表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
気づいて欲しかった  作者: 咲葵
8/38

8話 大切な約束

 観覧車を出てからのことは、あまり覚えていない。たぶん、それなりに楽しくしゃべっていただろうし、いつも通りにふるまえていたと思う。でも、心だけがふわふわと浮いていた。

 何度も、何度も、繰り返し頭の中でフラッシュバックする。樹くんの涙。赤く染まった頬に、一筋の光の線。

 わたしは、あの涙の意味を何ひとつ知らない。だけど、それが心にこびりついて離れなかった。

 日がすっかり暮れて、遊園地を出た帰り道。

 樹くんと香織ちゃん、わたしと蒼、それぞれ帰る方向が一緒だったから、途中で別れることになった。


「じゃあね、また学校で」


 樹くんと香織ちゃんが並んで歩いていく後ろ姿を見送って、わたしと蒼は並んで歩き始める。

 ——二人きりの帰り道。なんだかんだ久しぶりかもしれない。


「なんか、この帰り道久しぶりだな」


 蒼が、夜空を見上げながら言う。


「そうだね。二人で帰ること自体は一昨日あったけどね」

「こんな形で約束がかなうとはな」


 その言葉を聞いた瞬間——。

 わたしの足が、ぴたりと止まった。

 何か熱いものがこみ上げてくる。喉の奥が詰まるような感覚とともに、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

 蒼の言葉をきっかけに、忘れかけていた記憶が鮮明に蘇る。

 ——その思い出は、わたしにとって、とても大切な思い出……。

 忘れるなんて、許されないのに。絶対に許されないのに——。


「咲葵!」


 蒼の声が聞こえる。でも、なぜか遠くで響いているように感じた。

 視界がぐにゃりと歪む。

 あれ……?

 世界が暗くなる。

 ——あお……い……。




 これは、今から七年前。

 わたしがまだ小学五年生だったころ、蒼と一緒にこの遊園地に来た日のこと——。

 わたしにとって、特別な意味を持つ思い出。

 蒼とこうして遊べるのも、もしかしたら最後かもしれない。

 そんなことを、心のどこかでぼんやりと思いながら、一緒に園内を歩いていた。

 でも——楽しい時間は、一瞬で過ぎてしまう。

 帰り道。

 もう少し、この時間が続けばいいのに。そんなことを考えていたわたしに、蒼はいつもの無邪気な笑顔で言った。


「今日、すごい楽しかったね! きっと、もっともっと楽しいことが、これからも待ってるよ」

「そうかな……」


 つい、うつむいてしまう。自信のない声が、自分の口からこぼれ落ちる。

 すると、蒼はしゃがみこんで、わたしの目線に合わせてきた。


「うん! 絶対!」


 わたしの瞳をまっすぐ覗き込んでくる蒼の瞳は、まるでわたしの不安なんてものごと、ぜんぶ吹き飛ばしてしまうかのような力を持っていた。

 ——ずるいなぁ、蒼は。


「でも……」

「大丈夫だって! 咲葵ちゃんなら余裕だよ! どんな困難でも蹴っ飛ばしちゃうもん!」


 ——そんなわけないのに。

 わたしには、わかっていた。

 どうしようもないことが、この世界にはあることを。

 努力だけじゃどうにもならないことがあることを。

 それでも、蒼の言葉はあまりにもまっすぐで——。


「……だから、また一緒に行こ! この遊園地、絶対だよ!」

「……絶対って言ったなー!」


 蒼の勢いに、いつの間にかわたしも乗せられていた。

 単純だった。

 でも、蒼が言うと、不思議と信じられる気がした。

 ——もしかしたら、本当にまた来れるのかもしれないって。

 蒼が差し出した小指に、わたしもそっと小指を絡める。

 ——約束だよ、蒼。

 わたしたちは、小さな声をそろえて言った。


「指切拳万、嘘ついたら針千本呑ます、指切った!」


 ——未来なんて、誰にもわからないのに。

 それでも、その時のわたしたちは、何の迷いもなく、強く小指を結んでいた。




 薄っすらと目が覚める。

 ぼんやりとした視界の中で、何かが動いているのが見えた。でも、それが何なのかを考える気力はない。頭がふわふわしていて、まだ現実に戻りきれていなかった。

 それと——懐かしい夢を見ていた気がする。とても、大切な夢を。


「……わたし、さいてー」


 かすれた声で、心の中に渦巻いていた言葉がそのまま口から漏れ出た。


「お、起きたのか。もうそろそろ家に着くぞ」


 聞き慣れた声。

 はっきりと視界が定まってくる。

 ——わたし、気絶しちゃったんだ。

 また蒼に助けられた。あの時みたいに。

 ゆっくりと顔を上げると、暗い道の先にわたしの家が見えてきた。玄関の明かりが灯っていて、その前には、お父さんとお母さんの姿があった。


「着いたぞ。今日は疲れたんだから、ゆっくり休めよ」


 蒼の声がして、体がふわっと傾く。

 ——ああ、そっか。

 わたし、今まで蒼におんぶされてたんだ。

 蒼がゆっくりしゃがみ込むと、わたしはその背中から降りた。


「……っ」


 地面に足をつけた瞬間、ズキンと足首に痛みが走る。ぐらついた体を、お父さんが慌てて支えた。


「大丈夫か?」

「……うん、大丈夫」


 そう言ってみたものの、力が入らなくて、お父さんの腕に寄りかかってしまう。


「すみません、蒼くん……娘をありがとうございます」


 お母さんの言葉に、蒼は笑顔で軽く首を振る。


「いや、そんな。俺はただ……」


 そこまで言いかけて、ふっと目を伏せた。

 ——そんな顔しないでよ、蒼。

 わたしの方が、よっぽど情けないんだから。

 わたしはお父さんに支えられながら、蒼の方を見上げた。


「……蒼」


 名前を呼ぶだけで、喉がつっかえて、うまく言葉が出てこない。

 それでも、ちゃんと伝えたかった。


「……覚えててくれて、ありがとう……」


 約束、守れたね。


「良かったぁ……」


 言い終えると、ほっと力が抜けるのがわかった。

 玄関の明かりが、滲んで揺れる。

 気づけば、意識はまた、静かに沈んでいった——。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ