2話 病院
「あ……あれ……?」
目が覚めると、見慣れない天井が広がっていた。
ぼんやりとした頭のまま、視線をゆっくり動かす。白い壁、機械の音、消毒液の匂い。
……ここ、病院?
わたしはしばらく唸りながら頭を整理する。そして、少し遅れてようやく理解した。
——どーして病院にいるんだろー?
考えながら、わざとらしく大げさに「考えるポーズ」をしてみる。
そのとき——。
「お、起きたか」
突然の声に 心臓が跳ねる。
思考が一瞬で吹き飛んだけど、声の主はすぐにわかった。
驚いて顔を向けると、ベッドの横で蒼が小さく手を振っていた。
——やっぱり、いたんだ。蒼。
なんだか懐かしい。そういえば、前にもこんなことがあった気がする……。
えーっと、小学生くらいの時に——記憶をたどっていると、察したのか蒼が説明してくれた。
「家で倒れたんだよ、お前」
——そーなんだ。倒れたんだ。倒れたんだっけ?
ぼんやりと思い出そうとしていると、蒼が続ける。
「頭に包帯巻いてあるだろ。倒れて、頭打ったんだよ」
そう言いながら、自分のおでこを指さして見せた。
言われて、わたしもそっとおでこに手を伸ばす。
——……うわぁ、本当だ。ぐるぐる巻きになってる。
指先が包帯の感触をとらえた途端、それまで意識していなかった 「頭に包帯が巻かれている感じ」 が急に鮮明になる。
「なんか、また蒼には迷惑かけちゃったね。ごめん」
ぽつりと口にすると、蒼が少し驚いたように目を瞬かせた。
「え、なんだなんだ!? 急にどうしたんだよ」
わたしは、そんな蒼の反応を見て思わずくすっと笑った。
「いや、昔もこんなことあったなぁ~って」
そう言いながら、窓の外へと目を向ける。空はもう夕暮れ。病室の静かな空気が、どこか懐かしい気持ちにさせた。
「小学生の時か」
蒼も同じことを思い出したのか、わたしと同じように窓の外を見つめる。
ガラスに映る蒼の横顔を、わたしはじっと見つめた。
——そう、七年前。小学五年生の時——。
あのときも、わたしは立ちくらみで倒れて頭を打った。病院に運ばれたわたしのそばに、蒼はずっといてくれた。泣きながら不安だったわたしの隣で、蒼は何も言わずにいてくれた。
——すごく、嬉しかったなぁ。
そんなことを思い出していると、蒼がすっと立ち上がった。
「……?」
わたしが顔を上げると、蒼はわずかに口元を緩め、笑顔で言った。
「親、呼んでくるよ。おやすみ」
「うん、おやすみ」
蒼は扉の方へ歩いて行き、軽く手を上げながら短く「じゃっ」と言った。
わたしは彼の背中を見送る。
扉が閉まった後も、そのままぼんやりと見つめたまま、思い出す。
——そーいえば、蒼にお礼、言ってなかったな。あのときも。
ありがとうって、まだ一度も言えてなかったかも。
——今度会ったら、ちゃんと言おう。
次の日の朝。
わたしは教室の自分の席に座り、机に顔をうずめていた。
——あー、眠い……眠いなぁー……。
「おう、おはよー……お⁉」
驚きながらも、いつものテンションで挨拶してくるのは蒼だった。
「あ、うん」
わたしは顔を上げることもせず、気だるげに返事をする。
「え、ちょっ……いや……なんでいるの?」
——ふふふー、驚いてる驚いてる!
実は、昨日の夜にすぐ退院して家に帰ったのだ! 特に異常もなかったみたい!
「まぁねー」
どや顔で言ってみるものの、すぐにまた机に顔をうずめる。
——眠たさに負けそう……というか、もう負ける……。頭も回らないし、回したくもない……。
結論。寝ます。
そう決めたのに——いきなり、わたしの頭に手が乗せられ、くしゃくしゃっと髪がかき乱された。
「ちょ、なにすんのよ!!」
思わず蒼の手を払いのけ、ムッとして顔を上げる。
「お、目覚めたか。おはよう」
蒼はニッと笑ってそう言った。
「起きてるよ! せっかくセットしてた髪が台無しになっちゃうじゃん!」
——もぉー、蒼のやつ、調子のってぇー!!
「お前が髪のセットだと? そ、そんな馬鹿な」
「馬鹿にして~、こことか!」
わたしは右後ろの髪を指さす。蒼はそこをじっと見たあと、真顔で答えた。
「あぁ、寝癖を治したのね」
「いや、違う!! 髪の型をセットしてたの!!」
そう言った途端——蒼の手が、すっとわたしの顔へと伸びた。
——え、なにするの⁉
驚きすぎて体が固まる。蒼の指が頬の横にある髪に触れ、寝癖の部分をそっと押さえた。その顔が、なんだか少し悲しそうで、でも嬉しそうで——。
「そっか、お前も女の子だもんな。可愛くなったな」
ふわりとした声が落ちる。
——なにが『お前も女の子だもんな』よ。当たり前じゃん!! 前から女の子ですよ、もぉぉぉぉぉ……!!
「そ、そーですよ!!」
わたしは顔が熱くなるのを感じながら、勢いよく机に突っ伏した。
——はぁ、全くもぉー……!!寝れないじゃん、恥ずかしい態度させて!!
少し早めに授業が終わり、教室の中はざわざわと賑やかになった。
次は昼休み。みんな思い思いに好きなことを始める中、わたしも 購買でパンを手に入れるべく 席を立った。
すると、隣の席の蒼が声をかけてくる。
「咲葵、学食?」
「うん、まーそーだけど?」
ちょっと違うけど、まあ似たようなものだから訂正はしなかった。
そのまま教室の扉へ向かおうとしたところ——。
「咲葵」
女の子の声に呼び止められる。
足を止めて振り返ると、一人の女子生徒がこっちに向かってきた。
「あ、香織ちゃん! ごめんごめん、忘れてた!」
彼女は 里見香織。
小学四年生からの友達、っていうか 親友!
元気で明るいわたしとは真逆な、静かでクールな女の子。実はわたし、香織ちゃんの笑った顔も泣いた顔も見たことがない。でも、長い付き合いだから何となく感情を読み取れるようになってきた!
完全に両極端なわたしたちが、なんでこんなに仲がいいのか、周りからはいつも不思議がられる。
今日は、香織ちゃんが寝坊して お弁当を作れなかったらしく、さっきの休み時間に「一緒にお昼食べよ」って言われてたんだった。
すっかり忘れてたわたしは 「しまった!」 と思いながら、照れ笑いでごまかす。
でも、香織ちゃんは特に表情を変えず、じーっと真顔で見つめてきた。
「行こ」
短く言うと、そのまま歩き始める。
「行こー!」
わたしも グーッと手を天井に伸ばしながら、香織ちゃんの隣に並んで歩き出した。
そのとき——。
「あ、あの~」
控えめな蒼の声が後ろから聞こえた。
……ん? なんだろ?
振り向こうとした、その瞬間——。
キーンコーンカーンコーン!
「あ、なったよ! 急がなきゃ!」
わたしがそう言うと、香織ちゃんは無言でうなずく。
「よーし、走っしれー!」
元気いっぱいに声を上げ、そのまま廊下へ ダッシュ!
続くようにして、香織ちゃんも 無言で わたしの後を追った。
「廊下を走るなー!」
遠くの方から、先生の怒鳴り声がかすかに聞こえる。
でも、そんなのは 今は気にしていられない!!
購買でパンを手に入れるのが 最優先事項!!
そんなことを考えながら走っていると——。
……ん? なんか、呼び止められた気がするような……?まあいっか!