16話 変わらない
食後、ナースコールでお盆を片付けてもらったあと、わたしは昼寝をしていた。
目を覚まし、両手を天井に向かってぐーっと伸ばす。気持ちよくあくびを——。
「おはよう」
突然聞こえた蒼の声に、思いきり伸ばしていた腕をバッ!と下げ、あくびを途中で噛み殺す。
——不完全燃焼感ハンパない!! いるならもっと存在感出してよ!
寝起きの頭で内心ブーブー文句を言いながらも、ちゃんと感謝を伝える。
「ごめんね、倒れちゃって」
「何をいまさら、いつものことだろ?」
蒼はまったく気にしていない様子で、笑い飛ばすように言ってくる。
「そっか……。でも、ありがとう」
わたしがちゃんと顔を見ながらお礼を言うと、蒼はすぐに視線をそらしてスマホをいじり始めた。
「ああ」
——そっけない! いきなりスマホ見て、絶対 部活か何かの連絡でしょ。でも、でもぉ~……。
「部活、大丈夫なの?」
時計を見ると、まだ 16時15分。学校が終わってからそんなに経ってない。
「ああ、大丈夫」
——え、そっけない!
「蒼、スマホ持ってるのずるい!わたしもいじりたい!お母さん、スマホ置いてくの忘れてる!」
「ああ、わるいわるい」
そう言って、 スマホをスッとしまう 。
——いや、そうじゃなくて!どんまい的なノリで返してくるんじゃないの!? なんかいつもと違う…… わたしが入院してるから?
「わたし、たいしたことなかったよ。明日退院するし」
「ああ、そうだったのか。よかったな」
「香織ちゃん、もう学校着いた?」
「ああ、それがなんかバス遅れてて、帰るのも遅くなるってさ。今日の授業は全部休みってことだな。羨まし~」
「わたしもだ~」
意地悪く笑って、わたしも言い返す。
「あ~? 咲葵、俺とその位置かわれ」
「やだ」
——冗談だってわかってても、わたしはやだ……考えたくないよ……。
一瞬、 気まずい空気 が二人しかいない病室に流れ込む。
けど、その空気を吹き飛ばすように、 バンッ!! と勢いよく扉が開いた——。
ガラガラガラ——!!
扉が勢いよく開いたのと同時に、香織ちゃんが飛び込んで くる。
「咲葵!」
普段は落ち着いている香織ちゃんが、 息を切らして 近づいてくる。
「ど、どうしたの? 香織ちゃん」
戸惑いながら尋ねると、香織ちゃんは「それはこっちのセリフ」とだけ言って、わたしの肩に両手を置いたまま、呼吸を整え始めた。
——そんなに急いできてくれたの……?
少しして、ようやくいつもの表情に戻った香織ちゃんは、わたしの肩から手を離し、スッと数歩下がる。そして、淡々とした口調で質問を重ねる。
「どうしてこうなったの」
「いつもの立ちくらみで……」
「普段と違ったところは?」
「いつもと同じ感じ……」
「今は?」
「元気です」
「退院は?」
「明日です」
「樹くんのことは?」
「今も好き。諦めないよ」
わたしは香織ちゃんの瞳をまっすぐ 見て、はっきりと言った。
「……まあ、まだ出会って一ヵ月だし」
「うう……」
返ってきたのは、いつも通りの冷静な声。思わずぴえん顔をしてみるけど、香織ちゃんにはまったく効果なし。
——ぴえん。
「ずいぶんと速かったな」
横から蒼の声が聞こえる。
「蒼いたの」
香織ちゃんが少しだけ驚いたような顔で、蒼に向き直った。
——あれ、香織ちゃんも『蒼』って呼んでる……。
「え、俺ってそんな空気?」
「連絡してくれてありがとう」
「無視……。まあいいけど。それより、合宿帰りにそのまま来たのか?」
「ええ」
香織ちゃんは まだ肩から下ろしていない 大きな斜めがけリュックを背負ったままだった。
蒼はスッと席を立ち、香織ちゃんに手を差し出す。
「ひとまず落ち着いてるみたいだし……下ろしていいぞ」
「そう」
香織ちゃんは蒼の言葉通り、ゆっくりとリュックを外す。蒼はそれを両手で受け取ると、 少し離れたテーブル に置いた。
そして、戻ってくると、さっきまで自分が座っていた椅子をポンポンと叩く。
「香織、ここ座れ」
「……ありがとう」
香織ちゃんが座ると、蒼は ふっと わたしの方を見た。
「咲葵、ちょっと自動販売機行ってくるけど、何か欲しいものある?」
「カフェオレ!」
「あれ、甘くね? しかも一応病人だろ」
「いいの! 飲みたいの!」
「……まあ、咲葵なら飲めるか。香織は?」
「レモンで」
「オッケー、じゃ買ってくる」
そう言って、 扉をバタンと閉めて蒼は出ていった。
部屋が静かになったのを見計らい、ずっと気になっていたことを香織ちゃんに聞いてみる。
「……蒼って呼んでるね。前はそんなことなかったのに」
「仲良くなったから」
「そうだったんだ、よかったぁ! 二人が仲良くなってくれると、わたしもすごく嬉しいよ!」
「なんで」
「だって、わたしの好きな人同士が仲良くなってくれてるんだよ? わたしも嬉しいの!」
——……あれ、なんか言い方おかしい?
「それより、いつから名前で呼ぶようになったの?」
「蒼と海に行ったの」
「海?」
「……私たち三人が初めてそろった場所」
「懐かしいね。何話してたの~?」
わたしは 意地悪くニヤニヤしながら 含みを持たせて聞く。
「咲葵と喧嘩したことと、恋の作戦会議」
「あの時は、本当にごめん~!」
両手を合わせて 謝ると、香織ちゃんは ジッ と無表情でわたしを見つめながら静かに言った。
「別に大丈夫」
「そんな真顔で言われても~……」
「諦めて」
「はい……」
——ぐぬぬ、香織ちゃんには敵わない……!
「でも、わたし……これからどうすればいいんだろう」
ふと、ポツリとこぼしてしまう。
「咲葵」
「なに?」
いつもより真剣な口調で、香織ちゃんがわたしの名前を呼んだ。
——どうしたんだろう……改まって。
「病気……どこまで深刻なの?」
いきなりだった。香織ちゃんの声はいつもより少し低くて、目もどこか真剣だった。
「え……え? いきなりどうしたの?」
まなざしが違う。いつもみたいに無表情ってわけじゃなくて、もっと……刺すような鋭さを感じる。
「いいから答えて」
「……生まれつき体が弱いのは本当で、その病気のせいでよく倒れるだけだよ」
「よく気絶する病気なんて聞いたことない」
香織ちゃんの問いかけは止まらない。ひとつひとつの言葉が、まっすぐ心の奥に刺さってくる。
「確かに珍しい病気だけど、めんどくさいだけで、そんな大した病気じゃないよ」
笑ってごまかすように言っても、香織ちゃんの目は一切緩まなかった。
——なんで? どうして急にこんなこと聞くの? 誰かに何か言われた……?
「なら、なんで——」
その言葉を遮るように、わたしは少し強めの声で言い返した。
「もしもっと大変な病気だったら、学校なんて行けてないし、明日退院なんてできない! それに、香織ちゃんだって、何度もわたしが倒れてるの見てるじゃん!」
声に熱がこもったのが自分でもわかった。勢いで言いすぎたかもしれない……って、すぐに後悔がこみあげてきたその時。
ガラガラガラ——。
ちょうど扉が開いて、蒼が入ってきた。
「買ってきたぞ」
両手にドリンクを持ってて、ひとつはレモン、もうひとつは——カフェオレ!
それぞれに手渡してくれて、わたしはすぐに蓋を開けた。
——この香り……ホッとする。わたしの好きなやつ、やっぱりこれが一番。
一口、二口……ぐいっと飲み進めて、あっという間に中身が減っていく。
「ああ、おいしー」
「あんっま」
蒼の声に顔を向けると、同じカフェオレを飲んでる。
「あー! 結局蒼も同じの選んでるじゃん!」
「久しぶりに飲んでみようと思ってさ」
そう言いつつ、もう一口。ひと口が大きすぎて、もう半分近く減ってる気がする。
——蒼ってほんと、何飲んでも飲み方が豪快なんだから。
「うん、一口で満足だ」
そう言って、カフェオレをバッグにしまう蒼。そのあたりは変にマメだったりするの、なんか蒼らしい。
それからは、三人で他愛のない話をした。くだらない話で笑い合って、あっという間に時間が過ぎた。
室内スピーカーから、面会終了のアナウンスが流れると、空気がすっと静かになった。香織ちゃんも蒼も、それぞれの荷物を持ち、立ち上がる。
「また明日ね」
「じゃ、ゆっくり休めよ」
二人が笑顔で手を振って病室を出ていくのを見送って、わたしはようやく息をついた。病室に一人だけ取り残された空間は、さっきまでのぬくもりを思い出させるみたいに静かだった。
「大丈夫……」
誰に向けた言葉かもわからない。でも、口にしたことで少しだけ心が落ち着く。
もう一度、カフェオレのキャップを開ける。そして、ちょびっとだけ残った中身をすくうように口に含む。
「あま……」
誰もいない病室に、その小さな一言だけが、ぽつんと残った。
「香織、珍しく熱くなってたな」
病院を出てからの帰り道。隣を歩く香織に何気なく声をかけた。横顔を盗み見ると、香織は一度もこっちを見ず、ただまっすぐ前を向いたまま、静かに肯定した。
「蒼、聞いてたのね」
俺は小さくうなずく。否定する理由もないし、するつもりもなかった。
「咲葵の言葉……信じることにしないか?」
それは、俺からのお願いでもあったし、願いでもあった。信じてほしい。あいつが笑える時間を、少しでも長く、少しでも多く——そう願ってるのは、きっと俺だけじゃないから。
「蒼にも問いただそうと思ってたけど、蒼がそういうなら……咲葵のことはやめる」
香織の言葉は冷静で、どこか覚悟みたいなものを感じさせた。
「ありがとう」
ただそれだけを、まっすぐに伝えた。感謝の気持ちは、言葉以上に重く、でもそれしか俺にはできなかった。
香織がふと立ち止まって、俺の顔を見つめてくる。
「それで……蒼自身は、今のままでいいと思ってるの?」
思いもよらない質問に、少しだけ間が空いた。問いの意図ははっきりとは分からなかったけど、胸の奥をつかれるような感覚が残る。
「……恋の作戦会議のことか? まあ、今日は話が逸れたし、いい案も出なかったけどさ。……また明日、考えればいいだろ」
答えたあとで、なんとなく自分をごまかしたような気がした。香織が何を本当に聞きたかったのか——たぶん、それは俺が一番よくわかってた。
「……そうね。恋、叶うといいね」
ぽつりとつぶやくように言ったあと、香織は背を向けて、歩き出した。迷いのない足取りだった。
俺はその背中を見送りながら、一瞬だけ立ち止まる。そして、自分の両手を見つめてから、力を込めるように握った。
——この手で、何を守れるのか。
答えはまだ出ない。でも、歩かなきゃいけない。
ゆっくりと、自分のペースで。あいつの背中を遠くから見守る、その覚悟を抱いて、俺は歩き出した。




