけどな。ただの落し物、忘れ物として渡しただけかもしれない
神楽:とすると、EとFの条件は、「どちらかもしくは両方が、レストランに落し物コーナーがあることを事前に知っていた」ってことになるね
イツキ:その場合、僕たち生徒は、EとFのどちらかからは除外される。他から証言をとった訳じゃないから、まだ推測ではあるけど、「特進クラスの生徒は、レストランに落し物コーナーが作られていることを事前に知らされていなかった」からな
神楽:Eが生徒だった場合、Fは生徒以外の人物。Fが生徒だった場合、Eは生徒以外の人物ってことだね
蒼:生徒以外の人物で、落し物コーナーのことを知っていた人物っていうと……
ユーリ:先生か、ホテルの従業員の人?
イツキ:だろうな
蒼:じゃあ、まずはそこに聞いてからか
イツキ:ああ。EFのどちらかを確定させて、そこから絞りこみをしよう
神楽:教師に聞くならぼかしなさいよ。間違っても、正直に事情を説明なんてしないでね
蒼:分かってるって
イツキ:よし
イツキ:あらかた確認できたから、明日やることについて整理しよう
イツキ:明日調べないといけないのは、次の五つ。
①海水浴から戻ってきた際、鍵を間違えて持っていった人物がいたかどうか→ホテルの従業員
②犯人の手掛かりになるようなものが、相澤たちの部屋に残っていないか
③海水浴時に、ローファーを間違えて持っていった人物の特定→特進クラスの女子生徒
④海もしくはホテル内で不審な行動をとっていた人物はいたか→特進クラスの生徒
⑤レストランの落し物コーナーにローファーを置いた人物、もしくはローファーを預けてきた人物の特定→教師、ホテルの従業員
イツキ:①と②と⑤は優先して調べてくれ。明日は朝からタクシー研修で、ホテルにいる時間が短いからな
蒼:なあ
蒼:ホテルの人に直接聞かないといけないやつは仕方ないにしても、それ以外のやつって、わざわざ明日調べなくてもいいんじゃないか?
蒼:明日タクシー研修で皆ばらばらに動くし、修学旅行が終わってから、ゆっくり調べてもよくないか?
イツキ:それは駄目だ
神楽:それはダメだよ、岡本君
イツキ:人の記憶っていうのは厄介で、時間が経つたびに色んなことを忘れていく。その上、自分に都合の良いように記憶を書き換えて、あたかもそれが実際に起きたことかのように思い込んでしまうんだ
イツキ:修学旅行が終わってからじゃ遅い。皆の記憶が新鮮な内に情報を集めきらないと、この事件は間違いなく詰む
神楽:リミットは四日目の帰る時まで、かな。事件の解決まで含めて、この修学旅行中に終わらせてしまいたい
イツキ:そういうことだ
蒼:おう……分かった
ユーリ:ホテルにいる時とタクシー研修でそれぞれ聞き込みをしていくとして、いつ情報をまとめるの?
神楽:うーん、先生の目もあるし、聞きだした情報をここに書き込んでくのは難しいよね。どこかで落ち合って直接話が出来ればいいけど……
蒼:明日全員集まる機会なんてあんのか……?
ユーリ:あ、はい!
ユーリ:私たち、最後にアメリカンビレッジに行く予定なんだけど、岡本くんと本田くんは?
イツキ:確か、一番最後に行く予定だ
蒼:俺も! 最後がアメリカンビレッジだった
神楽:じゃあちょうどいいね。明日は各自聞き込みをしていって、最後にアメリカンビレッジで情報交換ってことで
イツキ:分かった。アメリカンビレッジに着いたら、スマホでこっそり連絡してくれ。じゃ、明日に備えて、いや、日付もう越えてるな。今日に備えて、今はもう寝るぞ。解散
蒼:おう、また明日な!
ユーリ:そうだね。明日頑張ろう! おやすみなさい
神楽:おやすみー