一日目
●AM7:00
朝七時、相澤香楽は空港にいた。学校の制服を身に纏い、すぐ側にはキャリーケースを置いて、空港の建物内のアクセスプラザの隅のスペースに立っていた。周りには、相澤と同じ服装をした若い男女が集まっている。
今日は、相澤の通う高校の修学旅行の出発日だった。行き先は常夏の地、沖縄県。
集合時間にはまだ早いが、もうそれなりの人数がそこに集まっていた。一般客の邪魔にならないよう、彼らは出来る限り隅の方へと群れをなしていた。
ほとんどの者が、親しい人間との談笑を楽しんでいる中、相澤は、
「……………………」
……もう、半分経ったのか。
壁に背を預けながら、一人感傷に浸っていた。
大学入試を視野に控えているため、高校の修学旅行は大抵二年時の半ばに行われる。相澤達の学校は少し遅く、十月の下旬に日程が割り当てられていた。
それはつまり、高校生になって、もう半分以上が過ぎたということ。裏を返せば、もう半分も高校生でいられる期間はないということだ。
……きっと修学旅行が終われば、受験勉強に追われる日々になるんだろうなあ……。
正直言って、めんどい。
「やんなるなあ……。ほんと」
ぼそりと呟く。
相澤は、快楽主義者だ。
快楽主義者とは、人生の目的価値の基準を快楽を求め苦痛を避けることにおき、道徳でさえ快楽を実現する手段とする人間のことを指す。そして、相澤にとっての快楽とは、他人の極端な感情変化が表れる行動を傍観すること。
快楽を満たすためならば、彼女は友人面など平気で行う。偽善や欺瞞も基礎中の基礎だ。
だが、
……受験、か。
相澤は成績不振者ではない。出来ないのは数学だけで、他の教科を含めれば、上位層に食い込む人間だ。しかし、出来るからといって、自ら進んでやるほど勉強が好きな訳ではなかった。
では、何故学ぶのか。理由は簡単だ。
……知識は、武器になるから。
知っていれば知っているほど、この社会では有利に動く。だから学ぶ。だから覚える。そのための勉強は、あまり楽しいものではない。知識をひけらかしてこそ、人は初めて快感を得るのだ。
故に相澤は、この先の学生生活に落ち込んでいた。受験が始まることで、自分が求める快楽に、素直に手が出せなくなる可能性を危惧して。
そうして、溜息を吐こうと口を開いた時、
「クラスごとに列で並べーー!!」
教師の声が建物内に響いた。
相澤は顔を上げ、意識を現実へと向ける。時計の針は集合時刻を指しており、先程より周りに人が集まっていた。
……ま、受験がどうにしろ、せめて修学旅行が終わってから考えるか。どうせこれからは、辛いことのほうが多いんだから。だったら、今を目一杯楽しもう。--そのほうが、快楽主義者である私らしい。
そう思い、結論づけ、相澤は自分のクラスメイトが集まっている方へと歩き出した。
***
●PM6:40
相澤達が泊まるホテルは、一・二泊目と三泊目とでは別に分かれている。
最初に泊まるホテルでは、一部屋に四人。部屋は、入ってすぐの空間がリビングとなっており、奥にはさらに部屋が二つ隣接している。入口から見て、左の部屋は和室となっていて、畳まれた状態の布団が二つ置かれており、右の部屋にはベッドが二つある。
高校の修学旅行で使う部屋にしては、結構な広さを有していた。
「疲れたーー!」
相澤はそう叫び、ベッドへとダイブする。
……あー。癒されるわー。
枕に顔をうずめながら、相澤は体中の力を抜く。
修学旅行一日目の日程も無事に終わり、相澤達は、今日宿泊するホテルの部屋にいた。
四〇九号室。そこが、相澤の泊まる部屋だ。
「相澤ちゃーん。ダイブするのはいいけど、寝ないでよー。夕飯の時間までそんなにないからねー」
相澤がベッドの上をごろごろ転がっていると、同室の夏川侑里が、相澤に注意の言葉をかける。
「だーいじょーうぶー」
それに対し、相澤は実に気のない返事をすると、大の字で仰向けになり、天井を見上げた。
夏川侑里と相澤は、遠からず縁があった。
今からおよそ一年前、相澤は、訳あって当時クラスメイトだった岡本|青空≪そら≫の告白の手伝いをしたことがあった。その岡本の告白相手が、夏川だったのだ。途中トラブルはあったものの、告白は無事成功。晴れて、岡本と夏川は付き合うこととなった。
だが、その件に相澤が関わっていることを夏川は知らない。相澤のことも、クラスでよく喋る女子程度にしか思っていなかった。
……そういや、まだ続いてるんだったなー。この二人。
他人の色恋沙汰にやたら詳しい友人に教えてもらったことがある。曰く、
岡本と夏川の交際は順調で、あと少しで付き合ってから一年経とうとしている、と。
……ま、恋愛初心者の岡本クンにしては良い方でしょ。
心の中でそう賞賛を送るも、本当は岡本の告白が成功した後、相澤は、一緒に現場に居合わせた本田樹と、何ヶ月で別れるかという賭けをしていた。
相澤は三ヶ月。本田は五ヶ月。
……結局どっちも外したから、ドローで終わっちゃったんだけど。
今は、交際が一年もつかもたないかで、本田と賭けをしていた。本田は前者。相澤は後者だ。賭けに負けた方が、勝った方にじゃ〇りこを奢るルールとなっている。
「----っと、もう四十五分か」
ベッドで寝転がりながら携帯のディスプレイを見ると、『18:45』の表示が写し出されていた。
夕飯の時間は七時からだ。この時間に部屋を出るのが妥当だろう。
そう判断した相澤は、夏川と他同室の女子二人に声を掛け、四人揃って食堂へと向かった。
***
●PM10:50
夕飯を食べてからは特にすることもなく、相澤達四人は、二つあるベッドの上に集まっていた。
「で、侑里は? 件の岡本君とは最近どうなの?」
「どうって……。変わんないよ? 付き合い始めた頃から同じ」
修学旅行の夜といえば、夜更かしが常套。その例に違わず、相澤達も夜を越す勢いではしゃぎ、先程同室の竹中結子が夏川にした質問により、恋愛譚へと話を進めていた。
「同じって……。もう少しで交際一周年なんでしょ? なんかお祝いとかしないの?」
「お祝いって……。そんな社会人の女性みたいな付き合い方してないし……」
「いやあんた社会人以前に高校生だから!」
「……というかその岡本君も、あんたに要求しないのかね。なんかこう……恋人らしいこと」
もう一人の同室の立花美緒が、夏川にそう問う。夏川は小首を傾げると、
「んー……。……しないなあ……」
こけ、とでも効果音がつくかのように、竹中と立花は、前のめりに倒れ込んだ。
「二人共ウブか」
「もうあんたら結婚しちまえ」
「え、え!? なんでそうなるの! ちょっ……二人共その溜息は何!? ……あ、相澤ちゃーん!!」
ここで私にヘルプ求めるのかよ!!
今まで知らぬ存ぜぬの傍観者を貫いていた相澤は、心の中で抗議の言葉を叫んだ。
……ていうか岡本クン、あと少しで一年経つのに純情のままなんだ……。いい加減成長しろよ……。
内心そう毒づくと、相澤は夏川に向き合い、
「まー……、いーんじゃない? お互いがお互いのこと好きなら、恋人じみたことあえてしなくても」
「相澤ちゃーーん!!」
感極まった夏川が、相澤へと抱きつくが、相澤は、あーはいはいと軽く受け流し、竹中と立花を見遣る。
……二人共、鳩が豆鉄砲くらったような顔してんなあ……。
「…………相澤って、ホントに女子高生?」
「身分証明ではそうなってるね」
「精神年齢絶対ウチらより上でしょ」
「……それについてはまあ、否定しないけど」
その言葉を聞くなり、竹中はハァと溜息を吐き、立花は肩をすくめた。
「……まあ、相澤の考えも分からなくはないんだけどさ」
分からなくはないけど、--何だろう。
相澤が疑問に思っている中、竹中は夏川を指差し、
「----そいつら、お互いのことまだ名字呼びなんだよね」
「……………………え、」
咄嗟に、相澤はいまだ腰にまとわりついている夏川を見る。
「……今のって、ホント?」
「うん」
即答かよ。
「……………………」
まじか、と相澤は思う。ないわ、とも。
……今どきの高校生カップルで、ここまでウブなのいないだろ。
そう思いながら、相澤は、無言で夏川を引き剥がし、
「……ごめん、さっきのセリフ撤回するわ
--お前らもっと恋人らしいことしろ」