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59 ハレの日をケがす

 天正十年元旦 ──

 躑躅ヶ崎館の大広間には烏帽子、直垂姿の重臣がびっしりと列を作り座っている。

 一段高い上座には、御旗と孫子の旗が飾られ、楯無、諏訪法性の二甲冑が左右に置かれていた。

 その真ん中に鎮座しているのは信勝である、

 元服の儀が終わり、家臣らに正式に武田家当主になったことを宣言するのだ。


 僕は一段低い右側に座わらされ、対面の左側に座った逍遥軒を睨んでいた。

 「皆の者! 今日はめでたき日ぞ。元服の儀を済ませ信勝様が武田家当主になられた」

 逍遥軒が立ち上がり広間を見回し言った。上機嫌である。

 『おめでとうございまする』

 一斉に家臣が頭を下げ、衣擦れの音が耳を突く。


 「陣代を務めて下さった四郎様は、大任を解き駿河の平定に務めて頂く事になった」

 逍遥軒が僕を見て薄笑いを浮かべた。

 駿河に不安な動きなど無い。ただの嫌味だ。

 「駿府は亡き父の縁の地。暖かく疲れた身体を癒すのには丁度良い」

 前列の親族衆から嘲笑が漏れた。

 亡き父とは、信玄が追放した信虎のことだ。


 要害山城と駿府城を比べれば、誰でも駿府城を選ぶだろう。

 逍遥軒は躑躅ヶ崎館から北東へ半里の要害山城に僕を入れようとしたのだ。

 当主を補佐するためと言ったが、何の権限も持たされていない。

 躑躅ヶ崎館からわずかな距離だが、名の通り周りは深い山々に囲まれており、開けているのは館の方向だけで、人の行き来を全て監視できる場所だ。


 幽閉としか思えない城に移るなど承服できるわけがない。

 僕は即座に断った。

 すんなり撤回したところを見ると、端から駿府だったのだろう。

 信虎に重ね合わせ、駿府に隠居させることを考えていたのだ。


 隠居をさせるとしても、なんと底意地の悪いやり方だろう。

 僕の功績は、信勝にべったりと張りついて家宰を気取っている逍遥軒と、比べようもないはずだ。

 眼前の逍遥軒のにやけ面を見て、沸々と抑えきれない怒りが湧いた。


 「御屋形様に、申し上げる」

 逍遥軒がぎょっとして僕を睨んだ。

 「来月。二月に浅間山が噴火する。田畑には灰が降り積もり、数年耕作に支障をきたす。年貢の免除、減免、救済が必要になる。如何に致すのか、お考えを受けたまりたい」

 諸将らは理解できず唖然となった。

 大広間がシンと静まり返る。


 「御神託っ」「御神託だ!」「御神託?」

 家臣の列から呟きが漏れた。

 山県、和田だろうか。神託などと言うのは家老衆以外にはいない。

 俄かに大広間が騒めき立つ。


 「し、静まれ! 四郎! たわけたことを申すな!」

 我に返った逍遥軒が怒声を上げた。

 「叔父上ではありませぬ。御屋形様からお聞きしたい」

 僕は上座に座る信勝に目を向けた。

 信勝は返答に戸惑い逍遥軒を何度も見ている。


 「御屋形様! 御返答を!」

 「はい。そ、そのように致します」

 父に怯える子は、震えながらか細い声を出した。

 信勝は逍遥軒の傀儡になっている。

 自分の子と思えず、距離を置いた僕のせいだ。


 「その答えを聞いて安堵致しました。恙なく励まれますよう」

 逍遥軒や親族衆が、がなり立てるが無視して大広間を出た。


 逍遥軒への面当てに、内々で対処するはずだった噴火を言ってしまったが、後悔はない。

 噴火は必ず起こる。天変地異を変える事は出来ないのだ。

 僕の発言を山県らのように神託あるいは神通力と受け取る者もいるだろう。

 そうなれば親族衆も僕を腫れ物のように扱うかもしれない。

 駿河での隠居は望んだことだ。

 干渉されず自由に過ごすには、神威を見せつけるのが一番だ。


 一月十日 ──

 考えが甘かったことを痛感した。

 祝賀の宴を欠席して、駿府城に帰った僕の元に躑躅ヶ崎館から使者が来た。

 晴れの日を汚したと、蟄居を命ぜられたのである。

 武田家当主信勝の命令である。

 どおりで小原や山県が来なかったわけだ。

 蟄居となれば、許しが出るまで城の一室に籠っていなければならない。

 外部との接触も断たれ、手紙の遣り取りも禁止である。

 「謹んで、お受けいたす」

 使者にそう答えたのは、浅間山が噴火すれば蟄居も解かれると思ったからだ。

 ひと月ほど我慢すれば、それで済む。


 二月十四日 ──

 浅間山が噴火した。

 駿府からでも赤々と天を染めるのが良く見えるほどの大噴火である。

 だが、人的被害は少ないはずだ。

 浅間山周辺を知行地とする諸将らは、神託と受け取り警戒していたはずだからだ。

 蟄居が解かれれば、領民の救済、復興支援に越後御館の金を使うつもりだった。

 数年、年貢免除にしても、民百姓らが困らないほどの金を使えば済む。

 

 三月五日 ── 

 秋山昌成が、駿府城を訪れ接見を求めて来た。

 秋山は小原、跡部同様、勝頼の古くからの近習である。

 家老衆の確執を解消するため、一時近習を遠ざけたとき、秋山は信勝の附け家臣とした。

 跡部、長坂に領地の検地をやらせときだ。

 旧臣の秋山を駿府に寄こした信勝が、なぜ堂々と使者として遣わさないのか分からなかった。

 

 秋山から挨拶や慰労の言葉を受けたが、言葉の節々に許可を取った面会ではないことが伺えた。

 「御屋形様からの伝言がござりまして」

 おどおどと秋山が言った。

 「子として駿府をお渡し致しますれば、くれぐれも自重下さいと、申されております」

 「どういう意味だ?」

 使者でもなく、許可された面会でもない。

 武田家当主が、ひそかに伝言を託すなど理解できない。

 「おって使者が参りますが、駿府にいる直臣は、全て甲府に移すことになりました」

 「なっ⁉」

 思わず膝が浮いた。

 陣代であったため、配下のほとんどが武田家に仕える直臣である。

 隠居とはいえ、城主の立場なら配下はそのままになると思っていた。


 「城は御屋形様の父を想う子の温情とお思い下さい」

 子として? 子の恩情? 信勝は何を恩着せがましく言っているのだろう。


 「蟄居はどうなる? 噴火は起こった。晴れの日を汚したわけではない」

 重臣らがいなくなれば、城は立ち行かない。

 早急に手を打たなければならないが、外部との接触を断たれていてはやりようがない。

 「そ、それは・・・・ 噴火は、いえ、使者にお聞きください」

 秋山は言葉を濁して帰っていた。


 五日後が使者がきた。

 秋山が言葉を濁したわけがわかった。

 使者は浅間山の噴火は、僕の呪いの言葉のせいだと断言したのだ。

 神託ではない。呪詛だと逍遥軒は主張したのだ。

 秋山が来たのも、信勝が僕を畏れ、己に類がおよばぬように先回りしての機嫌取りのためだろう。

 蟄居は解かれず、配下の暇乞いも禁止である。

 僕は本丸の一室に籠り、引っ越しの喧騒を聞くだけだった。


 四月十二日 ──

 静まり返った本丸から西御殿の紗矢のもとに移ることを決めた。

 勝頼になってから片時も忘れた時のない三月十一日をひと月過ぎたからだ。

 それに逍遥軒は蟄居を解く気などない。

 閉門としなかったのは、世間体ばかりではなく、僕を畏れているからだろう。

 なら、城内で自由にしていても何も言ってくることはない。

 

 直臣の配下は奪われたが、幸いな事に風間孫右衛門がいる。

 馬場から貰い受けた風魔だ。

 元々逍遥軒を探らせるために召し抱えたのだが、山県、小原と秘密裏に連絡が取れる。

 場合によっては、透破得意の流言で逍遥軒を追い落とせるかもしれない。

 まあ、そこまでする必要はない。

 蟄居を解かれ、隠居として政務、軍務に口出しできる立場ならいいのだ。

 

 西御殿に行くと紗矢が床に就いていた。

 食も進まず、身体がだるいらしい。

 「蟄居に付き合う必要はない。医師を呼んでくれ」

 待女に命じ城下の医師を呼ばせた。

 「申し訳ありません」

 起き上がろうとする紗矢を制し、僕は枕元に座った。

 「すまない。このような仕儀になり苦労をかけた」

 熱はないようだが、だるそうである。


 暫くして紗矢の父が医師を連れて来た。

 板坂卜斎の弟子で、僕が引き抜いた医師だ。

 駿府の城下に屋敷を与え、武士、町人、百姓問わず診療させている。

 武田が従軍させている医師団は、腕がいいので評判である。

 僕が、わけのわからない因習や間違った治療方法を止めさせたからだろう。


 待女を部屋に残し、隣室で診察が終わるのを待った。

 「部屋からお出になって、よろしいのですか」

 義父が恐る恐る聞いて来た。

 「城から出なければいいだけだ。皆にも言ってくれ。遠慮は無用だ」

 逍遥軒は、己の息の掛かった家臣を駿府に入れようとしていたが、何故だか頓挫している。

 監視がいないのだから、家臣らまで恭順していることはない。

 

 「よろしいですか」

 診察が終わったようだ。

 医師が深々と頭を下げ言った。

 

 「おめでとうございます。奥方様ご懐妊であらせまする」


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― 新着の感想 ―
こうなる前に色々しなかったのかな中の人 やらないと新しい子が消されるわね 取り敢えずやり返しに期待ですね
なるべくしてなった。本人もだがこれでは周りも黙ってはいない
偉大な実父の言うこと聞かなかったのか信勝くん
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