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60 手足をもがれる 

 「軍制改め?」

 「はい。軍制改めに伴い領地替えが行われました」

 風間孫右衛門は商人姿である。武士の方が変装ではないかと思うほど堂に入っている。

 「誰を動かした」

 四月半ばから、西に向かう引っ越しの行列は、駿府手前で山側に迂回し、安倍川の浅瀬を渡って行ったのだ。

 明らかに駿府城を避けていた。

 「まず山県様が浜松から高遠へ領地替えとなりました」

 「山県が高遠‥‥」

 「はい。御屋形様が近くに置く事を望まれたとか。逍遥軒様が韮崎城に移り、高遠は山県様となりました」

 家老筆頭で、武名が轟く山県を呼び戻したのは逍遥軒だろう。

 赤備えを信濃におけば、他国に睨みを効かせられる。

 新府城と呼ばれず韮崎城となったのが、わずかな救いだ。

 「他は?」

 「小原様が江尻から伊勢の津へ、跡部様が沼津から尾張鳴海。小宮山様が横山から美濃神原。安倍様も同じく美濃の伊木山です」

 やはりそう来たか。逍遥軒のやりそうなことだ。

 「替わりに誰が来る?」

 「江尻には穴山様、浜松は川窪様、沼津は内山の大井様、横山にはっ」

 「もういい!」


 軍制改めとは上手く言ったものである。

 逍遥軒は小原ら近習に五千石から一万石加増して、僕から近習を遠ざけたうえ、己の息の掛かった者で駿府を取り囲んだのだ。

 配下を駿府に入れなくても、僕を監視できるような体制を作ったのだ。


 「引っ越しの行列は小原ら側近であったか」

 いくら蟄居中とはいえ、秘密裏に使いのひとりも寄こせそうなものである。

 駿府手前で横道に逸れ、避けるように行ってしまうのはあまりにも冷たい。

 見捨てられたようで落ち込む。

 「沙汰が発せられております。秋山様が若宮に減封になっております」

 風間は僕の顔色を読んだようだ。


 秋山は許可なく僕と面会したことを咎められ、上杉領との境の北信に追いやられたのだという。

 武田家当主の使いでも、禁を破れば処罰すると、見せしめにしたのだろう。


 「噴火の被害状況は?」

 「北佐久に甚大な被害が出ております。他所と違い警戒を怠ったようで、領民の怨嗟の声が溢れております。流言ひとつで爆発しまする」

 逍遥軒は僕の進言を無視した。

 何の手も打たなかった。

 そして責任を転嫁するため、噴火は呪詛としたのだ。

 被害が出た地の城主を沼津に配置換えしたのも、儀式での僕と信勝のやり取りを領民に知られないためだろう。


 「いや。それはいい。引き続き探ってくれ。西の情報も欲しいが、これで手下を雇えるか」

 五十両ほど入っている袋を前に置く。米百三十石が購える金額だ。

 「それがしは武士です。金は御遠慮いたします。馬場様にも言いましたが風魔ではありませぬ」

 面白い男である。

 二百石の身分では、手下を養えないだろうと金を渡すのだが、必ずいらないと言うのだ。

 国境の城代を務めていたことを誇りに思っているのだろう。

 自分は武士だと憚らない。

 名門の武家に多い「金は汚きもの」を真似ているのだ。


 「んっ? 今流言で一揆をおこせると言ったではないか」

 「た、例えでございます。確かに北条家では、そのようなことを命ぜられましたが」

 武士だろうと、透破だろうと、風間の情報網は壊滅前の出浦並みにある。

 関東だけなら上回っているかも知れない。

 

 「それはすまない。だが、蟄居となり領地は与えられない。何とか金で手を集めて貰えないか。これこのとおりだ」

 唯一の救いが、外の情報をもたらす新参の風間なのである。

 拝み倒してでも、やって貰うしかない。

 「お、お止め下さい。それがしのような者に頭を下げるなど畏れ多い。御満足頂けるどうか分かりませぬが、やってみます」

 手足はもがれたが、どうにか耳だけは確保できた。


 六月 ──

 風間からの西の報せは、織田に寝返った伯耆の南条元続と、毛利の重臣、因幡鳥取城の吉川経家の戦だけであった。

 南条同様寝返った、備前の宇喜多直家は史実通り一月に病死しており、家督を継いだ十一歳の秀家では  毛利の猛攻を跳ね返すことはできず、衰退の一途を辿っていた。

 史実と違い、播磨は織田の手に落ちていない。

 織田の援軍がなければ、宇喜多は早々に滅ぶだろう。

 

 毛利と織田の戦はまだまだ続く。

 僕は生きている。 ── 

 信長も生きている。──

 歴史は完全に変わったのだ。

 

 「これは芦田様! おいで頂けるとは思いもしませんでした」

 透き通る青空の下、有村平太郎は畑にいた。

 使いを何度も通わせ作物の出来は確認していたが、八月の声を聞くと居ても経ってもいられず、紗矢の弟を影武者にして一人で城を抜け出してきたのだ。

 作物の出来だけが気になったわけではない。

 身重の紗矢に、何かできることは無いだろうかと考えた末、芋や黒糖を使った菓子を作ってみようと思ったのだ。


 「今年も良く出来ているな。他はどうだ」

 「はい。我が村の出来は良いと思いますが、下田村は唐芋は良いようですが、甘蔗、綿花は土が合わぬのか八分ほどの出来です」

 耕作面積は、上原村で一町歩、下田村は五反歩ほどだ。

 作物の出来不出来は場所により避けられないことだ。

 八分の出来なら上出来である。

 「下田村に行きたい。家人に道案内を頼めるか」

 「丁度、嘉平に用事がありました。ご案内いたします」

 平太郎は家人に鎌を渡し裾を払った。


 使いの者には聞いていた。隣村の耕作者関川嘉平は平八郎の又従弟だ。

 村の増反分も有永家の小作の百姓である。

 武田を恨む者が多い。

 特産物作りなど金を貰っても嫌なのだ。

 「いや。仕事を邪魔するつもりはない。なんなら道順を教えてくれるだけでも良いぞ」

 一人で来たのだ。のんびり馬に揺られ村々を見て回るののもいい気分転換になる。

 「畑まで半里もありませぬ。お気になさらず」

 馬に跨る頃には、坂下の道の途中で待っていた。


 「ここを曲がったところです」

 確かに近い。村を出て直ぐのところだった。

 栽培を教わるため有永家の近くにしたわけではないだろう。

 村の中を避け上原村の近くを選んだのだ。


 「おうい。嘉平さ。芦田様がお見えになったぞ」

 八分の出来と言ったが、良く出来ていた。

 嘉平は畑の隅で、葉の茂った枝を切り分けていた。


 「これは。これは。下田村の関川嘉平と申します」

 駆けてきて膝まづいた。

 「郡方の芦田だ。忙しい中邪魔をした。続けてくれ」

 「芦田様は気さくな方だ。ほれ。立て。ところで何をしていた?」

 躊躇する嘉平の腕を引き、平太郎が言った。

 役職上、気さくではまずいのだが、平太郎が心を開いてくれたようでうれしくなった。


 「木の枝が陽を遮るのが良くないと田中様が申されてな。切ってくれてるんだ」

 「田中様?」

 平太郎が怪訝な声を出した。知らないようだ。

 「お殿様の御国替えで、隣村に来られた方だ。何かご事情があるようで‥‥。芦田様ならご存じでしょう。田中一郎様、次郎様の御兄弟です。今お呼びいたします」

 止めるのが間に合わず、嘉平が林の方に駆けていった。


 そんな偽名のような兄弟は知らない。

 お殿様とは小原のことだ。

 僕は領民に報せることはせず、駿府に移っていたのだ。

 領民が知っているのは、大罪を犯した武田家当主の父が、駿府城で蟄居させられているということだけだ。

 小原の家臣に会ったら面倒なことになる。上手く誤魔化せるか不安になった。

 

 「これは、芦田殿。せんだっては帰農に御尽力を頂きありがとうございました」

 若い男は真っ黒に日焼けした顔に笑顔を作る。

 

 な、なぜ、お前が ──


 「な、なに。牢人されては当家の損。殿が伊勢から戻ったときに、再仕官をすればよい」

 これでいいかと男を見ると、にんまりと頷いている。

 「あの。太郎様は家でお待ちしているとのことです。はい」

 遅れて来た嘉平が言った。

 

 「平太郎、嘉平。すまぬが、芋と甘蔗の太いのを一束くれるか」

 「はい」

 二人が鎌を手にサトウキビを刈り始めた。

 「おい。なぜ、そなたがいる。兄とは誰だ?」

 小声で男に話しかけた。

 知っているもなにも、土屋惣藏昌継である。岐阜城主土屋右衛門尉の弟だ。

 右衛門尉がいるとは思えない。兄に命ぜられて来たのだろうか。

 

 「家でお待ちしております。今しばらく芝居にお付き合い下されませ」

 平太郎が、サトウキビを抱えて戻ってきた。

 「今少しあった方がよろしいですか」

 「いや、これでいい。試しに絞り汁を煮詰めて黒糖を作るのだ。上手くいけばそなたらにも教えてやる」

 「はい。楽しみにしております」

 

 短く切り揃えたサトウキビと小さなサツマイモ五個ばかりを馬の背に乗せ、惣藏の後について行く。

 「惣藏。もういいだろう。教えてくれ」

 「申し訳ありませぬ。どこに耳があるか分かりませぬ。家までご辛抱ください」

 一里ほど馬を引いて、ついた先は廃家と思えるような百姓家であった。

 大きな茅葺屋根だが、左側は茅が崩れ垂れ下がっており、すこし柱も傾いていた。

 家の前には三反ばかりの畑があり、葱や菜っ葉が植えられているが、その周りは草が生い茂っている。

 

 「あばら家ですが、前の家人が野盗に皆殺しになったとかで、安く借りられました」

 ぞっとするようなことを惣藏が言った。

 本当に野盗なのだろうか。武田の足軽にやられたのではないのか。


 惣藏は足をかけ力ずくで板戸を開けてた。

 「どうぞ。中へお入れくだされ」

 外見と違い、中はなかなか立派な造りである。

 太い大黒柱と黒光りした框が土間の先に見えた。


 「ようこそおいで下さいました。田中一郎と申しまする」

 框の上の板の間に平伏した男がいた。

 「し、下総っ⁉」

 僕は言葉が続かなかった。

 「四郎様を真似てみましたが、似合いませぬか」

 小原がはにかんで、伸びた月代をぽりぽりと掻いた。


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― 新着の感想 ―
家臣に慕われてますね 勝頼本人は生き残りと楽に余生を過ごす事が目的だったのに、周りがそれをカリスマ性ととらえるすれ違い(笑) これは次から次へと元家臣団大集合の予感
代替わりした途端、山が噴火したのは、天が怒ってるって噂話が出てもその返しはまずいだろ。 呪詛の所為にしても、呪詛で山を噴火させる先代の格が当代と親族衆合せてより上だって証明された様なものだし。
小原を好きになる物語 ストレスフルな状況ですがここからどうなるのかわくわくしています 逍遥軒の悪役っぷりも素晴らしいが彼の末路は果たしてどうなるのか気になります
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