4話 部活動
学校が終わると同時に、香織ちゃんがわたしの席にやってきた。
——お? どうしたんだろ?
少し驚きつつも、わたしは香織ちゃんの言葉を待つ。
「ちょっとだけ、見に行かない?」
「え、何を?」
「バスケ部」
香織ちゃんは いつもの無表情 でさらっと言った。
——香織ちゃん!! ありがとう!! 本当に大好き!!!
心の中で全力で感謝 しながら、できるだけ気持ちを表に出さないようにコクンと頷く。
——だって、もし「学校1のイケメン樹くんが好きで、狙ってる」なんて思われたら恥ずかしいもん!!
「うん」
「なになに?」
隣の席の蒼がすぐさま食いついてきた。
香織ちゃんの声は小さめだったから、内容は聞こえてなかったみたい。
「蒼には秘密だよ」
「なんだよ、秘密って」
「だから、秘密なんだってば」
「あっそ。わかったよ、じゃーな」
蒼はちょっと拗ねたように席を立ち、カバンを肩にかける。
「部活がんばれー!」
「部活、がんばって」
「おお」
わたしが大きく手を振るのに対して、香織ちゃんは顔の前で小さく手を振る。
その姿を見て、思わず笑ってしまった。
——やったよ! やったぁ!! あ~楽しみだな、楽しみだな!!樹くんにまた会える!! 好きな人に会えるんだよ!?
思わず ニヤニヤが止まらなくなる。
そんなわたしを横目で見ながら、香織ちゃんが淡々と言った。
「行こ」
「うん、行こ行こ!」
わたしは弾むような声で返事をし、体育館へ向かって歩き始めた。
体育館にてキュッ、キュッ——体育館の床をシューズが鳴らす音が響く。
バスケ部の男子たちが、激しく体を動かしながらコートを駆け回っていた。
わたしは、その光景に思わず息をのむ。
——練習でも、こんなに激しく動くんだ……。近くで見ると、迫力が 全然違う。
「いけ、樹!」
コートの中から誰かが叫ぶ。
その声に反応して、樹くんはパスを受け取ると 一気にドリブルで駆け上がり、ゴールに向かう。
そして——シュート!!
ボールは 綺麗な弧を描いて、ネットを揺らした。
樹くんは嬉しそうにチームメイトとハイタッチ する。
わたしは体育館の入り口でずっと彼を見つめたまま、ぼーっとしていた。
——す、すごい……。
そのとき——。
「咲葵」
香織ちゃんの無機質な声が聞こえた。
「なに?」
「入って」
「え?」
わたしはぽかんと目を丸くする。
しばらく香織ちゃんを見つめていたけど、次の瞬間、勢いよく飛びついた。
「え、いいの!? 迷惑にならない!?」
「うん、今よりは」
香織ちゃんは、少しだけ呆れたように言うと、スタスタと奥へ歩いて行く。わたしは金魚のフンのようにちょこちょこと後ろをついて行った。
体育館の半分ほど進んだところに、青いベンチがあった。香織ちゃんは 無言でそこを指さす。
「座って」
「う、うん」
わたしが少し緊張しながらベンチに腰を下ろすと、香織ちゃんはそのまま体育館倉庫の方へと消えていった。
——え、えええ???
置いていかれた。
わたしは急に不安になる。
——ここにいていいんだよね……?
そわそわしながらも、わたしの目は自然と練習している樹くんを追っていた。
「樹、うまいよ」
「うぇっ!? あ、香織ちゃん!?」
——わたしの考えてること読まれた!?
背後から突然樹くんの名前を言われたせいで、思わず大きな声を出してしまった。
「驚きすぎ」
「だってぇ~、今のは香織ちゃんのせいだよ……」
心臓をバクバクさせながら、ぷぅっと頬を膨らませる。
「樹くん、さすがエースで部長だよね。ほんとにうまい。すっごいうまい!」
興奮気味にそう言うと、香織ちゃんはじっとわたしの顔を見つめた。
そして、何かに気づいたようにほんの少しだけ目を開くと、視線をそらして樹くんの方を見ながら淡々とつぶやいた。
「咲葵、好きだよね」
「え、な、なに急に……」
「そうでしょ?」
じーっ……無表情のまま、香織ちゃんはわたしを見つめる。その視線に耐えきれず、緊張しながらも正直に口を開いた。
「……うん、好きだよ。樹くんのこと」
「態度に駄々洩れ」
香織ちゃんはさらっと真顔で言い放つ。
「え!? ほんと!?」
「……」
——え、え、そ、そんなにバレバレだったの!?!?
急に恥ずかしくなり、 顔がカァァァッと熱くなる。
そんなわたしを 完全に無視して、香織ちゃんはさらに爆弾を投下する。
「五十嵐は気づいてるよ」
「————っ!!??」
顔がさらに真っ赤になった。
蒼が!?もう無理! 耐えられない!!
思わず香織ちゃんから目をそらし、うつむく。
「顔、真っ赤」
「うるさいうるさいうるさい!!!」
——もう! 追い打ちかけるのやめてぇぇぇ!!!
思わずグーの手で香織ちゃんの体をポコポコ叩く。
そんなことをしているうちに、バスケ部のメンバーが休憩に入った。
水を飲んだり、トイレに行ったり、それぞれ思い思いの時間を過ごし始める。
すると——。
「香織と、咲葵さん?」
!!??——待って、今の声……!!
わたしはビクッ!!と背筋を伸ばすと、ゆっくり振り返った。
「……あ、樹くん! こ、こんにちはー……じゃなくて、"さん" なくていいよ!!」
「わかったよ、咲葵」
——はい、ごちそうさまでしたぁぁぁぁぁぁ!!!!
幸せすぎて、 思考回路がショート寸前。
——え、待って待って、こんなにさらっと名前呼び捨てしちゃうの!? わたし、今すぐ天に召されるんじゃ……!?
そんなわたしのテンション爆上がりには気づかず、香織ちゃんがさらっと樹くんに説明する。
「見に来たの」
——うんうん、そうそう!! そのとおり!!!
わたしは全力で頷く。
「樹を」
——うんうん……とぅおえぇぇえええ!!?!?!?
言葉にならない叫びを心の中であげながら、香織ちゃんに飛びつく。
「ちょっ、なに言ってるの香織ちゃん!!?」
必死に香織ちゃんの肩を両手で揺らす。
すると——。
「咲葵、ありがとう」
樹くんが優しい声でそう言った。
——もう無理です!!!! しあわせすぎて息できない!!!!!香織ちゃん、ありがとう!! そして、ごちそうさま!!!!
そんなわたしを置いて、香織ちゃんはすっと席を立ち、樹くんと何か話す。少しして、またベンチに戻ると、樹くんは部員たちを呼び、再び練習を始めた。
わたしはボーッとコートを眺めながらふと考える。
——香織ちゃん、ちゃんと部活やってるんだなぁ……。
それに比べて、わたしは——この中で、わたしだけ何もしてない気がする……。
そんなことを考えていると——。
「咲葵」
香織ちゃんの無機質な声が聞こえた。
「ん?」
「マネージャーの手伝い、する?」
「え?」
驚いて、香織ちゃんの顔をじっと見つめる。
「わたし、何すればいい?」
少し戸惑いながらも、わたしは香織ちゃんの指示に従って簡単なお手伝いを始めた。
「ごめんなさい、待たせて」
「ううん、いいよ。別に」
校門の前で立っていたわたしは、小走りでやってくる香織ちゃんに言葉を返す。
香織ちゃんの呼吸が落ち着いてから、ふと思い出して尋ねた。
「ところで、樹くんは?」
その名前を聞いた途端——香織ちゃんは目だけを大きく見開いた。
「そ、そーゆーのはいいから」
——いやいやいや、ちょっと待って!? その驚き方、逆に怖いんだけど!!
だって顔はまったく変わらずに、目だけ大きくするなんて……ホラー?
「そう」
香織ちゃんは短くそう言うと、いつもの顔に戻る。
「他の先生に呼ばれてた」
わたしは、まだ明かりのついた職員室を見て、それから香織ちゃんの方を向く。すると、香織ちゃんは無表情のまま言った。
「行こ」
そのまま歩き出す香織ちゃんの隣に、わたしも少し遅れて続く。
「香織ちゃんって、いつもあんなに色々なことしてるんだね」
「うん……もう慣れたけど」
「え、すごい。ってことは、帰るのっていつもこの時間?」
「そう」
「他の部活はもう帰ってるのにね。いつも一人で帰るの?」
「毎日一人じゃない……樹と帰ることも多い」
「へー」
「妬かないでね」
「妬かない妬かない!」
わたしは 両手を前に突き出してブンブン振る。
——……って、え? なんで今、そんなこと言ったの!?香織ちゃん、もしかしてわたしが気にしてるの バレてる……!?
そんなことを考えていたら——。
「香織、咲葵!」
「——っ!?」
いきなり自分の名前を呼ばれて、 ビクッと肩が跳ねる。
振り向くと、後ろから走ってきた樹くんが 少し息を切らしながら笑顔を向けていた。
——え、走って追いかけてきてくれたの!? だったら待っとけばよかった!!でも、でもでもでも……!!今のこの笑顔、最高すぎる……!!!!!
「ごめん、待ってなくて」
「いいよいいよ!」
慌てて手を振る。
「追いついてきたら一緒に帰るつもりだったし」
「え、ひどいじゃん」
「別にいいんですよ、いつ帰れるかわからなかったし。走って追いつけたら追いつくつもりで」
「す、すごい……足速いね」
「まあね」
樹くんは ニッと笑って そう答える。
そのとき——。
「それじゃあ、私はここで」
「え、なんで!?」
香織ちゃんの唐突な一言に驚いて聞き返す。
香織ちゃんは無表情のまま、わたしと樹くんの顔を交互に見て、淡々と言う。
「私、用事がある。頼まれごとで」
スマホをちらっとかざす。
でも、わたしと樹くんの距離からは 画面に何が映っているのかは確認できない。
香織ちゃんはスマホをすぐに閉じると、くるっと背を向けて歩き出した。
「わたしもついてくよ!」
「大丈夫」
——あ、この言い方は……。
わたしは香織ちゃんのこの態度を知っている。何かを断るとき、「大丈夫」ってきっぱり言って、絶対に意見を変えないのが香織ちゃん。
「え、でも……」
わたしが食い下がる前に、香織ちゃんはそのまま すたすたと店の中へ入っていった。
——え、えええええ!? 香織ちゃんがいなくなったら、樹くんと二人きりじゃないですかぁぁぁぁぁぁ!!!?どうしよう、何を話せばいいの!?!?
パニックになりながらも必死に話のネタを考えていると——
「行こっか」
樹くんの方から先に声をかけてきた。
「香織もああ言ってるわけだし。ああ言ったら、香織は頑固だからね」
「う、うん……」
わたしは少しうつむきながら、小さな声で返事をする。
——香織ちゃんが少し頑固なところ、知ってるんだ。でも、そーだよね。いつも部活で一緒にいて、関わる機会も多いもんね。二人って、どれくらい仲いいんだろう……。わたしの知らない樹くんを、香織ちゃんはたくさん知ってるんだろうな……。なんだろう、この気持ち……。そんなことを考えながら、何も言えないまま二人きりで歩き続けた。
——今日は疲れたなぁー。そう思いながら、軽く頭に手を当てる。歩いてる途中なのに、なんとなくくらくらする。緊張してるせい? それとも、疲れ? ふぅっと小さく息を吐いて目をつぶる。
「どーしたの、咲葵?」
名前を呼ばれ、一瞬、胸がドキッと跳ねる。でも、すぐに平気なふりをして笑顔を作る。
「ううん、大丈夫」
そう言った瞬間、ふわっと両肩に何かが触れた。
——え、ななななに!?!?
ビクッとして軽く頭に触れていた手を下ろし、ゆっくり目を開く。すると——目の前には樹くんの顔があった。
——え……。
頭が真っ白になる。状況を理解するのに、わたしはしばらくフリーズした。声にならない悲鳴……いや、絶叫を心の中で盛大に響かせる。樹くんは、まっすぐわたしの瞳を見つめていた。その瞳に捕まって、動けない。顔がじわじわと熱くなっていくのがわかる。必死に平静を装おうとするけど、無理だった。
——ダメ、これ、ダメなやつ!!!!!
顔が沸騰するくらい真っ赤になったのを感じる。何もできずにただ見つめるだけのわたしを前に、樹くんは何も言わず、ゆっくりと目をそらした。そっと手を離し、少し距離を取る。そして、横の道を見てから、穏やかな声で問いかけた。
「僕はここ左だけど、咲葵は?」
「あ……」
そのときになって、ようやく周りの景色を確認する。
——あー、結構家から離れちゃったなぁ……。
自分の家がある方の道を見つめる。暗く続く道に、等間隔に並ぶ街灯がぽつぽつと順番に灯っていく。照らされた道の先には、誰もいない。……と思った、その瞬間、足音が聞こえた。
街灯の光が、向こうから歩いてくる誰かの足元を照らす。そして、やがてその人の姿が明らかになった。
「……あおい?」
「なんで、咲葵がここに……」
蒼。
蒼は、わたしの隣にいる樹くんの姿を見た瞬間、ピタッと言葉を止めた。樹くんはふっと微笑むと、わたしに向かって優しく言う。
「それでは、咲葵。僕、ここで——あ、そういえばこれ」
そう言って、わたしの手にそっと何かを握らせる。
「体育館に忘れてたよ。じゃあ、またね」
柔らかく微笑んだあと、今度は蒼に向き直る。
「——あとはお願いします」
そう静かに言うと、背を向けて歩き出した。
わたしはただその背中を見送ることしかできなかった。
——はぁ……なんで挨拶の一つも返せないんだろう。
後悔を噛みしめながら、わたしは蒼の方へ歩いていく。二人並んで、家へと向かう。
「……うまくいったか?」
蒼が前を向いたままぽつりと聞く。
「う……うん」
蒼も応援してくれてるんだから、しっかり頑張らないと。そう思ったのに、胸の中が、ざわざわする。ため息が漏れた。
——あぁ……ほんとに嫌になる。せっかく香織ちゃんが励ましてくれたのに……。
何よりも、自分が情けなくて、悔しい。目の奥がじんわり熱くなる。ダメだ、泣きたくない。
必死にこらえていると、ぽん。
突然、頭の上に大きな手が乗った。
「——え?」
驚いて、蒼の手を払いのけようとする。でも——。
「また次に、お礼と挨拶しような」
その静かで優しい声に、動きが止まった。思わず、蒼の手にそっと触れる。
——大きくて、あったかい。昔も、こうやって頭を撫でてくれたことがあったなぁ……。
そのときも、蒼の手はわたしより温かくて、ざらざらしていて、傷跡みたいなのがたくさんあった。
——あぁ、わたしって変わってないな。でも。次こそは、自分の力でちゃんとする!
わたしは、そっと添えていた手を離し——バシッ!!!思いっきり自分の頬を叩いた。
「え、咲葵!?」
蒼が驚いて頭に乗せていた手を引っ込める。わたしは勢いよく前に出て、くるっと振り返った。
「蒼、ありがとう!! わたし、頑張るよ!!!」
その言葉とともに、満面の笑みを向ける。その笑顔が、蒼には昔のわたしと重なって見えたのか、蒼も安心したように笑った。
「……本当に大丈夫か?」
わたしはグッと拳を握りしめて、真剣な顔で言い切る。
「大丈夫だ、問題ない!!!」
「いや、逆にめっちゃ問題ありそうなんだけど!?」
即ツッコむ蒼。でも、わたしはどこまでもキリッとした表情で胸を張る。
「心配いらない! すべて計画通り!!」
「いや、さっきまで泣きそうだったよな!?」
「過去は振り返らない主義なの!!!」
「そんな堂々と言うことかよ……」
呆れたようにため息をつく蒼。でも、なんだかんだで ちょっと笑ってるのをわたしは見逃さなかった。
——うん、これでいい。蒼には笑っててほしいから