30話 吐き出した気持ち
咲葵が樹に恋をしたと話したのは、高校二年の春の終わりだった。驚きはしたけれど、人気のある彼を好きになるのは、どこか納得できた。ただ、深く考えるのはやめようと反射的に思った。
遊園地に行った日から、何かが変わり始めた。蒼が咲葵の恋を応援しているのを見て、私は自分の気持ちをごまかせなくなった。応援しているつもりだったのに、その裏で、私は自分のために咲葵の恋を後押ししていた。
蒼の隣に立ちたかった。咲葵が樹と結ばれれば、その空いた場所に私が入れる気がして。
けれど、咲葵と喧嘩をして、花火大会では彼女に怖い思いをさせてしまった。自分のエゴが、誰かを傷つけた。その時はじめて、私は心から思った。蒼には、一番幸せになってほしい。たとえ、それが私じゃなかったとしても。
だから、私はもう、咲葵の恋を手伝うのをやめた。
文化祭で蒼と一緒に回ったのは、咲葵への気持ちを思い出させようとしたから。でも、結局思い知らされたのは、私自身の気持ちの方だった。蒼と過ごす時間は楽しくて、少しの期待が、また心に芽を出してしまった。
それでも私は覚悟していたつもりだった。だから、蒼の視線が咲葵に向いていることを、咲葵自身に気づかせようとした。無理やりに。
けれど、自分の気持ちに整理がつかないまま行動した私は、言うべきではないことを口にした。諦めきれなかった。ほんの少しでも蒼と未来を結べる可能性があるならと、心のどこかで願っていた。
本当はずっと我慢していた。忘れようとして、距離を取って、それでも近づいては傷ついて。愛する人のためだと信じて選んだことが、咲葵を苦しめ、責められる結果になった。
誰かのために抑え続けた想いが、こんなにも簡単に否定されるのなら、私はいったい何のために、あの日からずっと、自分を保ち続けてきたのだろう。
「ずっと……ずっと、羨ましかった」
その言葉に、わたしは息をのむ。
——そんなふうに思ってたの?
「わたしだって、蒼ともっと話したかったし、もっと笑い合いたかった。でも、蒼が楽しそうにしてるのは、いつも咲葵といる時だった」
「……」
「だから、わたし、すべてを諦めて、咲葵の味方でいようって決めたの」
香織ちゃんが、ぎゅっと手を握る。
「咲葵が樹くんのことを好きなら、その恋を応援しようって……そうすれば、少しは諦められると思った」
——違う。
香織ちゃんの言葉が、胸に突き刺さる。「諦めようとした」って——。
「でもね……咲葵」
香織ちゃんが、わたしを見つめる。
「もう、無理みたい」
——やめて。
わたしは、叫びたかった。そんな顔しないでって。そんな声で言わないでって。
「……わたし、蒼が好きなの」
涙をこぼしながら、香織ちゃんははっきりと言った。
「ずっと……ずっと、好きだったの」
波が静かに打ち寄せる。
冬の海風が、痛いくらいに冷たかった。
——え?
胸が締め付けられたような感覚がして、足が止まる。
「ごめんね。もうこの関係終わっちゃったね。私は咲葵みたいに優しくないし、まっすぐでもない。とっても自分勝手な女の子なの」
香織ちゃんの震える声に咲葵も同様に震える。
「そんなことないよ。香織ちゃんは素敵だよ。追いかけなよ」
「できないよ」
「諦めちゃ駄目だよ。諦めていい理由になんてなんてならないよ。香織ちゃんは、とっても、とってもすてきだよ」
咲葵の涙ぐむ優しい声が香織の心を締め付ける。
「できないよ」
「そんなことないから、大丈夫だよ。きっと叶う。信じれば叶う、そう教えてくれたのは香織ちゃんじゃん。私も手伝うからさ」
「咲葵!なんで、なんでそこまでして!自分の心にウソを付くの!!」
「嘘なんかついてないよ」
「いい加減にして!」
「香織ちゃんが蒼を好きになったんでしょ。私は応援するよ、何も困らないじゃん!!」
「ちゃんと向き合ってないのは咲葵でしょ」
「なんで私が悪くなるの!香織ちゃんが蒼を追いかけたら済む話でしょ!わたし関係ないじゃん!勝手にしてよ!」
「あるから言ってるの」
「じゃあ、何があるっていうのよ!」
「……」
香織ちゃんは、なにも言わなかった。
「ないんじゃん!」
「ある!」
叫んだ香織ちゃんの声が、浜風を切り裂いた。
わたしはその声に、息をのんだ。香織ちゃんが叫ぶなんて、そんなの聞いたことなかったから。わたしの知ってる香織ちゃんじゃない——でも、だからこそ、重みがあった。
わたしは、もう一度言い返そうとして——。
「蒼が、あなたのことを好きだから!」
その言葉は、風よりも強く、まっすぐに胸に突き刺さった。
わたしは、言葉を失った。声が出ない。香織ちゃんの瞳から、涙がこぼれていた。
香織ちゃんが泣いてる——信じられなかった。ずっと、どんな時でも冷静で、強くて、わたしの前では涙ひとつ見せなかったのに。
目の前の現実が受け止めきれなくて、何も言えなくて。ただただ、頭が真っ白になった。
わたしは、香織ちゃんから逃げるように走った。ごちゃごちゃになった気持ちを置き去りにして。涙が出そうなのに、泣くこともできなくて。
海から吹く風だけが、頬を冷たく撫でた。
香織ちゃんを、わたしは一人きりで浜辺に残してしまった。




