番外編35〜Teles〜
後遺症で、私は右手が上手く使えなくなった。元々手先は不器用だったけど、更に酷くなった。
意識を取り戻した私が真っ先に思ったのは、失敗しちゃったなという悔恨の気持ちだった。失敗作の私は自分で決めた結末にすら失敗してしまったらしい。何故、私は助かってしまったのだろう。助けないで欲しかった。両親は、ここまで追い詰められてしまった私を見て泣いていた。でも、私はそんな両親を見ても考えは変わらなかった。そのまま死なせて欲しかった。もう私には死ぬ事は怖くなかった。こんな生き地獄とも思える世界で生きて行く方が、よっぽど私には怖かった。これが、この時の私の本心だった。
入院中。私は見舞いに来た母に頼んで、代わりにアバンダンドにログインして貰った。アルゴちゃんにテレスは死んだと伝えて貰う為だ。きっと、私が家に残していた遺書を読んだのだろう。母は私の頼みを断らなかった。遺書には両親とアルゴちゃんへの感謝の言葉と、アルゴちゃんに会って私の死を伝えて欲しいと書いてあったから。
アルゴちゃんに相応しいのはメズちゃんだ。人として不完全で、失敗作の私なんかじゃない。私は、ずっとメズちゃんがアルゴちゃんの事を好きなのを知っていた。本来なら、もっと早く彼女に渡してあげるべきだったのに、あんまりにも二人でいるのが楽しくて、引退する時までそれを拒んでしまった。けれど、引退する時にはちゃんとメズちゃんにアルゴちゃんをよろしくねと最後に言葉を残してきた。
これで、アルゴちゃんとメズちゃんが恋人になる事は、間違い無いだろう。けれど、誰よりも優しいアルゴちゃんの事だ。万が一にも、私をずっと待ち続けてしまうかもしれない。アルゴちゃんは、絶対に幸せにしてあげないといけない。彼のこれからの人生を、私如きが縛るわけにはいかない。区切りをつけさせてあげないといけない。
テレスは死んだ。
こうアルゴちゃんに伝えたら、テレスのデータも削除して貰うように、母に頼んでいる。これで二度と会う事はないだろう。ただ、こんな全てがどうでも良くなった私にも最後に一つだけエゴが残った。約束を果たせなかったクリスマスプレゼントの事だ。これだけは、ずっと渡したいと思っていた。私の分身。私の相棒だ。かなりピーキーな弓だけど、アルゴちゃんなら使いこなしてくれるはずだ。
ナイトアウルを引き継いだアルゴちゃんなら、すぐ私の弓を見つけてくれるだろう。私の相棒をアルゴちゃんが使ってくれるなら、それで私は充分だ。アルゴちゃんと出会えて、私は幸せだった。あの二人で過ごした一年は、私の人生で一番幸せだった。
これで、私のアバンダンドでの役割は全て終えた。テレスの冒険は、ここでおしまい。また、私はこの現実という生き地獄で、暮らして行かなきゃならない。おかしいのは頭ばかりか、手まで悪くなってしまうなんて、どんだけこの世界は、私の事が嫌いなのだろうか。そんなに私の事が嫌いなら、さっさとこの世界から消してしまった方が、都合が良いだろうに。
...と、その時の私は思っていたのだが、この右手が不満足になってから、どういうわけか、私の人生は好転した。
―――
退院後、私は再びバイトを始めた。親はバイトなんか、まだしなくて良いと言ったけど、アバンダンドを引退して、何もやる事のなくなった私は、時間があまりにも有り余っていて、単純に暇だった。
既に私は一度死んでいる。叱られたって、陰口言われたって、もうどうだっていい。同僚や上司から何か言われても、うぜーし、速攻辞めて別のところで、バイトしよというヤケクソ精神だった。
けれど、私が杞憂していた事にはならなかった。この右手が健常だった時よりも、不満足になった今の方が、バイトがうまくいくようになった。
...皮肉にも、私は目に見えて分かる不幸を手に入れた事で、皆から優しくして貰えていた。
右手の事など関係なく、元々不器用だっただけなのに、大勢の人から大丈夫だよと、声をかけて貰えるようになった。私の頭がおかしい事も、この右手が勝手にカバーしてくれるようになった。
この世界は、分かりやすい不幸に関しては、とても優しかった。虫唾が走る程に物凄く穏やかで暖かな世界だった。
...くだらない。本当にくだらないと思った。
バイトが長期間続いた事により、これなら自立出来ると親から一人暮らしする許可も得られた。
これまでの不幸を取り戻すかの如く、私の生活は、普通と言われる人々と変わらないものになっていった。
バイト先の年下の女の子から、化粧も教えて貰った。この配信者の動画が分かりやすいんだよと、一緒に動画を見ながら、不自由な右手で四苦八苦したけれど、凄く嬉しかった。
遊びにも連れて行って貰えた。生まれて初めてカラオケをした。人前で歌うなんて、少し恥ずかしかったし、曲なんかアニソンくらいしか知らなかったけど、楽しかった。本当に楽しかった。
ちょっと贅沢して、デパコスなんか一緒に買いに行っちゃったりもした。こんな事をしていると、なんだか年齢相応の普通の人になれた気がした。親から少し補助して貰ってるとはいえ、ほぼアルバイトで生計を立てている為、生活はカツカツだし、慣れない事ばかりだけど、新鮮で楽しい毎日だった。
...そして、人生で二回目の愛の告白を受けた。相手はバイト先の先輩。付き合って欲しいと言われた。でも、私はその返事を断った。あれだけ人から認めて欲しかったのに、ちっとも嬉しくなかった。この人は多分今の私の外見を見て好きになってくれたのだろう。私は中身は変わってないのに、見た目がマシになっただけで、こうやって私を好きになる人が出てくるなんてくだらない。
アルゴちゃんは違う。
アルゴちゃんは外見も分からない、年齢も分からない、性別だって確信はなかったはず、性格だって終わってる私を見せたにも関わらず好きになってくれた。見た目じゃなくて心で私を見てくれた。もう二度とあんな人現れないだろう。だから、私はこれからも誰とも付き合う事なく、あの一年だけの日々を糧に生きていく覚悟だ。私にとってはそれだけの大きな恋だった。
―――
ある日、携帯端末で調べ物をしている時、アバンダンドの広告が流れてきた。その動画には当時私が生きてきた世界の風景が映し出されており、目まぐるしく変わっていく日々に、アバンダンドの事なんて完全に忘れてしまっていた私には凄く懐かしく思えた。
今のアバンダンドは、どうなっているのだろう。そんな興味本位で匿名掲示板を覗いたら、今のアバンダンドは、私の理解出来ない事ばかり起きているようだった。
何故か、ナイトアウルのマスターは、メズちゃんになっているし、アルゴちゃんはラビッツフットというギルドを作っているようだった。
掲示板を見る限りでは、ラビッツフットのマスターとナイトアウルのマスターは非常に険悪らしい。あんなに二人は仲良かったのに意味が分からない。
二人で新しいナイトアウルを使っていってくれる筈だったのに、一体何故こんな事になっているのだろう。
そんな疑問が浮かんできたが、それよりも私は別な事が気になって仕方がなかった。
...これは、もしかしてチャンスなんじゃないだろうか。何があったかは知らないが、多分二人はまだ付き合っていない。...せっかく譲ってあげたのに、なんて馬鹿女なんだろう。でも、今はその馬鹿っぷりに感謝してあげる。
心躍らせる気持ちと共に今まで私の中で抑え付けていたメズちゃんに対するドス黒い感情が湧き上がってくる。
幸い、私は自分の声が嫌いで、ボイチェンを使用してテレスを操作していた。誰も私の本当の声など知らない。普通に限りなく近づいた今の私なら、うまくやれる。そんな自信がある。偶然を装って、アルゴちゃんの前に現れれば、今度こそ私は恋人になれるかもしれない。
...運命の出会いをしよう!
よし!そうとなればさっさと行動だ。全ジョブ、カンストさせていた私だ。少し本気を出せば、一ジョブくらいなら、そんなに時間もかからず上げ切れるはずだ。
新しいキャラクターにつける名前だって、すぐに頭に思い浮かんだ。人気配信者になって、アバンダンドの聖女なんて呼ばれちゃっていて、何をやっても人生がうまくいっちゃうメズちゃんには絶対負けたくない。奪われる側に回るのはもう嫌だ。今度は私が奪う側に回ってやる。そんな彼女と自分に対する決意の名前だ。
...ずっと普通になれなくて全てを諦めてきた私に最後に残された夢。それはアルゴちゃんと結婚して平凡な家庭を築く事。この夢を邪魔するような奴がいるのなら、誰が相手だとしても絶対に負けない。その為には狡い事だって出来る。いくらでも私は残酷になれる。この夢は絶対に叶えてみせる。
―――
「ここがラビッツフット本部だ。ギルマスが待ってる。」
二層にあるラビッツフット本部をジャークと共に私は訪れる。ラビッツフットの内部は、ギルドマスターの趣味なのだろう。何に使うのか分からないような毒々しい薬や、魔導書が棚にズラリと置かれている。...大分拗らせているようだ。
メンバーの各個人ごとのデスクと椅子も用意されており、行った事は無いけれど、多分大学の研究室ってこんな感じなのかなと思う。
私がこの世界に復帰して、色々な事が変わっていた。かつては不人気だったジョブが人気ジョブになっていたり、ナイトアウルやグレイトベアと肩を並べようとするギルドの姿もあり、大きくアバンダンドの情勢は変わっていた。この世界に少なくない時間が流れていたのを実感する。それでもかつてずっと私の心を優しく守っていてくれたこの世界は、変わらずに戻ってきた私を受け入れてくれ、こうして私は再びこの世界のトップ層へと戻って来る事が出来た。
一番奥の席に輝くような金髪にターバンを巻いた男性のキャラクターの姿が見える。その姿を見間違うわけがない。
アルゴちゃんだ。
久々に見た彼の姿に、その声に、懐かしさで涙が込み上げて来そうになるのをグッと堪え、平静を保ちつつ、私は彼の元へ行く。
彼の隣には、サブマスターと思われる人間族のキャラクターがアルゴちゃんと共に立ち上がって、私を出迎えてくれる。本来はミステリアスな雰囲気のキャラクターなのだろうが、少しうねったパーマで目元まで伸びた髪が何となく気弱そうな印象を受ける。
...目線も合わないし、以前の私と同じタイプの子だろうな。何となくシンパシーを感じる。
「俺がラビッツフットのギルドマスター、アルゴだ。ハルの事は、かなり上手いプレイヤーだとジャークから聞いている。ラビッツフットに入りたいんだってな。うちは相当ノルマきついぞ。こなせるのか?」
私に話しかけてきたアルゴちゃんは、ナイトアウルにいた時よりも、ピリピリとした緊張感のある張り詰めた空気を纏うようだった。その腰にいつもつけていた鮮血兎の足はもう身に付けていない。
ヤバい。超カッコいい。マジ愛してる。今すぐに抱きつきたい。
心臓が早鐘を打ち、今にも彼の事を抱きしめたい欲求に襲われるも、そんな事をしたらドン引きされてしまう。彼好みのメズちゃんのような不遜で小生意気な少女を演じてみせる。
「超余裕。私を誰だと思ってんの。この二倍、三倍だって払える。ノルマこなせないなら、速攻キックしてくれても構わないよ。」
このアバンダンドの世界において、誰もが羨むであろう奇跡的な才能を失って私は普通の世界で生きる事を許可された。そこに後悔はない。テレスの時に比べたら確かに操作はおぼつかない。それでも、このアバンダンドでかつて過ごした日々の事を私のこの自由が効かなくなった右手は何も忘れちゃいなかった。この私の残り滓の才能はそんじょそこらのプレイヤーとは比較にならないほど遥かに上手い。
「そうか。それは楽しみだ。よろしくな。ハル。」
アルゴちゃんは、私にそう言って、手を差し伸べ、握手を求めてくる。
「うん。よろしくね。アルゴち、」
こう言いかけたところで、アルゴちゃんが驚いた顔をしている事に私は気付いた。
まずい。この人をちゃんづけで呼ぶプレイヤーなんて、きっと私くらいしかいないだろう。こんな呼び方したらバレるかもしれない。なんとしてでも軌道修正しないと。えっと
「...ちん。...あ、アルゴちん!よろしくね!」
私はアルゴちんの手を握った。
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