23話 中学生
小学六年生の春、私たち三人は同じクラスになった。それだけでも十分な偶然だったのに、席替えのたびに、私は蒼の隣の席に座ることが多かった。奇跡だと思った。
咲葵は定期的に学校を休んだ。最初は風邪を引きやすいのかと思っていたけれど、次第にそれが彼女の持病のせいだと知った。
「わたしね、生まれつきちょっと体が弱いの」
ある日、何気なくそう言った彼女の表情が、どこか寂しげだったことを覚えている。
病気の話になると、咲葵はいつも話題をそらした。まるで、それが存在しないかのように。きっと、彼女にとって触れられたくないことなのだろう。だから、私はそれ以上何も聞かなかった。
咲葵が休んでいる日、私はいつものように蒼と遊んだ。
「蒼は恋とかするの?」
唐突にそう尋ねると、蒼は手に持っていたボールを軽く弾ませながら、不思議そうに首を傾げた。
「なんだ、それ」
「誰かが好きとか、付き合いたいとか、そういうの」
「んー……まだ、よくわかんないや」
蒼はそう言って、無邪気に笑った。その笑顔を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
「そっか」
私も同じように笑って、何事もなかったふりをした。
それからというもの、咲葵がいない日は、私は蒼に恋の話をするようになった。恋愛映画の話、学校の誰と誰が付き合っているとか、そんなたわいのない話を。それはまるで、自分の気持ちをごまかすための儀式みたいだった。
そして、小学校を卒業する頃、咲葵が「海に行こう」と言った。私たちが初めて出会った場所。出会いの原点に戻るような、そんな提案だった。
私たち三人の家族も一緒に行くことになり、浜辺にはいつもより賑やかな声が響いていた。
砂浜を駆け回り、夕日が沈む頃には潮風に吹かれながらバーベキューを楽しんだ。そして、最後に手持ち花火をすることになった。
ひとしきり遊び終えたあと、親たちは片付けを始め、私たちは思い思いに砂浜を歩いた。蒼の姿が見えなかったので、彼のお父さんに聞くと「トイレに行ってるよ」とのことだった。次に咲葵を探すと、波打ち際にしゃがみ込んで何かを書いていた。
私はそっと近づき、隣に腰を下ろした。
「香織ちゃん……!」
驚いた咲葵は、慌てて手で砂をかき消した。
「何してるのかなって思って」
「びっくりしたよ、見ちゃった?」
「ううん、暗くてよく見えなかった」
思わず嘘をついた。咲葵は安堵したように胸をなでおろし、いつもの笑顔を見せた。
「そっか、ならよかった。一安心だよ」
それから、何事もなかったかのように立ち上がり、咲葵は家族のもとへと戻っていった。
私はひとり、彼女がいた場所にしゃがみ込んだ。——見てしまった。波にさらわれる直前、砂の上に描かれていた相合傘。そこには「さき」と「蒼」と、二つの名前が書かれていた。
指先を砂に触れさせる。もう跡形もないのに、そこに確かにあったはずの文字の感触を、なぞるように。
咲葵の気持ちは、言葉よりも雄弁だった。私には勝ち目がない。それは、小さな子供でも理解できるほどに明白なことだった。咲葵と蒼。彼らはあまりにも自然で、初めからそうあるべきだったように見えた。私は、この気持ちを捨てるべきなのだろう。でも、頭ではわかっていても、心がそれを拒んでいた。諦めることを、私は自分に許せなかった。ただ、どうしようもないほどの醜い気持ちだけが、胸の奥にしがみついて離れなかった。
夜の海は、ひどく静かだった。
波の音が、まるで私の心をさらうように、冷たく押し寄せてくる。
中学一年生になってから半年ほどが過ぎたころ、咲葵が長期入院することになった。
私は、咲葵に黙って自分の恋を実らせようとした自分をひどく呪った。昔から蒼と仲良かった咲葵がまだ付き合ってないのなら、私が付き合おうとしても何も悪いことはない。そう言い聞かせていた自分、その考えを抱いていた自分を呪った。
病室のベットで横になっている咲葵の姿を見た時、それを深く痛感した。あんなにも明るくて、活発で元気な咲葵が、ベットの上で弱々しく私に微笑んでいた。蒼くんは咲葵のこの状況に慣れているようだった。咲葵の話によると、生まれつきで命に別状はないらしい。でも、状況が悪化した時はしばらく入院して安静にしないといけないようだった。
病室での面談を終え、私は蒼と一緒に咲葵の病院を出た。
「咲葵は直ぐ元気になるから大丈夫」
「ほんとに?」
私の心細い声に蒼は笑って言った。
「よくあることだから、気疲れするぞ。でも、ありがとうな……咲葵の事そこまで思ってくれて」
「蒼くん……咲葵のこと好き」
「は?何言ってるんだよ全然そんなことねーし。咲葵は優しいから変に気遣われるの嫌がるんだよ」
「……」
私は何も言わなかった。言えなかった。考えてはいけないと思った。この気持ちを忘れる事にした、すべて何もなかったと。蒼くんは咲葵のことが好きで、咲葵も蒼のことが好き。はじめから私が割り込む隙間なんてなかったんだと、私はその実感した。
中学一年生になって半年が過ぎたころ、咲葵が長期入院することになった。
その知らせを聞いたとき、胸の奥に鋭い痛みが走った。ただの驚きや心配ではなかった。もっと深い、もっと暗い感情が、自分の中からこぼれ落ちそうになるのを必死に押しとどめた。
——私は、何をしていたのだろう。
咲葵に黙って、自分の恋を実らせようとしていた。
咲葵と蒼は、昔からずっと一緒にいた。でも、まだ付き合っているわけではない。ならば、私が蒼と距離を縮めたって悪いことではないはず——。そう言い聞かせて、少しずつ、慎重に蒼に近づこうとしていた。けれど、それはすべて、間違いだったのだと痛感した。
病室のベッドに横たわる咲葵を見た瞬間、その考えがひどく浅ましく思えた。
あんなにも明るくて、活発で、いつも笑顔だった咲葵が、白いシーツの上で儚く微笑んでいる。
「ごめんね、心配かけちゃったね」
弱々しい声でそう言った咲葵を見て、胸の奥が締めつけられた。
蒼は、この光景に慣れているようだった。咲葵の話によると、生まれつきの病気で命に別状はないらしい。けれど、症状が悪化すると、こうしてしばらくの間、入院して安静にしなければならないのだという。
それが、咲葵にとっては「いつものこと」なのだと、蒼は言った。
病室をあとにし、蒼と並んで歩く。病院の廊下はひどく静かだった。
「咲葵はすぐ元気になるから、大丈夫」
そう言った蒼の声は、どこまでも穏やかで、確信に満ちていた。
「……本当に?」
心細い声で尋ねると、蒼は笑った。
「よくあることだからさ。あんまり気張ると疲れるぞ。でも、ありがとうな……咲葵のこと、そこまで思ってくれて」
——私は。私は、咲葵のためにここにいるのだろうか。蒼を見つめる。何かを確かめるように。
「……蒼は、咲葵のことが好き?」
自分でも驚くほど静かな声だった。蒼は一瞬、きょとんとした顔をしたあと、あっけらかんと笑った。
「は? 何言ってんだよ、全然そんなことねーし」
軽く手を振って否定する。その仕草が、逆に真実を語っているように思えた。
「咲葵は優しいからさ、変に気遣われるの嫌がるんだよ」
そう言いながら、蒼はふっと遠くを見た。私は何も言えなかった。否定されても、そこに滲む本音を見てしまったから。——蒼は、咲葵のことが好きなのだ。それを、言葉では認めなくても。——そして、咲葵も蒼のことが好きなのだ。
はじめから、私が割り込む隙間なんてなかった。それなのに、私は何をしようとしていたのだろう。蒼の隣を歩きながら、私はそっと目を伏せた。
この気持ちは、なかったことにしよう。忘れよう。何もなかったように、静かに心の奥にしまい込んで。もう二度と、開けられないように。




