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ちょこれいとこわい

 これは、小春がまだごくごく平凡な女子中学生であった頃。

 代々日本屈指の大富豪である宝城ほうじょう家、その長男である宝城 龍之介りゅうのすけは、人知れず豪奢な部屋で恐怖に震えていた。


ガトガトガトガトガト……!


 調度品のアンティークの棚や机が、龍之介によって地震が起きたかと見まがうほどに打ち震えている。

 薄暗い部屋でさながらそれは恐怖映画のワンシーンのように不気味であった。


ガトチャリン、ガトガトガトガト…!

「でゅだだだだ…っ、だから無理っ、絶対無理。ひとこわい、こあい、こあいよう、だから無理っ!」


「龍之介坊ちゃま!」


 執事である白髪の老紳士、柳川やなぎがわ 虎二郎とらじろうは半ば慰めるように声をかける。

 しかし取り乱した龍之介は一向に先ほどから隠れているタンスから顔を見せようともしない。

 こちらから見えるのはただの震える黒い塊のみである。


「坊ちゃま、何も恐れることなどありはしません。ただただ、私どもは坊ちゃまにごく普通の日常を過ごしていただければそれで十分なのですよ」


「ご、ごめん。本当に無理なんだ。だって、今日は……」


 龍之介が言いかけた時、稲妻に打たれたかのように体をびくりと痙攣させた。そして先ほどよりもより深く中に引っ込み、頭をかきむしるように抱えて恐怖に声をあげる。


「あああ、あの日だ。あの日だからだっ!みんな寄ってたかって僕を、僕を陥れようとしているんだぁあああっ!」


「坊ちゃま、お気を確かに!」


 その時どこからともなく現れた一人のメイドが耐えきれず、龍之介に応援の言葉をかけた。

 柳川はその方をじっと見ると、手をかざしメイドをその場から下げさせた。


 一介のメイドに応援させるほどの人望を持って置きながら……。


 柳川は気を引き締めて龍之介の潜むタンスに手をかける。

 そして気の優しい主にそっと頼み込む。


「坊ちゃま、どうしても外に出てきてはいただけないのですか?」


「ふううっ、い、いくら柳川のお願いだからって、そうそう簡単に聞ける事じゃない、ていうか本当ごめん柳川!」


 柳川は主の見るも無残な精神衰弱具合に深いため息をついた。


 事の発端は本日の早朝から始まった。




「!?」


 龍之介は朝、非常に不快な感触を覚えて目が覚めた。

 息を吸い込むごとに肺いっぱいに広がる甘い香り、ぺったりとした紙の感触、そしてなんだかちくちくする。

 ばさり、と起き上がるとそこには無数のデコレーションされた小包が目に入った。

 龍之介はその中に埋もれるようにして今まで寝入っていたのである。

 一つ二つと頭から落ちる箱をみた龍之介はクリスマスでもないのに寝床に供えられた小包に疑問を覚えた。

 無造作にひとつ選んでそこについていたメッセージカードを開く。


「はっっ!?」


(ハッピーバレンタイン 龍之介様へ♡


 いつも懸命に何かを考えながらお庭を歩かれている龍之介様素敵です♡

 できれば私がその悩みを晴らして差し上げられたらいいのに・・・

 もしよろしければ今度お話を聞かせていただけませんか?

 もちろん、秘密は守ります二人だけの秘密です♡)

 

 ハッピーバレンタインという文字の他は衝撃のあまり龍之介は読んでいなかった。

(バレンタイン、だとっ!?)


 いきおいよくベットに立ちあがる。

 ばさばさばさっとバレンタインチョコ達が雪崩を起こした。


「う、うそだ……」


 よりいっそう増した足元のちくちく感も忘れて恐怖の光景をまざまざと見る龍之介。

 そこには龍之介の寝ていた姿をなぞるようにチョコの箱が所狭しと置かれていたのである。


「絶対に、これは罠だ……」


 小さい頃から大人のドロドロとした社会で生きてきた龍之介。

 砂糖菓子の様に甘い空想とかキラキラとした憧れとかは現実世界ではもうとっくの昔に捨て去っていた。

 そのかわりに龍之介が得ていたのは限りなく夢の無いリアリスト主義。


 そう、こういった色事においては残念すぎるほどのひねくれた考えしか持てなかったのである。


(ううう、僕が子供っぽいからってこんな分かりやすい罠に誰が引っ掛かるか!)


 実際は龍之介の事を憎からず思ったメイド達によって善意で仕組まれたサプライズであったのだが、そのような事を龍之介が知る訳が無い。

 龍之介は恐怖の山をかきわけ、服を着替えようとタンスを開ける。


 ぼとぼとぼとぼと……。


 足元をみると、バレンタインチョコ溜まりが。


 それでもめげずに服を着替え、顔を洗おうと備え付けられたバスルームに走る。

 顔を洗い、タオルで顔を拭き、すっきりして余裕ができた。ふう、と一息して鏡の中を見る。

 後ろの光景に違和感を感じた。

 勢いよく振り返ると後ろにあるのは猫足の白亜のバスタブ。そのバスタブは今や見る影もなく真っ赤に……。


 バレンタインらしく赤で統一された包装紙でいっぱいのバレンタインチョコで溢れかえっていた。

 ボトっとひとつバレンタインチョコが落ちる。

 その瞬間、龍之介の心の中に得体の知れぬ恐怖が芽生えた。


「あ……、うぁッ……」


 洗面台に寄りかかるようにして崩れ落ちる龍之介。

 目の前には真っ赤な物体で溢れかえったバスタブ。

 その物体の一つ一つについたカードに真っ赤な字で刻まれている言葉。


 バレンタイン


 キュワキュワキュワキュワキュワ……


 龍之介の中に不協和音が流れ込んでくる。

 逃れられない恐怖、不安感、吐き気を催す混乱。


 浮かれてしまえばいい。

 悪魔の声が聞こえる。

 君はとても幸せな選ばれた男なんだよ、だからこちら側に来て幸せになろうよ。

 バスタブに浮かぶ赤い物体が誘う。

 こちらに来て、私を食べて!素晴らしい世界へ行きましょう!

 キラキラとしたメッセージカードが語りかける。

 どうして君は怯えているの?ぼくたちが君を幸せにしてあげるよ!


 だがどうしても龍之介には目の前の物体が醜い化け物にしか思えなかった。

 それは、もう、どうあがいても。


「ああああああああっ!」


 叫ぶと、自然と体が動くようになった龍之介は全速力で部屋を飛び出した。

 走り方はでたらめでどこをどう走っているのかわからない、それでもここに居てはいけないという意志が龍之介を突き動かしていた。


「龍之介坊ちゃま?」

「一体どちらへ?」


 驚いて声を上げる使用人にも見向きもしないで必死に走る。

 かろうじて保っていた理性で靴を履き、庭に出たところで柳川に張り倒された。




「坊ちゃま、今日の午後は予定が入っているとのことでしたな」


「ああ、今日はどうしても外せない用事があるんだ。え、お父様がなにか言っていたのかい?」


「いいえ、ただ確認しておきたかっただけです。もちろん、その時間には連絡を入れるなと皆にいい伝えてあります」


「そうか、それはよかった。助かるよ、柳川」


 有能な柳川の説得によって落ち着きを取り戻した龍之介は朝食をとっていた。


 カリカリのベーコン、ふわふわのスクランブルエッグ、それらにかけられた緑色のバジルソース。いい塩梅に焼かれた種類豊富なパン、高級バター、濃縮還元されているブドウジュースはワイングラスに入っている。それらを当たり前のようにピカピカに磨き上げられた銀食器で、レースペーパーに彩られた食卓から優雅に頂く。

 マーブル模様のクラシカルな家具に囲まれた食堂でまるでそれが茶の間であるかのように龍之介はくつろいでいた。


「失礼いたします、龍之介様」


「ん?なにかあったのかい?」


「これは、我々スタッフからの心ばかりのお礼の気持ちでございます。どうぞお召し上がりください」


 見ると、そこには誇らしげに顔をほころばせた数名の調理スタッフがいた。一人が、なにやら蓋をされた料理の載ったカートを押して龍之介の側にやってくる。

 かちゃり、と蓋が開けられると、そこにはハートの


「チョコレート、ケーキ」


「左様でございます」


「あ、あわわあわ、あわわわわわわ……」


 ガターン!


「龍之介坊ちゃま!」


「ああ、お気をしっかり!」


 龍之介は泡を吹いて気絶した。



「全く、一体これはどういうことだ?」


 柳川は倒れた龍之介を部屋に運ぶと、その部屋の惨状を見てすぐに犯人達を呼び出し問い詰めた。

 メイド達は「まさかこんなことになるなんて……」と戸惑い、中には感極まって泣き崩れるものもいた。


「うう、おいたわしや龍之介様……」

「大丈夫よ。きっとわかってくださるわ」


 柳川は心優しい使用人達が起こしたサプライズで凄まじい恐怖を体験したであろう主人を思い、深い溜息をついた。

 この事件は誰も悪くない。だからこそ厄介だ。


「さて、これはどうしたものか」


 悪夢にうなされているのだろう、ベットに横たわっている龍之介はうんうんと顔を真っ青にしてうなっていた。

 最初は主にも困ったものだ、なんて思っていたが、タンスとシャワールームを見た途端柳川の意見も変わった。

 仕えるものとしては嬉しいことだが、果たして本人は真実を知ったらどのような感想を持つのか。


「んん……」


「龍之介様!」

「ああっ、目を覚まされたわ!」


 龍之介が目を覚ますと、わっと黄色い声が上がる。

 ボンヤリとしたまま体を起こし、メイド達を見て


「sd時fじゃ;い負えtじゃあっ!」


 恐怖の声をあげ、布団にくるまってしまった。

 そのままぶるぶると震える主に気をきかせ、すぐに柳川はメイド達を追い出すべく部屋を出る。

 チョコレートたちは一旦別の部屋に保管されることになっていたので、龍之介はいくらか気が楽だったはずだ。


「龍之介坊ちゃま?」


 人払いを終え、そっと主の部屋のドアを開ける柳川。

 部屋の中の電気はなぜか消されており、龍之介の姿も見当たらない。


「坊ちゃま?」


「来ないでくれ!」


 その時すぐ隣にあったタンスがゴトゴトと音を立てて震えだした。

 次第に、周りの家具も呼応するかのように震えだす。


「なんということだ……」


 それが、今まで起こった出来事である。

 それから、何度はげましても龍之介はタンスから出てこようとしない。

 幼少期からのトラウマからだとはいえ、柳川も主が弱気だと認めざる負えない。


「そういえば、どうしても外せない御用事があると伺っていましたが」


「!!」


「それは、私どもでは代行できないことなのでしょうか。よろしければ私どもがなんとかいたしましょうか」


「それはっ、だめだ。その、私事だからっ、それは僕がしないとだめなんだ。柳川!!」


「はい」


「……。今日は、どうしても、その……」


「バレンタイン、でございますね」


「チョコレートは、見たくないんだ……」


「かしこまりました、坊ちゃま。その件につきましては私めにお任せ下さい。坊ちゃまは何よりも、ご無事に過ごされます事を保証致します」


「う、うん。わかった。だったら、用意をする」


「かしこまりました。失礼いたします」


 あんなに震えていたというのに、タンスから出てきた龍之介は凛々しい戦士の様にしっかりしていた。

 なにが彼をそこまで駆り立てるのか?柳川はぜひ龍之介の私事といっていた用事の内容を知りたいと思った。

 が、年頃の主の趣味を詮索するなんて野暮な事はできまい。

 なにはどうあれ、ここまでたくましくしてくれた何かに感謝して柳川は出かける用意を整える龍之介を微笑ましい気持ちで手助けした。

 そうして、無事にタンスから出た龍之介は街に繰り出した。


 あれから三カ月とちょっと、龍之介はあの時見つけた素晴らしい店「国士無双」にて運命の出会いを果たすのであった。




 読んで下さり、ありがとうございました。


 本編を読まないとなにがなんだかわからないかと存じます。

 それでもこっちから読んでくれた貴方に感謝。


 では、また。

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