21話 香織の告白
文化祭が終わって、学校はすっかりいつも通りの空気に戻っていた。蒼と一緒に帰っていた日々も、数日で終わってしまって、今ではまた、わたし一人の帰り道。
――時間って、やっぱりあっという間に過ぎちゃうんだなぁ……。
だけど、ひとつだけ変わったことがある。樹くんとは、文化祭以来ちょっとずつだけど、スマホで連絡を取り合うようになった。
いつもわたしから送って、樹くんがぽつんと返してくれる感じなんだけど――それでも、何もなかった前よりはずっと前進してる。……気がする。
そんなことを思いながら帰り支度をしていると、香織ちゃんが、すっとわたしの席まで来た。
「咲葵、帰ろ」
それだけ言って、わたしの目を見ずにそう言った。
「うん、いいよ!部活はないの?」
問いかけに、香織ちゃんはいつも通り無言でうなずく。それだけでも、ちゃんと答えてくれてるのが香織ちゃんらしくて、なんだか少し嬉しかった。
荷物をまとめて、教室を出る。
――並んで歩くの、いつぶりだろう?
「久しぶりだね、二人で帰るの」
わたしがそう言っても、香織ちゃんは何も答えない。でも、それもなんとなく、いつも通り。
校門を出て少し歩いた頃、唐突に香織ちゃんが言った。
「咲葵」
その声が、少しだけ風に溶けて、でも耳にやさしく響いた。
わたしは自然と香織ちゃんの顔を覗き込むけど、彼女はわたしを見ずに、まっすぐ前を向いたままだ。
「海行かない?」
えっ……?と思ったけど、理由なんて聞かなかった。
「うん!いいよ、行こ~」
香織ちゃんの中で、何かが動いている気がした。それを、わたしが言葉で崩しちゃいけない気がして――ただ一緒に歩いた。
少しずつ冷たい風が強くなる。もう、冬の匂いがしていた。
「寒いね」
肩をすくめて、思わず自分の腕を抱きしめる。
「ううう……」
口から出たのは、寒さというより、なぜか落ち着かない気持ちの音。
でも香織ちゃんは、わたしとは対照的に、まっすぐに海を見つめて立っていた。まるで、風も寒さも感じていないみたいに。
わたしが声をかけようとしたとき、香織ちゃんが先に言った。
「なんとなく……海が見たくなったの」
「そういう時、あるよね」
わたしは笑って、できるだけ明るく言った。だけど心の中では――ずっと引っかかっていた。
――香織ちゃん、どうしたんだろう? 何か、言いたいことがあるんじゃないかな……。
「もう少しで、冬休みだね」
ぽつりと香織ちゃんが呟く。
「うん。でも、その前に球技大会あるけど」
わたしの返事に、香織ちゃんはうなずくわけでも、笑うわけでもなかった。
本当は、そんな話がしたくてここに来たんじゃない。わたしには、そう思えてならなかった。
潮の香りが、風と一緒に肌をかすめる。海は静かに、でもどこか広すぎて、ちょっとだけこわい。
わたしが何かを言おうとしたその時だった。
「咲葵は――樹くんのこと、好き?」
香織ちゃんが、まるで時間を止めたみたいな声で、そう訊いてきた。
目を見ないまま、まっすぐ前を見て、でも、その言葉だけが、わたしの胸にしっかりと届いた。
「好きだけど……」
わたしは一拍置いて、そう答えた。香織ちゃんが急に、真っすぐわたしの心の奥を覗き込んでくるような口調で聞いてきたことに、ちょっと戸惑っていた。
——なに、どうしたんだろう……。
「本当に?」
その問いに、わたしは思わず言葉を返す。
「そうだよ?」
「どこが?」
「かっこいいし……何よりもやさしい!」
そう言いながら、自分の中でちゃんと理由があるって思った。好きな人のいいところを挙げるのは、当然のことだから。
だけど——香織ちゃんの目は、少しも緩まなかった。
「なら、蒼くんのこと、どう思ってるの?」
「どおって……特に何も……あ、やさしいなって」
言ってから、自分でもちょっと不自然に感じた。だけど、素直に出てきた言葉でもあった。
「蒼くんのことは好き?」
「すきだよ……友達としては、ね」
そのときの香織ちゃんの目が、鋭くなった気がした。
「樹くんとはどう違うの?」
「な、なんで、そんなこと聞くの……?」
質問が立て続けに飛んできて、頭が追いつかない。胸の奥にどんどん、もやが溜まっていくみたい。
「答えて」
香織ちゃんの声は、いつもより冷たくて、でも揺れていた。
「樹くんは……わたしの、初恋の人なの!なんでそんなこと、今さら聞くの?」
「本当に初恋の人なの?本当に、好きなの?」
「好きだよ!好きなの、そー言ってるじゃん!今までも、ずっとそうだったじゃん!なに、それじゃいけないの?」
「じゃあ、蒼くんとどう違うの」
「だからっ、蒼は関係ないでしょ!蒼とわたしは……幼馴染、それ以上でも、それ以下でもないの!」
「逃げないで。考えて」
その一言に、胸の奥でなにかが引っかかる。
——いい加減にしてよ……!
「何で香織ちゃんにそんなこと言われなきゃいけないの!?関係ないじゃん!」
「関係あるの。話をそらさないで」
「何が関係あるの!?もう手伝えないって言ってたじゃん!香織ちゃんは……何も知らないじゃん!分からないじゃん!」
「そんなこと、わかってる」
「何が分かってるの!なんにも分かってないじゃん!」
わたしの声が冬の冷たい潮風にかき消されそうになる。胸が苦しい。なんで香織ちゃんはこんなことを言うの?なんでわたしの気持ちを決めつけるの?
「それは……」
香織ちゃんが一瞬言葉を詰まらせる。けれど、すぐに、静かに、でも力強く言った。
「咲葵が、自分の気持ちを偽ってるから」
——偽ってる?
その言葉が、心の奥深くに突き刺さる。なにか、ずっと胸の奥に押し込めていたものが、バラバラと音を立てて崩れ落ちていくような感覚。
「偽ってなんかない! なんでそんなこと言うの!」
「咲葵が……自分の気持ちに嘘をついてるから」
香織ちゃんの声は冷たくて、それでいて、どこか震えていた。
「嘘なんかついてないよ! 何も知らないのに、勝手なこと言わないで!」
そう叫んだ瞬間、香織ちゃんの目が、怒りと悲しみに染まった。
「知らないわけないでしょ!」
——初めてだった。香織ちゃんが、こんなふうに感情をあらわにするの。
「ずっと見てた。……咲葵が蒼を好きだって、ずっと前から分かってた」
言葉の意味がすぐには理解できなかった。でも、香織ちゃんの目が、それが本当だと伝えていた。
「咲葵、自分でも気づいてないの? 樹くんを見てるフリして、本当に見てたのは、いつも蒼だったじゃん」
香織ちゃんの声が、頭の中で繰り返される。
「違う……」
そう言い返したけど、声が震える。
「だったら聞くけど……蒼といるときの方が、自然でいられるって、思ったことない?」
図星だった。言葉に詰まる。
「文化祭のとき、怪我した蒼のところに真っ先に走って行ったのも——」
「あれは……!」
——あの時。
香織ちゃんの言葉が、わたしの頭の中で鮮明に再生される。
文化祭の日。蒼が怪我をしたと聞いた時——わたしは迷うことなく、走っていた。体育館に残ることなんて、少しも考えなかった。気づいた時には、蒼のいる場所へと向かっていた。
——あれは……なんで?
香織ちゃんの言葉を待たずに、頭の中に別の記憶がよみがえる。
——今年も、見れたよ……蒼。
夏祭りの花火を見上げながら、無意識に左を向いた。——そこには、いつも蒼がいるはずだった。だけど、そこに蒼はいなかった。その瞬間、胸が締め付けられるような、強烈な喪失感に襲われた。
わたしはあの時、誰を見てた?わたしはあの時、本当は誰と一緒に花火を見たかった?
——蒼?
「……っ!」
違う。違う、違う、違う!
「わたしが好きなのは、樹くんだよ……!」
わたしは強く叫ぶ。まるで、そう言わなきゃ本当に壊れてしまいそうで。
だけど——。
「じゃあ、どうしてそんなに苦しそうなの?」
声は優しかったけど、逃げ場はなかった。
「……わたしは……」
言いかけて、何も出てこなかった。
「本当に……樹くんのことが好き?」
それは、何度目かの問いかけだった。でも、今度はもう、簡単には答えられなかった。
香織ちゃんは目を伏せて、小さく吐息をもらした。
「そっか……」
波の音だけが、静かに響く。
香織ちゃんが、ゆっくりと口を開いた。
「……わたしね、ずっと見てたの」
「……え?」
「咲葵と蒼のこと」
風が吹き抜ける。香織ちゃんの髪が揺れる。
「二人が一緒にいるのを見て、なんでだろうって思った。わたしの方が蒼といる時間が長いのに、なんで蒼は、あんなに自然に咲葵と笑い合うんだろうって」
「香織ちゃん……?」
「ずっと……ずっと、羨ましかった」
その言葉に、わたしは息をのむ。
——そんなふうに思ってたの?
「わたしだって、蒼ともっと話したかったし、もっと笑い合いたかった。でも、蒼が楽しそうにしてるのは、いつも咲葵といる時だった」
「……」
「だから、わたし、すべてを諦めて、咲葵の味方でいようって決めたの」
香織ちゃんが、ぎゅっと手を握る。
「咲葵が樹くんのことを好きなら、その恋を応援しようって……そうすれば、少しは諦められると思った」
——違う。香織ちゃんの言葉が、胸に突き刺さる。「諦めようとした」って——。
「でもね……咲葵」
香織ちゃんが、わたしを見つめる。
「もう、無理みたい」
——やめて。
わたしは、叫びたかった。そんな顔しないでって。そんな声で言わないでって。
「……わたし、蒼が好きなの」
涙をこぼしながら、香織ちゃんははっきりと言った。
「ずっと……ずっと、好きだったの」
波が静かに打ち寄せる。
冬の海風が、痛いくらいに冷たかった。




