37話 手紙
昨日のように、はっきりと思い出せる。ベッドの上で笑ってた咲葵。あんなにも元気そうにしていたのに。信じたくなくて、でも現実は容赦なく突きつけてくる。
俺は、前に進まなきゃいけないと自分に言い聞かせた。咲葵なら、俺が落ち込んでいたらきっと怒るだろうから。「そんな顔しないの!」って、あの笑顔で言うんだろう。
だから、考える隙間を与えないようにした。勉強に、授業に、未来に繋がることだけにひたすら時間を注いだ。咲葵が最後にくれた勇気を無駄にしないために。
咲葵が亡くなってから、香織とはほとんど言葉を交わしていない。通夜の時も、彼女は何も言わず、何も聞かず、ただ無表情でその場にいた。感情を押し殺したようなその姿に、俺はなぜか少しだけ胸がざわついた。
——香織、お前も、無理してるんだろ……。
でもその言葉は、まだ胸の中にしまっておくことにした。
そして今日、咲葵の葬儀の日を迎えた。俺は制服のネクタイを締め直し、咲葵のもとへと向かう。祭壇の中央には、少し微笑んだ咲葵の遺影が飾られていた。……いつも俺の頭の中に浮かぶ咲葵の笑顔と、まったく同じだった。胸の奥がぎゅっと締め付けられたように熱くなって、俺は必死にまぶたを伏せて、涙を堪える。
しばらくして香織が入ってきた。表情はいつもと同じ無表情。でもその沈黙の中に、何か重たいものがあるのが伝わってきた。
やがて、僧侶が読経を始めると、思い出が一気に押し寄せてくる。咲葵の声、仕草、あの明るい笑い声。まるで今にも、「おはよ~」なんて言って、ひょこっと顔を出してくれそうな気がして——そんなことを考えた自分が馬鹿みたいに思えて、俺は下唇を噛んで、ぐっと目を閉じた。
葬儀が終わり、火葬までのわずかな時間。俺は、言葉を交わすべきだと感じて、香織のもとに向かった。
香織は、俺に気づくと一歩も動かず、その場でぽつりと口を開いた。
……だけど……結局、中途半端で幻想を追いかけてただけだったから……失敗したんだよ。香織ちゃんが、蒼への気持ちを思い出させてくれたけど……それと同時に、香織ちゃんが蒼のことを好きだって気づいちゃって……もうすぐ死ぬ私なんかが、蒼に告白なんて、できないなって……
その言葉を、咲葵の声を、香織は震える唇で伝えてくれた。
「……私は……なんてことを……」
そう言って、香織は両手で顔を覆い、涙を流した。香織が泣いてるところなんて、初めて見た。ずっと感情を押し殺して、どんなときも冷静でいようとした香織が、今は肩を震わせて嗚咽を漏らしている。
香織だって、辛くないはずがなかった。きっと、俺とは違う形で、咲葵と向き合い続けていたんだ。
俺は香織の背中にそっと手を当てて、言葉を絞り出すように伝えた。
「……悪いことなんか、してないよ。香織は……咲葵のこと、ずっと支えてただろ。最後って、わかってたら……俺だって、もっとちゃんと……何か、伝えられたかもしれない。でも……咲葵は、自分を責める香織なんて、絶対に望んでない。……そんなの、わかってるだろ?」
「……わかってる……けど……」
香織のその言葉に、俺の視界も滲んでいた。いつの間にか、俺も泣いていた。
火葬場では、香織と二人で、咲葵の骨をゆっくりと骨壺へと移した。ひとつ、ひとつ。壊れないように、大切に。この手が、咲葵の最期を見送ることになるなんて、思ってもいなかった。
すべてが終わったあと、香織がひとつの箱を俺に差し出した。
「これは……?」
「自分の部屋で開けて。それから……私の気持ちも、後で話すから」
それだけ言って、香織は俺の返事も聞かず、静かに帰っていった。
香織の気持ち——驚きはあった。でも、それ以上に今は、咲葵のことが胸の中に広がりすぎて、何も考えられなかった。
帰宅してから、自分の部屋の机の上に箱を置いた。恐る恐るふたを開けると、中には丁寧に折られた手紙と、使い込まれたノートが一冊。
手紙の表紙には、見慣れた咲葵の筆跡で、こう書かれていた。
『蒼へ 最後のお願いと、ありがとうを込めて』
蒼へ
こうして手紙を書くの、なんだか小学生のときぶりな気がする〜。へへ、ちょっと照れるけど、読んでくれてありがとう。
たぶん……これを読んでるってことは、わたしはもうこの世界にはいないんだよね。なんか、へんな感じ。でも、最後に自分の記憶をちゃんと形に残したいなって思って、小説を書くことにしたの。うん、無謀でしょ〜?でもね、本気で書いたんだよ。
わたし、これまで少女漫画ばっかり読んでたからさ、正直、書き方とか全然わからなかったの。でも香織ちゃんがいっぱい助けてくれて、すごく支えてくれたの。わたしの気持ちとか、香織ちゃんにバレちゃうのはちょっと恥ずかしかったけど……でも、逆に香織ちゃんの気持ちを読むのはめっちゃ面白かった!「え、こんなこと考えてたの!?」って、何回もびっくりしたよ笑
だからね、蒼にもお願いがあります。
この物語、蒼の手でちゃんと完成させてほしいの。わたしの視点じゃなくて、蒼の気持ち、蒼の言葉で。
本当は、蒼の書いたとこ読みたかったな〜。そこだけが、ちょっとだけ心残り。でも、蒼のことだから、優しくて、まっすぐで、ちゃんと書いてくれるって信じてる。
あ、わたしの書いたとこ、ちょっと変かもしれないけど……香織ちゃんがね、「それが咲葵らしくていいんだよ」って言ってくれたの。嬉しかったなぁ。だからそのまま残してていいからね!
これが、わたしからの最後のお願いです。
きっと、叶えてくれるって信じてる。
咲葵より
「……なんだよ、これ」
小さくつぶやいて、俺はそっと手紙を閉じた。その手に残るのは、一冊のノート。咲葵と香織が、一緒に綴ってくれた物語。ページをめくるたびに見える、咲葵の文字、香織の文字。そこに描かれていたのは、まぎれもなく、あの頃の、俺たちの時間だった。
咲葵との笑い合った日々、泣きそうになったあの日、何も言わずそばにいた瞬間。それらすべてが、ページの中で息づいていた。活字になっても、咲葵の声がする。咲葵の笑顔が見える。咲葵の想いが伝わってくる。
なのに――いない。もう、どこにも。
俺は震える手でペンを握った。咲葵の文字を汚さないように、慎重に、丁寧に、それでも何度も滲んでいくページ。視界が歪む。文字が霞む。声にならない嗚咽が喉から漏れ出す。
それでも、書き続けた。涙が零れても、筆先が揺れても。咲葵が繋いでくれたこの物語を、最後まで俺の手で綴るために。




