64 日の本 騒乱
「四郎殿。如何かな。居心地は?」
逍遥軒が薄笑いを浮かべて言った。
丹羽長秀と対面して三日が経っていた。
「叔父上! わたしを閉じ込めれば逆効果だ。出してくれ」
山県らを誤魔化せるはずはない。
大騒ぎになっているだろう。
「案ずるな。四郎は蟄居も解かれ北信濃に赴いておる」
「な、なにっ⁉ どういうことだ!」
「丹羽殿も余計な口出しをしたものだ。このような牢など必要あるまいに」
逍遥軒は牢を見廻し渋面を作った。
「答えろ。わたしに何かあれば山県らが黙っていまい」
「山県は御屋形様の代理として京だ。暫くは気づくまいよ」
信玄の影武者を務めていた逍遥軒が考えそうなことだ。
僕の影武者を用意したのだ。
「御遺言通り信勝が屋形になった。わたしは隠居を受けいれたぞ」
一時凌ぎにすぎないお粗末な策を用いてまで、何故僕を目の敵にするのだろう。
「諏訪の血は要らぬ。御遺言ゆえ守ったが将軍になるのは武田の血だ」
「武田の血? 兵庫、上野叔父らの嫡男でも担ぐつもりか!」
山県の目論見が大きく外れたようだ。
親族衆を押さえるどころか誰かを担ぐつもりだ。
「武田の正統よ」
「‥‥ 誰だ?」
「わからぬか。彦太郎様こそ武田の正統」
「あっ!」
謀反のかどで寺に幽閉され死んだ信玄の嫡男義信の子、吉河彦太郎信義だ。
信玄から特権を与えられていた秤師、吉河守随茂済の娘との間に出来た子で、義信の死後吉河に娘共々戻されている。
逍遥軒が、金座衆や秤、枡の製造を管理下に置いたのも彦太郎がいたからだろう。
「そなたら親子は諏訪に戻ればいい。ただし条件がある」
「条件‥‥」
「領内に出回っている銭はそなたであろう。七尾城に横田を配したのはそのためだな。それを渡せ」
「知らぬと言ったら? どうする」
「手に入らないのであれば、諏訪の血を根絶やしにする。駿府も焼き払う」
「な、なに!」
「手荒な真似はしたくはない。よく考えて見よ」
勝ち誇った逍遥軒が出て行った。
逍遥軒は諏訪の血を根絶やしにすると脅したが、多分凶行出ることは無い。
僕がいなくなれば、景虎が金を渡すことはないからだ。
佐渡、越後、越中の金山を逍遥軒に渡せば、諏訪で生きることはできる。
逍遥軒は彦太郎を担ぎ出し将軍に据えれば満足なのだろう。
僕は彦太郎が当主になるのに反対する気はない。
正直武田の当主などだれでも構わないのだ。
それなのに、丹羽も逍遥軒も僕に介入されるのを恐れ、事が終るまで僕を閉じ込めとて置く気だ。
三か月も隔離されていれば、武田が将軍になっているのだろうか。
上手過ぎる話しだが、丹羽が手引きしている以上あり得る話しだ。
いずれにしても僕は蚊帳の外だ。
なるようになるのを待つしかない。
天正十一年四月半ば ──
初夏を思わせる陽気が続いた日、突然、外に怒声が響き渡った。
何事かと聞き耳を立てると、廊下を踏み鳴らし数人の甲冑武者が入ってきた。
「四郎様! 御無事ですか!」
「惣藏⁉」
土屋惣藏が手下を連れ牢獄に押し入ったのだ。
惣藏は牢番に命じ鍵を開けさせた。
「お急ぎ下さい。穴山の兵がきます」
「江尻の穴山梅雪が、なぜ攻めて来る? 逍遥軒とは話しがついているのだぞ」
「次第は道々説明いたします。お急ぎ下さい」
惣藏らに誘われ庭に出た。
「ここは?」
「下山の穴山屋敷の近くにございます」
庭を見渡せば黒頭巾で顔を隠していた牢番ら十二、三人が平伏していた。
「この者ら手引きしてくれました。警固として同行いたします」
「どこへ行くのだ」
「鎌倉を目指しまする」
「鎌倉? 駿府ではないのか?」
「駿府は河窪様の兵に押さえられております」
「なんだと! 河窪叔父が駿府をっ。 紗矢は! 次郎は!」
「ご安心下さい。紗矢の方様次郎様は、有村平太郎に頼み匿って貰っております」
「何があったのだ。逍遥軒は彦太郎に武田を継がせると言っていのだぞ」
「信長の死により、武田家中とて、誰が敵か味方か分かりませぬ。さっ。お急ぎ下さい」
信長が死んだ。 ──
丹羽の言葉通りだ。
逍遥軒と話はついていたはずだが、武田にどう影響を及ぼしたのか、閉じ込められていた僕にはわからない。
馬が用意されていた。
騎馬八騎、徒士十二の小隊は東を目指し道を進んだ。
下山の穴山屋敷から躑躅ヶ崎館まで八里(約三十二キロ)ほど追っ手がかかればたちまち追いつかれる。
だが、惣藏はそれはないと断言した。
「御屋形様は、失礼ながらお飾りに成り果てました。政の中心は韮崎城になっておりまする」
逍遥軒は彦太郎に武田を継承させようとしているのだ。十七歳の信勝では対抗できるわけがない。
「葛山様、木曽殿の挙兵は御存じですか?」
「知らぬ! どういうことだ」
「吉田に着きましたら説明致します。さっ、急ぎましょうぞ」
み月の間に何があったのだろう。
河窪、穴山、葛山、木曽、親族衆が逍遥軒に反旗を翻したということか。
さっぱりわからない。
陽が落ちる前に吉田に着いた。
惣藏は近くの寺に宿を求めた。
「信長の死が、諸侯らを狂わせました」
夕餉のあと、惣藏が話し始めた。
天正十一年二月十八日 未明のことである。
信長の京での宿舎、下京の六角通り油小路東にある本能寺は、一万を超える軍勢に囲まれた。
十重二十重に囲んだ兵士らの旗幟は木瓜。家督を継承した信忠が襲撃したのだ。
信長はわずか二百ほどの兵しか率いていなかった。
十町(約一、一キロ)離れた妙覚寺に信忠軍が入っていたため。自らの兵を率いなくとも警固は十分だったからだ。
それが裏目にでた。信忠は大砲まで用意し信長の殲滅を計った。
信長は本能寺に火をかけ自刃したが、信忠の家臣に見つけられ首を取られている。
首は三条河原に晒された。
信長を朝廷を揺るがした大罪人として処断された。
右大臣信長が倅に攻め殺された大事件であるが、京の町は落ち着いていた。
信忠と朝廷は綿密に打ち合わせは出来ていたのだ。
信忠は参内し逆賊信長討伐の功により右大臣に昇進した。
さらに信忠は毛利との和睦の仲介を朝廷に懇願している。
将軍足利義昭を帰京させ復権させようとしたのだ。
将軍職を信勝に譲るための復権であるのだろう。丹羽の策略通りだ。
信忠は丹羽に乗せられ父信長を殺し、関白の地位を手に入れ天下を治めようとしたらしい。
だが、思わぬ横槍が入った。
中国方面軍団長の娘婿の蒲生氏郷が反旗を翻したのだ。
蒲生は信忠を父殺しと非難し毛利討伐の兵を京を占拠した信忠軍に向けた。
播磨の別所、小寺、因幡の山名が蒲生に味方し、備前の宇喜多、伯耆の南条らも蒲生についた。
織田の分裂は将軍を擁する毛利には好機であったが、予期せぬことが起った。
龍造寺政家、宗像氏貞、大友宗麟ら九州の領主らが長門を窺がう動きを見せたのだ。
下手に動けば挟撃されるおそれが生まれたのだ。
摂津の荒木と本願寺顕如も動いている。
淡路の安宅清康、讃岐三好康長を味方につけ、和泉、河内に兵を出したのだ。
信忠は池田恒興、堀秀政、信孝を河内に向かわせ、摂津の荒木には丹羽ら北陸勢を当てようとした。
ところが、丹羽は若狭に兵を退いてしまった。
多分これは端から丹羽が画策したものだろう。
丹後の細川、越前の金森、佐々も同調し北陸方面軍団が織田を離れてしまったのだ。
信長の死により織田が割れ、日本中の諸将の欲が爆発したのだ。
日本全土で戦が始まった。
武田も例外ではない。親族衆が家臣らを巻き込んで戦いが起こっている。
それにつけこんだ他領主からの攻撃を受けているのだという。
西は大和の松永久秀、筒井順慶、紀伊の堀内氏善が伊勢に攻込んでいるし、北は佐竹、宇都宮、結城らが、上野、武蔵に兵を進めている。
「武田家中は誰と誰が争っているのだ。山県ら家老衆は何をしている」
「上杉の神余殿と合わせても手勢は五百ほど、山県様は京から動けませぬ。高遠の御家来衆も木曽に阻まれ、また奥三河衆がどちらに着くのかわからぬ状態で、兵を出せませぬ」
「右衛門はどうしているのだ」
「はっ。兄は近江との国境に兵を進めましたが、京に攻込むわけにもいかず、小原様も伊勢に戻り、松永軍と対峙しております」
「内藤、和田、馬場らは佐竹、結城らの侵攻で動けないのか?」
「はい。それに小山田殿、忍城の成田が逍遥軒様に着いたようです」
「小山田と成田が⁉」
いまのところ彦太郎を担ぐ逍遥軒に与したのは、一条信龍、小山田信茂、新参の成田氏長らしい。
葛山信貞、河窪信実、穴山梅雪、木曽義昌の親族衆は、彦太郎の武田家継承を承服できず、かといって、信勝を支える気もなく己の子息を当主につけるため挙兵したようだ。
それぞれが欲でくっついていると見てよい。
家臣らが誰も加担しないのはそのためだろう。
「小原様から伝言を託されました。もはや四郎様以外に武田を纏めなれませぬ。何卒、武田家当主にお成りくだされますようにとのことです」
信玄の遺言に従い、身を引いたのが間違いだった。
結局は力で従わせなければ、平穏な日々など送れないということだ。
「小田原城に行く」
兵が必要である。馬場の相模兵をあてにするしかない。




