66 親族殲滅
小田原城に戻ってひと月が過ぎた。
武田軍の戦果は凄まじい。
木下藤吉郎が国府台に陣取った里見義弘を夜襲により打ち破ると安房まで追い詰め降伏させている。
佐竹討伐に向かった内藤勢は柿岡で佐竹勢を一蹴、大掾、鹿嶋、宍戸、江戸、小野崎の佐竹方であった常陸の豪族を味方につけ、北の佐竹の居城太田まで攻込んでいる。
当主義重は太田城を捨て宇都宮を頼り逃亡した。
結城討伐の和田も負けてはいない。
下館城、下妻城を落とし水谷、多賀谷を討ち取ると結城城を囲み降伏させている。
わずかひと月の間に関東を制圧したのだ。
上杉景虎が越後、越中、能登の兵三万を率いて関東に入り、兵を川越城に留め重臣を連れ小田原城来た。
「あとの仕置きは弾正少弼殿に任せたいのだが」
「無論でござります。関東管領として始末をつけましょう」
景虎が満面の笑みで応えた。
「信濃、甲斐の制圧にも、ぜひ我らをお使い下され」
景虎が、上杉憲政、北条高広を連れて来たのは関東平定のためだが、老将は戦に血が滾っているようだ。
「五郎様。甲斐は武田の本貫。わたくしがやります。早々に片付け、共に京に上りましょう」
「おおっ。ついに日の本を治める気にお成りか! その言葉待ち望んでおりましたぞ」
上杉軍三万は常陸、下野に進軍を開始。
和田、内藤隊に入れ替わり、参陣拒んだ領主の掃討を開始した。
「真田に葛山を攻めさせよ。我らは伊豆の栗原、江尻の穴山を攻める」
内藤、和田、馬場ら旗頭を集め軍議を開く。
「河窪様は如何いたしますか。朝比奈ら駿河衆は親族衆のため手控えしておりますが」
内藤ら家老とて親族衆との戦いは遠慮がちだ。
そのためここまで家中が混乱したのだ。
「わたしの武田家相続に異議を唱えるのは、全て敵と見なす。叔父だろうが、弟だろうが遠慮は無用。攻め滅ぼす」
「こ、これは! 恐れ入りました」
「やっとその気になられましたか。我らに異存はござらぬ」
「それでこそ武田の頭領に相応しい!」
家臣らにしてみれば、僕の煮え切らない態度は歯がゆかったのだろう。
親族衆討伐に反対はなかった。
小田原城に三万の兵が集結すると、伊豆の栗原勢は甲斐に逃げた。
適わぬと見て取り逍遥軒の韮崎城に逃げ込んだのだ。
伊豆の金山を押さえ、梶原の水軍に内藤隊を沼津に輸送させ、和田、馬場を率い箱根を越えた。
沼津に乗り込んだ内藤隊に、大井は降伏の使者を送り恭順を示した。
大井満安程度の武士なら殺す必要はない。内藤預かりとし沼津城を接取した。
駿府を占領していた河窪勢は沼津の降伏に慌てて兵を纏め浜松に引き上げようとしたが、朝比奈勢に襲撃され壊滅。
河窪信実はわずかな兵で、浜松城に戻り籠城した。
穴山梅雪も僕の進軍に江尻城に籠城。互いにどこからも援軍のない籠城である。
穴山、河窪から降伏の使者がきた。
「川窪兵庫介、穴山梅雪に腹を斬らせよ。それが降伏の条件だ」
僕は緩い仕置きばかりしてきたが、豹変するしかないのだ。
叔父だろうが、義兄弟だろが逆らえば死を与える。
天下を望み、苛烈になったと思わせるためだ。
甘く見ていたのだろう。どちらからも返答はなかった。
朝比奈の駿河勢に取り囲まれ河窪信実は自裁した。
実際は家臣に斬られたようだが不問にし、検死役を送り浜松城を押さえた。
穴山梅雪は堅固な江尻城を頼り抵抗したが、穴山を見限った家臣が門を開き、馬場隊の突攻撃により一族、郎党が討ち取られ壊滅した。
これで駿河の敵対勢力は一掃したが、留まるわけにはいかない。
間髪入れず僕は甲州往還を甲府に向け進軍する。
内藤、和田、馬場、朝比奈隊を合わせ、兵数は四万を越えている。
甲斐の逍遥軒、信濃の葛山信貞を滅ぼすには十分な兵数だ。
「一条上野介様、兵を率い躑躅ヶ崎館に籠りました」
「原隼人に館を囲ませよ。なに、打って出る度胸はあるまい」
市川の城を引き払い躑躅ヶ崎館を占拠したのは信勝を人質とするためだ。
命乞いのためなら信勝に手を出すことはないだろう。
逃げられないように囲んでおけばよい。
「真田左衛門尉様、兵部丞様、深志城を落としました。葛山十郎様は木曽に落ち延びた模様」
「高遠城の山県勢、遠山、奥平殿とともに木曽に討ち入りました」
僕の甲斐進攻に、親族衆に手控えしていた諸将らが積極的な動きを見せた。
真田兄弟の非情な戦いぶりが、傍観していた東美濃の諸将らに火をつけた。
主人不在の山県の家臣も遅れてはならじと木曽攻撃乗り出した。
「内藤。北側を攻めよ」
逍遥軒に四万の軍勢は止められない。
柿の木に布陣していた兵を退き城に籠った。
釜無川と塩川の間に伸びる七里岩に築かれた韮崎城は堅固な城だ。
籠る逍遥軒勢はおおよそ八千。四万の兵をもってしても容易ではない。
ただ、逍遥軒にも援軍がない。孤立無援である。
「火矢を射よ。鉄砲を撃ち掛けよ。遠慮は要らぬ。韮崎城を焼き払え」
内藤勢が韮崎城の北、半里(約二キロ)の支城能見城を三日で陥落させた。
「能見城に火を放て」
「よろしいので?」
僕が本気であることを逍遥軒に見せるのだ。
支城が焼き払われたことにより、韮崎城から逃亡する兵が続出した。
城を囲んで十五日。
逍遥軒が降伏を伝えてきた。
信玄の偉業を背景に権力を得た親族衆に、最前線で戦ってきた家老衆に対抗できるはずがないのだ。
現に逍遥軒は、葛山、木曽の反乱さえ抑えられなかった。
その葛山、木曽は、わずか十日で木曽が首級に成り果て、居城の福島城を山県勢が焼き払っている。
木曽を頼って落ち延びた葛山信実は、討死したのか、逃亡したのか、行方不明である。
「おのれ四郎! 一族に仇をなしたかっ」
縄を打たれ引っ張りだされた逍遥軒は、晒された首を見るなり喚いた。
大手門の前に木枠を作り、木曽義昌、一条信龍、栗原ら逍遥軒の重臣八人、一条信龍の家臣三十人の首を晒している。
躑躅ヶ崎を占拠していた一条信龍は、韮崎城の降伏により己の家臣に裏切られ首級と成り果てた。
包囲していた原は、裏切った一条の家臣を許さず、三十人ほどの家臣を斬首した。
ずらりと並んだ首級の前で、逍遥軒の首を刎ねるのだ。
親族衆筆頭が、切腹も認められず城門の前で首を刎ねられるという最大の見せしめである。
「叔父上。彦太郎の命は取りませぬ。ご安心を」
逍遥軒がいなくなれば、彦太郎などどうでもいい。武田を率いる力があるはずがない。
「おのれっ。 おのれっ。 やはりお前は不吉の子よ。禁を破り武田一族を潰しおった!」
「禁を破ったとは旌旗のことですか? お気づきになりませんか。それが間違いのもとなのです」
「なにっ」
「遺言など無視すれば、このようなことにはならなかった」
「ば、馬鹿を申せ!」
今はっきりとわかった。
遺言は信玄の呪縛だ。
逍遥軒でさえ彦太郎に家督を継がせようと画策したが、遺言だけは守っているのだ。
「叔父上。この四郎勝頼。天下を取りまする」
「そ、そなた。なぜ今頃になって、天下取りなど・・・」
呆れたように逍遥軒が呟いた。
僕には天下を狙う欲がないと思っていたのだろう。こう思わせたのも僕の失敗だ。
「天下を取る才覚がわたしにはある。叔父上も御存じでしょう。父などとうに越えている」
「み、認めぬ。お前は武田ではない。将軍になろうと武田が成し得たのではない」
血走った目が僕を睨む。
勝頼を不吉な諏訪の血流と見ていたのだ。
最初から逍遥軒が、僕に従うことは無かったということだ。
「首を刎ねよ」
逍遥軒の首を一条信龍の横に並べる。
やならければならなかったとはいえ、最悪の気分だ。
一族殺し ──
勝頼生涯の汚点となるだろう。




