番外編12〜最初から〜
高校を辞めた後、私は言うほど悲観的ではなかった。むしろ、二度と学校の奴らと会う事も無くなった事で清々としていた。それに、高校中退なんて、ありふれた話だ。大した事じゃあない。
高卒認定をとって大学に行ければ、充分リカバリー出来る。ただ、大学に入って就活する時に履歴書に高校退学って書かなきゃいけないとしたら、ちょっと不利になるかな?と、その程度にしか考えておらず、かなり楽観視していた。
高卒認定試験の勉強をしつつ、同時に社会経験を積む為にアルバイトの一つでもした方が頭の良いやり方だろう。あいつらより私の方が後々の人生で良い選択をしたまであるとすら、本気で思っていた。ただ、現実はそうは上手くいかなかった。当然の話だ。人間関係で失敗して逃げた奴が、新しい環境でなら上手くいくなんて、そんなうまい話があるはずがなかった。
自分では真面目に仕事に取り組んでいるつもりでも、バイト先の人からしたら、私はどうやら手を抜いているように見えるらしい。話を聞いていない。挨拶もろくに出来ない。仕事が遅い。それが私の評価だった。
私にも言い分はある。上司や同僚が何か大事な話をしてそうだったから、気を遣って挨拶を小声でしたら、無視したと思われただけ。教えられた仕事が一つ終わったけれど、次に何をしたら良いのか分からず聞きに行こうとしたら、皆忙しそうにしていたから、話しかけづらく、少し突っ立っていたら、サボっていると思われてしまっただけ。そんな誤解される積み重ねが私は非常に多かったんだと思う。
高校を辞めた時よりも、この時初めて自分のどうしようもなさに絶望したのを覚えている。このままでは、どこの集団に属したとしても、こうなってしまう。高卒認定試験を取って、大学に入学したとしても、必ず大学や会社でも人間関係の問題が起きてしまうという事が容易く想像がついてしまった。
何とか、何とか、自分を変えないといけない。何か変わらないといけない。だから、高校と同じ事を繰り返さないように、努めて明るく振る舞った。無愛想にならないように必死で慣れない笑顔を作って見せた。無視してると思われないように、大きな声で挨拶や返事もするようにだってした。...でも、更に私は周りから嫌われ、孤立していった。
ふと、気づいた時、私は病院に入院する事になっていた。措置とまではいかないけれど、それに近い形でここの病院に連れてこられた。どうも、私は心のバランスが崩れてしまったらしい。自分でも何をしたのかあまり覚えていない。本当に衝動的なものだったと思う。別に本心からそうするつもりはなかった。ただ、親に自分の苦しみをぶつけたかっただけ。何をやってもうまくいかない自分に怒りをぶつけたかっただけ。本当にそれだけだったと思う。
入院する事になった病院で、私は色々な検査をさせられた。簡単な問題を解いてみたり、私がどういう人かを自己診断するような質問に答えてみたり、変な絵を見せられて、どう思うかなんて聞かれたりした。もう記憶もあやふやだが、確かそんな感じの検査だったと思う。
そして、医師から伝えられた結果を簡単に言うのであれば私には"ズレ"があるそうだ。全体の知能指数としてIQ120程度。一部ではIQ140を超えるような親が驚くほどの非常に優れた数値が出たところもあったようだ。ただ、それは140を120まで押し下げるほど低い数値が他のところで出たという事に他ならない。私は良い所と悪い所の数値の落差が大きいとの事だった。
これが今まで私が悩まされ続けてきた生きづらさの正体だったらしい。しかし、私はその診断に対して、別に驚きも悲しみもなかった。生まれてきた時から付き合ってきた自分の体だ。私が一番よく分かっている。自分に瑕疵があるなんて事はとうの昔から知っていた。
入院させられる際、親は人付き合いの苦手な私を気遣って相部屋ではなく、個室を取ってくれた。多分、相当お金もかかっていた筈だ。私が入院する事になった病棟はパソコンや携帯端末などの外部と連絡出来るものは持ち込めないようだった。インターネットが使えなくなるのはとても嫌だったけれど、私は別に連絡を取りたい人なんて誰もいなかった。電話帳に登録してあるのなんて両親と使う当てのない学校の番号くらいしかなかったのだから。それならと、私は自暴自棄気味に自分の持ってる携帯端末を解約しても良いと両親に伝えると、両親は悲しむような寂しそうな顔を私に見せた。
入院中。私は他の入院患者達と殆ど交流する事なく、個室に備え付けられているテレビを見るか、母に持ってきてもらった小説を読んで、ひたすら大人しく過ごしていた。食事の時だけはフロアに出て、多くの食事を乗せた大型の配膳カートの中から私の名前が貼られたトレーを取りにいかないと行けないのはフロアにいつもいる他の入院患者から話しかけられたりするから苦痛極まりなかった。しかし、きちんと食事を取らないとそれはそれで問題になってしまう。この監獄のような場所から出る術はちゃんと理解している。ひたすら大人しく、穏やかであれば良い。自己を出さず、何も考えず、ただニコニコとしてれば良い。余計な行動すれば、出るのが遅くなるだけだ。ここには何年も退院する事が出来ずに過ごしてる人もいる。何か一つ問題を起こせば、ああなってしまってもおかしくない。ここは何もしない事が最善の場所なのだから。
そんな日々を過ごす中で、部屋の外から、「ここは地獄だ!!!!」と、息のつまるようなこの環境に耐えられず、絶叫しながら、暴れ出した入院患者がいた。その人は私と同時期に入院してきた人らしい。その人は病院の職員さんに取り押さえられていた。私は個室から出てその様子を私はぼんやりその人を眺めて、馬鹿だなぁと思った。
あれじゃあ、いつまで経っても退院は出来ないだろう。私は絶対にあんなドジは踏まない。
何も出来ない無能な私でも、こういう知恵を出す時だけは頭がよくまわってしまうから、本当にタチが悪い人間だと思う。狙い通り、私は三ヶ月という比較的短期間で退院する事が出来た。
退院するにあたって、病院の人が私と両親にある場所を勧めてきた。デイとか自立とか何か聞き慣れない単語ばっかりでよく分からなかったが、つまるところ、私のような人が心の健康を取り戻す為の施設と集まりらしい。断る事も出来そうな雰囲気ではあったが、悪印象を持たれて、また再入院になりかねない行動をあまり取りたくない私は、それを了承した。
その施設を訪れると、そこの職員に学校の教室よりも一回り大きいフロアに連れて行かれた。そこには数多くのイージーチェアやソファなどがあり、利用者がくつろげるようになっていた。将棋などのボードゲーム、雑誌、小説、漫画、パソコンなども置かれており、職員からは好きに使って良いとも言われた。
午前と午後にカリキュラムなどもあり、自分が受けたいカリキュラムを選んで別室で受ける事が出来るらしい。そのカリキュラムは陶芸や音楽鑑賞などの趣味活動やバレーボールやバドミントンなどのスポーツ活動、コミュニケーション能力を高める為のディスカッションなど多岐にわたっていた。このカリキュラムは利用者が社会復帰する為の訓練といったところなのだろう。それに受けたいカリキュラムがない時は、このフロアでゆっくりしても良いというとても"ご配慮"されている施設だった。
しかし、そこのフロアにいたのは虚ろな目で何を見てるのか分からない人。何が見えてるのか分からないが、飾られている花に怒りをぶつけ、花に向かって本気で説教をしている人。ニコニコとしていたのに突然大声で泣き出す人。暑いくらいの日だというのに絶対に長袖を脱ごうとしない人。沢山の悩みを抱えてる人がいた。きっと、私と同じ様にこの世界で生きづらい人達なのだという事は理解出来た。
...でも、私は最低だ。入院中も彼等のような人は沢山いたのだろうけど、あの時は個室だったから殆ど関わる事なく、見ないふりが出来た。でも、ここはそれが出来ない。私は彼らを見て、ゾッとしてしまった。気持ち悪く思ってしまった。あんな奴らと一緒にしないでほしい。私は優秀だったんだ。高学歴と言われるような大学に行くような人達が周りにいたんだ。何でこの私がこんなところにいなきゃいけないんだ。そんな最低な思考がどうしても頭をよぎってしまう。周りから疎まれる事の辛さを私は誰よりも知っているというのに、彼等のことを見下してしまう自分がいる事に自己嫌悪する。
きっと、私はこの集まりの中で見ても、最底辺なのだと思う。自分の事を認めて、楽しげに会話してる彼等の方がよっぽど私なんかより上等な人間だと思う。それを分かっていても、私はこの中に混ざる事は出来ない。中途半端に優秀なところがあったせいで、いつまでもこのプライドを捨てられないでいる。
こんな私みたいな中途半端な失敗作を作るんであれば、最初から何も理解出来ないような程全部ぶっ壊しておいて欲しかった。そうしたら、こんな苦しみは私は味わう事はなく、きっと、いつも幸せで笑っていられたのだろうから。




