10 小細工を使わずとも
蜘蛛少年の顔面を地面に叩きつけたあと、その後頭部を殴り、紫電は少女にターゲットを変える。
「貴様っ……!!」
「喋れんじゃあねぇか!!」
紫電は少女の右頬に対し、左構えの左横拳を繰り出す。少女は咄嗟に右腕を変態して防御の態勢を整える。が、紫電はその防御を見越して、拳を解き、右腕を掴みながら、もう片方の拳をお見舞いする。
「ぐうぅぅ…………!!」
拳をまともに喰らった少女の意識が一瞬、途切れる。その隙に紫電は変態した右腕を両手で掴んだあと、肘の外側に膝蹴りを入れる。
「あ゙あ゙ぁ゙――」
「でけぇ声、出すなよ」
先程、雲雀が小鳥にやっていたより、乱暴に両頬を掴むと、そのまま連撃を繰り出していく。
(何なんだ!!この男は!!)
連撃からの脱出のため、少女は足を変態させようとするが、その前に紫電は足を引っ掛けて、躓かせる。
度重なる攻撃の嵐による妨害。これによって、少女は能力の発動を阻害され続けていた。
(能力が……発動できない!!)
「身体そのものを変化させないと発揮できないタイプの能力。搦手として考えられるのは糸や毒、このくらいか?喰らえばめんどうなこと、極まりない。だったら――」
能力を発動させずにこのまま押し切る!!!
速度で何もさせないというプランを紫電は淡々とこなしていく。
しかし……
「あ?」
後ろから飛んできた糸が紫電の腕を絡め取る。その糸に力は無く、紫電を引き摺り込むことすらできないが、少女への猛攻を止めることには成功していた。
「真糸…………」
ツインテールの少女は満身創痍になりながら、自分を助けてくれた少年を見て、覚悟を決める。
「変態開放」
再び、能力を発動し、変態を終えると紫電を狩るため臨戦態勢を整える。
紫電はこれ見よがしに、糸に火をつけて、焼きちぎる。
(この男の能力は炎を発生させるもので間違いない。発動できるのは、手のひら限定で出力も低い……というのは、おそらくブラフ!!)
蜘蛛少女は糸を放ちながら、紫電に向かって走り出す。
(出だしを潰してこないということは、能力の射程距離自体は短い。警戒すべきなのは、近距離での能力によるカウンター!!)
炎を喰らう前提のカウンター返し。紫電の目前まで接近したのち、殴りかかる振りをして、防御の構えをとる。
紫電の発言と戦闘スタイルを鑑みて、取った行動だが…………深読みである。
(能力を……使わない…………!!)
「何してんだ!」
紫電は殴りかかって来たと思いきや、フルガードしてきた相手に一瞬、動揺するが攻撃そのものに遅れはない。
右斜め前に踏み込むと、防御をすり抜け、顔面に全力の一撃が放たれる。それと同時に、その勢いで持っていたライターが宙を舞う。
(ライター…………!!)
少女はそれを見て、開示された能力が嘘であることに気づく。そして同時に、彼女の頭を駆け巡る思案はより混乱し、複雑なものになる。
(炎の能力が嘘なら、奴の能力は一体何だ!?いや、能力自体は炎で、私の混乱を誘うため、あえてまだ使っていないのか?ライターもそのためのハッタリ?)
考えれば考えるほど得体の知れない目の前の男に緊張と恐怖心を覚えるが、あっけらかんとしながら、ただ拳を構える。
(やはり、先に男の方を処理したのは正解だったな。俺の能力について思案を巡らせているんだろうが、無駄だ。そもそも、俺の敗北条件をわかっていないみたいだしな…)
無名紫電の敗北条件。それは、校舎内にいる無名雲雀一派に気取られ、この場に来られること。
(それよりもこの女が逃げない理由だ。状況から考えられる可能性は2つ。1つは仲間を見捨てられないから。全滅のリスクを負ってまですることじゃない……)
故に導き出される結論は――
「この屋上に何があるんだ?」
紫電は配電盤を指差しながら、蜘蛛少女に問い詰める。
「わざわざ、配電盤を調べようとした途端にお前は現れたんだ。無関係じゃああるまい。仮にただ襲うだけだったとしても、ここはないだろう」
両手を広げて、辺りに何もないと言わんばかりの仕草を見せる。
「お前らの能力を加味するなら、室内で戦うのが得策だ。だから、目的は奇襲ではなく防衛」
「………………」
「お前らの敗因は能力を生かさなかったこと。舐めてかかってるからこうなる」
紫電は先に倒した少年を指差しながら少女の元へと歩き出す。
「決着つけようか」
お互いが向き合い、殴り合いの土俵につく。
(どんな能力をもはや持っていようと関係ない。牙、脚、糸。全てを使って、こいつを殺す)
(外骨格そのものに強度はない。加えて、あれだけダメージを負わせたんだ。シンプルに行こう)
両者、火蓋を切る。
少女は背中の脚を槍の様に突き出し、口から糸の球を吐くが、紫電はそれをすんででかわす。だが、少女にとってそれは予測していた動き。吐き出された球体の糸は、時間にして残り0.1秒で炸裂。紫電の身体を覆い、その動きを阻害するはずだった。
(勝った……!!)
少女は勝利を確信する。炸裂する糸により、紫電の攻撃はもう届かない。
しかし、紫電は彼女が勝利を確信するより前に吐き出された糸の球体に不信感を覚えていた。
考えるより先にではない。考えてから判断し、動くほど彼の思考は速く、滑らか。その一瞬の世界を無名紫電は制していた。
(背中……いや、振り向きざまの…………!!)
糸が炸裂するより速く、少女が目で追うより速く、少女の眼前にいた紫電は動く。左足を軸に半身をひねり、少女の右肩越しに滑り込む。その瞬間、彼は彼女の背を取っていた。
「なっ…………!!」
紫電は彼らの敗因は能力を生かさなかったことだと言った。だがそれは違う。
能力をもってしても、有り余る実力差が2人にはあった。
少女は急いで振り返り、爪を振り下ろすが紫電の呼吸は乱れず、瞳も揺れることはない。少女が爪を振り下ろすその刹那、自らが放った糸が炸裂し、攻撃を止めてしまう。
幼少の訓練より得た、人間の限界まで鍛え上げられた変態者をも凌ぐ身体能力と戦闘技術。それらをもった正確に、無駄のない軌道を描いた一撃が月夜の戦いを終わらせた。