63 丹羽長秀の計略
灯心がジジッと鳴って、揺らめく明りが男の顔に影を作る。
丹羽長秀は薄笑いを浮かべていた。
「御不自由でしょうが、今しばらくご辛抱くだされ」
逍遥軒と繋がっているとしても、違和感を覚える言い回しだ。
まるで、丹羽が僕を投獄したような物言いではないか。
丹羽長秀が絡んでいるとなると、増々投獄の理由がわからない。
「信長か‥‥」
僕が呟くと、丹羽は大仰に驚いてみせた。
「右府様は知らぬことです。御履き違い無きように」
信長ではない? では、誰の命令なのだ?
丹羽を睨むと、
「それがしが、逍遥軒殿に頼んだのです。この牢獄もそれがしの指示通り。貴方様に危害を加える気は毛頭ありませぬ」
慇懃に答えた。
「何のために? わたしを捕えてどうする」
逍遥軒は何を狙って、丹羽と通じたのだろう。
「お気づきでしょう? 万華鏡を贈りました」
笑みが消えた。
やはり丹羽は僕と同じ未来から来たのだ。
「いや、責めているわけではありませぬぞ。それがしも多少は‥‥ いえ、貴方様に申しても仕方がない。信じる方ばかりではありませぬからな」
どうもおかしい。何か変だ。
僕に話しても仕方がない? 同じ境遇の僕に話しても仕方がない?
これでは別な誰かがいるようだろう。
「そなたも、そうなのか?」
鎌をかけてみる。
「さようです。その者に会せていただきたく罷り越しました」
やはりだ。丹羽は未来から来た者を僕とは思っていない。
僕は丹羽にとっての信長ということだ。
「会ってどうする? 信長に天下を取らせるのか?」
既に歴史は変わっている。丹羽も僕もこの先はわからない。
「貴方様は官位を御断りになった。 それなのに江戸に町を造っている。その者の進言ではないのですか?」
僕は頷いた。
江戸の町を造ったのは確かに僕だ。秀吉にやらせている。
官位を断わったのと何の関係があると言うのだ。
「おおっ。さようですか!」
丹羽は満面の笑みを浮かべた。
「先ほどから何を申している?」
「お聞きになっておりませぬか?」
歴史を聞いていないかと問いだ。知らないふりをした。
「それがしの苦労はその者にしか分かりませぬ。十一歳でこちらに飛ばされ、運よく修理亮様に拾われ‥‥ いや、よしましょう」
運よく拾われた? 修理亮とは父の丹羽長政のことだ。
長政の次男に入り込んだとしても、おかしな言い方だ。
「その者はいくつでこちらに来たのでしょう。名は? どこでお知りになった?」
怪訝な顔にも気がつかず、丹羽は話しを進める。
「二十八歳。西園誠。東美濃っ⁉」
すらすらと口をつくでまかせに、僕自身が驚いた。
記憶はないが、本当に僕のことなのかもしれない。
「なるほど。二十八なら、それがしと違いまするな。で、持ち物はいかがいたしました?」
「持ち物? なんだそれは」
「ああ、ありませんでしたか。うむ。それならよい」
丹羽は十一歳で来たと言った。いや、飛ばされたと言ったのだ。
そして丹羽長政に拾われた。
勝頼の身体を乗った僕に、持ち物などあるはずがない。
丹羽だって、長政の次男と入れ替わっただけならあるはずがない。
まさか ──
もしかすると、丹羽は ──
「そなたは、持ち物があったのか?」
「ありません。気がつけば野っ原に倒れておりました」
やはりだ。
そんなことがあるのか。頭が回らない
「貴方様は慈悲深く優しい。西園殿は良き御方に巡り合えた」
「慈悲深い‥‥」
「織田も乱暴狼藉は厳しく処罰するようにしましたが、勢力が増すごとに右府様の残虐な仕打ちを止めることは敵わなくなりました」
何が言いたい。確かに贖罪と思い緩い仕置きばかりしてきた。
人を殺すのが嫌だったからだ。
「貴方様こそ将軍に相応しい」
「なっ⁉」
丹羽は事も無げに言った。
残虐な行為をしないから征夷大将軍に相応しい?
「だから左近衛大将に推挙致した。しかし、貴方様は信玄公の遺言を守り隠居なされた。ご希望通り甲斐守殿に昇妊していただきます。そして江戸に幕府を開いてもらう」
「信勝を征夷大将軍に! 江戸に幕府⁉」
「はい。段取りはそれがしがおこないます」
逍遥軒が丹羽に与した理由がわかった。でかい人参をぶら下げたのだ。
だが、そこまでして丹羽が、江戸に拘る理由がわからない。
「‥‥ なぜだ」
「歴史を戻すのです。そのためにも西園殿が必要なのです。江戸に幕府があれば歴史は繋がっ。貴方様に申しても詮無き事です」
丹羽は突然黙り込んだ。
歴史に触れるのを躊躇しているのだ。
「わたしの投獄と、それがどう関わるのだ。信勝が将軍になるのに反対はしない」
「武田の兵は強い。右府様が何度仕掛けても勝てなかった。これから起こることに介入されては困るのです」
「これから起こる?」
「本能寺っ。いや、ふた月ほど、ご辛抱下され」
「ふた月‥‥」
「またお会いすることになるでしょう。その時は西園殿を御同行願いまする」
丹羽はお辞儀をして去って行った。
去り際、丹羽が呟いた言葉に、仰天し呼び止めることができなかった。
真っ暗な天井をしばらく見ていた。
丹羽長秀は、やはり僕と同じこの時代の人間ではなかった。
だが、僕とは違う。
タイムスリップ。──
わずか十一歳でこの戦国時代に来てしまったのだ。
僕は武田勝頼の身体に入り込んだため、地位や立場はそのままだった。
中身だけ違っている事など分かるはずがないからだ。
丹羽は年端もいかない子供のときに、戦国時代にタイムスリップした。
それでも丹羽長政、織田信長に気に入られ、養子、重臣となっている。
地球が丸いと知っているだけで、他の子供らとは違うからだろう。
信長が宣教師より地球儀を贈られた時、大地が丸いことを即座に受け入れたそうだが、丹羽より聞いていたのだ。
もしかすると、桶狭間の奇襲も丹羽の進言なのかもしれない。
信長の信頼を得て、恐れられるほどの重臣となりえたのは、未来を知っていたからだ。
僕の神託と同じだ。
だが、歴史の知識は大してなかったようだ。
知識があれば、長篠の敗戦で気づいたはずだからだ。
武田を潰すため、佐竹や北条、信康まで使い仕掛けてきたのは、歴史が変わったことがわからなかったためだろう。
丹羽は信康を操り家康に謀反を起こさせた。
まさか武田に敗れ死ぬとは思いも寄らなかったのだろう。
家康が将軍になり江戸に幕府を開くと微塵も疑っていなかったのだ。
信長家臣最初の国持大名になろうと、あまり表に出なかったのは、去り際の言葉でわかった。
江戸がなければ、戻れぬ ──
戻れぬと、確かに呟いた。
丹羽は元の世界に戻ることを考えているのだ。
同じ境遇の西園を欲しているのもそのためだろう。
信長を殺し、武田が徳川に替わり江戸に幕府を開く。
丹羽は壊れた歴史を形だけでも戻そうとしている。
それで元の時代に帰ることなど出来るのだろうか。
似たような歴史になろうと、帰れるとは思えないが、丹羽が武田に近づいた理由はわかった。
ふた月我慢していれば、丹羽が道筋をつけ、いずれ信勝が征夷大将軍になる。
信玄が望んだ武田幕府の誕生だ。逍遥軒ら親族衆も本望であろう。
将軍の父として駿府で隠居できるなら僕にとっても悪い話ではない。
だからこそ、余計に僕を投獄した逍遥軒の考えがわからない。
その逍遥軒が、三日後牢屋を訪れた。
そして、僕が甘かったことを痛感する。
逍遥軒は、初めから敵だった。──




