13話 心の警鐘
月曜日。
いつものように学校へ行き、いつものように授業を受け、そして、いつものように放課後を迎える。
それなのに、今日はいつもと違った。
香織ちゃんがいない。もちろん樹くんも。強化合宿でいないのはわかってる。わかってるけど、やっぱりちょっと違和感がある。平日をまたいでの合宿だなんて、さすが部活動に力を入れてる学校だけあるよね……しかも、うちのバスケ部は強豪校だし。最近は毎日のように部活に行ってたから、放課後がこんなに暇だなんて、ちょっとびっくりしてしまう。
——わたしって、今まで何してたんだっけ?
「南さーん、渡辺が呼んでるー」
ぼんやりしていたところに、不意にかかった声。
振り向くと、あまり話したことのないクラスメイトの女の子が、後ろの扉から顔をのぞかせていた。
「うん、わかったー、ありがとう」
そう返すと、彼女はそそくさとどこかへ行ってしまう。
——担任の先生がわたしになんの用だろう……。
「呼び出し受けてんな。なんかしたのか?」
隣で部活の準備をしていた蒼が、荷物をまとめながら聞いてくる。
「わからない……。わたし、ちゃんと課題とか出してたよね?」
「知らん。おつかれー」
蒼は笑って軽く手を振ると、そのまま教室を出て行ってしまった。
「あおいー……」
小さくうめいてみるけど、もちろん答えなんて返ってこない。先生に呼ばれる理由なんて、考えれば考えるほどいろいろ思い浮かんでしまう。仕方なく、わたしはカバンを肩にかけ、重い足取りで職員室へ向かった。
職員室は食堂の二階にあって、わたしたちの教室は三階。だから、階段を降りなきゃいけない。二階の渡り廊下に出ると、ちょうどグラウンドがよく見えた。遠くで動くサッカー部の姿が目に入る。なんとなく蒼がいるかもと思い、立ち止まって目を凝らしてみるけど……見つからない。
「あれ、わたしこういうとき見つけるの得意なんだけどな」
ぽつりと独り言をこぼして、また思い出したように歩き出す。
——別の場所で準備とかしてるのかな?そういえば、わたし、蒼の部活してる姿って見たことないかも……。まあ、どうでもいいことだけど。
そう言い聞かせるように、考えを胸の奥へ押し込む。そうこうしているうちに、職員室の前に着いていた。
めったに来ることのない場所。ドアの前に立つと、なんだか余計に緊張する。わたしは軽く息を吸って、扉をノックした。
「おーい、こっちだ」
中に入ると、担任の渡辺先生が片手を上げながら立ち上がる。わたしが近づくと、先生は近くの椅子を引っ張り出して「座れ」と促した。
——これ、他の先生の椅子じゃん……。勝手に使って大丈夫なの?まあ、わたしは別にいいけど。
先生の前に座ると、渡辺先生もどかっと腰を下ろし、足を大きく開いた。
「部活のことなんだがな、長谷川から聞いてるとは思うが、一応念のためだ……。強化合宿には行かないことになったよな」
——言われなくてもわかってるし……。
「病院からも遠いし……もしものことが起きたらな……まあ、ないとは思うが」
先生は慎重に言葉を選びながら、わたしのことを気遣うように話してくれる。そのやさしさが、逆に胸に重くのしかかった。
「はい……」
「それと、部長の長谷川がおまえのことを聞いてきてたぞ」
——樹くんが⁉わたしのこと、気にかけてくれてるの?ここ一ヵ月、必死に頑張ってきた成果が報われたんだ……!
「もちろん、病気のことは何も言ってない。南には特別な事情がある、とだけ伝えておいた」
その瞬間、胸の高鳴りがスッと引いていくのを感じた。樹くんが気にしてたのは、わたし自身じゃなくて、"特別な事情がある"から……?
——そうだった。考えないようにしてたのに……。どうしよう。頭が、回らない……。先生の声が遠くなる。この会話が、まるで他人事みたいに感じる。わたしだけが、ここにいないみたいに。
「一応、伝えておいたからな。お前の好きなようにしたらいい。あと、何か困ったことがあったら……俺じゃなくてもいいから、誰かに相談していいからな」
「はい」
短く返事をしたけれど、心の中はぐちゃぐちゃだった。
「じゃ……気をつけて帰れよ」
わたしは立ち上がり、渡辺先生に一礼したあと、扉の前まで行き、もう一度振り返って深く頭を下げた。それから職員室を出る。
足元に視線を落としたまま歩き、渡り廊下に出たところで、ふと顔を上げる。窓の向こう、グラウンドではみんなが楽しそうに汗を流しながら運動していた。
わたしは無意識に右手を窓ガラスに当て、その光景をじっと見つめる。
——いけない、いけない……無心でいないと……。
胸の奥がチクリと痛んだ。どす黒い感情が、小さな棘になってわたしの心を刺してくる。それを耐えようと、思わず手に力を込める。爪が食い込んで、こぶしが震える。
——耐えないと、耐えないと……でも……でも…………どうしてわたしだけ……。
目頭がじんわりと熱くなっていく。唇を噛みしめる。涙なんてこぼしたくないのに、胸が張り裂けそうだった。
そのとき、隣で足音が止まった。
——……こういう時、いてほしいと思う時……あなたは、いつだってそこにいる。
目の縁を赤くしながら、わたしはゆっくりと顔を上げ、隣に立つ蒼を見る。そして、いつものように笑った。
蒼は黙ったまま近づいてくると、そっとわたしを抱きしめた。
——ああ、やっぱり蒼はすごいな……。
心が、すっと落ち着いていく。暖かくて、安心できて、怖いくらいに心地よかった。
わたしは下げていた手を、ゆっくりと持ち上げ、蒼の腰に回そうとした。
——ダメ‼
心の中の自分が突然そう叫んだ。
気づいたときには、両手で蒼の体を突き飛ばしていた。
——なに、これ……心臓の音、大きすぎる……息も、上がってる……。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。この気持ちを振り払いたくて、どうしようもなくて、わたしはその場から逃げ出した。足元もおぼつかないまま、ただがむしゃらに——。
モヤモヤした気持ちを抱えたまま、重い足取りで歩道を渡る。しばらく進み、交差点に差しかかる。ちょうどわたしが渡ろうとしたタイミングで、信号が赤に変わった。
——こんな気持ちのままいたくない……帰りたくない……。
青信号に変わっても、わたしは動かない。ぼんやりと、点滅しはじめた信号を見つめる。赤色に戻り、車が流れ出す。わたしは、反対側に渡るのではなく、ふらりと別の方向へ歩き出した。
——楽しいこと……楽しいこと……何か、探さないと。
無意識のうちに、ゲームセンターにたどり着いていた。派手な電子音が鳴り響き、光の点滅が目をちらつかせる。
わたしは近くのUFOキャッチャーにお金を入れた。軽快な音が鳴り、ゲーム開始の合図を伝える。ボタンを操作し、アームをぬいぐるみに向かって動かす。狙い通りに掴んだと思った瞬間——力なくアームが開き、ぬいぐるみはあっさりと落ちてしまった。
「キャー!」
「取れた!あげるよ」
「ありがとう!」
背後から弾むような声が聞こえる。振り向くと、楽しそうに笑い合うカップルの姿があった。
胸の奥がチクリと痛む。わたしはそっと視線をそらし、奥へと足を向けた。
プリクラコーナーでは、いろんな学校の制服を着た女の子たちが、鏡の前でメイクを直しながら楽しそうに話している。
——独りぼっちのわたしには、場違いすぎる……。
わたしはその場から逃げるように店を出た。
しばらく歩くと、ショーウィンドウ越しに可愛い洋服が目に入る。
——何かいい服、ないかな。
ふと足を止め、静かに店に入る。
——んー、これはちょっと丈が短いかな……。このスカート可愛いけど、合わせる服あるかな……?
「これ、旅行先によくない⁉」
「えー、かわいい!すごい似合ってるよ!」
奥のほうから弾むような声が聞こえた。
わたしの手が止まる。
——旅行……? いいな、どこに行くんだろう……。
わたしには、遠くへ行く予定なんてない。これから先もずっと。
気づいたら、手に取った服を戻し、店を飛び出していた。
——うるさい、うるさい、うるさい……。
みんなの声も、車の音も、全部。
——落ち着ける場所……心が休まる場所……。
わたしは走る。無我夢中で走る。呼吸が乱れ、口の中に鉄のような味が広がる。でも、そんなのどうでもいい。ただ、このどうしようもない気持ちから逃げたくて——。
わたしは走り続けた。




