72 参内
「本願寺炎上! 攻め手は荒木摂津!」
二城御所の居室に出浦が駆け込んで来た。
三条卿の屋敷で歓待を受け、今後について山県、春虎と話していた時だった。
「なんだとっ⁉ 荒木と本願寺が戦になる兆候はあったのか」
膝まづく出浦に山県がつめ寄った。
「ありませぬ。突然荒木が襲撃したとしか思えませぬ」
「狙いは我らかっ! この兵数では危のうござるぞ」
「わ、わかりませぬ」
景虎の怒声に出浦は首を振った。
荒木の本願寺攻めは、僕が京に入ったためとも受け取れる。
「ワシが御所に出向き、伺ってまいります」
山県が慌てて部屋を出て行った。
四手井に留め置いた土屋隊一万三千を呼ばなければならないが、参内を控える身では許可が必要になる。
下手に兵など動かせば誤解を与えかねないのだ。
「主水。荒木はどう動く。予想でよい。申してみよ」
出浦はちょっと困ったような顔をしたが、
「不確かではありまするが、伏見に兵を入れるのではないかと」
と、言った。
「伏見?」
伏見に城を築くのは秀吉である。
今はない。
「木幡山南蛮寺でございまする」
「なっ」
開いた口が塞がらなかった。
信長が布教を許可し与えた南蛮寺は、四条であったはずだ。
それがなぜ伏見にあるのかわからない。
「も、申しわけありませぬ。伴天連の事ゆえ報告致しませなんだ」
僕の顔色を読んだのだろう。
出浦が床に頭を擦りつける。
しかし、出浦を責める訳にはいかない。
信長、朝廷と探らなければならない相手が余多いたのだ。
キリスト教の教会などに監視をつけるはずがない。
「それは良い。それより伏見の南蛮寺はどのような様相なのだ」
「二年前、四条より移転しまして、拡張に継ぐ拡張により、堀が回された広大な敷地となっております」
二年前と言えば信長と和議を結んだ直ぐ後だ。
たしか史実の半年遅れで馬揃えも行っている。
信長は敗戦により、イエズス会を頼ったのだろう。
馬備えも朝廷ではなく、宣教師らに武威を見せつけるためだったのかもしれない。
「御所の警固も命ぜられました」
山県が戻り告げた。
「ならば、それがしが天賜の御旗を掲げ御守りいたします」
「ガハハハッ。弾正少弼様は一番良い所をお召しか。これは参った」
景虎がはにかんだ。
建礼門前に布陣するのは関東管領として最大の名誉なのだろう。
「よし。御所は弾正少弼に任せる」
景虎は満面の笑顔を浮かべると飛ぶように部屋を出て行った。
「三郎兵衛。土屋に出陣を。ただし南蛮寺には手を出すな。向かって来る荒木勢だけ叩け」
「はっ」
「主水。近江の諸将らに報せてくれ。織田の反撃があるかもしれない」
「はっ」
二人が出て行くと入れ替わりに小原が入ってきた。
「本隊をだしますか?」
上杉、山県隊二千五百を警固についている。
本隊まで出す必要はない。
「荒木とて御所まで攻め込むまい。装備を整え出撃できるようにしておけばよい」
小原にはそう言ったものの、自信はない。
分からない事ばかりだ。
本願寺と組んで信長に対抗していた荒木が、突然本願寺を襲撃したのは信長がいなくなったからだろう。
荒木の配下には有名なバテレン大名の高山右近がいる。
一向宗徒より外国の後ろ盾があるキリスト教徒を選んだのかもしれない。
信長はイエズス会を庇護していた。
安土城、木幡山伏見をみても、相当な結びつきを感じる。
信忠は信長を殺した後も、イエズス会を排除していない。
つまり、信長も信忠も帰依したと見ていいだろう。
荒木は高山を通し信忠に与したとして、同じバテレン大名の蒲生氏郷が信忠に反旗を翻したことに疑問が残るのだ。
大名へのキリスト教下は、どこまで進んでいるのだろう。
朝廷の武田に対する扱いをみても、のっぴきならないものを感じる。
翌日、内裏より使者が来た。
参内を命じられたのである。
土屋は既に伏見近くに布陣し荒木勢を牽制していた。
「朕は、そなたを頼りにしている」
御簾をたくし上げ、出て来た天皇が近づき言った。
「ははっ」
唖然である。──
だが、多分これは僕だけではない。
伝奏役の慌てぶりは滑稽なほどだ。
武家である信長、信忠が公家の役職についているとしても直答を許される事態異例のことなのだ
僕は鎮撫総督役を勝手に解釈していたが、帝がそれが認められた。
最も天皇が危惧していたのがキリスト教徒の騒乱だったからだろう。
人々が熱狂的に僕らを迎えたのも、機内に急速に広がるキリスト教を危ぶんだものなのかもしれない。
武田の武力と僕が諏訪下社の血流によることに期待してのことだ。
しかし、荒木は僕の入洛に合わせ本願寺を襲撃したのだ。
荒木が支配下の兵士だけで僕に対抗できるとは思っていないだろう。
武田や一向宗徒を敵に回しても勝算があるのかもしれない。
「仁科様から伝令が参りました」
屋敷に戻ると小原が待っていた。
「安土の軍船一隻が北に向かったそうです」
北に向かったとなると、食料、武器弾薬の補給のためだろう。
土屋からは荒木が南蛮寺に兵を入れることを諦め、城に籠ったと伝えてきていた。
「北か‥‥」
補給のため軍船を動かしたとなると、信忠は長期戦を睨んでいるのだろう。
荒木の籠城もそれなら理解できる。
両者とも援軍を待っているのだ。
援軍。 ── 異国の軍隊か。
「伴天連追放令を出そうと思うが。どうだ」
伴天連とはパードレ。つまりキリスト教の宣教師、司祭のことである。
「南蛮寺から宣教師を追い出すのですか。それだけで足りましょうか」
伏見の南蛮寺は広大な敷地である。
信徒に籠られたら大変ことになると考えているのだろう。
「その上で寺を西陣辺り移転する」
「なるほど。早速移転先をあたりまする」
禁教とするわけではない。
まずはポルトガル人、スペイン人の宣教師を排除し様子を見るのだ。
荒木や信忠、蒲生らの出方を見るためにも必要なことだった。




