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番外編16〜毎日来る普通で最悪な一日〜

 朝、私はハンガーに干してある制服に顔を近づけ、匂いを嗅ぐ。まずはブレザーから。次にスカート。何もかも全部大ッ嫌いな学校だけど、この制服だけは唯一好き。これを着れば、私が学校で上手くやれていなくても、そんな事を知らない周りの人達はこの県で最も頭の良い学校の子だと見てくれる。


 ...うん、大丈夫。臭くない。


 これはもはや、毎朝のルーティンと化した私の通学前の確認だ。毎日、きちんとお風呂にだって入っているし、シャンプーも洗濯だってしている。それでも、自分の匂いが気になってしょうがない。私という存在が他人に不快な思いをさせてしまっていないか、いつも気になってしまう。


 そんな朝のルーティンをこなしていると、私の部屋の外から、ゴンゴンとノックが鳴った。


「あと三十分後に出るから、そろそろ学校の準備しておきなさい。」


 父の呼びかけに、私は慌てて制服から顔を離す。部屋には鍵をかけてるから、勝手にドアを開けられる事はないとはいえ、傍から見たら奇行とも取れる行動をしている自分に何だか気まずくなってしまう。


「うん、分かった。大丈夫だよ。もう昨日のうちに済ませてる。」


「そうか、それなら良いんだ。また、時間になったら、声かけるからな。」


「はーい。ありがとう。」


 中学受験をして以来、私は毎朝遠く離れた学校に行く為に、電車に乗らないといけない。だから、親に車で毎朝、駅まで送迎して貰っている。私は駅まで自転車で行くから、車で送らなくて大丈夫と伝えたのだけれど、両親は朝から自転車なんて大変だろう。遠慮なんかしなくて良いと笑いながら言う。その両親の顔を見ると、何だか私はその誘いを断りきれなかった。


 ハンガーに吊るされている制服を手に取り、着替えた後、私は携帯端末で現在時刻を確認する。まだ父に駅まで送ってもらうまで三十分ある。この落ち着かない気持ちを静める為に少しだけ漫画でも読もうかなと、そのまま携帯端末で電子書籍のアプリを立ち上げる。ベッドの上に腰掛けて、今日更新の無料漫画を二話ほど読んでいる途中で、ふと、筆箱の中の消しゴムを使い切っていた事を思い出す。


 昨日の下校時にコンビニで買ったから大丈夫だけど、今のうちに筆箱の中に入れておいた方が無難だろう。私は携帯端末の画面を指でスワイプし、漫画のアプリを閉じて、ベッドの上に携帯端末を放り投げる。私は軽くため息をつくと、徐にベッドから腰を上げて、昨日買った消しゴムを探し始めるが、妙な事に消しゴムはカバンの中どころか、部屋のどこにも見当たらない。


 あれ?どこにいったのだろう。買ったばかりのものを捨てる訳ないし。


 私は慌てて机の中や本棚など部屋中をひっくり返して、消しゴムを探し始めるけれど、一向に見つからない。そうこうしているうちに、「そろそろ行くぞ。」と再び父がドアの向こうから私を呼びかけてくる。


「ちょっと待って!すぐ行くから、お父さん先に車で待ってて。」


 私は慌てて、ドア越しに父に大声で告げる。


 部屋中探したけど、どこにも見当たらない。最悪途中のコンビニで、また買い直しすれば良いけど、お小遣いの無駄遣いは出来る限り避けたい。あと探してない場所なんて...。あ!そういえば。


 私は制服のポケットにビニール袋ごと突っ込んでいた事を思い出す。身につけている制服のポケットに手を突っ込むと、そこにはぐしゃぐしゃに丸められ、小さくなったビニール袋と消しゴムが入っていた。


 あった。良かった。


 どうせ無くすから、ポケットに突っ込んでおけば無くさないよねと、ビニール袋ごと入れておいたのを思い出す。こうまでして準備してたのに結局なくすなんて、私は本当に馬鹿だ。あれだけ余裕持って準備していたのに、何で毎日行く寸前になって、こんなに慌ただしくなってしまうのだろう。でも、とりあえずは良かった。予定より出るのは五分遅れちゃったけど、これなら遅刻にならずに済みそうだ。だけど、また何か忘れてる気がする。あ、ケータイ!


 私はベッドの上に放り投げていた携帯端末を慌てて拾い上げると、急いで自室の部屋の鍵を開けた。


―――


 家を出て、駐車場についた私はエンジンのかかっていた車の後部座席のドアを開ける。既に後部座席には父の仕事用の鞄が置かれており、私はそれを少しずらして、後部座席に腰掛ける。助手席には何も荷物は置かれておらず、空席になっていたけれど、何となくそこは母が座る場所というイメージがあって、私は進んでそこに座る気にはあまりならない。こうやって鞄があったとしても、隣に誰もいない後部座席の方が私は好きだ。私は急いでシートベルトをすると、父が首だけ後部座席の方に動かして私を一瞥すると、車のシフトレバーをパーキングからドライブに切り替える。


 ゆっくり車が動き出すと同時に、私はパワーウィンドウで少しだけ窓を開ける。別に父の買ってくるこの妙に爽やかな芳香剤の匂いが嫌いというわけではない。単純に外から車に入ってくる強い風を浴びるのが好きだからだ。窓の上部から入ってくる風の気持ち良さに私は笑顔を浮かべる。

 

 本心では窓を全開にして、風を顔中に浴びたいけれどそんな事をしたら髪の毛がぐしゃぐしゃになってしまう。そんな状態で学校に行ったら、またクラスメイト達から奇異な目で見られてしまう。それは嫌だ。私はグッと開けたくなる衝動を我慢し、車の運転をする父に、私は大きな声で後部座席から友達とこんな話をしたとか、どこどこで遊んだとか、学校で自分がいかにうまくいってるかの話をする。けれど、それは全て嘘のデタラメ話だ。親にも私が変な子だと思われない為にする作り話。親を悲しませたくないが為のウソの話。


 ...まるで自傷行為だ。毎朝一つ作り話を親に話せば、その分私の心に傷が一つ付いていく。前に話した内容とも矛盾が無いように親に話した内容は必死で全部記憶している。なんて滑稽な話だ。だから、親と二人きりで向き合わなきゃいけなくなる、この一緒に車で駅に向かう時間が、私はとても苦手だ。


 車が駅に着き停車すると、「行ってきます!」と父にわざとらしいくらいの笑顔と大きな声で挨拶をして私は父の車から降りる。駅には学校や会社に向かう大勢の人で溢れかえっており、一人一人様々な表情を浮かべている。友達と学校で会えるのが嬉しいのか綻んだ笑顔の人、遅刻しそうなのか息荒く必死そうにしてる人、会社に行きたくないのか重く苦しい顔を浮かべている人。


 ふと、じゃあ今私はどんな顔をしているのだろうと気になったが、そんなの考えるまでもないか。


 私は自分の妙な疑問を振り払い、少し足早に彼らの合間を縫うように駅舎の中へと入って行った。


―――


 私は駅で一瞬緊張する時がある。それは携帯端末を自動改札機にかざす時だ。改札ゲートが閉じるわけがないのに、不思議な事に自分の時だけゲートが閉じてしまう事が度々ある。私は機械にすらも人間扱いされていないのかもしれない。もし、またゲートが閉じてしまったら、後ろいる人に迷惑をかけてしまう。それは嫌だ。蔑みの目で私を見つめてくるのが怖い。携帯端末を握る手を少し震えさせながら、携帯端末を自動改札機に近づけると、改札ゲートは閉じる事なく私は改札を通る事が出来た。


 ...大丈夫。私はここにいる人達と同じ。大丈夫。何もおかしくない。何も変じゃない。


 緊張から解放された私は軽く安堵の息を吐きながら、携帯端末をカバンにしまいこむと、いつもの時間にプラットホームに来ているいつもの電車へと私は乗り込む。


 良かった、空いてた。今日の運は悪くないようだ。


 始発の電車だから、そこまで混雑してはおらず、いつも座っている端の席に誰も座っていない事を確認した私は今日起きてから初めて本当の安堵の笑みを浮かべる。東京では人が電車に乗り切れないほどぎゅうぎゅうに詰め込まれているというのをテレビやネットで見るけれど、私の住んでいる県では電車がそんな状態になる事は殆どないから、まるで別世界の話のようだ。


 私は座席の横にある仕切りに少し寄りかかるように座り、カバンを膝の上に乗せると、両腕で抱えながら目を閉じる。この到着駅に着くまでのちょっとした時間だけが私の朝の唯一の落ち着ける時間だ。


 暗闇しかない世界の中で、このまま今日は嫌な事が少ないと良いなとぼんやりと考える。普通だったら、今日はツイてるから何か良い事あるかなとか考えるんだろうけど、私には学校に行って良い事なんてあるはずがない。嫌だなと思う事が少なく過ごせれば良いなと願うだけで精一杯だ。


 二十分くらい電車に乗っていると、到着駅を知らせるアナウンスが鳴る。私は閉じていた目を開け、暗闇の優しい世界から、この光り輝く辛く苦しい現実世界へと帰ってくる。到着駅に着いた私は電車から降りると、プラットホームからエスカレーターに乗り、自動改札機へと向かっていく。再び自動改札機を通る為にカバンの中から携帯端末を取り出そうとするが、カバンの中に入れたはずの携帯端末がどこにも見当たらない。消しゴムの時と違って、今度はブレザーやスカートのポケットにも入ってない。


 え、何で?改札機通った後、間違いなくカバンに入れたよね?電車の中で携帯見てないし、どこかに落とした?もしかして電車の中に置き忘れたとか?


 私は俄かにカバンを通路の床タイルに置き、カバンの中から携帯端末を探し始めると、駅通路を塞ぐ形になってしまっていた私を邪魔だと言わんばかりに顔を顰めた通行人達から、「チッ。」と強く舌打ちが聞こえてきた。


 ...あ、またやってしまった。


 私はこういう悪癖がある。気になる事があると人の迷惑も考えられずに、自分の事を最優先に行ってしまいがちだ。私は心の中で、ごめんなさい。ごめんなさい。と何度も呟く。本当に誰にも迷惑をかけるつもりはなかったのに、いつも人に迷惑をかけてしまう。何で私はこうなのだろう...。


 私は急いでカバンを抱え、通行人の迷惑にならない壁際に寄って携帯端末を探し始める。カバンの中の物を一つ一つ外に出して確認していく私を通行人達は奇異な目で見つめてくる。その恥ずかしさに耐えながら必死にカバンの中を探していくと、カバンの隅に私の探していた携帯端末が見つかった。自動改札機を通れた安堵感で、ほぼ無意識的にカバンにしまったから奥の方に入り込んでしまったらしい。


 良かった。本当に良かった。また無くさないで良かったと、私は携帯端末を強く握りしめる。私は以前にも似たような不注意で携帯端末をなくした事がある。その時は駅員さんに伝えたが、未だにあの時の携帯端末は見つかっていない。


 改札機を通った私は今度は無くさないようにちゃんとしまう位置を確認しながら、携帯端末をカバンの中に入れ、駅を出て学校へと向かう。


 先ほどまでは少なかった制服姿の生徒の姿がちらほらと見える。友達と会って喋りながら登校する他の生徒たちに対して、私はたった一人で歩く。この姿が浮いてしまっていやしないかと不安になる。胸が早鐘を打つ。


 変じゃないように。変じゃないように。そんな願いを込めながら、私は歩く。


 私以外にも一人で歩いている子を見つけると、私だけじゃない事に安堵して、軽く息を吐く。


 私は大丈夫。変じゃない。一人で歩いてても普通だよね。


 信号が赤になる度に、歩みを止めた事でここで引き返せば学校に行かなくて済むという考えが頭をよぎってしまう。こうなると青信号になって横断歩道を他の生徒達が歩き出すけれど、私は横断歩道を渡れずにいる。それでも、学校を一度でも休んでしまったら私は二度と学校に行く事は出来ないであろう事は自分で分っている。だから、皆から少しだけ遅れたけれど、何度も何度も頑張ろうと心の中で繰り返し、自分を鼓舞する。そして、私は勇気を出して、前に足を進めて学校へと向かう。


―――


 学校に着いた私は恐る恐る下駄箱を覗く。


 ...上履き、今日もある。良かった。


 前に学校から帰る時一回外履きがなくなっていた事があった。その時、私は上履きで家に帰った。盗まれたなんて先生に言えるわけがない。私はいじめられてると思われたくない。そんなおおごとになんかして目立ちたくない。両親を悲しませたくない。


 だから、あの時両親には、「靴に穴が空いていたから、捨てちゃった。新しいの買って!」と笑って言った。そしたら、親は何の疑問を抱く事もなく、すぐに新しいのを買って貰えたし、予備の靴もあったからなんとかなったけれど、それから学校に来る度、帰る度に自分の下駄箱に自分の靴があるか不安になった。それ以来靴がなくなる事は一回もなかったけれど、私の毎日の嫌な事起きないといいなリストにこれが追加された。


 開けっぱなしになっていた教室の出入口から、私は中に入ると、誰が来たのかと一斉に教室中の視線が私に集まる。しかし、私が登校してくるのを待っている人などこの教室、この学校には誰もいない。入ってきたのが私だと分かると、クラスメイト達は再び私に気を留める事なく、何もなかったかのように楽しそうに談笑に戻っている。こうして、幽霊の様にハブられるのなんて日常茶飯事だ。何て事もない。それよりも私は自分の席の周りには誰もいない事に安堵していた。


 良かった。今日は本当に悪くない日だ。


 最悪の時は私の机や椅子に誰かが座って、私の隣の席の子達と喋られている事。こうされていたら、私はトイレに向かい、他にトイレを使いたい人には申し訳ないけれどホームルーム、ギリギリの時間までトイレに篭る事にしている。


 ここで"おはよー"と声をかけられる人であれば自分はいかに生きやすかったのだろうかと思うがそれが出来ない。だから、私は朝のホームルームが始まる時間ギリギリ来るようにしている。きっと、担任からしてみたら、毎回遅刻ギリギリ気味に来る劣等生としか思っていないだろう。私は私なりに意味を持ってこの時間に登校しているのだが、私以外、誰もそんな事は分かりはしないのだ。


 授業が盛り上がっている時、私を指さないで欲しいと思う。緊張で竦み上がって、周りの皆の楽しい流れが途切れさせてしまうから。


 体育の時に二人組を作らせないでほしい。別に一人でいるのは嫌いじゃないけれど、大勢の中で一人晒し者にさせられると、余計に惨めさが浮き彫りになるから。


 席替えをしないで欲しい。私の隣になった席の人がどんな顔をしているのか見たくないから。


 どこからか飛んでくる誰のか分からない声が、私は怖い。


「最悪だよ。あそこの席になっちゃった。」


 私の事を言っていませんように。


「何か今日臭くね?」


 私の事を言っていませんように。


「あそこから臭ってるんだよ。」


 私の事を言っていませんように。


「何かいっつも机に突っ伏してるよね。」


 私の事を言っていませんように。


「さっきの体育、あの子と組ませられることになっちゃった。ほんと最悪。あーあ誰か交換してくれれば良かったのに。」


 私の事を言っていませんように。


「見てみて、いつも一人でお弁当食べてるよね〜」


 私の事を言っていませんように。私の事を言っていませんように。私の事を言っていませんように。


 ずっと、私はこの言葉を放課後になるまで、頭の中で呪文のように繰り返している。


―――


 放課後。校舎を出る時になって、私はようやくマトモに呼吸が出来る。この季節になると、既に日は暮れ出しており、学校という監獄に一日耐えた事を祝福するように、太陽がオレンジ色の優しい光で私を包み込む。深く呼吸をすると、帰路の途中にあるラーメン屋からは豚骨のスープの香りと昼間より少しだけひんやりとした新鮮な空気が肺の中を通り、二重に美味しく感じる。


 家に帰ったら、何をしようかと考えながら歩く時間が私は好きだ。疲れているはずなのに足取りも軽く、自然と口元から笑みが溢れ出す。何事も考えられなくなるくらい夢中でゲームのレベル上げをしよう。朝読みかけてた漫画の続きを読もう。録画していたアニメも見よう。...勉強はしなくて良いや。生きてるだけで辛い事ばっかなんだから、楽しい事だけどしよう。昔みたいに勉強にモチベーションは上がらない。最低限、進級出来る程度に点数取れてればもうそれで良い。


 ...それでも出来る限りは親には心配はかけたくない。親の前だけでは一般的な学生でありたい。帰ったら、親と何か話す内容めんどくさいけど決めとかないとな。あー、机に突っ伏してる間に聞こえてきた話、私に起きた出来事として喋ればいいか。うん、それでいこう。


 よし!良かった。今日は悪い事が起きないなんて、とてもツイてる日だ。


 こんな私の毎日来る普通で最悪な一日。そんな、ただのありふれた日の話。


お読みいただきありがとうございます。

面白く感じていただけたら、ブクマと評価していただけるととても嬉しく思います。


よろしくお願い致します。

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