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68 独断専行の鎮撫総督

 九月下旬 ──

 山県が勅使を連れ岐阜城にきた。

 勅使は武家伝奏勧修寺晴豊である。

 ついに鎮撫総督に任ぜられたのだ。

 

 慣例通り勅使の勧修寺に礼金百両を渡し、朝廷に三十万両の献金を約束すると、身分が逆転したように頭を下げた。

 「天下静謐の鎮撫総督なれば、西の太守、寺社に詔勅を発布願いたい」

 天皇より騒乱を鎮める役に、僕を任命したと知らしめてもらうのだ。

 身の程をわきまえない要求だが、鼻薬が効いたのだろう。

 「承りました」

 勧修寺は即座に承諾した。


 勅使饗応のあと山県だけを居室に呼んだ。

 「面目ござらぬ。代理参内が逍遥軒様の策略とは見抜けませんでした」

 「仕方があるまい。亡き父の遺言に従っていると、わたしも思っていた」

 見抜けるわけがない。

 逍遥軒は信忠が信長を誅殺することを丹羽から聞いて知っていたはずだ。

 それなのに、わずかな供で京に行かせたのは、山県を片付けることまで考えていたのだ。


 「神余殿がおられなければ生きてはおりますまい。さすがに此度ばかりは、三郎兵衛覚悟致しました」

 「無事でよかった。そなたがいなければ、これからが大変だ」

 四

 「御屋形様が望まれました鎮撫総督は宮中で知る者がおられませんでした。古の鎮撫使を鑑み従四位の位階となりましたが、総督とは如何なる職でありますか」

 望めば信勝の左近衛大将を叙任できるだろうが、それでは信忠の下になるため思いついたのが鎮撫使という職である。

 奈良時代四位以上の参議が地方の治安維持のために任命された臨時職だ。

 疾うの昔に忘れ去った職を引っ張り出されて朝廷も困ったことだろう。

 それでも前例に漏れぬよう無位無官の僕に従四位を授けたのは、丹羽の裏工作かもしれない。


 「総督という役など無い。鎮撫使では軽く感じられるので総督としたのだ」

 明治新政府が考え出した奥羽鎮撫の職だと言えるはずもない。

 「もしや、御神託ですか!」

 山県が身を乗り出した。

 未来の事なので神託でいいだろうと、僕は頷いた。


 これから目指す征夷大将軍も元辿れば奥羽の蝦夷討伐の臨時職なのだ。

 征東使、征夷使と称し、一軍団千人に将軍一人、三軍団を統括するものを大将軍と呼んだ。

 何時しか奧羽ばかりではなく東の治安維持にもおよび、平将門の乱では参議藤原忠文、源頼朝の挙兵では権中納言平知盛が任命されている。

 武家執政の常職、武家頭領の地位となったのは、源頼朝からである。


 「織田討伐から始められまするか? それとも大和の松永、筒井でしょうかな」

 山県は織田軍に京に閉じ込められた屈辱がある。直ぐにも信忠を攻めたいのだろ。

 「まずは織田信忠を鎮撫総督の命により岐阜城に呼び付ける」

 「いや、それは。従二位右大臣の信忠が従うとは思えませぬが」


 従四位の臨時職に呼び出されて従う上位階の者などいるはずがない。

 ましてや岐阜城は僕に奪われた因縁の地だ。

 信長を殺したのも根底には城を失ったことが原因かもしれない。

 不和が生じ、それを丹羽が利用した。あり得る話だ。


 「そこが狙いだ」

 「なるほど! 宣旨に背いたと討伐するのですな。しかし、来たら如何致しまするか」

 「そうだな。わたしの配下として、こき使ってやる」

 もし来たら、僕は上座に座り信忠にひれ伏し頭を下げさせる。

 ふんぞり返って大和の松永討伐を命じれば、臣下となった既成事実ができあがる。


 「ワハハッ。それはよい。出向いてきたら服従したとするのですな」

 「呼び出しに応じたらの話しだ。まず来ることは無い」

 山県が大きく頷いた。

 「存分に働いて貰うぞ」

 「はっ。右大臣に京での借りをたっぷりとお返しいたしましょう」


 鎮撫総督は誰にもわからない職だ。

 治安維持のためなら右大臣さえ討伐できる公権があると、僕が勝手に決めたのだ。


 「話にならぬ。勅書には何と書いてあった。帝は武田に天下静謐を命じたのだ。当事者である右大臣が弁明に来るのは当然のことではないか」

 「いや。それはっ。騒ぎを起こしたわけでは‥‥」

 信忠から遣わされた使者は、土屋の一喝に真っ青になって口籠った。

 「騒乱を鎮める側になるか、中心に陣取るか、今一度主人と相談いたせ」

 「は、はっ」

 使者は平伏し海老のように後退りすると広間を出て行った。


 「中心に陣取るとは、言い得て妙ですな」

 土屋が笑いながら言った。

 信忠は勅書を無視できず、体裁だけを取り繕うために使者を送ってきたのだ。

 呼び出しに応じるための使者ではない。

 右大臣の自分が鎮撫総督という権限もわからない下位職に呼び出されるのか、問う使者だった。


 十日後、新たな使者が遣わされた。

 使者は従四位下宮内卿法印という官位をもつ松井友閑であった。

 堺の代官や本願寺交渉役を務め、信長の吏僚の中で最高の地位にいた人物で、公家や堺の商人と親交があり、茶人、文化人であったと本で読んだ覚えがある。

 前将軍義輝の元家臣で、幕府や朝廷の職位に精通している面倒な相手だ。


 「いわば織田家の内紛。鎮撫総督様とて領国を鎮められたばかりではありませぬか」

 信長に重用されただけのことはある。

 左右に居並ぶ武田の猛将など歯牙にもかけず、痛い所を突いてきた。

 松井は親族衆の討伐を同じ騒乱だと主張したのだ。


 「都より遠く離れた東国のこと。瞬く間に静謐は保たれておる」

 内藤が忌々しげに言った。

 のらりくらりと理由をつけ、信忠の参上を拒んでいる松井に、諸将らは怒りを押し殺していた。


 「同じでございます。織田も京の秩序を乱しておりませぬ。それに朝廷は右大臣に昇進させたのですぞ。これこそ証左ではござらぬか」

 確かにその通りだ。公家らと信長討伐は話しがついていたのだ。

 

 「洛中で兵を挙げたため、驚き昇進させたのではないのか」

 土屋が口を挟んだ。信忠の昇進は脅したからだと含みを持たせている。

 「そのようなことはありませぬ。朝廷の意思に副い、悪逆信長の首は晒してござる」

 恩顧ある旧主を悪逆と言い放った。

 帝に害を及ぼすため成敗したと、松井も含みを持たせた。


 「そなたの言い分はわかった。右大臣殿もわたし同様内紛であったということだな」

 「御意」

 松井がほくそ笑んで頷いた。

 「だからこそ、帝はわたしを鎮撫総督にしたのだ。武田家中を鎮めたように畿内を静謐させよと。違うか?」

 「さようでございましょう。主人も天下静謐に協力は惜しみませぬ。京に向かわれる際に安土にてご挨拶を致す所存でありまする」

 これが本音だろう。

 居城の安土で出迎えれば、各地の大名らは信忠が僕の下についたと思わない。

 鎮撫総督が右大臣に挨拶を入れた形にもっていく気なのだ。


 「鎮撫総督が、挨拶に出向けと申すのか!」

 山県が怒声を上げたが、松井は意に返さず飄々としている。

 「然らばお尋ねいたす。鎮撫総督とはどのような権限がおありか。いかなる書物を紐解いてもわかりませぬ。お教え願いたい」

 「そ、それはっ」

 下手なことを言えば、言質を取られる。

 山県が口籠った。

 土台僕が言い出した鎮撫総督の権限には無理がある。

 右大臣への宣戦布告は、僕がするしかないようだ。

 

 「軍制、軍令、諸大名の進退、領地の処分など広く裁量できる権限がある。と、わたしは思っている」

 松井がぎょっとして眼を向けた。

 「そ、そのようなっ。・・・ あり得ぬ」

 初めて見せた動揺である。

 

 「ええい。まだるっこしい! 使者の首を刎ねて届ければ、右大臣も立場がわかるだろう」

 「さよう。さよう」

 「弾正少弼殿。五郎。控えよ。宮内卿法印殿の首を刎ねるとは何事だ」

 景虎、仁科が渋々松井に詫びたが、これが効いたようだ。

 「わ、わかりました。か、必ずや主を伺わせます」

 真っ青な顔で縋り寄った。

 京育ちの松井友閑にとって、東国の武者は未だに獣のような東戎なのだ。

 松井は信忠の訪問を二十日後と約束して帰って行った。

 

 「右衛門。出浦に安土を見張らせよ」

 「はっ。信忠が来ることがないとお考えですか」

 僕は頷いた。

 鎮撫総督の権限を示した以上、来るはずはない。

 来れば臣下の礼をとったと喧伝されるからだ。

 

 松井が二十日の猶予をもったのは、戦仕度をするためだろう。

 信長同様、関ケ原辺りでぶつかることになるのだろうか。

 丹羽ら北陸勢が従わないとはいえ、織田は五万の兵を有している。

 だが、武田の兵数は十万。

 完膚なきまでに叩き潰せる兵数がある。


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