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7 追撃

 「馬場、梢遥軒に織田を追わせろ」


 百足の背旗を靡かせ騎馬武者が駆け下りていく。

 

 信長を取り逃がしても、織田の軍勢をできるだけ叩いて置く必要があるのだ。


 「高坂隊に野田に向かうように伝えよ」


 次々に伝令を出した。先に備える。歴史を知る僕にとって兵を意のままに動かせれば大勝は当然のことだが、ここから先は何も分からない。歴史は大きく変わったのだ。安土桃山時代、江戸時代は、もう無くなった。


 武田の家臣が死なない変わりに、後世大名となる織田、徳川の家臣が大勢死ぬ。


 笑いが込み上げて来る。僕はもう本当の勝頼なったのだろう。


 「野田城に押し出すぞ。各隊に伝えよ」


 曇り空で太陽の位置はわからないが、まだ昼前だ。南西に三里(十二キロ)ほどの野田城なら明るい内に囲めるだろう。もっとも小城の野田城の守備兵は多く見積もっても二百程度、織田、徳川の敗戦を知り逃げ出しているかも知れない。


 西日に照らされる野田城は、やはりもぬけの殻だった。


 野田城に入って首実検の仕度を命じた。打ち取った兜首は、家臣らにとって銭にも領地にも変わる大切

なものだ。後生大事に持ち歩かれては明日からの戦に支障をきたす。


 大勝した今回の戦では首級は二千を超えるはずだ。


 恩賞は後としても荷物になる首は早々に供養するに限る。

夕暮れの中、山県隊が引き上げてきた。降伏した徳川兵三百ほどを引き連れている。打ち取った首級は五百を超えていた。


 「頑なに降伏を拒む者が多く、止む負えず討ち取りました」

 「家康は吉田城に逃げたか?」

 「いえ、岡崎だと思われます」


 兜首五百を討ち取ったということは、端武者、足軽を合わせれば二千以上の死傷者が出ているはずだ。  主力の四分の一を失えば戦など継続できない。東の吉田城や北東の浜松城に篭ったところで孤立するだけだ。信長の援軍を当てにするなら岐阜に近い西の岡崎城しかない。


 「徳川の兵を放て。どこへでも好きに行かせろ。打ち取った大将格の首を見てやる」

 「ははっ」


 五百の首級を見分している暇はない。作法も簡略で済ますつもりだ。


 二十八首級を見終えた時、川窪兵庫助が長篠城主奥平親子と重臣の首級を持ってきた。


 織田、徳川の敗戦に家臣を助けることを条件に自刃して果てたのだ。


 とっぷり日が暮れた頃、梢遥軒、馬場両隊が引き上げてきた。両軍合わせて首級三千を上げている。


 「信長め、岡崎を素通りして岐阜に逃げ帰りましたぞ。徳川を攻めるのは今と存ずる」

 馬場美濃が紅潮した顔で捲し立てた。


 「いや、西はまだ攻めない。首実検が終り次第、軍議を開く」


 首実検は深夜に及んだ。驚く様な名がいくつもあった。大名になるはずだった武将たちだ。

死ぬはずの武将が生き残り、後世に名に残す武将が多く死んだ。歴史は変わった。

僕が変えたのだ。


 「高坂弾正。この戦の一番手柄は其の方だ」

 居並ぶ重臣らが顔を見合わせている。東進した高坂隊は敵と戦ってはいない。織田、徳川軍の背後を脅かしただけだ。


 「お待ちくだされ。織田の背後を突いたのは確かに手柄。しかし、上杉の押さえを怠っておりますぞ。一番というのはどうかと思いますが」

 馬場美濃の発言に重臣らが大きく頷く。


 「謙信は、信濃を突くか? 弾正申して見よ」


 高坂弾正がおずおずと顔を向けた。


 「謙信は越中松倉城に入り、越中西部、能登を狙っておりまする。信濃侵攻はありませぬ」

 一瞬の静寂を山県の高笑いが引き裂いた。


 「ワハハ。よほど表裏比興が効きましたな。御屋形様の策、三郎兵衛感服いたした」

 重臣らが眼を見開いている。重臣中の重臣、山県昌景が僕を御屋形と認めたのだ。


 「山県、わたしは御屋形ではない。八年だけの信勝の陣代だ」


 「ならば、御神代様とお呼びしてよろしいか。陣の字は神。のお、美濃」


 戸惑うものの馬場が肯いた。勝頼とは別人の僕を認めたのだろうか、神の字をあてた所をみると、神の声が聞こえると吐いた嘘を信じたのだろうか、いずれにしても山県に認められれば、やりやすくはなる。


 「好きに呼んでいい。では、明日の陣立てを言うぞ。兵庫助と馬場は掛川城。梢遥軒と高坂は浜松城。土屋が先方を務めよ。約束通り浜松は其方の領地だ。あとは吉田城に攻め入る」


 嘲笑を浮かべる者はいなかった。一年前、嘲笑を浮かべていた土屋右衛門尉は涙を流して這いつくばっていた。


 山県の言った御神代という呼び名は、意外に効果があるのかもしれない。


 「歯向かう者以外殺すな。降伏を促し逃がしてやれ。城の火攻めは避けよ。よいな」

 山県の鹵獲した鉄砲は百挺ちょい。長篠城の降伏兵から押収した三百挺の半分にも満たない数だった。織田、徳川は鉄砲に頼っている。かなりの数が城の備えとして残してあるはずだ。まだまだ鉄砲は必要だ。火などかけられては鹵獲できない。


 翌日から城攻めが始まった。力攻めする必要はない。如何に留守居の将が徳川に忠誠を誓っていようと、援軍が期待できなければ兵は逃げ出してしまう。端武者、足軽に城も枕に討ち死になどの気概は微塵もないのだ。


 そして、この城攻めで最も活躍したのは高天神城主小笠原信興である。川窪兵庫助を大将とした鳶巣カ崎砦の奇襲部隊の殲滅に参加した信興は、大した手柄はたてなかったが、召し上げた半知行を返してやった。それを感激したのか、自ら望んで説得を買って出たのである。


 織田、徳川に見捨てられた城主という立場に妙な説得力があったようだ。吉田城が囲んで十日、浜松が十二日で降伏した。掛川城は城主の嫡男石川康道が留守を任されており頑なに降伏を拒否したが、重臣に殺され十五日で城門を開いた。


 降伏した兵には徳川の帰参を許したが、半数ほどが武田に臣下を望み、重臣たちに召し抱えさせた。特に長篠城の兵は城主の嫡男を暗殺したためか、ほぼ全員が臣下を求めたため、小笠原信興に長篠領地の半分を与え召し抱えさせた。


 緩い処分には理由がある。これが噂となり三河の領主らが徳川を見限り臣下を願い出てきた。半地安堵、複禄は働き次第。小笠原の例があるためか、拒む者はいなかった。


 浜松城で論功行賞を行い、手に入れた城に兵を割り振り帰城した。


 家康は遠江を失い、三河八郡の内、わずか三郡となった。信長は小領主に成り下がった家康に手を貸すとは思えない。狙い通りだ。早々に手を打たなければならない。


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