9 足場を固め越後を狙う
「この度は寛容なるご処分を頂き、この次郎三郎、伏してお詫び致します」
恵林寺の広間に這いつくばる男は、三河守を名乗らず謙った。小太りで武人というよりは庄屋の若旦那のような風貌である。だが、油断なく動く眼はこの男本来の物だろう。見栄も外聞もかなぐり捨て、誘いに乗った徳川家康が進物持ち甲斐を訪れたのは十一月の半ばであった。
北陸の動静も史実通り動いていた。柴田勝家を大将に前田利家、佐々成政を寄騎力として越前の一向宗掃討に乗り出したのだ。上杉謙信と本願寺の講和も進められていて、上杉の能登侵攻も行われるだろう。織田の安土城築城も始められつつあるとなれば、まだ歴史は大まかに、そのまま動いているようだ。今のところ一番の貧乏くじを引いたのは、目の前で平伏している家康だけだ。
「徳川殿。尾張を奪え。信長に目に物見せてやれ」
「ははっ」
地侍も抑えられない徳川が、尾張に攻込むこともないだろう。家康には別の使い道がある。
家康は後世鄙びた漁村に一大都市を築くという大事業おこなっている。家臣に優秀なものが多いのだろうが、この先その才能が必要になるかもしれない。
武田の重臣はは馬場が六十一、山県が四十七、内藤は五十四である。家康は三十三と若い。
素直に従うのなら生かして置いて損はない。
天正五年正月朔日。供宴の席で、越後侵攻をぶち上げた。
柴田勝家は越前の一向宗徒を駆逐して、加賀の南に侵攻を開始している。上杉謙信と手取川で衝突するのは九ケ月後だ。戦は上杉の勝利で終わる。そこを叩きたい。
「織田ではなく、上杉なのですか。それでは将軍や本願寺に反しましょうぞ」
ざわめきとともに、山県が口火を切った。
将軍足利義昭、石山本願寺門主顕如から矢のように催促を受けている。上杉謙信が信長との対決を決めた今、武田の参戦を待ち望んでいるのだ。だが、これも歴史を変えて長篠で勝ったこそであり、本来は徳川に攻められ要請などあるはずがなかったのだ。
無かったのだから受けなくても問題ないだろうと僕は考えた。
「亡き父とは違う。将軍に恩義はない。本願寺も諏訪のわたしには関係ない」
信玄は勝頼に将軍義昭から偏諱と官名をもらおうとしたが、信長により阻止されていた。本願寺顕如の正室は信玄の継室三条の方と姉妹であるが、諏訪生まれの勝頼からすれば赤の他人だ。
当てつけ、僻みは僕の得意技だ。
軍議でも度々そういう振舞いをしてきた。家臣らはまた始まったかと驚きもしない。
「それでは、織田と同盟を結ぶのですか」
馬場美濃の代参の倅、民部輔昌房が静かにいった。戦上手の鬼美濃も寄る年波には勝てず冬場は古傷が疼き馬に乗れないらしい。新旧交代を図りたい僕には都合がよかった。
「いや、織田を潰すのはもう少し後だ。今必要なのは上杉に土をつけること」
史実通りなら上杉謙信の命はあと一年三ヵ月。それまでに何としてでも謙信に勝ったという事実を作りたい。
「上杉との一戦に備えて兵馬を休ませるということですな。承知致しました」
山県の一言で即座に決まった。横槍を入れる親族衆はこの供宴に呼んでいない。
長篠で死ぬはずであった家臣だけだと、こうも意見が通るのだ。これからも親族衆の権威など削ぎに削いでやるつもりだ。
信勝を担ぎ謀反を起こせば叩き潰す。勝頼として長くいきる僕の決意だ。