20話 心の滲み
お化け屋敷の教室に着いた頃には、ちょうど再開の準備が整ったところだった。周りにはクラスの子たちが集まっていて、みんなで作り直す空気が漂ってる。誰もが本気で、今できることを探して動いていた。
わたしは受付にいた女の子にすぐ声をかける。
「蒼は……蒼はどこ?」
「香織ちゃんと一緒に、保健室に行ったよ。大丈夫、そんなに大きなケガじゃないって」
「……ありがとう」
わたしは短くお礼を言うと、再び走り出した。わたしの中で、少しだけホッとした気持ちと、まだ晴れない不安が交互に膨らんでいた。
保健室の前で、一呼吸置いてから、扉を開ける。そこにいたのは、椅子に向かい合って座ってる香織ちゃんと蒼だった。
「……咲葵?」
「お?どうしたんだ、お前」
蒼はそんなのんきな声でわたしを迎える。わたしはその顔を見て、思わず口をとがらせてしまう。
「……もぉぉ~っ! 心配して損したー!」
蒼が無事でよかった、っていう安堵と、なにそのテンション、っていう気持ちとで、涙が出そうになるのをこらえながら、思いっきり肩の力を抜いた。
「それは……なんか、すまん。でも、来てくれてありがとな」
そんな蒼の声に、ちょっとだけ胸がきゅってなる。
すると香織ちゃんが立ち上がり、わたしの方に歩いてくる。
「後はよろしく。それと、蒼、足……捻挫してるから」
「えっ」
香織ちゃんはそう言い残して、静かに保健室を出ていった。
わたしは空いた席に腰を下ろし、蒼の足に目をやる。右足首がはっきりと腫れていて、見ただけで痛そうだった。
「……サッカーしてるのに……」
「大丈夫だよ、ちょっとの間できないだけだし」
「でも……」
——ちょっとの間、って、そう簡単に言えることじゃないのに……。
わたしの中で、心配がじわじわと広がる。捻挫って言っても、運動部にとって足のケガって、本当に大事なのに……。
そんなわたしの気持ちを察したのか、蒼がふっと笑って話題を変える。
「……それより、樹とはどうだったんだよ。うまくいってるのか?」
「もちろん!」
思い切って笑顔を見せると、蒼はちょっと安心したように見えた。
「最近はね、前よりも笑うようになってくれてるんだよ。ほんとに少しずつだけど、距離が縮まってる気がするの」
胸にそっと手を当てて、確かめるように呟いた。
でも、本当は、まだちょっとだけ、頭の片隅に蒼の存在が引っかかってることに……このときのわたしは、まだ気づかないふりをしていた。
「もちろん!最近は前よりも笑うようになってくれてる」
わたしがちょっと得意げに言うと、蒼が小さく驚いた声をあげる。
「おお!」
「……気がする、けど」
ほんの少しだけ自信が揺らいで、語尾が弱くなった。
「お化け屋敷でムード作ってやったのに」
蒼がわざとらしく言ってくる。
「ああああ!それ忘れてないからね!」
わたしは勢いよく立ち上がって、蒼をびしっと指さした。
「なんで幽霊があんなに忍び足で歩いてくるのよ!」
「だって、幽霊だからな……」
「じゃあなんで、あんな本気で追いかけてきたの!」
「幽霊だから……な?」
「わたし本気で怖かったんだからね!」
「うん、でも……幽霊だしな」
「もう!それしか言わないじゃん!」
わたしは思わず頭を抱えて天井を仰いだ。
「ああああ~~!」
でも、そんな風に怒ってるふりをしながら顔を上げると、蒼が楽しそうに笑ってて、わたしの中の緊張もふっと溶けていった。
その笑顔を見た瞬間、わたしも自然と笑ってしまっていた。
そのまま、ふたりで他愛のない話をして、保健室で時間を過ごした。
蒼は、「こんなとこで文化祭終わらせていいのかよ」って、気にしてくれたけど――。
「文化祭なんて来年もあるし、まだ時間はいっぱいあるから」
そう言って、無理やりでもわたしが説得した。ほんとは、ただ一緒にいたかっただけなのに。
文化祭が終わると、蒼は怪我のせいで部活も片づけも免除された。わたしも部活には入っていないから、特別な仕事はなかった。
去年まではクラスの片づけに加わっていたけど、今年は――。
「一緒に帰ろっか」
気づけば、自然とそう言ってた。
校門を抜ける道は、もう人の気配もなくて、夕焼けが少しだけ赤く染まっていた。
「なんか、二人でこうやって帰るの新鮮だな」
蒼が言う。
「行事の時くらいだもんね。部活がないの」
「そうだな」
「……ちゃんと病院行ってね?部活も、蒼がいないと困るし……」
わたしが言うと、蒼は少し照れたように笑った。
「ありがと。でも球技大会までにはさすがに治ってるよ」
「……うん、そっか」
沈黙が少しだけ続いた。気づけば、わたしはぽつりと呟いていた。
「……今がずっと続けばいいのにね」
歩きながら、ぽろっと出てしまった本音。蒼は一瞬沈黙したあと、くすっと笑って返した。
「おい、それじゃ俺ずっと捻挫したまんまじゃん」
「ちがっ!そういう意味じゃない!」
顔が一気に熱くなって、わたしはぶんぶんと両手を振る。
でも、蒼は笑いながら「知ってるよ」と小さく呟いて、前を向いた。
わたしも、少し後ろからその背中を見ながら歩く。
何気ない時間。何でもない会話。
だけど――この日常が、ずっと続けばいいのにって。本気で思ってしまう、そんな帰り道だった。




