28話 文化祭
文化祭当日、私と蒼はお化け屋敷の受付を咲葵に任せて、会場を回ることになっていた。
「お願い」
「頼んだぞ」
私たちの声に、咲葵はいつも通りの笑顔で手を振った。
「うん、楽しんできてね!」
渡されたその笑顔は、どこまでも明るくて、どこまでもまっすぐだった。私は頷きながら、視線をそらした。ほんの少し、胸の奥が疼いた。
「香織はどこか行きたいところとかあるのか?」
蒼が隣で何気なく聞いてくる。
「蒼は?」
「俺は……とりあえず全部かな」
その返事に私は小さく笑いながら、少しだけ先を歩いた。一番近くの教室に向かい、そのまま自然と足を止める。
「もうすぐ上映になります」
受付の女子生徒がそう案内すると、私たちは中へ入っていった。コスプレ姿の“マッチ売りの少女”がチケット代を受け取ってくれる。蒼が財布を取り出すのが見えて、なぜか少し胸が高鳴った。
上映が始まるまで、まだ少し時間がある。私は小さな声で、言葉を落とす。
「……言っておかないといけないことがある」
「ん? なんだ」
「もう、咲葵を手伝うことはできない……」
蒼は少しだけ肩をすくめて言った。
「この前の、結構強引だったからな」
「……」
「でも、今まで本当にありがとな。十分助かったよ」
「……なんで、蒼に感謝されるの?」
「細かいことはいいんだよ。咲葵にはもう言ったのか?」
「朝に」
「そっか」
私たちの会話に重なるように、教室には人が増えていく。自然と話はそこで途切れた。
映画が終わると、私たちは会場を出て、たわいのない会話を交わしながらいくつかの出し物を見て回った。どのクラスも工夫を凝らしていて、歩いているだけで少しずつ文化祭の高揚感が体に染み込んでくる。
そんな中、蒼がクラスの名前を読み上げた。
「ここ、VRアトラクションパークって書いてあるな」
そのクラスは、偶然にも樹がいるクラスだった。
「どうぞどうぞ、楽しいアトラクションがたくさんありますよー!」
「そこのお似合いなカップルさん!」
男子生徒二人が笑顔で呼び込みをしている。私たちのことを“カップル”と呼んで。
「わかったから。その代わり、俺たちのお化け屋敷も来いよ」
蒼がそう返して、私たちは中に誘導される。――誰も訂正しなかった。“お似合いなカップル”という言葉を。蒼は、否定しなかった。胸の奥で何かがそっと揺れた。
会場に入ると、スタッフの女子生徒が私に、男子生徒が蒼にそれぞれVRゴーグルを装着してくれる。説明が淡々と流れる。
「視界に見えている白い枠からは出ないようにご注意ください。スティックを振ると球が飛びます。相手に当てたら勝ち、当てられたら負けです。よーい、スタート」
視界の中に現れたのは、淡い灰色のアバターだった。まるで夢の中のように曖昧な世界。そのアバターがこちらに手を振ってきた。
「おーい、香織かー? 見えてるー?」
蒼の声だった。私は返事の代わりに、球をひとつ放った。ゆっくりとオレンジの球が宙を舞っていく。
「おおい、いきなりかよ!」
蒼の声が跳ねる。反射的に体をひねって避けたらしく、周囲から笑いが起こっていた。私はその声に構わず、何度も腕を振った。がむしゃらに、何かを振り払うように。
黄色い球が次々と放たれ、蒼のアバターに直撃すると、「WIN」という文字が視界に浮かんだ。
「外しますね」
スタッフの声とともに、ゴーグルが外される。外の光が一気に目に入って、眩しくて、少しだけ現実に引き戻された。
隣で蒼が近づいてくる。
「俺、一発も投げられなかったんだけど……」
少し拗ねたような声を隣で聞いて、私は視線を逸らした。
「……残念」
それだけ言って、私は次の教室へと向かう。文化祭の廊下には出し物の看板や装飾がにぎやかに並び、賑やかな声と笑い声が遠くまで響いていた。
視界の先に、荷台をダンボールで覆ったものが見えた。まるで仮設の遊園地。そこには先ほどVRゴーグルをつけてくれたスタッフがいて、再び私たちに声をかけてくる。
「ご自身のイヤホンはお持ちですか?」
「あー……」
「はい」
蒼と私がそれぞれ頷くと、「お付けしますね」と丁寧にイヤホンとゴーグルの装着を手伝ってくれる。耳に差し込んだイヤホンからは、微かな雑音と、少し先で話している生徒たちの気配が聞こえる。
「足を上げてください、あ、もう少し――」
声に導かれるまま、私は不安定な荷台の上に乗る。スタッフの手を借りながら、座席代わりのダンボールに腰を下ろした。段ボールの壁が背中に当たる感触が心もとない。
視界はまだ真っ暗だった。
「それでは、始めます。イヤホン越しに説明が流れますので、手すりにおつかまりください」
言われた通り、鉄パイプの手すりを探して手を伸ばす。ゴーグルの中に、徐々に映像が現れる。鬱蒼とした森の中を走るトロッコ。私は今、その中に乗っているらしかった。
ゴトン、と荷台がわずかに揺れる。リアルな振動に、無意識に肩に力が入った。
『それでは出発します。急な揺れにご注意ください』
トロッコが動き出すと、耳元から風を切る音や鳥の鳴き声が響き、すぐに私は映像の世界に没入した。加速していく感覚と、空を切る風の音。――本当に、飛んでいるようだった。
草原を走り抜け、空へと伸びるレールを登っていく。視界の中で太陽が昇り、雲の上を駆け抜けるその景色は、まるで夢の中。……でも、その夢が、突然終わる。
トロッコがギクシャクと揺れ、前方に途切れたレールが見えた。
「――キャッ!」
反射的に声が漏れた。荷台がごとん、と大きく揺れて、一瞬、落ちるような錯覚に襲われる。
息を呑む私の耳に、ゴーグル越しのアナウンスが流れた。
『ご乗車ありがとうございました』
暗転する映像と同時に、スタッフが私のゴーグルを外してくれる。現実の明るさが視界に戻ると、私は小さく息をついた。
「ありがとうございました」
スタッフの声に軽く会釈して荷台を降りる。足が少し震えていたけれど、それを悟られないように、なんでもないふりをして立ち上がる。
教室の外で待っていた蒼に合流し、一緒に料金を支払うと、自然と並んで歩き出した。
「いやー、意外とすごかったな。めちゃくちゃ楽しかった」
「……トロッコは、すごかった」
「落ちるとこで、思わず声出しちゃったよ」
「……私も」
蒼が楽しそうに笑っている。その顔を見るだけで、少し胸があたたかくなる。――こうして、並んで歩けること。それだけで、今日ここに来てよかったと思える。
私はスマホを取り出し、時間を確認した。
「そろそろ……私たちの番」
「もうそんな時間か。咲葵、くたびれてないかな」
蒼のその言葉に、ほんの少し胸が痛む。それでも私は、言葉を飲み込んだ。
お化け屋敷に近づくと、教室の前には長蛇の列ができていた。
「すご……。これ、もしかして一番人気なんじゃないか?」
「かもね。一般のお客さんも増えてきてるし」
受付前には、咲葵の姿があった。見慣れた後ろ姿に声をかける。
「おつかれ」
「おつかれだよ~!すごい反響なの」
咲葵が嬉しそうに笑っていた。蒼もその隣で言葉を返す。
「だな。すごい列できてたぞ」
「交代、楽しんできて」
「ありがとう、二人とも!」
咲葵は、うれしそうに頷くと、教室を後にした。遠ざかる背中が、すぐに人混みに紛れていく。
「楽しんで来いよ~!」
蒼が手を振ると、咲葵も振り返って手を振り返してきた。――ああ、もうすぐこの日も終わる。教室の関係者用入り口から私たちは中に入り、蒼の後ろ姿を見つめながら、小さな声で声をかける。
「受付、交代お願い」
「了解」
そう言って、担当の男子生徒が軽く手を上げて出ていった。
私は静かに深呼吸する。このあと、何が起きてもいいように。
――せめて、今日だけは。自分の気持ちに正直でいたいと思った。




