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気づいて欲しかった  作者: 咲葵
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10話 小さな衝動

「ただいまー、捨ててきたよ」


 教室に戻ると、わたしは大きな声で香織ちゃんと蒼に報告した。


「ありがとう」


 香織ちゃんが顔を上げずに、さらりと返してくれる。


「何か手伝う?」

「いや、これで終わる」


 わたしの申し出に、蒼が雑巾を絞りながら答えた。

 教室を見渡すと、もうほとんど掃除は終わっているみたいだった。机も整頓されているし、床のゴミも見当たらない。香織ちゃんと蒼、二人とも黙々と作業を進めるタイプだから、わたしがゴミ捨てに行ってる間にほとんど終わらせちゃったんだろうな。


「咲葵は放課後どうする?」


 蒼が、雑巾をバケツに放り込みながら聞いてくる。


「あ、ごめん。今日は先に帰るね」


 香織ちゃんが誘ってくれたのはたぶん部活のことだ。でも、今はあまり気分が乗らなかった。樹くんの前で、うまく笑える自信がなかった。

 カバンを肩にかけながら、わたしは二人を振り返る。


「香織ちゃん、蒼、ばいばい。また明日ね!」


 大きく手を振って、わたしは早足で教室を出た。

 下駄箱で靴を履き替えて外に出ると、空はどんよりと曇っていて、今にも雨が降り出しそうだった。肌に感じる風も少しひんやりとしている。

 ——こんな時間に帰る人、誰もいないんだ。

 改めて辺りを見渡して、そんな当たり前のことに気づく。原則、部活動に所属することが決められているこの学校では、放課後すぐに帰る生徒はほとんどいない。

 校門まで続く長い道には、わたし一人だけ。誰の声もしない静かな空間に、足音だけがぽつんぽつんと響く。

 ——そういえば、蒼が部活に入ってないなんて、あるわけないじゃん……。

 今さら思い出して、自分に呆れる。

 部活中の蒼は、今頃どこかでボールを追いかけてるんだろうな。わたしとは違って、ちゃんと頑張ってて、ちゃんと楽しそうにしてて。

 ぽつり、と頬に冷たいものが落ちた。

 空を見上げると、灰色の雲がゆっくりと流れていく。その隙間から、わずかに夕焼けの赤がのぞいていた。

 ——降る前に帰らなきゃ。

 わたしは校門へ向かって、一人走り出した。




 あれから数日がたった。

 わたしは相変わらず、変わらない日々を送っている。

 ——今日も雨かぁ……ここ数日、ずっと降ってる気がする。

 窓の外では、雨粒がしとしとと落ち続けている。灰色の空。濡れたグラウンド。いつもより静かな放課後。傘を忘れたわたしは、教室に残って漫画を読んでいた。ページをめくる音だけが、静まり返った教室に響く。

 ガラガラガラッ——。

 後ろのドアが突然開く音に、わたしはびくっと肩を揺らした。

 顔を上げると、そこには香織ちゃんが立っていた。

 ——何か忘れものでもしたのかな?

 そんな風に思いながら見ていると、香織ちゃんはそのまままっすぐわたしの方へ歩いてきた。


「咲葵、最近話聞かないけど、樹と連絡とってるの?」


 思いがけない言葉に、わたしの手が止まる。漫画のページをめくることもできず、ただ視線を落としたまま、首を横に振った。


「ううん」

「なんで」


 ——……気づいてたんだ。

 香織ちゃんの表情はいつも通り。でも、それが逆に引っかかった。まるで最初から答えを知っていたみたいに。


「なんか、疲れちゃったんだよね……」

「疲れた?」

「うん。だって……樹くんのこと、何も知らないし」


 口に出した瞬間、頭の中に浮かぶのは、あの日の樹くんの横顔。あの時の涙。

 知らないことだらけで、わたしには何もわからなくて。


「私の方が知ってそう」

「きっと、そーだよ……」


 わたしが目を伏せると、香織ちゃんの沈黙が降ってくる。

 その静けさが、胸を締めつけた。


「好きだったんでしょ。なら迷う必要ある?」


 心臓が跳ねた。


「わかってるよ、そんなことは!」


 頭の奥で何かが爆ぜる音がした。

 体の中のモヤモヤが一気に溢れ出してくる。止められない。


「なに、その態度」


 香織ちゃんの冷静な声が、逆にカチンとくる。


「香織ちゃんこそ、何も知らないじゃない、わたしの気持ち!」

「当たり前でしょ」

「——っ!」


 勢いのまま、わたしは立ち上がる。


「香織ちゃんは、まじめに恋愛したことあるの?」

「一応……」

「そんなの、あんな漫画や小説の気持ちとは違うの!もっと……もっとつらいの!」

「……知ってる」

「知った気にならないでよ!」


 声が震える。

 でも、止まらない。


「何も知らないくせに!何も見てないでしょ、樹くんが何を抱えてるのか、何も知らない。それに……わたしが何を抱えてるのかも!香織ちゃんは何も知らない!」


 叫んだ。

 言ってはいけないことを、全部吐き出してしまった。

 言い終えた瞬間、わたしの口は勝手に閉じた。

 そして、遅れて、体が震えた。

 ——あ。

 自分の頬を、温かいものが伝う。


「……ごめん」


 呆然としたまま、机の上のカバンを掴むと、わたしは走り出していた。

 ——ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!

 涙で視界がにじむ。

 足元がふらつく。

 それでも走った。

 教室を飛び出し、廊下を駆け抜け、階段を飛び降りる。

 そして——。

 ザーッ……!

 容赦のない雨が、わたしを包み込んだ。

 制服がじわじわと冷たくなっていくのがわかる。でも、止まれなかった。

 ただひたすらに——謝り続けながら、わたしは雨の中を走り続けた。


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