表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/74

70 信忠の秘策

 ダン。ダダン。ダダン ──

 タン。タタン。タン。 ──

 「夜襲! 夜襲!」

 「どこからだ。敵はどこから打って出た」

 鎧をつけながら近習に問う。

 隠し通路があるのだろうか。それにしては銃声が多い。


 「湖の小島から銃撃を受けている模様」

 「小島?」

 そんなものはなかった。

 陣所を飛び出し音の方向に目をやる。

 確かに、安土城の西の内湖に小島がある。


 ダン。ダダン。ダダン ──

 篝火が火の粉を散らす。岸辺に布陣した部隊が狙われていた。

 タン。タタン。タン。 ──

 北岸の馬場も攻撃を受けている。


 しまった! ──

 喊声と怒号が飛び交う中、迎撃に出たのは土屋隊だ。

 だめだ! ──

 「の、退き太鼓を。 退き太鼓を鳴らせ! 早くしろ」

 「の、退き⁉ は、はっ」

 北岸に届くかどうかわからないが、本隊が退いたとなれば馬場も早々に退く可能性はある。

 

 打ち鳴らさる退き太鼓に、湖岸に向っていた部隊が引き返し始めた。

 「退き太鼓とは、どういうことですかな」

 山県と土屋が本陣に駆け込んで来た。

 「四半里(約一キロ)ほど引く」

 「何故?」

 二人は怪訝な顔を向けた。

 ただの大型軍船と思っているのだ。

 「ただの関船とは、違っ」

 ドン。ドドン。 ──

 腹に響く爆音が北岸から聞こえた。

 大砲⁉ ──

 間違いない。信忠はスペインから大砲まで購入していたのだ。

 大砲は鉄玉を打ち出すだけではない。至近距離なら缶に鉛玉を詰め散弾として使える。

 馬場の被害が気になる。


 「あれは‥‥」

 土屋の顔に動揺が走った。それほどの轟音である。

 「南蛮の大砲だ。そしてあの軍船は鉄張り。迂闊に攻められない」

 「鉄張り⁉」

 史実で志摩の九鬼嘉隆に命じ建造した鉄張りの戦船だ。

 六隻造られたという。

 六隻⁉ ── 

 

 「山県。佐和山に向かえ!」

 「佐和山⁉ 対岸ではありませぬのか」

 本陣が退いたとなれば、馬場も攻め続けることはしないだろう。

 それよりも、わずかな守備兵を残した佐和山城が気になった。

 二隻の鉄張り船で武田軍釘付けにして、残りの四隻で佐和山城を奪回する策なのかもしれない。

 堀秀政の動き次第では、和田が挟撃される恐れがあるのだ。


 「よいか。構えて船には手を出すな。下船した敵を叩け」

 鉄張りでは火矢も鉄砲も役には立たない。近づけば鉄砲と大砲の餌食だ。

 岸に降りた敵なら武田軍が負けることはない。

 「それと和田の戦況の確認を頼む。場合によっては佐和山まで退かせる」

 「はっ」

 

 軍勢を下げ本陣に景虎と土屋を呼んだ。

 対岸の馬場も退いたのだろう銃声は止み、辺りは軍馬の嘶きと喧騒に包まれた。

 

 「鉄張り⁉ あの軍船は鉄張りなのですか。そのようなものを織田は用意していたのか」

 景虎が土屋の説明に驚嘆の声を上げた。

 大手門前を固めていたため、敵の夜襲が何によって行われたのか分からなかったのだ。

 「なるほど。それ故、陣を下げられたということですか。して、どう致しまする」

 「呼んでくれ」

 「はっ」

 近習に小早川を呼びに行かせたのは、景虎の質問に答えられないからだ。

 景虎が答えを促さなったのは、やりようがないというのが分かっているからだろう。

 小早川隆景は毛利の水軍を束ねていて、海戦には精通している。

 僕よりよっぽどましな策を講じられるはずだ。


 「遠目ながら織田の軍船、見て参りました」

 陣幕を潜り入ってきた小早川は、床几に腰掛けながら言った。

「総鉄張りで三十間(約五十五メートル)もある途方もない軍船でございまする。景隆驚きのあまり声も出ませんでした」

 史実なら木津川で完膚なきまでに叩かれるのは小早川の水軍であったのだ。

 長篠の敗戦で状況が変り、信長は石山本願寺攻略に着手していない。

 毛利が本願寺に兵糧を入れる事も無ければ、鉄張り船が九鬼の手によって建造されることはなくなったていたのだ。

 ちなみに木津川の戦いで名を上げる九鬼嘉隆は、伊勢の北畠具房の配下のままである。


 「もし、船で仕掛けるとして、毛利水軍ならどのように攻めまするか」

 土屋が恥ずかしそうに言った。

 他家に戦術を教えるはずがないと分かっていても、、聞かずにはいられなかったのだろう。


 「大型の安宅船は、小早船、関船で取り囲み、焙烙玉を投げ入れ混乱に乗じて乗り込み制圧します」

 「焙烙玉?」

 「はい。素焼きの半丸型に火薬を詰め、二つ合わせて紙と布で巻き火縄を取り付けた物です。弾を詰めれば爆発により敵を斃し、松脂、樟脳を詰めればよく燃えまする」

 小早川の言葉に僕は驚いた。

 焙烙玉は村上水軍の秘密兵器のはずだ。

 史実でも本願寺に兵糧を入れた第一次木津川の海戦で使用し、織田の水軍を打ち破っている。


 「そのような物があるのか。ならばそれで」

 景虎の言葉に小早川は首を振った。

 「鉄張りのうえ南蛮の大砲を積んでおります。船があったところで接舷できませぬ」

 その通りだ。だから毛利水軍は鉄張り船の九鬼水軍に敗れたのだ。

 「ひとつお聞きしたい。山県殿を北に向かわせたのは、鉄張り船が二隻だけではないと、お思いになったからですか?」

 小早川が身を乗り出した。


 「おそらく、六隻はある」

 何の根拠もない。史実ではそうだったからだ。

 「湖岸を見ましたが大型の軍船が着岸できるよう手が入れられております。近江の海のいたるところに湊が造られているのかも知れませぬ」

 「近江の海のどこにでも攻め寄せられるとっ」

 土屋の声に小早川は頷いた。

 「ただ、織田勢は下船して戦うことを避けている様に見受けられる。武田様は強兵揃い。夜襲だけではありませぬか」

 景虎と土屋は顔を見合わせ安堵の色を浮かべた。

 だが、史実では鉄張り船は、百櫓、乗員五千人と言われていた。半数が兵士として二千五百人。六隻で一万五千もの兵を動かすことができるのだ。

 夜の内に下船されたら思わぬ所から攻撃を受けることになる。


 「沿岸に見張りを配し、構えて手をだすな」

 「はっ」

 不満げに二人が首肯した。

 長浜、佐和山の戦況を確認してから策を講じるしかない。

 信忠を舐めていた僕のせいだ。


 陣を下げて五日が経った。

 瀬田に向かった仁科勢は布陣していた織田勢を一蹴したが、橋を燃やされ渡河ができず東岸に布陣している。

 織田勢の退却の速さを見れば、端から戦う気はなく橋を焼き落とすことが目的だったようだ。


 軍船二隻は、巨大な姿を見せつけるように内湖に留まっているため、馬場隊を岸から本陣に移動させた。

 小早川の見立て通り、織田は下船して戦う気はないからだ。

 間合いを取っての対峙が続いていた。


 ドン。── ドン。──

 腹に響く爆音が遠くから聞こえて来た。

 小早川の指南により製造した焙烙玉の爆発音だ。

 史実では村上水軍の秘密兵器で、主人の毛利にさえ製造方法は教えなかったはずだが、小早川は知っていたうえ、惜しげもなく作り方を伝授してくれたのだ。

 武田に臣従する証らしい。

 毛利ほどの大家が、これほど謙るのか不思議であったが、武田を頼りにすること決意したのだという。

 「確かめなければならぬことがありますゆえ、理由はご勘弁願います」

 小早川はそう言うと口を噤んだ。

 僕には何となく理由がわかった。

 歴史を変えたことで起きた事だろう。逃げ出したいほど厄介なことだ。


 「山県様より使番が参りました!」

 土屋と景虎を呼び使番を本陣に通した。

 使番は膝まづき緊張した声を上げた。

 「磯山城、敵の軍船により炎上。山県様が迎撃に向かいましたが沖合に逃げ申した」

  磯山城は湖岸にある城だ。艦船からの砲撃を受けたのだ。

 「何隻か、わかるか」

 「二隻とのことです」

 二隻? 六隻あるのではないのか。

 「和田様の戦況ですが、長浜の堀が降伏を願い出たようです」

 「なにっ」

 思わず声が出た。船のない武田は鉄張り船に翻弄されている。

 勝敗を左右できる場所にいる堀が、早々に降伏することなど考えられなかった。


 「罠ではありませぬか」

 土屋が言うのはもっともなことだ。

 北の長浜に陣取り鉄張り船の攻撃に乗じて兵を出し入れすれば有利な戦況にもっていけるはずなのだ。


 「如何致しますか」

 景虎も堀の降伏は信じられないようだ。

 「降伏するというのであれば、兵を連れ参陣すること。堀が従うのなら和田、山県勢は押さえを残し合流を命ずる」

 「はっ」

 使番が草刷りを鳴らし出て行った。

 「堀に参陣を命じたのは、敵対する意思がないことを確かめるためですか」

 土屋が聞いてきた。

 誰が聞いても堀の降伏は理解できない。真偽は堀の出方を待つしかない。


 「御尊顔を拝し奉り恐悦至極でございまする。堀左衛門秀政でございます」

 長浜の城主となり久太郎から左衛門と変えたようだ。

 「主家攻めに異存はないのか」

 山県が押し殺した声で言った。

 降将を参戦されることに難色を示していた。

 信忠を見限り城に籠ったとはいえ信はおけないからだ。

 「武家の習い故、異存はありませぬ」

 堀は顔色も変えず事も無げに言う。

 それが一層、山県の懐疑心を煽るのか睨め付けている。

 

 「そなた、信長殺しにも加担して兵を出しているではないか。それでも主と剣を交えられると申すのか!」

 景虎も同じなのだろう。

 床几から立ち上がり堀に詰め寄った。

 「騙されたとわかった以上、それがしにも意地はありまする」

 堀は毅然と景虎を見つめている。

 「騙された? 信長を殺したことか」

 苦々しく堀が頷いた。

 「理由はご勘弁願います」

 「なにっ。話せぬと⁉ 其の方立場をわきまえているのか!」

 「理由も言えぬとことなど信用できぬ」

 「待て」

 僕は気色張る諸将らを制し堀を睨んだ。


 「理由など聞くつもりはない。安土城内に憁見寺がっ。いや、寺が無く教会があるとなれば、おおよその見当はつく」

 堀は目を見開き驚いたあと、

 「お、おそれいたしました」

 と頭を下げたため、諸将らは顔を見合わせ首を傾げた。


 「ひとつ聞きたい。若狭の丹羽は、何故兵を出さない」

 頭を上げた堀が眉を顰めた。

 丹羽に話しが飛んだのが不思議なのだろう

 「越前守様のことですか‥‥ それがしにはあの御方のお考えは分かりませぬ。右府様も強いて参陣を求めなかったようで」

 信長謀殺に、間違いなく丹羽が関わっている。

 下山の牢獄で本能寺の変を匂わせていたのだ。


 「そうか。まあいい」

 「はっ」

 堀程度の武将に、丹羽の本性が見破れるとは思えない。あの信長さえ畏怖の念を抱いていたのだ。

 「わたしに着くとして聞いておきたい。鉄張り船は六隻でよいのか」

 「こ、これはっ。よ、ようご存じで‥‥ 六隻建造予定でしたが二隻は間に合いませんでした」

 二隻は建造途中で戦になったため解体したのだという。

 「ろ、六隻建造は秘中の秘‥‥ いかにお知りになられましっ‥‥ ご無礼を」

 堀が驚いたところをみると、厳戒態勢をとり秘密裏に建造していたのだろう。

 信長のことだ。口封じのために何人もの命を奪っているのかもしれない。


 堀を下がらせたあと軍議に入る。

 「厄介な敵が現れたな」

 居並ぶ諸将の目が一斉に向けられた。

 「御屋形様。堀との話し我らにも解るように話して頂きたい」

 山県が言うと土屋らも頷いた。

 「信忠の背後に、イエズス会がいるという事だ」

 「イエズス会⁉ 信忠は伴天連を頼ったという事ですか」

 「切支丹?」

 「如何致します。イエズス会とことを構えますと南蛮との交易は敵いませぬぞ。硝石も手に入らなるかもしれませぬ」

 関東の諸将らと違い、岐阜にいた土屋は南蛮貿易のからくりを耳に挟んでいたようだ。

 イエズス会は布教と交易を一体化する方針を定めている。

 莫大な利益を生み出す南蛮交易を仲介し布教の許可を受ける。

 布教と交易だけなら問題はない。

 現地住民をキリスト教に改宗させ植民地支配を正当化する裏の顔があるのだ。

 

 史実では秀吉が伴天連追放令を発布するのは、九州征伐の一年後の天正十五年(一五八八年)である。

 秀吉の伴天連追放令に対し、日本準管区長ガスパル・コエリョはマニラのイエズス会にスペイン軍の派兵を要請している。

 二十万の兵をたちどころに動かせる秀吉相手でも、武力による支配を実行しようとしたのだ。

 派兵は、翌年スペインがイングランドに海戦で敗れ、オランダの反乱も収められないほど凋落したため実現しなかった。


 もし、いまイエズス会がスペイン軍の派兵を要請したらどうなるのだろうか。

 スペイン王フェリペ二世が、ポルトガル王位を兼ねるという事実上の併合から三年が経っている。

 スペインとポルトガルの二国を相手に戦うことになるのか?

 キリスト教に改宗した大名に、イエズス会が武器、食料、兵を支援するのだろうか?

 禁教。 鎖国。 家康がとった政策を踏襲すべきなのか。

 

 どうしていいのか、さっぱりわからない。


 だが。 ──

 「瀬田に兵を進める」

 「はっ」

 変えてしまった歴史を考えても仕方がない。

 当面の敵、信忠軍を打ち破らなければ先はない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ