61 不吉な子
「山県様が治めたのです。今は騒ぐな、必ず四郎様に頭を下げ出馬を願うときがくると」
小原が俯いたまま話し始めた。
山県が粛々と高遠に移ったのも、逍遥軒と信勝の間に割って入り、御屋形としての自覚を促すためのようだ。
「山県様が申されました」
逍遥軒の子は女子だけである。男子はいない。
武田家を乗っ取る腹積もりない。
難癖をつけるのなら、御屋形様の家督相続を天の怒りと主張することもできたはずだ。
愚直に信玄公の遺言を守っているのであれば、多少の専横には目を瞑り、顔を立て当面指示に従うのが
僕のため ── と家老衆を説き伏せたらしい。
「上野叔父や兵庫叔父には嫡男がいるではないか」
一条信龍と川窪信実には男子がいる。それを担ぎ出す心配はないのだろうか。
「そのためにも御親族衆筆頭の逍遥軒様が必要と考えられておるのでしょう」
山県は逍遥軒を目付にしようとしているのだろうか。
「元々わたしは親族衆に嫌われているからな」
勝頼は生まれた時から不吉の子である。
信玄が信濃諏訪郡の名族諏訪頼重を謀殺して、その娘に産ませた子が勝頼である。
諏訪頼重の祖は諏訪上社の祭神建御名方命といわれており、神の裔で神姓を名乗り大祝の職に就いていた。
勝頼は信玄の子といえ、殺した神の血をひいている。
逍遥軒が呪詛と主張したのも、山県らが神託を信じたのも、根は同じである。
武田の一族は天罰を畏れ、家臣らは天啓と受容したのだ。
小原が押し黙った。
信玄から勝頼の近習を命じられた小原らが、一番分かっていることだからだ。
「お待たせしました。安酒ですがご勘弁くだされ」
惣藏が膳を持って入ってきた。
湯呑みと甕が板床に置かれる。
惣藏ら若い世代には聞かせたくない。
父や兄から聞いているだろうが、表立ってする話ではない。
「しかし、右衛門が惣藏をつけたとはな」
僕は湯呑みに酒を継ぎ、二人の前に置いた。
「それがしは、領民に顔を知られておりますので」
小原は伊勢の津に移ったあと、武田を辞するつもりであったという。
僕の側を離れる気はなかったのだ。
土屋も共感したが、牢人になっては支障があると、小原不在の補佐、支援を引き受け弟の惣藏を繋ぎ役として同行させたのだという。
「岡部様、朝比奈様が、ぜひやらせて欲しいと申しておりますので、作物の増反も見込めまする」
惣藏が得意気に言ったが、遠江の岡部、朝比奈領に栽培地を広げることは当初から小原と話していた。
両人とも駿河の出であり、武田と違い百姓らも素直に従うからだ。
「商人、職人の手配も惣藏殿なら上手くいくでしょう」
小原は当初から決まっていたことなど微塵もふれずに、惣藏を持ち上げた。
「思うようにいかないだろうが、惣藏。頼むぞ」
「お任せください」
嬉しそうに惣藏が言った。
史実での惣藏は織田から片手千人斬りの異名をとっている。
惣藏は長篠で兄の土屋昌次が討死したあと家督を相続するのだ。
最後まで付き従い討死するが、勝頼の自刃の時間を稼ぐため、崖路で藤蔓を掴んで千人を斬ったという凄まじい戦い方をした。
敵が敬畏するほどの武士なのである。
「ひとつお聞きしたいのですが、甘蔗で菓子を作るというのは」
惣藏は口をつけただけで酒は進んでいない。
甘党なのだろうか。畑での話に興味を持ったようだ。
「甘蔗の汁から黒糖を作るのだ。きな粉にまぶして餅にかけて食う。安倍川餅だ。テングサを使えば安く羊羹ができる。芋を潰して作ることもできる」
砂糖は南方からの輸入品で驚くほど高価である。
甘味は甘蔓や玄米を発芽させて作る水飴で、これも贅沢品で高価だ。
「安倍川とはそこの川のことですか? この辺にはそのような食べ方がございますのか」
家康が名付けたのだから、あるだろう。
トコロテンは奈良のころからある食べ物で、海草のテングサは伊豆では畑の肥やしに使うほどありふれている。
間違ったことは言っていないはずだ。
「あらためて四郎様の博識には驚かされますが、菓子を如何なさるおつもりで」
小原が興味深げに聞いて来た。
「身籠ったせいか紗矢の食が細いのだ。甘い菓子なら食べられるのではとっ」
「さ、紗矢の方様が、ご、御懐妊ですか⁉」
小原が身を乗り出した。僕は頷く。
「おめでとうございます!」
二人が深々と頭を下げた。
史実では、勝頼は信勝の下に十歳以上離れて二男一女をもうけている。
僕になってから、正室、側室に指一本触れてないのだから生まれるはずがない。
つまり、やっと第二子誕生となるのだ。
「蟄居中ゆえ外聞が悪いと黙っていたが、だからこそ早く解いてもらいたいのだが」
小原は一口酒を飲み、手の中で茶碗を弄んだ。
「おそらくは一年ほどでお許しがでると思われますが、ただ」
「ただ?」
「噴火の後始末を押し付けられます」
それは構わない。越後の金を使えば済む。
何を今更と小原を見ると、
「噂では村を捨て、逃げ出す百姓が大勢出ているそうです」
茶碗を睨んだままぼそりと言った。
「流民が出ているのか!」
百姓が土地を捨てることはまずない。
土地を離れれば、運がよくて稼ぎ人(農繁期に雇われる)か、農奴のような小作である。
まともな暮らしなどない。地獄のような日々が待っている。
それがわかっていても土地を捨てたとなると、手の打ちようないほどの被害なのだろう。
逍遥軒は、領民の保護、支援など何もしていないのだ。
「ご安心くだされ。真田様が自領にて保護しています」
小原が慌てて取り繕った。
「左衛門が百姓らを引き取っているのか」
真田兄弟が流民の保護に乗り出しているなら安心である。
安堵の息を吐いたとき惣藏が身を乗り出した。
「なんでも、武藤喜兵衛殿が逃げ出す百姓らを引き留めているそうです。御神代様なら必ずお救いくだされるとっ。あっ」
小原の肘が惣藏を突いた。
小原が止めたのは、僕の負担になると思ったからだろう。
被災地復興を条件に、ただ蟄居を解くのではないということだ。
僕が何もできずに領民らを失望させるだろうとの狙いがあるのだ。
武藤の呼びかけが拍車をかけると逍遥軒は目論んでいる。
だが、やりようはある。──
「天地返しをやってはどうか」
「天地返し?」
「畑に積もった灰を地中深くの土と入れ替えるのだ。一尺四、五寸(約四十五センチ)は掘らなければならない。だが、雨で水路に流れ出す灰も防げる」
富士山の宝永噴火(西暦千七百七年)で行ったやり方である。
鍬や鋤で穴を掘るのは重労働であるが、近隣の村から人足を雇えばいい。
地中深くの土は養分が欠乏しているが、あまり養分のいらない芋や蕎麦なら作れるだろう。
「おおっ。その様なやり方ありますか!」
小原が嬉しそうに言った。
逍遥軒の悪意を逆手にとれるとなれば、小原は家老衆を動かすつもりなのだ。
子が生まれる前に解いてもらいたかったが、もう少しの辛抱だ。
「おいしい。このような食べ物、生まれて初めて食べました」
水羊羹も芋羊羹も安倍川餅も持っていくたびに、紗矢は驚きを隠さず残さず食べてくれた。
苦労して作った甲斐があった。
サトウキビの皮をむき、包丁で刻みすり鉢で粉々にして汁を絞った。
その汁を湯煎しながら固め黒糖を作った。
一抱えほどのサトウキビでは両手に乗せるほどの量だったが、紗矢に食べさせる菓子作りには、十分な量だった。
羊羹はテングサを海から採ってきてもらい、天日に七日ほど干した後、水と酢で煮込み寒天汁を作り、濾した餡子を入れ固めた。
当然餡子には黒糖を使っている。
芋は茹で潰したものを布で濾し、黒糖と寒天液を混ぜ、型に流し込んで作った。
少し水っぽく、甘みが足りない羊羹になってしまったが、この時代の人々には驚くほど甘く感じるようだ。
試しに城の料理番と待女に食べさせたところ絶賛である。
茶の湯の盛んな京や堺でも評判なるというのだ。
素人が作ってもこれなのだから、寒天は売れるということだろう。
今現在、寒天という言葉自体ないのだ。
名づけ親といわれる隠元禅師が日本に来るのは1654年のことだからだ。
食べ残したトコロテンが干乾び、白く乾燥していて物を茹でたところ、海草臭さもなくなりおいしくなったので、精進料理の食材として禅師に提供した者がいたそうだ。
「寒晒しのトコロ天」で、寒天と呼ばれるようになった。
つまり、乾燥寒天はまだ存在しない。
伊豆では肥料にするほどあるのだから、乾燥寒天を作って売れば冬の漁村の稼ぎとなる。
真似する者が出て来るだろうが、そうなれば街道の茶店の名物にすればいい。
領民を豊かにする。──
気楽な隠居生活を送るのには必要なことだ。
「次郎がわたしを見て笑ったぞ」
「むずがっているだけです。少し部屋が暑いのではないでしょうか」
部屋には火桶が二つ置かれている。
ふんだんに綿を詰めた布団に手を添えると深く沈んだ。
「笑ったような気がしたのだが。厚いのか。ん」
次郎が生まれてふた月になる。
なぜ。こんなに愛しく思えるのだろう。
死の淵にあった僕が、子どもを持てたというのもあるだろうが、よくよく考えれば信勝と同じ勝頼の子なのである。
それでも見ていて飽きない。可愛くって仕方がない。
小さな手を触っているだけで、何とも言えない幸福を感じるのだ。
小原の話しでは蟄居は、年が明ければ解かれるようだ。
正式継承後、初めての年賀の儀を何事もなく乗り切るための逍遥軒らしいやり方だ。




