73 掌の上
年が明けた。
伴天連追放令に対し、伏見の宣教師は面会も望まず異議もなく、粛々と従った。
御触れ従ったとは思えない。
日本を制圧する準備が整ったためだろう。
これを裏付けるように、安芸に帰った小早川から送られて来た手紙には、大友、大村、有馬ら九州の大名が領地をイエズス会に寄進したことを伝えて来たのだ。
史実でも大村純忠が長崎、茂木をイエズス会に寄進し強引に家臣、領民を改宗させたが、毛利が報せてきた規模は比べられないものであった。
九州の多くの大名がキリスト教に改宗している。
天下統一もままならないうちに、植民地化を防ぐ戦いをしなければならない。
まったく、面倒なことだ。
一月の半ばを過ぎても状況は変わらなかった。
相変わらぬ荒木も織田も城に籠ったままだ。
本願寺の顕如は大怪我を負ったものの紀伊の鷲森御坊に逃げ、ここを本山と定めた。
納得できない嫡男の教如は石山奪回、本願寺再建の檄文を信者らに飛ばしているものの、戦に長けた僧兵を多く失っているため動きは鈍い。
僕としては一向宗徒が荒木を攻撃できないのは幸いなことだった。
何しろ各地の大名から恭順を示すための使者がひっきりなしに訪れて来るようになっていたのた。
播磨の別所を皮切りに、四国の長曾我部、淡路の安宅、因幡の山名、備前の宇喜多、伯耆の南条である。
毛利と武田に挟撃されては勝てるわけがないと、山名、宇喜多、南条ら織田についた者達が、毛利との和睦の仲介を願い出たのもある。
厚かましい願いだが、外国からの脅威が迫っていま無下にも出来ない。
毛利に使者を出し和睦を進めている。
毛利方の播磨の小寺政職から使者が送られてこないことが気になった。
小寺の外様家老に小寺孝隆いるのだ。
小寺姓は与えられたもので、本名は黒田官兵衛孝隆である。
史実では蒲生や高山の奨めにより、キリスト教に改宗しているのだ。
敵に回ったと見なした方がいいだろう。
織田信忠、荒木村重、蒲生氏郷、小寺政職、九州の諸大名が、当面の敵だ。
それに加え若狭の丹羽がよくわからない。
出浦の手下の調べでは、北に向かった織田の軍船に、兵糧、弾薬を補給したのは丹羽らしい。
丹羽が敵に回ったとなると信忠の兵力は侮れないものになる。
西の平定どころではなくなる。
ところが。 ──
「若狭の丹羽越前より使者が参りました。如何致しましょう」
小原が当惑気味に部屋に入ると告げた。
敵か味方かわからないが、面会を願い出たのだ。
小原でなくとも戸惑うばかりだ。
広間には三人の武士が平伏していた。
「鎮撫総督武田四郎である。面をあげよ」
「ははっ」
三人が恐る恐る頭を上げた。
「そ、そなた⁉」
僕は絶句した。
左後方に控えた武士は、丹羽長秀だった。
「お久しゅうございます。臣下いたしたく罷り越しました」
悪びれもせず膝を進め前に出た。
「織田に兵糧弾薬を渡しているではないか」
丹羽は後方に視線を送ると、後方に控えていた二人が部屋を出て行った。
僕も小原に退室するように命じた。
タイムスリップした丹羽と入れ替わった僕の会話を他の者には聞かれるわけにはいかない。
「西園殿はお連れになられましたか」
「いや、かの者は戦が嫌いだ。江戸の町造りに従事している」
西園とは僕のことだ。
タイムスリップした者を家臣として召し抱えたことにしていた。
「さようですか。お聞きしたいことがありましたが仕方がありませぬな」
「西園は、もう先のことなど何も分からないと申しておるが」
僕が歴史を変えたのだ。先の事など分かるはずがない。
「それは重々承知しております」
「ならば、何を聞きたいのだ!」
きつい声になった。
同じ時代からきた丹羽が不気味に思えて仕方がない。
「織田信忠。身罷りました」
「なにぃっ⁉ の、信忠が死んだ‥‥」
丹羽は笑顔を浮かべている。
「後瀬山城の帰り船中にてにわかに病を発し、亡くなられました」
「そなたの‥‥ 城に」
「はい。城下の南蛮寺を訪れたのです」
北に向かった軍船は補給のためだけではなかった。
信忠が自ら乗り込み、宣教師に会っていたのだ。
「信忠はスペインの後ろ盾を得ようとキリスト教に改宗したのか? ならば何故信長を殺した?」
僕の質問を丹羽は手で制した。
「信長公は宣教師らの企みに気づき‥‥ まあ、よしましょう」
不敵な笑みを浮かべている。
信長殺しの裏に丹羽がいたのは間違いない。
そうでなければ、信忠が丹羽を訪れわけがないのだ。
そして、多分、丹羽は信忠を‥‥ 聞かない方がいい。
「蒲生が反旗を翻したのは?」
「それは宇喜多、南条らをキリシタンに引き込むための猿芝居。もっとも敵方の小寺政職がかかりましたから侮れませぬ」
言われてみれば確かに蒲生の動きはおかしい。
宇喜多、南条らを味方につけ、反信忠勢力となったが一戦もしていないのだ。
蒲生は父親殺しと非難するだけで宇喜多らを使い攻める様子がない。
信忠も反勢力に対し何の手も打っていないのだ。
「信忠が死んだとなると、織田はどうなる」
「御心配は無用。信孝様や佐久間殿に織田を纏める力はありませぬ。それがしが始末をつけ貴方様に臣下させまする」
「臣下だと⁉ ざ、戯言を申すな。蒲生はどうするのだ」
内心呆れていた。
信孝や佐久間なら条件次第で降るだろうが、蒲生は信忠と組んだキリシタン大名である。
武田に服従するはずがない。
「蒲生は潰すしかありますまい。これはそれがしやりまする。貴方様には一刻も早く将軍となり江戸に幕府を開いて頂きたい」
僕は痛感した。全てが丹羽の掌のうえなのだ。
「いいだろう。だが、蒲生の後ろ盾が出てきたらどうする」
丹羽は渋面を作り、
「伴天連に感化された者が多く面食らっておりまする。西園殿にお聞きしたいのはそのことです」
と、言った。
丹羽にもキリスト教徒の扱いに迷いがあるのだ。
信仰だけなら恐れることはない。
キリスト教化した大名らを先兵に日本を支配しようとするスペインが脅威なのだ。
「徳川幕府はキリスト教を禁教として教徒を弾圧、迫害したと覚えております。異国との戦があったのでしょうか」
「わたしには、わからない」
本音である。僕にもわかるはずがない。
史実では、キリスト教徒への熾烈な弾圧が招いた天草の乱がおこるが、外国は加担しておらず、逆にオランダは幕府の要請により立て籠もる教徒に艦砲射撃をおこなっている。
貪欲な征服政策のスペイン、ポルトガルでさえ、ヨーロッパの国々を合わせた数ほどの鉄砲を保有する武士という戦闘集団相手に、容易に日本を征服できるとは考えていなかったのだ。
そのため大名をキリスト教化し支配体制を確立することに切り替えたのだ。
その政策を変更したのだ。
キリシタン大名が十分に増え、武力による征服が可能と判断したのだろう。
「織田など気にせず摂津をお治めください」
丹羽は荒木攻めを奨め帰って行った。
「下総。安土、大津の兵を伏見に動かせ。後詰要らない。荒木を叩く」
「はっ」
悠長に構えている場合ではない。
僕は丹羽を信じ武田の全勢力で摂津を攻めることにした。




